挿話③ ジュエルの共感
挿話というより、052後の後日談のような扱いになります。
ジュエルは帽子と上着を脱いだラフな格好となり、ボールを追いかける。
最初イヤイヤだったが、子供たちと競い合う間に、だんだんと負けまいと夢中になっていく。
汚れることを嫌う彼女だったが、一度タイツが汚れたら後は同じだとばかりに、泥の中にまで入り込んでボールを蹴り上げた。
「やるなぁー!」
「あったりまえでしょ!」
ボールを奪われたモルトが感嘆の声を上げると、ジュエルは得意そうに鼻の上を擦る。
指に土でもついていたのか、そのせいで鼻の頭が黒く汚れたので、子供たちがそれを見てケラケラと笑うと、ジュエルはブスッとした。
「はー、動いたらお腹すいたわ」
ジュエルは太陽の方を見やる。高さから見て、ちょうど昼時だ。
「一度帰ろっか」
「うん!」
モルトとキララがそう言うと、周囲の子供たちも「じゃあまた後でね」と言ってそれぞれ自宅へと戻って行く。
「なあ、ジュエル姉ちゃん」
「なに?」
「うちに昼飯食べに来ない? 母ちゃんが作る飯、うまいからさ!」
「わぁ! いいね! うん! 来て! 来てよ! お姉ちゃん!」
キララに手をつかまれて揺さぶられ、ジュエルは「うーん」と唸る。
「肉たっぷりのシチューだよ!」
「シチュー!」
「…ニンジンはいってる?」
「もちろん!」
「ならパス」
ジュエルはキララの手を払い、ヒラヒラと振って見せる。兄妹は明らかに落胆して眉を寄せた。
「姉ちゃんの皿にはニンジン入れないよう母ちゃんに言うからさ〜。来てくれよ」
「そうだよ〜。来てよー。キララがニンジンさん食べるから〜」
「それだけじゃないの。昼時に帰らないと、後で大騒ぎするのがウチにいるから」
ジュエルは帽子を被り直しつつ、村の一番奥にある元村長宅を親指でクイッと示す。
「カダベル様かぁ〜」
モルトは何とも言えない顔をした。
毎日毎日、あそこで大声がしているのを通りかかる度に聞いていたからだ。
「飯ぐらい自由に食わさせて欲しいよな〜」
「わかる? そうでしょ〜! アイツ、スッゲーうるさいの!
スプーンの持ち方から、フォークの動かし方まで、イチイチ文句を言ってくんだから! そのせいで食べた気なんてしないんだから!」
モルトはコクコクと頷く。彼もまた母親に毎度のように注意されていたからだ。
「……カダベルさま、こわくない?」
キララがジュエルをジッと見て問う。
「カダベルが? 別にー。ミイラが怒ったって何てことないわよ」
口やかましくは思うが、ジュエルにはそれが怖いだなんて思ったことは一度もない。
しかし、キララは首を横に振る。
「あー。たぶん、キララが言いたいのは、カダベル様の側に居て怖くないのかってことだよ」
モルトがそう補足すると、キララは大きく頷く。
「側に居て? 一緒に暮らしてってこと?」
「そうそう。だって、カダベル様もゴライさんもメガボンも死んでんじゃん」
子供らしい純真さで、思ったことをモルトはそのまま口にする。そこに悪気などはまったくなかったのである。
「死んでる…。確かにそうね。でも、普通に動いているもんだから、あんまり考えたことなかったなー」
「ジュエル姉ちゃんはやっぱスゲーよ。だって、俺は夜中にカダベル様に会うのはちょっとイヤだなぁ」
モルトがそう言うと、想像してしまったのかキララがブルッと震えて兄の腕をつかむ。
「夜中ねぇ…」
ジュエルは寝付きが良い方だ。布団に入ればものの数秒で眠りに落ちて、明け方まで眼を覚ますことはない。
それに死者3体は夜中は自室にこもってまず出てくることはなかった。夜だからといって墓場で運動などしないのだ。
つまり、ジュエルは夜中にカダベルたちに遭遇したことがなかった。
「うん! こ、怖くなんかないわよ!」
暗い廊下にいきなり現れるミイラの顔…そのイメージをすぐさま消し飛ばして、ジュエルは腰に手を当てて強がって笑う。
「やっぱりすげーな」
「うん」
モルトとキララの尊敬の視線に、ジュエルは上擦った声で「当たり前でしょ!」と応えた。
「…昼食べ終わったらウチ来なさいよ」
「え?」
「いや。…やっぱ今すぐね!」
──
「やあ、モルト。キララ」
「よ! カダベル様!」
「こんにちは! ガダベル様!」
キララがいるのを見て、カダベルは素早く仮面を付ける。
「…昼時だが、御飯は食べて来たのかい?」
「まだ!」
「食べてないです!」
カダベルは困ったようにジュエルを見やる。
「お母さんには?」
「え? 言ってないよ! カダベル様んとこでもらえるってジュエル姉ちゃんが…」
「あッ! アタシの名前は言わない約束でしょ!」
「…やれやれ。困ったものだ。まあ、来てしまったのは仕方がない。サーナには俺が【投函】で報せるとしよう」
3人は揃ってダイニングのテーブルに着く。
カダベルはさっきまで読んでいた本を閉じた。
「ジュエル。客人を招く時には前もって…」
「魔法で伝えられたら便利よね! 今はできないけれど!」
「ああ。その通りだ。魔法でできない。だからこそ、事前連絡が必要になるんだ。食事だって急には用意が…」
「アンタら、食べても食べなくても同じじゃん!」
カダベルとゴライは顔を見合わせる。
「そりゃそうなんだが…。そう言われたら身も蓋も…」
「もしかして迷惑だった?」
「いや、迷惑ではないけどね」
モルトが尋ねると、カダベルは困ったように肩を竦める。
「…ジュエルには色々と常識を…」
「ゴチャゴチャとうるさいの! ごはん! ごはーん! お腹空いたー!!」
「やれやれ」
そんなことを言いつつ、ゴライやメガボンが自分の皿を差し出す。
「ごはん…キララたちがとっちゃうの?」
キララが、ゴライに申し訳なさそうな眼を向ける。
「気にしなくていいデッセ」
「カクカク」
「いーのよ。メガボンなんて食べる真似するだけだし」
カダベルはジュエルに向かって何か言わんとしたが止めて、モルトとキララの方を見やって頷く。
「それにしてもまた芋粥ー? 肉! 肉が食べたーい!」
「肉なんて早々手に入るものか。都市じゃないんだぞ。ワガママ言う子には食後のフルーツはあげませんよ」
「ブー! 解ったよ! 食えばいーんでしょ! 食えば! で、フルーツは何よ?」
「フフフ。なんと、聞いて驚くな! ゴライが育てたイチゴだ!」
ゴライが心なしか嬉しそうにする。
「イチゴ!」「わぁー!」
モルトとキララは眼を輝かさせた。
「なーんだ。イチゴかよ」
ジュエルは舌打ちして頭をかく。
「お、美味しいデッセ…」
「でも、イチゴでしょ。メロンでもピーチでもない…単なるイ・チ・ゴ」
「……なら、いらないのか?」
カダベルが言うと、ジュエルはフンと鼻を鳴らした。
「いるわよ。期待しただけにガッカリしたーってヤツ」
ゴライが肩を落とすのに、メガボンがそれを慰めるかのように背中を擦る。
カダベルはしばらく何か考えるようにしていたが、結局は何も言わずに席を立って行ってしまった。
「……なあ、カダベル様、怒っちゃったんじゃないのか?」
「違うわよ。最近はいつもあんな感じよ」
「怒んないの?」
「前みたいにはね。口やかましく色々言ってはくるけど」
芋粥を一口食べて、ジュエルは「うげー」と言いつつ手を左右に振る。
「ねぇ。ゴライちゃん、メガボンちゃん。キララのとハンブンコにしよ」
キララは取皿を持ってきて言う。
「そんな必要ないってのに…」
「いや、俺のも半分でいいよ」
モルトもキララと同じようにするのに、ジュエルは不服そうにスプーンをくわえて上下させた。
「…そういや、カダベルのヤツは何を読んでたの? どうせ魔法書なんだろうけど」
話のネタにでもできるだろうと、ジュエルは机の端にあった本を掴む。
「ご主人サマに怒られ…」
「ウルサイ! ゴライ! いちいち、アタシに指図しないで!」
叱られたゴライはシュンとする。
「…ふん。魔法書…じゃないわね。何かしら。日記か何か?」
ページをめくっていくが、何とか読めるが、ジュエルが興味を抱くような内容ではなさそうだった。
「ん? なんか挟まってる…」
本の間に栞のように挟まってる紙を見つけて引っ張り出す。そして2つに折りたたまれているのを拡げた。
「なにこれ? …地図かしら?」
そこには村の外にある森の俯瞰図が描かれており、道の分岐点をどう進むのかの目印が描かれていた。
「このバツ印…きっと宝の地図ね!」
ゴライとメガボンが顔を見合わせる。
「宝の地図! スッゲー! マジで!?」
モルトが眼をキラキラさせて地図を覗き込んだ。
「“タカラ”ってなぁに?」
キララが首を傾げる。
「宝ってのは、お金とかのことだよ!」
「それにカダベルのことだから、甘いお菓子もあるかも知れないわ」
「…お菓子!」
ジュエルがそんなことを言うのに、キララもパァッと顔を明るくさせる。
「場所は…村の給水塔が描かれている近くだから、そう離れてはなさそうね。問題は…」
ジュエルは、ゴライとメガボンをジロッと見やる。
「余計なお喋りがないと嬉しいわね」
「…ご主人サマに怒られるデッセ」
モゴモゴと、ゴライは困ったように言う。
「…もし黙っていてくれるなら、しばらくはカダベルに逆らわないでいてあげるわ」
「……ホントデッセ?」
「ええ。キミのご主人様がとっても喜ぶでしょ。アタシが大人しくなればさ」
ゴライは頭を抑えて唸る。メガボンが何かを言ったが、ゴライは結局、首を縦に振った。
「わかったッセ。ゴライは…黙っているデッセ」
「お願いね。メガボンも…わかっているわよね。どうせキミの言っていることはカダベルには通じないでしょうけれど」
「カッコカク!」
メガボンは少し慌てたように、モルトにジェスチャーする。
「悪いね! メガボン! こういう宝探しとかは男のロマンじゃん! このモルト様がやらないなんて、そんなダサいマネはできないぜ!」
地図に釘付けになっているモルトも説得できないとみたメガボンは、項垂れてカコカコと口を動かす。
「さ、善は急げよ! ご飯食べたら、カダベルに気づかれないように出発よ!」
「おー!」
「…おー」
落ち込んでいるメガボンを少し気にしつつ、ふたりに倣ってキララも拳を上げたのだった。
──
村を外れ、東の森の中に分け入って行く。
「こっちを右ね。あったあった。あの大木が目印よ」
地図を見ながら先頭を行くジュエルは、自信満々に進行方向を指差す。
「でも、ゴライさんかメガボンを一緒に連れて来たほうが良かったんじゃねぇの?」
「なんでよ? アタシがいればあんなヤツらいらないでしょ。分け前も減るじゃん」
「そりゃそうだけどさー」
「魔女よ、アタシは。少し力を失ってるだけで、その気になれば今でもカダベルより強力な魔法を使えるんだから」
モルトは一瞬だけ何とも言えない顔を浮かべたが、手を繋いでいる妹に不安が伝わらないように微笑んで見せる。
「…でも、こんな道入ったことないぜ」
「大丈夫よ。地図があるんだから迷うわけないじゃない」
しかし、次第に森は深さを増していき、薄暗くなって行く。
モルトとキララの表情も次第に暗いものになる。
進めど進めど拓けた道には出ない。あっという間に日は傾き、夕方となる。
意気揚々としていたジュエルの足取りも鈍くなり、最初は真っ直ぐに持っていた地図だったが、今では右に左に回転させては、首を傾げる。次第にそんなことをする回数も増えていった。
「…なあ、一旦帰ろうよ。また出直そうぜ」
兄妹が不安を一杯にした顔でジュエルを見やる。
「わかってるわ。そうだわね。戻り…」
ジュエルは帰り道を振り返って顔を強張らせる。
さっきまで自分たちが来た道が無くなっていたのだ。
いや、正確には、藪の中を突っ切って来たせいで、その通ったはずのところの草や低木が元の位置に戻ってしまい、一体どこを来たのかまるでわからなくなってしまったのだ。
「…な、なに? まさか帰る道が…」
「そ、そんなことないわよ」
キララが泣きそうになるのを、慌ててモルトが慰める。
「大丈夫。大丈夫なんだから。もう近くまで来てるわ。ここに辿り着けば何とかなるわよ」
地図のバツ印を指差す。
ジュエルは何か確証があってそう言ったわけじゃない。彼女自身もそう思わないと不安で仕方なかったのだ。
「さあ、行くわよ! 戻るより早いし、確実よ!」
薄闇に覆われる夜の森は不気味だった。いつもは何も思わない鳥の鳴き声ひとつにも、過剰に反応してしまう。
「お家帰りたいよぉ…おかあさん…」
キララがくずりだす。モルトが励ましているのでまだ泣くまでには至ってないが、もはや時間の問題に思われた。
ジュエルが徐々に焦りだす中、木々の端に何かが見えた気がした。森にあるはずのない、それは赤い人工的な三角形だ。
「ほら! 見つけたわ! 家よ!」
ジュエルの明るい声に、モルトもキララも顔を上げる。
それは確かに家だった。三角に見えたのは屋根であり、立派な洋館だったのだ。
「良かった。キララ。きっと人がいるよ。カダベル様の知り合いのはずだから、俺たちを村にまで送ってくれるよ」
「うん!」
ふたりが元気を取り戻したのに、ジュエルは顔には出さなかったがホッとする。
しかし、その期待はすぐに裏切られることになる。
3つある月のうち、雲間から2つが洋館の全容を薄っすらと照らし出していた。
それはジュエルたちが望んだものとはまったく真逆のものであった。
正面へと回ると、庭園は荒れ放題で、外壁が崩れ、ツタが支柱を覆うように伸びて、割れた天窓に今にも食込もうとしている…そんなボロボロの状態であることに気づいたのだ。
「これって…廃墟じゃ…」
「そんなはずない! だってここが目的地だって…」
月明かりを頼りに地図を見る。しかし、確かにバツ印はこの建物を指しているようだが、廃墟でない証拠を見つけ出すことはできなかった。
「う、ウアアアァーンッ! おうちかえる!! かえりたいよぉ!!」
「あ、ああ。キララ…」
ついに泣き出した妹を見て、しかし慰める言葉が思いつかず、モルトも眼を潤ませる。
「…な、中に入りましょ!」
「えっ?」
何を言い出すのかと、モルトが眼を丸くした。
「だってカダベルがこの地図を持ってたのよ! きっと何かあるはずだわ!」
「イヤだよぉ!! お兄ちゃん!!」
キララが泣き叫んで拒否する。モルトも同じ気持ちだった。あんな不気味な洋館の中に入るなんて信じられなかった。
「あらそう。ならふたりはそこにいればいいじゃない」
「ま、待ってよ。ジュエル姉ちゃん!」
ジュエルが洋館へ向かって進み出すのに、モルトが慌ててついて行く。
「イヤだ! イヤだ! お兄ちゃん! ここにいて! こわい!」
「大丈夫! 大丈夫だって!」
必死に引き止めようとするキララに、モルトは自分でも何が大丈夫なのかわかってもいないのにそう言う。
「…森の中にいたらチェリー…いえ、“赤鬼”だったっけ? そんなとこボーッと立ってたら、アレに食べられちゃうわよ」
自分が造ったモノなんだから、彼女にとっては怖いモノではない。ましてやもう宿木石は無いので、プロトは造れるはずもないのだ。
しかし兄妹は違う。赤鬼の恐ろしさを大人たちから散々に聞かされていたので、真っ青になって黙り込む。
“泣いたら襲われ食べられる”…そんな風に母親からも教えられていたのだ。
ジュエルが進み、おっかなびっくりに兄妹がついてくる。
実のところジュエルもひとりで洋館に入るのは嫌だったのだ。誰かがいてくれるからこそ、まだ堂々としていられたのである。本当は今にも膝を抱えてうずくまってしまいたい気分だった。
(アタシは地没刑の魔女…この国で最強の存在なんだから。何も恐れない。何も怖くはない)
ジュエルは師匠が言っていたことを思い出す。自分たち…つまり、6人の魔女は“特別な存在”なのだ、と。
(アタシは特別……だけど、あれ? この子たちは?)
ジュエルは怯えている兄妹を見やる。
彼らは弱い存在だ。チェリーに襲われたら一瞬で肉塊になってしまう程に弱い。
今までのジュエルだったら気にも留めない。“そんなこと自分には関係ないから”、だ。
(死ぬ? 人間は死ぬ…。魔女は死なない。けれど生物は死ぬ。仕方のないことだもん。お師匠様はそれが“道理”と仰ってたもん)
ジュエルは兄妹が死ぬ瞬間を思う。
その時、とてつもない嫌な気持ちが心臓を鷲掴みにした気がした。
(胸が…苦しい? どうして…)
「ジュエル姉ちゃん?」
モルトに声をかけられ、自分が洋館の玄関の前に立ち尽くしていたことに気付く。
「平気よ。なんでもないわ」
玄関に鍵はかかっていなかった。それが幸いだったかどうかは考えても仕方ないとばかりに、ジュエルは勢いに任せて中にと入り込む。
しかし、中に入ってからは後悔しかなかった。
外観よりも酷く劣化しており、柱の幾つかは折れ、土壁は剥がれ落ち、家財道具が絨毯の上に散乱していた。どう見ても誰かが生活しているような様子はない。
兄妹たちはその様子だけで恐れ震え上がり、ジュエルの上着をしかっと掴む。
普段楽観的なことばかり言っているモルトですらガタガタと歯を鳴らしていた。
「なによ…こんな…」
大きな声を出して雰囲気に呑まれまいとしたが、喉が乾きに張り付いてしまっていたせいもあって、ジュエルの発した声は今にも消えそうなほど細かった。
「怖くない。怖くなんてないんだから…。キミたちはアタシが守るんだから」
ジュエルはギュッと兄妹の手を握る。
それでも中を進んで行くのは、ここに何かしらの手がかりがないかと信じてのことだ。
森の中に戻るのは無謀だ。暗がりの中、村に無事に戻れる可能性は低い。
昼食を食べてからだいぶ時間が経っている。お腹だってペコペコだ。疲れだって溜まっている。
もはや宝探しなどはどうでも良かった。カダベルが連絡を取る手段か何かを置いている…そんな望みの薄い希望にジュエルは期待をかけた。
一階部分の部屋はほぼ床が腐って崩落していた。どこからか雨水が流れこんで腐ったのだろう。それでも建物そのものが崩れないのは、石材を使った柱が多いせいだと思われた。
二階へ続く石階段を昇って行く。手摺がボロボロなので、塗装が剥げた壁側に沿う。
階段を昇りきると、幾つかの小部屋があったが扉が外されており、中には何もないのが外側から見えた。
そして中央の奥、意味あり気に、この建物の規模にしては大きな扉がある。
「なんだか嫌な感じがするよ」
「大丈夫よ。きっとカダベルのことだから何かあるハズ…」
兄妹たちがさらに強くジュエルの服の裾を握る。
ジュエルは勇気を奮い立たせ、ドアノブに手を掛けて回した。
まるで女性の悲鳴のような軋み音を響かせて扉が開かれる。
そこは書斎だった。苔で半分覆われた大きな窓、月明かりが差し込んで、大量の本が並べられた書棚が明らかになる。
この部屋だけは他の部分とは違って、ホコリや汚れも少なく、綺麗に整理整頓されているようだった。
「…やっぱり。魔法書の置き場か何かだったんだわ」
なにが“やっぱり”なのかは本人も説明できなかったが、ジュエルはここがカダベルにとって意味のある場所だとわかっただけで少し安心してそう言ったのだった。
「ねえ! 誰かいる!」
兄の背に隠れ、眼をつぶったままキララが震えながら指差す。
ジュエルとモルトがその方向を見やると、本棚に囲まれるようにして書斎机があり、そこに誰かが座っているようだった。
ちょうど月明かりが雲間に半分隠れてしまったせいで、肝心の顔にあたる部分が見えない。
「…カダベル?」
きっとそうに違いない。そう思いつつも、なんとなく遠くから声をかける。
しかし、返事はない。いつもと違う雰囲気に、ジュエルは彼が怒っているのではないかと思った。
「怒っているの? そりゃ、勝手に来たのは悪かったかも知れないけどさ。アンタも…」
軽口を叩こうとして、モルトがゴクリと息を呑む音に止められる。
月明かりが再び戻る。そして、席に座っている者の姿が顕になった。
それは確かにミイラだった。しかしほとんど白骨化しており、項垂れている顔はこちらの方を見ていない。
(カダベルじゃない! …これは死体だ!)
兄妹たちはもちろん、ジュエルも恐怖によって金縛りかかったような状態になる。
逃げなきゃマズイ…そう頭では思っていても、身体の方が動かない。
(死体…誰かが殺した? それなら危ない場所? どうすればいい? どうしたらいい?)
ジュエルは混乱に陥る。彼女はほとんど間近で死体を見たことがなかった。なぜならば、魔法で始末すれば死体は残ることはなかったからだ。
だが、魔法がほとんど使えぬ今、眼の前に自分とは無関係な死体を眼の前にして、ひどく動揺したのだ。
(死ぬ? アタシが…モルトもキララも? もうダメ? 助からない? お師匠様…お願い。助けて。助けて!)
ジュエルの眼に涙が浮かぶ。師匠の顔を思い浮かべ、その手が助け出してくれることを祈って……
「何をしているんだ? こんなところで」
背中から声をかけられ、ジュエルは口から心臓が飛び出るのではないかというほど驚く。
振り返ると、そこにカダベルが立っていた。
一瞬呆気に取られていた兄妹だったが、大泣きしてその外套に抱きつく。
「怪我はなかったか? 無事で良かった」
カダベルは兄妹の頭を撫でつつ全身を点検する。
「…ゴライが珍しく強情を張って、お前たちの行き先を言わんかったからな。捜しに来るのが遅れてしまった」
カダベルの後ろには、なんだか気まずそうにしているゴライとメガボンもいた。
「ゴメンデッセ。…ジュエル」
謝られたことに、ジュエルは何か言わんと口を開いたが、何の言葉も出てこなかった。
「…お腹が空いたろう。ゴライ。メガボン。携帯食料を。それを食べたら家に帰ろう」
カダベルがそう指示すると、ゴライとメガボンが兄妹を連れて部屋を出て行く。
「ジュエル。お前も…」
「なんで怒らないの?」
ジュエルは書斎に座る死体を見やって言う。
「アタシが…ここにあの子たちを連れてきた。危険な眼に遭わせたんだ」
カダベルは無言のまま、部屋の奥へ入って行き、書斎机の方へと近づく。
「……ここは自称、歴史研究家の家だったそうだ」
「歴史研究家?」
「ああ。何十年も前にサーフィン村のこんな外れに勝手に住んだ変わり者だそうだ。村とも関わりを持たなかったそうでね。
ゾドルにそんな話を教えられて、少し調べていたんだよ」
カダベルが手招きするので、ジュエルは少し逡巡してから近づく。
カダベルが指差す方を見やると、死体は胴体をロープで椅子に括り付けられていた。
「なにこれ? 誰かに縛られて殺されたの?」
「違うよ。…これは寿命が来る前に、自分で自分をこうやって縛ったのさ」
「自分で? …なんでそんなこと?」
カダベルは、ジュエルをジッと見やる。
「死ぬのが怖かったんだよ。死んで、歴史の研究ができなくなる…そうやって、自分が歴史の断片となってしまうのが、怖くて怖くて仕方がなかったんだ」
書斎の上には死んだ彼が残したであろう、膨大なメモが残されていた。
どうやらそれをひとつにまとめようとしていたのだろう。
だが、どう見ても完遂できず、作業途中で終わっているように見える。
「日誌には孤独な男の人生について書かれてあったよ。
まだまだ調べたいことがあるのに、このまま死ぬのは口惜しい…アンデッドになっても…そうだ。俺みたいな存在になってでも、この世界に留まりたい。そんな想いが延々と綴られていた」
カダベルが家で読んでいた本がそうだったのだと、ジュエルは気づく。
「なれなかった? カダベルみたいには…」
「そうだ。だからこそ、誰にも知られることなく、死んで朽ち果てた…」
ジュエルはブルッと震える。
「……いつかアタシも……こうやって死ぬ…の?」
何とも言えぬ不快感を抱き、ジュエルは尋ねた。
「そうだな。魔女でなくなる…俺の考えが正しければ、それは普通の人間に戻るということだ」
「モルトやキララも…死ぬ?」
「……そうだ。人間である以上いつかは死ぬ」
死の化身のような存在が言うのだからして、妙な説得力があるようにジュエルは感じた。
「……カダベル。キミは?」
「変わらんよ。彼とね。…いま存在しているだけで、いつかは滅びる」
カダベルは死体のロープをジッと見やり、そんなことを言う。
「アタシは……怖かった。自分が死ぬかもしれないのも、モルトやキララが死ぬかもしれないのも」
「そうか。それは不快だったか?」
「……うん。すごく」
カダベルはそれ以上何も言わず、ひとつだけ頷いた。
「……行こう。モルト、キララと村に帰るとしよう」
──
サーフィン村に帰り着く。その頃には薄っすらと山の先が明るくなってきていた。
母親が頭を何度も下げて、ゴライが背負っていた寝ているモルトとキララを受け取る。
「……アタシが悪いの。だから、怒らないであげて」
ジュエルは何度か視線を彷徨わせた後、帽子を脱いで頭を下げる。
「…ゴメンナサイ」
ジュエルが謝罪すると、兄妹の母親は何とも言えなさそうな顔をしてカダベルを見やった。
「今回の件は俺の監督不行届が原因だ。子供たちの好奇心を侮っていた。申し訳ない」
カダベルが深々と頭を下げたのに、母親はびっくりして「そんなことはないです」と逆に恐縮した様子だった。
カダベルとジュエルは、家に帰る道を歩く。
「……ちゃんと謝れたな。偉かったぞ」
「……あの女の人は悲しんでたの? カダベルみたいに…怒るのが普通じゃないの?」
ジュエルの問い掛けに、カダベルは少し困った様子を見せた。
「俺はいつも怒っているか?」
「うん。…最近は怒ってないけど」
「そうか…。悪いことをしたとは思ったのか?」
「うん。あの女の人…なんか怒ってたようにも見えたから。モルトとキララを後で怒るんじゃないかって思った」
なぜかカダベルは嬉しそうに笑う。
「ジュエル。それがわかったのは、“共感”というものがお前にあるからだよ」
「“キョウカン”?」
「そうだ。人間同士はそうやってコミュニケーションを取るんだ。お前にも元々それは備わっていた。だが、魔女として長く生きる上で鈍くなってしまっていたんだ」
ジュエルは俯く。
「……アタシはそんなたくさん悪いことをした?」
「ああ。だが、今までそれを泣いて怒れる人が側にいなかった。それがそもそもの問題だ」
「……最近、アタシを怒らなくなったのはなんで?」
「……理解できないのに怒っても仕方ないと思ったからさ」
「……アタシが理解したら、泣いたり怒ったりしてくれるの?」
「そうだな。泣きもするし、怒りもするだろう」
「……そう」
怒られるのは嫌なはずなのに、ジュエルはなんだか少しだけ嬉しそうに笑う。
「……手、握って」
「ん?」
ジュエルが差し出す手をカダベルが取る。
「こっちも!」
反対の手を後ろを歩くゴライへ向ける。ジュエルに言われるまま、ゴライは彼女の手を取った。
「ゴライ! メガボンとも手を握って!」
ゴライは少し戸惑いつつも、カダベルが頷いたのを見てメガボンとも手を握る。
こうして3体の死者と少女が横並びになる。
「エヘヘ! このまま…このまま家に帰ろ!」
──
あくる日の昼中、カダベルは例の廃屋へと入って行く。
書斎に辿り着くと、“遺体”のロープを断ち切って解放した。
「お役目、ご苦労さん。【溶離】」
魔法を使うと、【接合】で固定させていた針金などの骨組みが外れてバラバラになる。
「あの、カダベル様…」
「ゾドル。これをそのズタ袋に入れるぞ」
「えっと、それって本物の死体なんでは…」
「そんなわけあるか。メガボンの“型”で造った偽物だ。単なる石膏だよ」
そう言って、カダベルは頭蓋骨をトントンと叩いて見せる。
「…サーナ。申し訳ないね。子供たちを利用した上、片付けまで手伝わせしまって」
「いいえ。何度、森に入るなと言っても聞かない子たちですから。お灸を据えることができて、逆に感謝しておりますとも」
モルトとキララの母、サーナは微笑んで書棚にある本を鞄に詰めていく。
「しかし、男の隠れ家が皆にバレてしまったのが…」
「なにが男の隠れ家だ。手入れしてないただの廃墟だろう。普通に野生動物の棲家になっていたぞ」
この洋館はゾドルがまだ若い頃、男友達連中で建てた代物だった。
そして、その中に大工が居たので、趣味を全開にした凝った仕様になったのである。
しかしながら、老いた仲間連中が隠れて集まる機会も少なくなり、今ではたまにゾドルが遊びに来る程度なのだった。
「…いや、これから徐々に手入れをしようと思ってたんですわい。カダベル様にお教えしたのも…そんな男のロマンがわかるだろうと…」
「男のロマンか…確か、モルトもそんなこと言ってたな。それを理解してたから、ここに宝探しに来たんだろう。大いに役立ったよ」
「いや、そういうんじゃ…」
まさかこんなことに使われるとは思ってもみなかったゾドルはガックリと項垂れる。
「はー。わかったわかった。ゴライとメガボンを貸してやる。ミライには気づかれんよう直せ。知られたら怒られるだけじゃすまんぞ」
ゾドルは「やった!」と拳を握る。ここまで壊れていたら独りで直すのはかなりの大仕事だと、心が折れ気味になっていたからだ。
「しかし、そういえばゴライさんとメガボンは…」
「ああ。アイツらも“お勉強タイム”だ。俺より、ジュエルの脅しを優先させてしまったからな」
「勉強ですか?」
「モルトとキララも一緒に、ガダベル様のご自宅で大人しく本を読んでるはずですわ」
なにか知った顔でサーナがクスクスと笑う。
「『オオカミ少年とインサイダー取引』か『花咲かジイさんの株式上場』を読み返してるはずだ。読書感想文の提出も命じたからな」
「まるでカダベル様は先生ですわね」
だから自分とサーナに後片付けを頼んだのだと、ゾドルは納得して頷く。
「ジュエルもですか?」
「あの娘はロリーと、ゴライの作った畑の手入れだ。イチゴ作りを手伝わせている。本人も乗り気だったから大丈夫だろう」
確かロリーとジュエルは犬猿の仲だったのではとゾドルが心配すると、カダベルは「対抗意識を持って仕事するから捗るんだ」と笑う。
「しかし、カダベル様、今回こんな事をしたのはなぜだったのですか?」
「ん? まあ、ジュエルに“死”を間近に感じ取って貰いたくてね」
「“死”ですか…」
「ああ。遅かれ早かれ、彼女はいつか“自分が多くの人を殺めた罪悪感”と向き合うことになる」
頭蓋骨をズタ袋に入れ、カダベルは窓越しに空を見やった。
「……その時、“独りぼっち”にはさせたくない。あの娘の師匠がしたようにはね」
自分の手をカダベルは見やり、ジュエルに握られた感触を思い起こす。
「カダベル様は、ジュエルちゃんを大事に思われているのですね」
「そんな優しい話でもないさ。だが、助けた以上は俺の責任だろ。それにきっとモルトやキララが彼女の支えになると…俺は思っているんだ」
「はい。あの子たちも、私も…及ばずながらお手伝いさせて頂きます」
「ありがとう。サーナ」
カダベルは母親という存在が、きっとジュエルの良心に欠かせない働きを為すだろうと思う。
「それはそうと…ゾドルよ」
「はい?」
「ここ、直すのは勿体ないな。やっぱりお化け屋敷にしない?」




