挿話④ 屍従王の地域振興プロジェクト(5)
柱の陰から、ロリーシェがヒョイと顔を出す。
「今です。今がチャンスですよ!」
周囲に気配がないことを悟ると、ロリーシェは手招きする。
「チャンスって、お前なぁ」
イスカが呆れた顔をするが、ロリーシェは聞く耳を持たず、抜き足差し足忍び足で進み出て行き、『女湯』と書かれたプレートをひっくり返して『男湯』とする。
「ロリーシェ。どうせ私たちの貸し切りよ。何の意味があって…」
「わかってませんねー。カナルさん」
馬鹿にされたと思ったカナルはムッとする。
「いいですか。こうして置けば、カダベル様が温泉に入って来られるじゃありませんかぁ!」
半ば興奮して拳を上下させるロリーシェに、カナルは「ハッ!」と眼を見開く。
「な、なるほど。事故を装いつつ、自然な形で混浴ってことね。これは盲点だったわ!」
そんなふやり取りを見て、イスカは頬を引きつらせる。
「…どういうことよ。ミイラが入って来るなんて私は嫌よ。どんなホラーよ」
「おふたりともカダベル殿がお好きなんですよ」
ルフェルニがそう言うと、ロリーシェとカナルは顔を見合わせて不思議そうにする。
「なに言ってるんですか! ルフェルニさんもでしょ!」
「ええ。ディカッター伯も、マイマスターが来られるのを望んでいるのでは?」
ルフェルニは顔を赤くする。
「いえ、私は一緒には…」
「なんで? ルフェは温泉入らないつもり?」
アヒルの入った桶を抱えたジュエルが頬を膨らませる。
「あー、いえ、その、皆さんと一緒にはマズイのかなぁと。私、一応、両性ですし」
「ちゃんと腰布当ててくれれば大丈夫よ。さすがにイグニストとかと一緒には入りたくはないけど。性選択も女にしたんでしょ?」
「ええ。そうなんですが…」
「アタシは全然平気だけど!」
ジュエルがニヤッと笑うのに、ルフェルニは何とも言えない顔を浮かべる。
脱衣場にと入る。湿気がこもらないように風通しがよく、夜となった今は肌寒いくらいだ。
ここは以前のままで、「和風にしたいけど何をすればいいかわからん」とカダベルも手をつけなかったのである。
「そういえば、マイマスターは?」
「ゴライとメガボンとやることがあるって仰ってましたけど」
「いっつも死者たちでコソコソやってんの。アタシが寝た後にね」
ジュエルは服をポポーンという具合にあっという間に脱いでカゴに放る。
「カダベル様は、いつもゴライやメガボンとばかり一緒におられます」
ロリーは頬を膨らませてそう言いながら、白いタイツを脱ぐ。
「ゴライ殿とメガボン殿は従者のような位置づけなんでしょう? それならば仕方ないのでは…」
ルフェルニは前合わせを外しながら笑う。
「私にはやっぱりわからないわね。相手はミイラだろ? ヴァンパイアであるルフェルニはまだしも、ヒューマンがどうして入れ込めるのかしら」
イスカは長い髪をゴムバンドで留めながら首を傾げた。
「あたし…いえ、私は元々、屍体愛好家だったんで…動いていらっしゃるマイマスターを見た瞬間に虜に…」
「あ。お前はもういいわ。ロリーシェは?」
「私は…」
ロリーシェが何か言おうとした時、皆の視線が集まってることに気付いて眼を瞬く。
「な、なにか?」
「いや、スゲェなと思って」
「スゲェ?」
「あ。その、服を着ていらしている時からわかってはいたんですが…」
ルフェルニが遠慮がちに言うと、ロリーシェは「あ!」と言って身を縮こまらせる。
「なにその胸についてるの。風船みたいに空気をパンパンに入れて膨らませてんの?」
「そ、そんなわけないでしょ!」
ジュエルが目を細めて言うと、ロリーシェは真っ赤な顔で反論する。
「ヒューマンの標準はコレだろ?」
イスカに指さされ、思わずカナルは自身の身体を見やってしまう。
「標準…コレって。チャンバレー卿。もしかして私にケンカ売ってらっしゃる? 今なら喜んで買うわよ」
「種族って差も含め、私の方が上…大きい事は認めるけどな」
イスカは豊満な胸をグイッと寄せる。そんな物を見せつけられ、カナルは敗北感を覚えて「グゥッ」と後退った。
「まあまあ、ふたりとも。イスカも種族差について言うのは良くないって、いつも自分で…」
「スタイルについては別よ。そんなこと言ったら、ヴァンパイアなんて性選択だけでそんな立派な物を得られるなんて不公平じゃないの」
「好きでこうなったわけじゃ!」
言われてルフェルニも胸を隠す。しかし、両腕に隠しきれないほどであまりに余る。
「そ、そうです! ルフェルニさんこそ立派な物を持って…」
「いや、お前のはそれにしても規格外だわ」
イスカが言うのに、ルフェルニとカナルも同意して頷く。
「ハックシュン!」
全裸のジュエルが大きなクシャミをした。
「風邪ひいちゃう!」
「風呂に…」
「入りましょうか」
切り出した石を組んで造られた浴槽に、地中から湧き出す湯が石造りのスロープを通して流れ込む。
カダベルは天然石を並べ、景観を重視した露天風呂にこだわっていたが、深い藪を半分ほど刈り込んだ状態で諦めて放置してあった。とても数日でどうにかなる感じではなかったからだ。
「はぁ〜、足を伸ばせて入れるお風呂っていいですねぇ〜」
ロリーシェは上気した顔でニヘラと笑う。
「ここなら泳げそうだし!」
「あ? 泳いだら怒るわよ」
アヒルを持ってバタ足をしようとしたジュエルは、カナルに注意されて口を尖らかす。
「普通の湯より柔らかい感じがしますね」
「そりゃそうさ。何か色んな成分が溶け込んでいて、この少しヌメッとしたのが肌に良いって言ってたわ」
「カダベル殿がですか?」
「いえ、ミューン…いや、シャムシュだったかしらね?」
常に潤ってツヤツヤしているリザードマンや、毛に覆われたモッドがそんなこと言うのかと、ルフェルニは少し不思議に思う。
「ま、そんなのどうでもいいじゃない。気持ちいいんだからさ」
首まで深く浸かり、イスカは鼻から大きく息を吐き出した。
「カダベル様、まだかなぁ〜」
脱衣場に人影が現れないかと、ロリーシェは何度も視線を向けていた。
「…さっきの話の続きだけどさぁ、なんでそんなにあんな死体に心酔できるんだい? 昔なんかあったのか? 例えば、なんか弱味を握られたとかさ」
「弱味って…」
「それは随分と、ひねくれた見方ね」
ルフェルニとカナルは顔を見合わせて言った。
「そういえば、ロリーシェさんとカダベル殿との出会い…ちゃんと聞いていませんでしたね」
「そうでしたっけ? カナルさんには話した覚えが…」
「詳しくは聞いてないわ。命を助けられ、その恩を返すためにサーフィン村に来たということくらいかしら」
「私も興味あるね。クルシァンの修道士が、なんでまたミイラと行動を共にするようになったのかさ」
ロリーシェは少し考えるようにして、それから「なら、最初からお話しましょう」と大きく頷く。
そしてロリーシェは、幼い頃にカダベルに助けられた事、ソリテール家に面倒を見てもらい聖学校に行けたこと、そしてサーフィン村である元ゴゴル村にまで辿り着いた経緯をかいつまんで話した。
「…それで、ロリーシェさんはカダベル殿の遺体を見つけたわけですか」
「ええ。ゴライがずっと背負って守っていたんです」
「…だけど、ロリーシェ。よくカダベルが復活するって信じたよね。魔女のアタシだってそんな魔法は知らないのに。フツー、カンペキに死んだって思うでしょ」
ジュエルがタオルを沈めてブクブクと泡を出させながら言う。
ロリーシェは口を開きかけ、それから視線を湯面にと落とす。
「……実は半信半疑でした。死者であるゴライが動いているから、可能性はあると思いたかった。でも、カダベル様は…一向に動かなく…て…」
祀られたカダベルの元へ赴く時、今日こそは動き出す…そう信じつつ、昨日と同じ位置から変わらず座したままなのを見る度、ロリーシェは自分の中から確信が疑念へと、少しずつとって変わっていくのを感じていたのだ。
「…本当に死んでしまわれたのだとしたら…私はあの時に……」
ロリーシェの心痛を察し、ルフェルニは彼女の肩に触れる。
「だからこそ、カダベル様が動いて喋って下さった時の、あの瞬間の歓びだけは今なお忘れられません!!!」
「お、おお…」
前のめりになって力説するロリーシェに、イスカは仰け反る。
「例えミイラでいらしても、私の側にいて下さっているだけで充分なんです!!!」
「……うーん。なるほどね。わかったような、わからないような…だわ」
「なら、もう一度、最初から説明します!」
「そういうことじゃなくてだな。でも、お前がカダベルが大事だって気持ちはよーく伝わってきたよ」
イスカは、カナルとジュエルを見やる。
「お前たちはどう思ってるんだ?」
「私たちは元々はマイマスターの敵だったから…だからこそわかる。憎い敵すら受け容れてしまうほどに、寛大な心をお持ちになられた、偉大な方であることは疑いようもないとね」
カナルは後悔を滲ませてそう言う。今の彼女にとって、ニルヴァ魔法兵団の一員として戦った事は後悔してもしきれないくらいの汚点だったのだ。
「ま、おかしなヤツよ。アタシがどんなワガママ言っても『出ていけ』とか言わないしね」
ジュエルが濡れた髪を掻き上げて答える。形の良い丸い額が明るみに出た。
「自分がワガママ言ってるって自覚があるんの? それなのに…」
ロリーシェが少し怒ったように問う。
「アタシ、カダベルに棄てられたら、野垂れ死ぬか、アタシをキライなヤツに殺されると思ってたから」
不穏なことをサラリと言うジュエルに、皆が怪訝そうにする。一番幼い姿をしているのに、似つかわしくない言葉だったからだ。
「もちろん死にたくはなかったけど、覚悟だけはしてたわよ。負けるってそういう事だって教わっていたもん。魔女じゃなくなるってことはそういうこと」
アヒルで遊びつつ、ジュエルは続ける。
「アイツはさ、アタシがどんなに悪い事をしても、勝手に遠くに行って、夜遅くまで帰らなくても……必ず迎えに来るんだよね」
「ジュエル…。あなた、もしかして、わざと?」
「うん。自分を殺そうとした魔女だよ。そんなの放っておけばいいじゃん。棄てちゃえばいいじゃん」
それは拗ねた子供そのものだった。
「カダベルは何だか“タメシコウドー”とか何とか言ってたけど…アタシはホンキで…」
アヒルを湯に沈める。それはまるで自分自身を苦しめてやろうとしているかのようだった。
「カダベル様は…それであなたを一度でも見棄てたことがあった?」
ジュエルは少し考えるようにしてから、静かに首を横に振る。
「…助けてって言うだけで、助けて下さるんですよね」
ルフェルニはクスリと笑って頷いた。
「…変な死者だ。死者なのに一番、人間らしいことをする」
イスカは、カダベルに脅された時の事を思い出す。
あの時はまったく気づかなかったが、よく考えれば危害を加える気はまったくなかったのだ。
もしやるなら、【極炎球】を持ったまま脅し続けて言うことを聞かせれば良かったはずだ。それなのに同じ目線での対話を選んだ。
「こっちは警戒して話してるのに、本当に調子狂うしなぁ…」
肩肘を張って話していても、向こうはどこ吹く風といった感じなのだ。ミューンやシャムシュとやり合っている時のような張り合いがない。いつも肩透かしを喰らった気分にイスカはなっていた。
「……ま、かと言って、風呂に一緒に入りたい部分はまったく理解できないが」
「それでも、イスカも少しはカダベル殿の事がわかったんでは?」
イスカは湯船の先から見える、連結した意味不明な樋を見やり、フフッと笑う。
「ま、本当に変わったヤツ…だという事は、よーくわかったよ」




