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屍従王  作者: シギ
第二章 ギアナードの魔女編
55/113

 挿話② ルフェルニの性選択

020と021のちょうど間の話になります。


これを読んだ後に本編を再び読み直して頂けると、また違った印象になるのではないかと思います。

 薔薇園で佇む母が振り返る。


 それはギアナードで最上と謳われるほどの絶世の美女だった。


「ルフェルニ。あなた、まだ好きな人ができないのね?」


「…はい。性選択の時期はもう来てしまいました」


 私はヒューマンで言うところの思春期を迎えようとしていた。


 ヴァンパイアは両性ではあるけれど、思春期に男型か女型か自分で選ぶことで、その性別の特徴が目に見えて表面化する。

 男型なら筋肉がついて髭が生え、女型なら丸みを帯びて乳房が大きくなる。


 しかし、その性選択は“つがい”となる相手が決まらないとダメなのだ。


 中性的なまま…それはまだ半人前、“子供”の証拠なのだ。


「焦らなくても大丈夫よ」


 母は私の顔を優しく撫でる。


「初めての相手は絶対に判るものよ」


「…そうなのですか?」


「ええ」


「どういう風に…ですか?」


 母はイタズラっぽく笑うと、唇に人差し指を当てる。


「電撃が走るの」


「電撃…ですか?」


「そうよ。尾骨からビリビリって、ズカンともドカンとも言えない…そんなたまらない甘美な衝撃! …ああ!」


「母上!」


 頬を紅く染めて母は膝をつく。そして荒い息を吐いて濡れた眼で私を見やった。


「ルフェルニ。私の可愛い子。きっとあなたを虜にし、最高を与えてくれる人が現れるハズ。信じなさい。なんたって、私の子なんですもの!」




──




「それは本当かい?」


「屍を従える王と言ってましたミー」


「内容は正確に。名前は?」


「物凄い戦いで近づけなかったミー。でも、“カダ”なんとか…」


 ルフェルニは首を反らして椅子にもたれかかる。


「…どう思う?」


「あのマクセラルを倒す魔法士となれば…只者ではありませんね」


 エギールが言うのに、ルフェルニは軽く頷く。


「しかし、“王”を名乗るとは…。このギアナードの外から来たのでしょうか?」


 ルクレイトが疑問を挟むのに、イグニストは髭を撫でつつ首を横に振った。


「自称“王”かもしれない。むしろ、その方の可能性が高いだろうね。フフン」


「ああ。私もイグニストと同意見だ」


「……魔女と敵対しているのは間違いないのでしょうか。もしかしたら、裏切り者を炙り出すための魔女の罠である可能性は?」


「エギールの言う通りです。その屍を従える王…」


「長いな。“屍従王”と呼ぶのではどうかね」


 イグニストがそう提案するのに、ルフェルニは頷く。


「コホン。…その屍従王は、当人も死者なのでしょう?」


 ルクレイトがコウモリを見やると、疑われたのだと知って「ま、間違いなかったミー。ミイラの顔だったミー!」と答えた。


「…であれば、魔女の配下。魔法の力で生み出されたプロトのような存在なのでは?」


「…そうだとして、マクセラルほどの魔法士を捨て駒にはしないだろう。ヤツはニルヴァ魔法兵団の精鋭だよ」


「それにゴゴル村などという、誰も知らない寒村で戦わせる意味もない。こんな罠を敷くくらいなら、人目につく都市部でやるだろうとも」


 ルフェルニとイグニストがそう言うと、エギールとルクレイトは顔を見合わせて異論はないと認めて頷く。


「調べる必要はあるな。屍従王について、他国にもさり気なくそんな話がないか聞いてみるとしよう」


「…藪蛇になったりしませんか?」


「聞くだけなら、我々の情報だとは気づくまい。魔女が何かを狙っているなら、何か餌となる話を撒いている可能性も考えられる」


「イグニストの言う通りだ。情報が得られるなら、多少の危険はやむを得ない。仮に魔女にそれがバレても、領内の安全を守るために調べていた…という言い訳はできる」


「しかし、死者が動き回るなど…聞くにしても荒唐無稽と思われるのでは?」


「フム。アンデッドの伝承を前にラモウット卿が話していたことがあったよ。

 クルシァンには少なからずそういった話があると聞くしな。動く死者という話は、そう目新しいものでもないのだろう」


「そうです! そこですよ! 相手は魔法士です! 懇意にしているラモウット卿も魔法士です! あの方にまず相談されてからでは…」


「ミューンは頭が固いからね。死者と話すだなんて言ったら猛反対される。…それに確証もない段階で巻き込みたくない」


 他の友人である貴族の顔も思い浮かべ、やはり協力は要請できないと、自分たちだけでやるしかないとルフェルニは自分の中で結論づけた。


「……だが、なんとしても屍従王とはコンタクトを取りたい」


「なら自分が…!」


 エギールが立ち上がろうとするのに、ルフェルニは首を横に振る。


「相手がどういった立場なのかわからないから…。身分を隠し、私自身が行くのがいいと思う」


 エギールとルクレイトは「危険です」「若自らが動くなんて…」と怪訝そうにしたが、イグニストはわずかに眼を細めただけだった。


「……会ってみたいんだ。そしてこれがチャンスなら絶対にモノにしたい」


 ルフェルニは自分の腹部を抑え、そう決意したように言った……。




──




 屍従王と会う。


 悠然と杖をついて歩いてくる姿が目に入った瞬間、それが今までルフェルニが出会ったどんな人物とも違うのだと感じられた。


(なんだ…これ…?)


 得体の知れない魔法士…下手をしたら呪詛を掛けられるかも知れない。そんな恐怖は当然あった。

 ロイホとエイクが緊張したのはそのせいだ。ふたりが拳を握りしめ、武器を持って来なかったのを後悔しているであろうことがわかる。

 しかし、ルフェルニの感じた奇妙な感覚は、警戒とは違うもっと別の何かだ。


(なんだ? どこを視ている…?)


 相手は仮面を付けている。だから視線の動きなんてわかるはずもない。

 しかしルフェルニの優れた感覚は、少しの挙動からでも相手の機微を読み取ることができた。

 だが、そんな今は感覚がまったく機能しなく、屍従王からは何も読み取ることができないのである。


「どうぞ、お掛けになって下さい。…敬語で喋った方がいいですかね?」


 第一声は、まったく淀みのない澄んだ声だった。


 その声を聞いた瞬間、ルフェルニの頭は真っ白になる。


 自分で何と答えたのかわからないまま、ルフェルニたちは着座した。


 そして、相手が座るのを見届けてから屍従王が腰を掛けたのを見て、ルフェルニは自分が失敗したことに気づいた。


(礼儀作法を知っている…?)

 

 ルフェルニの背中に冷たい物が走る。


 それは屍従王が、紅茶の入ったカップにスプーンが差し込んだ時に確定的なものとなった。


(スプーンをナプキンで覆った…)


 それは実に優雅な動作だった。ミルクを入れ、きっちり2回転半混ぜ、それから滴を垂らさぬように、ティースプーンを折り畳んだナプキンに隠す。

 貴族でなければ、それも無意識にそれを行うのは、上流階級で育ったのでなければ考えられないことだ。


(この方とは…伯爵として正直に相対すべきだった)


 “屍従王”という名前をこちらから出したのも良くない。いくら本名を知らなかったとはいえ、相手の反応を見るため使うべきではなかった。

 浅はかな意図を、屍従王は容易く看破してみせる。ルフェルニの慎重さがことごとく裏目に出てしまっていたのだ。


(相手は魔法士。こちらを騙すことだって簡単なはずなのに、この方は真正面から偽りなく話している…だけど、いまさら……)


 酷い後悔と罪悪感の中、ルフェルニは屍従王…カダベル・ソリテールと名乗ってくれた男と話を続ける。


 本音と嘘。どう交渉するべきなのが正解なのか、ルフェルニは平静を装う振りをしつつ模索する。


「理由は勘に過ぎないが、君は全部を正直に話していない気がするからかな」


 ズキッと胸の奥が痛んだ。泣いてしまいたかった。伯爵なんて名前も立場もかなぐり捨てて、本当のことを話してしまいたかった。


(ここで終われない。何としてでも繋がりを…)


 こうして、追い詰められたルフェルニが取った手段は実に最悪なものであった……



 

──




 なんとか、ゴゴル村…サーフィン村に滞在する許可は貰えた。


 だが、ルフェルニの陰鬱な気分は少しも晴れることはない。


 カダベルが屋敷から出て散歩を始める。


 その後を気づかれないように、距離を保って歩きつつ、自分は何をしているのだろうとルフェルニは思った。


「こんなことで…信用なんて得られるわけが…」


「そうですね」


「え?」


 木の陰に隠れていたルフェルニは、辺りを見回す。

 そしてちょうど横にあった木に、自分と同じようにして隠れている少女がいた。


「大きな声は出さないで下さい。カダベル様に気づかれてしまいます」


 少女は唇に人差し指を当ててシーと言う。


「……えっと、確か……ロリーシェさん?」


「そうです。ロリーシェ・クシエです」


 ロリーシェが隠れろという仕草をしたので、ルフェルニは慌てて頭を引っ込める。


 横目に見やると、カダベルが辺りを見回していた。そして首を傾げると再び歩き出す。


「…はー」


「えっと…何をやって?」


「カダベル様の観察です。本当はご一緒に散歩したいのですが、今日は“ミイラの日”なのでダメなんです」


「“ミイラの日?”」


「カダベル様がおひとりだけで、誰とも関わらず静かに過ごす日なのです」


 真剣な顔をして言うロリーシェを前に、ルフェルニは頷くことしかできなかった。


「このコースだと、裏山に回って罠の再点検をし、石切場へと向かうパターンですね。いつもと少し違うけれど。となると、先回りするには…」


 ロリーシェが持っているメモ帳にはビッシリと書き込みがされていた。それはカダベルの動きが、分刻みで完璧に追跡できるものとなっていたのだ。


「ロリーシェさんは、カダベル殿が…お好きなのですね」


 何を当たり前のことを聞くんだとばかりに、ロリーシェは自信あり気に頷く。

 ルフェルニはそれを見て、なぜか胸がズキリと痛むのを感じた。


「ルフェルニさんは…カダベル様の後を追っていたのですか?」


「え? 私ですか? …あー、いえ、その」


 ルフェルニはどう言っていいかわからず苦笑いする。


「……いえ、私はカダベル殿に嫌われてしまったようですから」

 

 自分で言っていて悲しくなり、ルフェルニは肩を落とす。


「……少しだけ、ルフェルニさんの気持ちはわかります」


「え?」


 ロリーシェは口を少し尖らかせた。


「……私もカダベル様に会うため、ちょっとだけ無茶をしたことがあったんです。それを話したら、カダベル様に叱られたことがありましたから」


 ルフェルニは眼を瞬く。


「それは…カダベル殿にとって、ロリーシェさんが大事な存在なんだからじゃないですか?」


「大事な存在…それは合ってるとは思います!」


 なぜかロリーシェは少し怒り気味に言う。


「でも、カダベル様はそんな小さな方じゃないんですッ!」


 両拳を振ってロリーシェはそう訴えるのだった。


「……と、言うのも、ルフェルニさんたちのことでも、カダベル様にお叱りを受けたんで」


「叱られた? 私たちの…ことで?」


「早く帰ってくれるように伝えた方がいいって、私がカダベル様に言ったんです」


「伝えた方がいい? …ああ、カダベル殿が私たちに、ということですね。ロリーシェさんがそう進言したと」


「そ、そうです」


 本人を前に、ばつが悪そうにロリーシェは口籠る。


 ルフェルニは当然のことだと思う。カダベルは村人に強く慕われている様子なのだ。

 ならば部外者である、また厄介ごとを持ってきた自分たちを疎ましく思うのは仕方ないことだろう。


「それで…カダベル殿は何と?」


「…“困っているのにかわいそうだろう”って」


「かわいそう…」


 ルフェルニは困惑する。


 自分は、この村を言わば人質のように扱って交渉に臨んだのだ。

 それは卑劣な行為であり、決して許されるはずのないものだろう。可哀想だなんて言われる立場なんかではない。

 この状態から信頼を勝ち取るのは難しい。だからこそ、ルフェルニはこの先どうしていいのかを悩んでいたのだ。


「さっきから何をしてるんだ?」


 いきなり横から声を掛けられ、ルフェルニもロリーシェもビクッとした。


「は、はぅッ! か、カダベル様ぁ!? モルト!?」


「なんだ。まるで死人でも見たような声を出して」


 そこにはカダベルがいた。隣にはひとりの少年がいる。

 モルトと呼ばれたのは、その少年のことだろうとルフェルニは思った。


「う、裏山に行かれたのでは…」


「また後ろから見ていたのか。俺の休日には来るなって言ってあったろう」


 カダベルに言われると、ロリーシェは気まずそうに人差し指同士を突き合わせる。


「キララが熱だしちゃったんだ。だからカダベル様と熱冷まし草を採ってたんだよ」


 モルトは大量の薬草が入ったバスケットを持ち上げて見せる。


「あ、ああ、だから河原に寄って…」


 ロリーシェがメモ帳に眼を落とすと、カダベルは首を横に振る。


「俺の行動を記録するんじゃありません…。また散歩コースを変えなきゃならんじゃないか」


「ひ、ひどいです! だから今回は違うルートで!」


「だまらっしゃい。…ま、今日はちょうど良かった。キララの薬を作るのを手伝ってくれ。調合は修道士の方が的確だろ。俺は氷を作らないといかんしな」


 ロリーシェは眼と口をパチパチとさせる。


「で、でも今日は“ミイラの日”で…」


「熱を出して苦しんでいる幼女を放って置くのか?」


「そ、それは…」


「…今日は“キララの日”と改める。それならいいだろ」


「は、はい!」


 嬉しそうに返事をしたロリーシェを、カダベルは「見舞いなんだぞ」と軽く嗜める。


 そして、3人揃ってキララの待つ家に向かおうとした際、カダベルがルフェルニに向かって振り返った。


「…来ないのか?」


「え?」


 カダベルにしても、またロリーシェやモルトも、ルフェルニが付いて来ると思っていた様な顔をしていた。


「……私は部外者なので…」


「来たくないなら構わんが…」


「いえ! 行きます! ご一緒させて下さい!」




──




 横一列になって、村の中を進む。


 ルフェルニは横目でずっとカダベルを見ていた。


 そして、不思議なことをしていることに気づく。


 ロリーシェと話している時は、カダベルは普通に立ったまま話す。


 だが、モルトが何か言う時にはわざわざ前屈みになるのだ。


(目線の高さを合わせている?)


 最初、耳が悪いのかと思ったが、そうではない。

 道を行く先々で村人が挨拶してくるのに真っ先に気が付くのはカダベルだ。

 つまりこれは、相手の視線に合わせようとして、わざとやっている行為なのだと気づいた。


(貴族らしくない…)


 子供に優しい貴族だって当然いる。だがそんな振る舞いは通常しない。

 ましてや自分の子供ならともかく、ただの村の子供にそこまでする必要なんてないはずだ。


「なあ、ルフェルニ…兄ちゃん? それとも姉ちゃん?」


「え? あ…ど、どっちでもないけれど」


 いきなりモルトに話を振られ、ルフェルニは少し焦ったようにする。


 その時、カダベルが視線を向けていることに気づいて、ルフェルニはますます居心地が悪くなった。


「どっちでもないって…」


「モルト。世の中には色んな種族がいるんだよ。俺たちの感覚で考えちゃいけない」


「そういうもんなの?」


 ルフェルニには、カダベルがどう考えてそう言ったのかまったくわからなかった。


 コウモリの話では彼は死者だ。死者なのに動いている。彼からすればすべての生ある者はいびつに見えるのではないだろうか。

 その感覚は、きっと生きているルフェルニからはまったく伺い知れないものに違いない。


「でも、“ルフェルニちゃん”とか、“ルフェルニさん”とか呼ぶの俺イヤだぜ。なんか変な感じするもん」


 子供というものは妙なことにこだわるものだとルフェルニは思った。

 別に子供は嫌いじゃないし、ルフェルニ自身は呼び名など、どう呼ばれても気にはならない。


「…なら“兄ちゃん”でいいよ」


「そう? やった。へへ。よろしく、ルフェルニ兄ちゃん!」


 きっと“兄”の方がいいだろうと思って言うと、案の定、モルトは嬉しそうに笑う。


「はー。良かったです」


 ロリーシェがなぜかホッとした様な顔をした。


「何がだ?」


「だって女の子だったら、ライバルになっていましたから!」


 ルフェルニはキョトンとした顔をする。


「ライバルだって? 何の話だ? ロリー。君はよく不可思議な発言をするな」


(ライバル? 本当に何がだろう?)


「そこ危ないよ!」


「え? あ…」


 意識を取られていたせいで、地面が大きく窪んでいることに気づかずに、ルフェルニは足を踏み外す。


 転けるかと思ったが、ルフェルニの身体能力であれば、ここから体勢を取り戻すことは造作もない。


「【牽引・倍】」


「あえ?!」

 

 見えない力で、首根っこを強く引っ張られる感じがした。


 堪えようと踏み外さなかった方の脚に力を入れたものだから、予想だにしなかった方向からの力が加わったせいで、バランスを崩して逆方向にたたらを踏む。


(あ、ダメだ。転けてしまう…)


 顔から落ちそうになった瞬間、手が伸びて横から抱えられた。


「…え?」


 顔を上げた瞬間、カダベルの仮面が目の前にあった。


 カダベルは杖を放り出し、ルフェルニの身体を支えたのである。


「…悪いね。助けようと思って、俺が余計なことをしたようだ」


「い、いえ…」


 ルフェルニは、カダベルが魔法で助けてくれようとしたのだと理解する。


「…あ、ありがとうございます」


(あれ? これって…お姫様抱っこというものじゃ…)


「カダベル様ぁ!」


 ロリーシェが眼の端に涙をためて怒る。


「ルフェルニさんだけズルいです! 私も転けます! そういう風に支えて下さい!」


「…うーん。君は何を言ってるんだ?」


「俺も俺も! おもしろそー!」


「モルト。俺の魔法はアトラクションじゃないぞ」


 そんなことを言いつつも、わざと転けようとするモルトを【牽引】で引き起こす。魔法で引っ張られる感覚が面白いのか、モルトはケラケラと笑う。


「ズルいです! 私も!!」


「待て待て。ルフェルニとモルトは軽いから【牽引】で引っ張れるが、君はたぶん無理だ」


 わざと転ぼうとしたロリーシェを、カダベルは少し慌てたように止める。


「あんまりです! それって私の体重が重いってことですか!?」


「違うよ。俺の魔法が貧弱なんだ」


「カダベル様の魔法が貧弱だなんてことはありません! うううッ! こんな物があるせいで!!」


 自分の乳房をつかみ、ロリーシェがナイフで削ぎ取ろうとせんばかりにするのを、カダベルとモルトが止める。


「はー。もう困っただよ。

 …で、ルフェルニ」


「は、はい」


「そろそろ自分の足で立って貰えると嬉しいんだが」


「あ! す、すみません…」


 ルフェルニはさっきから抱っこされたままだった。


 忘れていた…わけではない。自分でそれはわざとやっている自覚があった。


 できるだけそのままで居たい…そんな思いがどこかにあったのだ。


 カダベルから身を離す。その時、なぜかとてつもなく寂しい気がした。


「あ…ぐッ?」


 ルフェルニは下腹部に急な痛みを感じてその場にうずくまる。

 

「ルフェルニ?」


(なんだコレ…。発情期? いや、それとは違う)

 

 臀部から背骨にかけてむず痒い何かが走り回る。そして心拍数が高まり、頬が上気した。発情期にも似たような状況になるが、それは未だかつてないほど突発的で強烈なものだった。


「おい。大丈夫か? どこか痛めたのか?」


 カダベルが心配そうに顔を覗き込んで来ようとするのに、ルフェルニは飛び跳ねるかのように後退りして硬直する。


(魔法? これは…魔法によるもの?)


 熱に浮かされて、カダベルの顔を直視できない(顔と言っても仮面はしたままだが)。ルフェルニの赤と黒の眼がグルングルンと回る。


「ヒャウッ!」


 いきなりカダベルの手がおでこに当てられて、ルフェルニは奇妙な声をもらした。


「…あ。そうか。熱があるかどうか手袋じゃわからんか」


 手袋を外そうとして、カダベルはなぜか止めた。


(え? 素手で触って頂けるんじゃ…)


 そんなことを期待していたルフェルニだったが、カダベルはそれには応えてくれず、モルトを抱えてルフェルニの額に手を当てさせる。


(あれ? 普通だ…)


 モルトに触れられても、さっきカダベルに触れられた時のような衝撃はなかったのをルフェルニは不思議に思う。


「どうだ?」


「うーん。たぶん熱いと思う」


「なら風邪が移ったか。ルフェルニ、モルト…お前たちの分の薬も念のために作っとこうか」


「か、カダベル様! わ、私も異常があります!」


 自ら前髪を上げて、ロリーシェは額を付き出す。


「うん。知っている。君の場合は平常運転だ。問題ない」


「そんな! 触れて下さい! 私にも!! 手袋のままで構いませんから!」


「……意味ないだろ、それ」




──




 モルトとキララの家にと着く。


 玄関先でカダベルの姿を見るやいなや、母親が申し訳なさそうにペコペコと頭を下げた。カダベルは鷹揚に手を振る。


 そして薬草を手渡して終わりなのかと思いきや、家に入ると、カダベルは自分から擂鉢を持ってきて薬草を調合し始めた。


「ロリー。分量を測って分けといてくれ」


「はい! お任せ下さい!」


「モルト。革袋を用意してくれ。氷をそこに入れるから漏れない丈夫なやつな」


「あいよー」


 カダベルの指示の元、ふたりはテキパキと動く。

 ルフェルニが所在なさげにしていると、カダベルがチラリと見やってきた。


「あ、あの…私も何か…」


「ルフェルニも熱が…。いや、そうだな。お母さんの御飯の支度でも手伝ってくれないか?」


「はい。わかりました」



 ルフェルニが台所に向かうと、粥らしき物を作っている母親がいて、ペコリとお辞儀をしてきた。


「何か手伝うことはありますか?」


「いいえ、お客様にそんな…」


 ルフェルニが貴族の使者だと知っているのだから、そう言うのは当然のことだと思われた。

 自治領ではないにしろ、貴族が平民の家で家事を手伝う…それに偏見や忌避感こそなかったが、さすがに違和感までは拭いきれない。


「しかし、カダベル殿は…」


 そう。カダベルは貴族だ。そうでなくとも、この村では村長よりも発言権が強く立場も上に見えた。


「ええ。本来、このようなことをして頂く訳にはいかないのです。けれど、カダベル様はどうしてもと仰って…」


「サーナさん。お塩をもらえますか?」


 ロリーシェが入って来た。


「ええ。その右の棚のツボが…」


「はーい。ありがとうございます」


 小さなツボを取り、ロリーシェはキョトンとしているルフェルニの顔を見やる。


「どうしたんですか?」


「あ、いえ。私も何かお手伝いを…そう思いまして」


「あー。でも、ルフェルニさんはいいんじゃないですかぁー」


 一瞬、ルフェルニは嫌味で言われたのかと思ったが、ロリーシェが頬を膨らませてるのを見てそうではないのだと知る。


「カダベル様のために働けるのは、その下僕しもべたる私だけの特権ですから!」


 単なる対抗意識…そこまではわかったのたが、ルフェルニにはどうしてそんな感情を抱かれているのか心当たりがなかった。


「…ライバル?」


 先のロリーシェの言葉を口にすると、ロリーシェは何とも気まずそうにする。


「……そうです。でも、敵に塩を送る真似はしたくありません!」


 ロリーシェは塩を掲げて宣言する。そしてそのまま行ってしまおうとして、途中で振り返り、さらに頬を膨らませる。

 そこには複雑な感情。とりわけ後悔が滲み出ているようにルフェルニには見えた。


「……カダベル様には、“助けて”ってちゃんと言えばいいんだと思いますッ」


「え?」


「なんでもありません!」


 ルフェルニが聞き返す前に、ロリーシェはそのまま行ってしまった。


「すみません。ロリーシェは決して悪いじゃないのですが、カダベル様の事となると少し変わっていて」


 母親…サーナが申し訳なさそうに言う。


「いえ…。カダベル殿は本当に慕われているんですね」


「ええ。ですから、この村からカダベル様を連れて行こうとされるのに…腹を立てているのかも知れません」


「…それは村の皆さんもですか?」


 サーナはそれには答えず、湯気の立つ鍋を見やった。


「……つい最近のことですが、うちの子たちが山で迷子になったことがあったんです」


 ルフェルニは話にじっと聞き入る。


「村人総出で捜したのですが、夜になっても見つからなくて…。赤鬼に襲われたんではないかと、私は……」


 サーナの気持ちが、沈痛な面持ちから伝わってくる。鍋を混ぜるヘラがかすかに震えていた。


「……夜の山道は危険です。明るくなったらまた捜索をしよう。村長がそう言い、私も泣く泣く承知しました。他にできることなんてなかったんです」


 サーナはそう言って、ルフェルニを真っ直ぐに見やった。

 その顔は不安や恐怖があった。しかし眼だけは、まるで敵でも見るかのように強い光を帯びている。


「…その夜はいつもより長く感じられました。不安で押し潰されそうで、とても眠ることなんてできませんでしたとも。

 そして日が上がると同時に、私は外へと飛び出しました。私ひとりだったとしても、何とかあの子たちを見つけなければと…しかし…」


 サーナはそこで一旦止め、その時の感情を噛み締める。 


「……そこで外に出た瞬間に、私が何を見たかおわかりになりますか?」


 ルフェルニは小さく首を横に振る。


「…カダベル様に背負われて眠るふたりです」


 感極まったサーナは涙を零す。


「あの方だけは…カダベル様だけは、夜通し子供たちを捜して、見つけて下さったんです」


 サーナは「ごめんなさい」と、エプロンの端で溢れた涙を拭き取る。


「……そういう方なのです。カダベル様という方は。

 ですから、私だけじゃありません。村人全員がきっと同じ気持ちだと思いますわ」




「…なんだい?」


 擂鉢を両足に挟み、ゴリゴリと薬草を擦っているカダベルが顔を上げてルフェルニを見やった。


「作業を見ていても?」


「…面白い物でもないだろうに」


 カダベルは台所をチラリと見やり、食事の用意はサーナだけで事足りたのだろう、もしくは客人であるルフェルニに遠慮したのだろうと理解したようだった。


(言葉数は少ない…けれど、よく観ておられる)


 薬草を擦りながら、カダベルが常に周囲にも意識を向けていることに、ルフェルニはようやく気づいた。


 どう視えてるのかは知らない。だが、カダベルはロリーシェやモルトが今何をやっているのかを把握していた。

 彼らの作業が終わった瞬間、「次はこれを頼む」と的確なタイミングで指示が出るのだ。


「モルト。水差し落ちるぞ」


「…おっと!」


 顔を向けもせず、カダベルが注意を促すとモルトが机の端から落ちそうになった水差しをキャッチする。


(この方は凄い…)


 素直にルフェルニは感心する。


 そして最初に出会った時、カダベルの視線が何処を見ているかわからなかった理由がここで初めて理解できた。


(“私”なんか観ていなかったんだ…。この方は、あの時、“全部”を観ていたんだ…)


 イグニストから“場の流れを見る能力”というのがあると聞いたことがあった。優れた武術家が、多人数を相手にしても優位に戦えるのがその能力を持つからなのだと。

 ルフェルニ自身、剣の腕はそれなりに自信があったが、そんな達人の領域にまではとても至っていない。


(もし魔法士でそんな能力を持ってるとしたら……マクセラルが負けるわけだ)


 さっきからビリビリと背中を走る感覚に、ルフェルニは悶そうになるのを堪える。


 カダベルを見ているだけで、彼の目の前にいると意識するだけで、ルフェルニは奇妙な焦燥感に駆られた。


 素直に気持ちを吐露してしまいたくなる。全部を吐き出し、泣いて身を委ねてしまいたくなる。


「……助けて…下さい…」


 それは誰にも聞き取れないほど、口の中で微かに漏らした程度の言葉だった。


 カダベルの動きが止まる。そして、ジロリとルフェルニを見た気配があった。


(聞かれた? …まさか…そんなハズは……)


「……辛そうだな。薬を持って帰って、今日は早く寝るといい」


 煎じていた薬を器に入れ、モルトにひとつ手渡す。


「これはキララに。半分は胸の中央に塗ってやれ。半分は甜菜のシロップに混ぜて食後に飲ませるんだ。…ロリーが正確に分量を計ったからな。効くはずだ」


 ロリーシェは嬉しそうに頷く。


「きっと明日には熱が引くだろう。後は栄養のあるものを食べさせてやれ」


「ありがとう、カダベル様! …キララには会わないの?」


「具合悪い時にミイ…いや、怖い顔のオジサンには会いたくないだろう」


 そう言うと、カダベルは立ち上がって、もうひとつの器に擦り終わった薬草を入れてルフェルニに手渡す。


「君は甘いシロップがなくても飲めるだろう?」


「…口移しなら」


 笑っていたロリーシェの顔がカチッと氷像のように固まった。


「は?」


「い、いえ、なんでもありません!」


「…そんな冗談を言えるなら大丈夫だろう」


「そうですよ! ルフェルニさん! 冗談デスヨネ!!」


 冗談じゃないと言いそうになって、ルフェルニは唇を噛む。


(わ、私はどうしたと…)


「カダベル様ぁ! 私に口移しで薬を!! 熱があります!!」


「ロリー。今日の君は情緒不安定すぎるぞ」




──




 翌朝、ルフェルニの部屋から悲鳴が上がった。


「ルフェ様!」「若! どうされましたか!?」


 ロイホとエイクが慌てて部屋に駆け込むと、シーツを半分掴んで身を包んだルフェルニが半泣きになっていた。


「……胸が、胸が……」


 ゆっくりとシーツを下ろし、昨日までペタンコだった胸が膨れ上がり、谷間が出来ている。

 それを見たロイホとエイクはあんぐりと口を開いた。


「わ、若が性選択を…女性型…に」


「あ、相手は誰ですか! ルフェ様! この村に!? イグニスト様に報告をしなければ!」


「し、知らない! 知らないよ! 私は!」


 顔を真っ赤にして、ルフェルニは布団に潜り込む。


(言えない! 言えないよ!! まさか…そんな…交渉しに来た相手に惚れてしまうなんて!! そんなこと!!)


 相手が誰かを察したロイホとエイクはゴクリと息を呑む。


「し、しかし、ルフェ様には呪詛が…」


「マズイです! ヴァンパイア用の睡眠薬は持ち合わせがありません。今すぐにでも戻って…」


「イヤだ! カダベル殿を何としても我が領土にお連れ…アッ! グゥ!」 


「ルフェ様!」「若!」


 まるで電気でも流されたかのように、ルフェルニが痙攣する。


「な、名前を口にしただけで…何なんだ、これ」


「そ、それが恋の病という物です」


「ああ、おいたわしや。若。これから悶々として眠れぬ晩を何日も過ごされることに…」


「こ、これが母上の言っていた…」


 ルフェルニは母親の姿を思い出す。


 そう言えば締めくくりにこう言っていたと……



──取りあえず、まず寝てみなさい! 恋も何もそれからよ、ルフェルニ!──



「……そういえば、母上は自由奔放な人だった…な」




──




「なあ、怖いよ。カダベル様」


 魔法書に眼を通していたカダベルは、モルトに指摘されて初めて顔を動かした。


「…ああ。別に下を向かなくても読めるんだ」


 モルトから見れば、カダベルは真正面を見て微動だにしていなかったのだ。


「それが怖いっての。どこ見てっかわかんないんだもん」


「そうか。ついやってしまうんだよ。人間らしい仕草は忘れないようにしないとな」


 カダベルは本を取ると、いかにも読んでいる風にして下を向く。


「…その状態でも俺の顔見られんの?」


「もちろん。視野は塞がれなければ広い。…寄り目をして、舌を出しているモルトの顔がよく視えているよ」


 カダベルが描写したような顔をしていたモルトは「マジかよ」と驚く。


「耳もスゲーいいしな」


「…ま、【集音】もあるしね」


「カダベル様にイタズラ仕掛けられねぇーじゃん」


「フフ。イタズラ名人のモルトくん。頑張って俺を驚かせて見せてくれ」


「チェッ! 相手が悪いやー」


「キララの熱は下がったのかい?」


「うん。もう外に出て走り回って遊んでるよ」


「おいおい。まだ早いだろ」


「カダベル様の薬がよく効いたんだよ」


 カダベルは「うーん」と首を傾げる。


「…少し強壮剤を入れすぎたかな? 子供に使うのには適量範囲だったはずだが」


「なにそれ?」


「ん? いや、落ちた体力を取り戻す精力……簡単に言えば元気になる薬だ」


 相手が子供だということを思い出して、カダベルはそれ以上の説明を避けた。


「……なぜか無性に赤飯が食いたくなったな」


「セキハン?」


「ああ。小豆の煮汁を使って、赤く色を付けた餅米だ。めでたい時に食う米さ」


「赤い米?」


 この世界に米はあったが、カダベルの記憶では餅米を見た覚えがなかった。


「うるち米でも色は付くが、モチモチ感がなぁ〜。そもそも小豆みたいな植物もあるのかねぇ」


「モチモチしてんの? 米が? うまそう!」


「そうだな。今度、探して作ってみるか」


「約束だぜ! カダベル様!」


「……そのために旅に出るのもありかな」


「え?」


「いや、なんでもないよ。こっちの話だ」


 伯爵とやらの領地に、珍しい食材があるかも知れない…そんな理由で、カダベルの心は少し揺れ動かされていたのだった。





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