052 穏やかな日常へ
サーフィン村に、朝日が昇る。
農作業に出たペリアンは、道中の坂道を見上げた。
数ヶ月前は毎日のように“ご挨拶”に上がったものだが、今では祭壇に何もない。だが、つい見上げるのが癖になってしまっていたのだ。
そして、畑とは逆方向にある元村長宅の前をわざわざ通る。
早朝にもかかわらず、賑やかな声が聞こえてきた。
「今日もお元気だべさ。なによりなにより」
本人が見ているわけでもないのに、ペリアンは律儀に頭を下げると、来た道を戻り、畑へと向かって行ったのだった。
──
「コラー! 机に肘を付くな! 片膝を立てるんじゃありません!」
ひとりで暮らしていた時の、またはゴライと共に過ごしていた日々の朝は、静かで優雅なものだった。
しかし今の俺は、テーブルの向かいでブータレた顔をしている少女を叱り飛ばしている。
「毎朝毎朝、同じ事を言わせるんじゃないの!」
「じゃあ、言わなきゃいいじゃん」
手づかみで食べようとするのをゴライが止めるが、まるで猟犬のようにジュエルは唸る。
「なんで飯食うだけでこんなに大変なんだ!」
ジュエルが暴れて放り投げた皿を拾い、俺はため息をつく。
ジュエルは根本的な常識がまるで欠如していた。ほとんどを魔法に頼っていたため、フォークやスプーンの持ち方もよくわかっていない。マナーを教えるどころの話じゃない。
「もっとお上品に!」
「そんなこと言ったって、キミたちだって噛んで吐き出してるじゃん! それだってどうなのよ! 上品じゃないじゃん!」
「しょうがねぇだろ! 俺もゴライも死んでんだから! それでもちゃんとエチケット袋を使ってんでしょーが!」
最低限のマナーじゃないが、吐き出した物は見えないように黒い袋に入れていた。
「それにメガボンなんて見てみろ! 口に入れた瞬間、顎から零れるんだぞ!」
だからメガボンは“エア食事”だ。空の皿からスプーンですくう真似をする。
「イヤ! おいしくない!」
「イヤなのはいいけど、いちいち投げるな!」
スープの入った器を放り投げる。
彼女は赤ちゃんと一緒だ。気に入らなきゃ投げる。全力で放り投げる。
万事こんな調子なので、ルフェルニたちでは面倒を見きれずに、ジュエルは俺の家で預かることになった。
24時間体制で見守っていないと何をやり出すかわからない。
死んでなきゃ、とてもこのワガママ娘の相手は務まらないだろう。
赤ん坊や幼児なら疲れ果てて寝てくれる。だが、彼女は喋れるし、体力も有り余ってあるし、自由に動き回れる。それだけでも相当に厄介なことだ。
「…はー、飯食ったら掃除だぞ」
「なんで?」
「なんでじゃない。そうやって規則正しい、人間らしい生活を送ることでな…」
「説教ならいらない。楽しいことしたい」
「世の中、そうそう楽しいことなんて早々ないわ! お! なんだその顔は! クノヤロウ! あ! コラー! だからコップを投げるな!」
割れても【接合・倍】で直せるとはいえ、毎回毎回やられてはたまったもんじゃない。
「それにだな、風呂だ! 風呂!」
「お風呂? お風呂がなによ?」
「1日5回も入ろうとするな! もう俺は水を出さんし、ゴライもメガボンにも沸かす作業はさせん!」
「イヤ! 泡風呂じゃないのだってガマンしてるもん!」
「なにが泡風呂だ! こちとらセレブじゃないんだぞ! ここは慎ましい死者たちの家なんだ!」
ジュエルが俺を上目遣いに睨む。次の瞬間、家がドンと揺れた。
「地震を起こすな! 魔法は禁止ったろ!」
ジュエルは魔力が回復しないことから、魔法が使えなくなったかと思いきや、普通の人間並の魔法ならまだ扱えるらしい。
この家を軽く揺らす程度の魔力なら辛うじて溜まるようだ。まあ、戦いじゃまったく役立たないだろうが…。
「うー!」
「うーじゃありません!」
この娘がいる限り、俺に平安は訪れない。
「どうしたデッセ? ボーン?」
「カッコカクカク」
ゴライとメガボンは完璧に意思疎通ができている。
俺の方はメガボンが何を言っているかわからない。ジェスチャーを交えて、ようやく理解できるって感じだ。
「ご主人サマ。ロリーシェが来たそうデッセ」
「またか…」
「うえー」
ジュエルが鼻の上にシワを寄せる。
「カダベル様!! おはようございます!」
「ロリー。俺は入出OKだなんて言ってないぞ」
当たり前のように、勝手に入って来たロリーをジト眼で見やる。
眼はないから…そんな雰囲気を出してって意味だけど。
「わかりました! コンコン。お邪魔しまーす!」
「軽いな。だんだん、軽くなってきたぞ」
「マイマスター。おはようございます」
カナルも一緒かい。ほぼロリーと同じタイミングで来るな。ま、家が近いから当然か。
俺が甦る以前、ゴライが使っていた家にカナルは住んでいる。現村長宅の向かいの家だ。
ロリーの家もその横並びにある。つまり俺の家の下には、3軒もの狂信者たちの家があるわけだ。
なぜかロリーもカナルも(ついでにゾドルも)、俺の家の近くに住みたがって仕方がない。
どっちがもっと近いとこに住むかを競って、庭に住むと言い出したのをミライが止めてくれなきゃどうなっていたことか。
「しかし、マイマスター」
「だからそれやめてって…」
なんかそれ言われる度に、なぜかオイスターソースを思い出すんで、中華料理にされたような気分になる。語感が似ているせいか。
「やはり護衛の上で私も常駐していた方が…」
「護衛なんていらん。うちに盗む物もないしな。ジュエルの部屋に錠さえかかればいい。
だが、それでも勝手に入ってくるのは常識外だぞ」
「デモ、コノ“コ”トハ、イッショニクラシテイルジャナイデスカー」
ロリーが眼と口を逆三角形にし、カタコトで言う。
これは彼女が怒った時の仕草なんだと最近気付いた。
「なんだよ! 別に一緒に暮らしたくて暮らしてるんじゃないもん!」
ジュエルがアッカンベーをして、ロリーが頭から蒸気を噴き出す…これもいつもの光景だな。
ふたりは非常に仲が悪い。いつも顔を合わせる度にケンカをしている。
「ジュエルの件は一時的なことだ。…この家には、俺とゴライとメガボンだけでいい。あのナドすらクルシァンに追い返したんだからな」
ナドを説得するのは本当に骨が折れた。
珍しくかなり食い下がってきたから、月に何度か訪問することを許可したのと、定期的に手紙を出すことを確約することで、なんとか納得してもらった。
まあ、最後に永久絶縁するぞと脅したのが効果的だったか。
あの男もミイラになった男にも忠誠を従うなんて、ミイラフェチの素養もあるのかも知れない。
「あの…私は入室してもいいんでしょうか?」
ルフェルニが遠慮がちに扉の外から覗き見ている。
「あ! 忘れてました! ルフェルニさんたちが来ているんです!」
おいおい。ひどいな。ロリー。もっとも大事なことだろうに…。
「あー! ルフェだぁ!」
ジュエルが嬉しそうに手を振る。
ルフェルには何とも言えないという感じに手を振り返した。
ルフェルニとしては確かに微妙だろうな。魔女は呪詛をかけた張本人だし。
「ジュエル。あの、私へかけた呪いの件は…」
「え? ああ、うん。連絡してるんだけど…返事がないの。もうちょっと待ってて」
「そ、そうですか…はぁ…」
魔女が魔力を失ったことで呪詛も失われたのかと思っていたのだが、呪詛はジュエル本人がかけたものではなく、別の魔女に協力を仰いで行ったとのことだった。
「…でも、どの姉に頼んだんだっけ? たぶん風の…違う? 水の…うーん?」
「……」
なんとも頼りない雰囲気に、ルフェルニは苦い顔をする。
この魔女たちの関係性をいまいち俺もまだ完全には理解できていない。
魔女たちは互いにライバルのような関係らしいが、例えば火磔刑の魔女から、ジュエルは普通にニルヴァ魔法兵団を借り受けたりもしている。
理由を聞くと、「別に魔女同士が殺し合いをしているわけじゃないから」とのことだった。
だが、あの時の火磔刑の魔女プライマーは確実にジュエルを始末してもおかしくない様子だと思ったんだが…。
「ちなみにアタシとだったら深い仲になれるよ〜。アタシ以外の存在と結びついたらダメって内容の呪詛だから。惚れ薬の逆バージョンみたいなモンだし」
「遠慮します」
ルフェルニは迷いなくキッパリと断る。
ジュエルは頬を膨らませて、「カワイクなーい」と不貞腐れた。
「ご無沙汰しております」
「お久しぶりです。カダベル殿」
「ん? おー…」
ルフェルニの後ろから、ウサギ耳のマッチョたちが出て来る。
「えーと…」
「ロイホです」
「エイクです」
「そうそう。ちゃんと覚えているよ。ロイホ! エイク!」
ふたりは疑わしそうな視線を俺に向けてくる。
「……お忘れだったんでしょう?」
「……王城に囚われていたことにも気付いておられなかったんでしょう?」
ちょっと恨みがましそうに見られる。
「そんなことないよー。うん。無事で良かった。なによりだ」
ぶっちゃけ忘れていた。名前も存在も…だって、ロリー助けることで頭一杯だったし。
仕方ないことだよ。
マッチョを助けるってモチベーション上がらんでしょ。
うん、仕方ないさ。
「しかし、ルフェルニ。領主がそう頻繁に留守にしていいのか?」
「はい。仕事はちゃんと終わらせて来ていますから。
それに王国の動きを、カダベル殿に直接お伝えしなければ…と」
そこまで言うと、コウモリのミミがパタパタと飛んで来て、俺の前に書類の束を置く。
ミミはやけに俺たち死者3体を警戒していたのだが、伏兵は予想外の所から…そう、ジュエルにガバッと抱き止められた。
「ルフェルニからのお土産か。良かったなー。よいオモチャが手に入って」
「うん♪ モフモフしてる〜!」
「ミミはオモチャなんかじゃないミュー!」
長話をしているとジュエルが退屈して暴れだすからな。ちょうどいい。しばらくミミにあやしていてもらおう。
なんなら特別待遇でここに住まわせてやってもいい。ペット枠だな。
「…うーん。だけどね、こんな物はいらんぞ」
分厚い資料だ。正直、読む気にはならない。
「ですが、領主貴族が集まって定例会議が行われることになったので。ぜひともカダベル殿にも意見を頂ければと思いまして…」
「なんだ。冗談で提案書を出しただけなのに本気でやるの?」
「ええ? 冗談だったんですか…?」
「冗談っていうか、まあ、貴族や商工会だけでなく、造詣が深い年寄りの話をもっと聞いたら? …ってことを書いただけなんだけど。
どうしろ、こうしろ…なんて具体的なことはなーんも書いてないよ」
そういや遺書と銘打って、ミューンを経由して長ったらしい手紙を渡したんだよな。
ぶっちゃけ防衛大臣こき下ろす内容だけのつもりが、つい調子に乗って国の在り方なんて話を、思いつく限り箇条書きにしたんだが…まさか真剣に受け止めるとは思ってみなかったわ。
「大臣の集まり…確か元老院て言うんだっけ?」
「ええ。そうです」
「ルフェルニとは立場的にどうなの? 王の相談役ってんなら…」
「あくまでディカッター家は“影の相談役”ですから…。王自身に助言することができるだけで、元老院にまで働きかけることは…」
「ま、そうだろうね。なら、ルフェルニが直接、元老院と話ができたりするようになった?」
「いえ、そこまでは…。ですが、王や元老院に対して要望書や意見書を出すことは可能になるみたいです」
「ふーん。ま、一歩前進ってことかね。民主主義にはまだ程遠いけど」
魔女がいなくなったら調子に乗るヤツがでてくるんじゃないかと思ってたけど…。
意外とそうでもなかったな。
こりゃ脅しといて正解かね。
「でも、俺からの意見なんてないよ。魔女の影に怯えてくれるならしばらくは安泰だろ」
なんだ? ルフェルニはなんだか気まずそうにしている。
「カダベル様。実は魔女よりも、今や国中が屍従王を怖れ敬うようになっていて…」
「へ? なんでそうなるの? 魔女の方が皆に怖れられてたんでしょ?」
ミミと戯れているジュエルの姿は…ま、なんか怖れられてる感じ無いんだけどさ。
「どうなんでしょう。屍従王という存在が、よほどインパクトあったようでして…未だに王都ではその話がされております」
「…おかしいな。俺は滅びたじゃん。屍従王は魔女に倒されたんだから、普通はそんな力を持つ魔女を怖れるもんじゃないの?」
城だってジュエルが壊して、直したんだし…まあハッキリ言って魔女ってのは無茶苦茶な存在だ。
うーん。てっきり大臣たちも魔女の帰還を怖れると思ってたんだけどな。
「遺書の最後にだって、屍従王を葬った魔女ジュエル・ルディが戻ってくるぞーみたいなこと書いたのになぁ…」
「…“死を葬り去りし者は、常にお前たちの側で待ち構えている”?」
「そうそう。それ。…もしかして読んだの?」
口に出されると少し恥ずかしい。ちょっと格好つけて書いたんだよな。
真夜中にノリに乗って書いたラブレターみたい。
朝になって恥ずかしくなって破くパターンだよね。
遺書だけどさ。
「いえ、城の中枢で口コミのように拡がっていて…」
「えー!? こんなん、バズって拡散されるようなものじゃ…」
「ですが、これを屍従王の帰還だと思っている者が大多数です」
「は? なんでそうなるの?」
「“死を葬った”とは、死から甦った屍従王のことを指していて…また戻ってくるかも知れないと考えた様ですね」
そんな意味で書いたんじゃないのに。変なとこ深読みし過ぎでしょ。
「……まあ、怖がってくれるなら、魔女でも屍従王でもなんでもいいか」
俺はジュエルをジッと見やる。
彼女はこの国を統治することに興味がなく、馬鹿な王様は脳筋で自分が強くなることばかり…こんな状態でも機能していたのは、魔女という黒幕を置いて何百年と続く、見えない恐怖統治を敷いたからだろう。
だが、この仕組みを実現させたのはやはりジュエル自身ではない。
それを行ったのは、彼女の師匠に当たる人物らしい。
それはまるで大きな受け皿のようで、ジュエルや国王が無能でも、国が破綻しないように自動的に軌道修正されるようになっている。
そのために最低限のルールが与えられ、それ以外の余計なことをするな…と、強く言われていたのだとジュエルも言っていた。
「…ジュエル。もう一度聞いていいか?」
「なにを?」
ミミを前後左右に回転させている彼女は、それどころじゃないという感じだ。
「お前の師匠のことについてだ。名前は?」
「お師匠様」
「本当に名前を知らないのか?」
「うん。姉もみんな師匠って呼んでたし。アタシはそれが名前だと思ってた」
そんなことあるのか?
まあ、このジュエルならありえる話か。
「そうか。何処に住んでいる?」
「知らない。ここ数百年、会ってないもん」
「じゃあ連絡はどうやってとる?」
「必要な時、お師匠様から連絡が来る。使い魔だね。こんなモフモフしてないけど」
「や、やめてミュー」
「見た目は…?」
「うーん。真っ白な髪で、髪の長さが肩まである。あと真っ黒なローブ着てて、杖を持ってるよ」
俺がルフェルニを見やると、首を横に振る。
「典型的な男性の魔法士…としか」
「だよな。まんま物語にでてくるテンプレ魔法使いだ。特徴がなさすぎる」
「あるよ! 眼が鋭いんだもん!」
「それだけじゃなあ…」
「ヒドイです! カダベル様!」
いきなりロリーが怒り出す。
「何がだ?」
「ルフェルニさんやジュエルとだけ楽しそうにお話して! 私やカナルさんだっているんですよ!」
「いや、別に楽しい話をしているわけでは…」
「イーだ!」
ジュエルが八重歯を剥き出しにして威嚇する。
「マイマスターの寵愛を受けていることへの感謝が足りなさすぎるわ」
ジュエルに対しては、カナルも厳しい。
元同僚マクセラルの件もあるしなー。そもそも彼女はプライマーの部下みたいなもんだったんだろうから、ジュエルに敬意を払う理由もないわけだが。
「まあ、ジュエルの師匠についても、他の魔女についてもわからんことばかりだ」
「他の魔女についてはちゃんと知ってるよ!」
「うん。魔女が全部で6人いて、ジュエルのように各国に隠れてるって話な。でも詳細まではわからんのだろ?」
「……だいたいのこと? 知ってるもん」
だいぶ怪しい。俺は彼女から魔法書らしき物が奪われた時、記憶の一部まで失ったんじゃないかと睨んでいる。
カナルも似たような状態になったし…となると、術者はプライマーの可能性が高い。
「他の魔女とは血縁なのか?」
「なに“ケツエン”って?」
「同じ父親か、同じ母親から生まれたのかということだよ」
「さあ?」
ああ、万事がこの調子だ。
そもそも、彼女自身が本当に自分の興味のあることしか覚えないらしい。
「…ま、こんな感じだ。他の魔女や、師匠の存在は警戒しなきゃならんだろうが、今やれることはそう多くはない。何が起きてもいいように準備だけはしておこう」
俺がそう言うと、ルフェルニとカナルが頷く。
「カダベルさまぁ!」
「あー、わかったわかった。ロリー。難しい話は終わりにしよう」
ジュエルが頷く。
いや、君がちゃんと覚えていたらこんなことにはならなかったんだがね。
「……私もちゃんと理解したいのに、よくわからないことが多いんです!」
仲間はずれは嫌だという感じにロリーが言う。
ゴライはもちろんのこと、メガボンだって「カクカク」言ってるだけでたぶん理解してないぞ。
「私にもちゃんと教えて下さい!」
「あー、うん。そうだね」
「マンツーマンで!」
ロリーがそう言うと、ルフェルニが困ったような顔で笑い、カナルが眼を細め、ジュエルが頬を膨らませる。
「……はあ。じゃあ、ロリー。散歩にでも行くか。歩きながら話をするとしよう」
この雰囲気だと、俺の日課が果たせそうになかった。
だから、ついでにと思っただけなのだが、ロリーは飛び上がるほどに嬉しそうする。
対して女性陣はロリーを見て不満そうにした。
なんでそんな顔をするのかわからん。
ミイラと散歩なんて介護より酷い話だと思うんだが。
「皆はゆっくりしてくれ。ゴライ、メガボン。茶の用意を頼む…」
──
村の中をふたりで歩き回る。
この村に戻ってきてからも、しばらくはジュエルの面倒を見ていて、なかなか外に出てこれなかった。
そんなわけで、こうやって歩いていたのもだいぶ昔のことに感じられる。
「ふたりっきりって、本当に久しぶりですね!」
「ああ。そうだね」
なぜかロリーは俺の腕に恐る恐る手を差し伸ばしてくるが、俺はその度に方向を変えて避ける。
彼女もさり気なく手を伸ばしてくるから、俺の方もわざと何気なく頭をかいたり、何かを指差したりして、たまたまそうなっている風を装う。
あからさまに避けたら彼女を傷つけるかも知れんしな。乙女心を読むのも大変だ。
きっと杖をついたミイラに気を遣ってくれてるのだろうが、支えてもらわなきゃならんほど足元がおぼつかないわけじゃない。
「そういえば、ジョシュアとはどうなった?」
あれから聖騎士はクルシァンに戻ったという話だけしか聞いていない。
俺のところに顔を出すかなぁと思ったんだが、まあ表向きは滅びたことになっているからな。ジョシュアがそう思っていたとしてもおかしくはないだろう。
しかし、姉とは何かしら連絡はとるだろうと思って聞いたのである。
「それが…あの後になんの会話もなく、聖騎士団に戻ってしまって。手紙も…相変わらず返事ないです」
「そうか…。まあ、多感な時期だろうしな。自分の行為について色々考えているんだろう」
「そうなんでしょうか…」
「心配するな。ナドも注意しておくと言ってたしな。何か動きがあればすぐに知らせてくれるよ」
「心配なんてしてません!」
ロリーがむくれた顔をする。
「私は…カダベル様にご迷惑をお掛けしたこと! ちゃんと謝るべきだと思っています!」
「はは。なんかそういう思い込みが激しいのが姉弟だよな」
「え?」
「…いや、なんでもないよ」
俺は広場で遊んでいる子供たちに手を振る。彼らは我先にと駆けて来て、側で元気よく振り返してくれた。
「…あの子供たちと同じさ」
「え?」
「迷惑だなんて思ってない。むしろ、面倒を掛けてくれた方が可愛いというもんだよ」
子供の成長ってのはそんなもんだろう。
大人にたくさん迷惑をかけて、様々なことを経験して少しずつ大きくなっていく。
ロリーもジョシュアも、カダベルからしても道貞からしても、まだまだ子供みたいな存在だ。
「なら、私ももっと頑張ってご迷惑をお掛けします!」
「うーん。ロリーよ。そういうことじゃないんだが…」
広場から、俺たちの姿に気づいたキララがトトトと駆けてやって来た。
「やあ、おはよう。キララ」
「おはようです。キララ」
「おはようございます!」
俺とロリーが挨拶すると、キララはペコリと頭を下げてくれた。
しかし、珍しいな。兄と一緒じゃなく、キララだけで俺の所へ来るだなんて。
「モルト…お兄ちゃんはどこだい?」
「あっち!」
ニコニコと笑いながら広場を指す。
モルトは男の子たちとボール遊びに興じているようだ。
しかも、蹴ってるのは新品ボールみたいだな。陽光に白く輝いてる。
ははーん。きっとルフェルニが持って来たんだな。今はそれに夢中ってことか。
「カダベルさま!」
「ん? なんだね?」
キララが後ろ手に組んでモジモジしている。
「はい! あげます!」
何事かと思うやいなや、彼女は俺の手首にサッと花の輪っかを括りつけた。
なるほど。後ろに隠していたのは、編んでいたツル草のブレスレットだったわけか。
その慣れた動作は、きっと何度も何度も練習したんだろうということを思わせる。
「これは素敵だね。ありがとう」
「えへへ! じゃあまたね! カダベルさま! ロリーシェお姉ちゃん!」
キララは満足したように破顔すると、凄い勢いで広場へと戻って行った。
「良かったですね」
「ああ。宝物だな」
干からびた包帯だらけのミイラの手首が少し華やかに見える。
このまま朽ちてしまうのは勿体ないと、【防腐】をかける。これで枯れずに保つはずだ。
「……ジュエル以外の魔女たちとは、戦うことになるんでしょうか?」
「ん?」
しばらくブレスレットを見やっていた俺は、ロリーに振り返る。
彼女は不安をありありと顔に浮かべていた。
「私は…イヤです。カダベル様が…またあのような…」
彼女の言いたいことを察して、俺は「そうだな…」と頷く。
「今のカダベル様はとてもステキです」
「うん?」
「子供たちに優しく接して、手作りのブレスレットを微笑ましそうに見られて…そんなカダベル様が私は一番大好きなんです!」
「そうだな…。俺も戦いは好かない。こういう穏やかな日常の方が好きだ」
「なら!」
「だがね、ロリー。もしジュエルを操るようなもっと悪い者がいたらどうする? それが俺たちの生活を脅かすようになった場合は?」
「そ、それは…」
「そのために準備が必要なんだよ。他の魔女たちはジュエルよりも遥かに強いと思っていたほうがいい。性格だって破綻している者がいるかも知れん」
ジュエルはまだ甘さのようなものがあったが、あの火磔刑の魔女プライマーは最初から好戦的だった。
もし魔女たちに序列のようなものがあるのならば、パワーバランスみたいなものがあったとしたら、中には“いざとなれば、力で解決しよう”と思うのが出てこないとも限らない。
少なくとも魔女は、師匠の決めたルールをその気になれば破ることができる。
ジュエルが本気になって戦った時、この力があれば本当に国を滅ぼすのだということを俺は実感した。
「そんな魔女たちの師匠だ。ジュエルにあの強力な魔法を教えた存在だとしたら、賢者…それこそ神のような存在やも知れん」
とてもミイラが挑んでいい相手ではない。
「…だがね、相手が神様であったとして、どんな理由があるにせよ、自分たちの弟子たちをこんな風に競わせて、見知らぬ誰かを犠牲にしているのだとしたら…」
なんとも理不尽な話じゃないか。
「カダベル様…」
「誰かがきちんと、“それ間違ってるんじゃない?”…って、ビシッと言わなきゃなんないだろ」
まあ、それが俺がやるべきとは言わないがね。
だけれども、文句を言いたいのは本当だ。
その師匠とやらに、お前の弟子たちは俺に何してくれたんだ…みたいな感じで。
「……戦わないで済むならそちらの方がいい。俺は死なないから負けないだけで、決して強いわけじゃないからね」
そう。俺を滅ぼす手段なら幾らでもある。
今まで戦っていた者たちは“相手を殺そう”と思っていたから敗けた。
つまり死人は殺せないということだ。
ロリーは何か言いたそうにして、俺のことをジッと見やる。
初めて出会った頃の、強い眼をしてゴライと対峙していた幼子の姿が重なって見えた。
しかし、やがてロリー眼から光が消え、肩から力が抜け落ちる。
「…不安だったんです」
「不安?」
「なんだかカダベル様が…遠くに行ってしまったような気がして…」
しばらく何のことを言っているのかわからず、俺はロリーを呆けたように見やってしまった。
「その、カダベル様は…色んな人に…必要とされています…から。やがて、私の元から消えてしまうんじゃないかって……」
彼女が震えていることに気付く。
手で何かを抱き締める仕草に見覚えがあり、なんなのだろうと考えて、それが王都で俺の生首を持っていた時を示しているのだとようやくのことで理解した。
「カダベル様。どうかずっとずっと元気でいて下さい…それも永遠に」
「それは…何とも大きな話だな…」
そういえば、この肉体に留まってはいるが、それがいつまで続くのかまったくわからなかった。
魔法で対処できる範囲を広げたり、または源術に働きかけるかして、何とかこの状態を維持し続けることはできるかも知れない。
だが、ずっと永遠ということはないだろう。形あるものは必ず滅びる。
魂…そういうものがあって、仮に不滅であったとしても、このミイラとなった肉体はいつかは塵となって消えてしまうはずだ。
「……もし、カダベル様がこの世界からいなくなるのなら私もご一緒します」
「…重い。重いなぁ。ロリー」
「そうでしょうか?」
「ああ」
慕われるのは悪いことじゃない。
だが、そうだな。君がずっと一緒に歩んで行きたいと思う相手ができるまでは…ミイラとして存在していてもいいのかも知れない。
「…でも、ロリーに先に寿命が来てしまったらどうなるんだい? それは100年もしないうちに来るだろう?」
そうだな。お別れは必ず来る。
おばあさんになったロリー…きっと綺麗なまま歳を重ねていくとは思うんだが、もし看取ってくれと言われたら想像するだけで辛いな。
ああ、それは嫌だなぁ。
その前に俺が先に消えてしまいたい。
そんなの悲しすぎるだろ。
「100年くらいじゃ来ないと思います」
ロリーがキッパリと言うのに俺は少し驚く。
「もっと長生きするつもりかい?」
「え? ええ。長命種族なので…」
ロリーが少し戸惑ったように言う。
「長命種族? ヒューマンだろ? ヒューマンの寿命はせいぜい100年じゃなかったのか?」
カダベルも90代で亡くなっている。この世界の平均寿命は知らないが、カダベルでも長生きな方だったんじゃないだろうか。かなり健康的な生活を送っていたし…。
「私、ヒューマンじゃありませんよ?」
「え?」
「私もジョシュも…。父はヒューマンでしたけど」
「ええ!?」
父親と種族が違うなんてことあるの?
隔世遺伝とか? 先祖返りとかいうやつ?
「寿命は恐らくルフェルニさんより長いはずですよ。見た目も成人したらほぼ変わらないです。母がそうでしたから…私を産んだときには150歳くらいだったはずです」
「え?! 今の俺より年上じゃん! ま、マジか…。なんだその完全無欠生命体みたいな存在は」
ヴァンパイアも驚きだったが、こんなすぐ側に、地球じゃ最も羨ましがれるような存在がいただなんて…。
「てっきりご存知だとばかり…」
「いや、知らん。なんて種族なんだ? 見た目はヒューマンだが…」
「え? …ああ」
ロリーの眼に悪戯心から生じたであろう笑みが浮かんだ。
「…カダベル様でもわからないことがあるんですね」
「当たり前だろ。魔法についてだって、あれだけ研究していたのにわからんことだらけさ」
「……なら、ヒミツにさせて下さい」
「は? なんでよ? どうして秘密?」
「ちょっとした仕返しです。だって…私、カダベル様が死んでしまったものと本当に悲しかったんですから!」
「それとこれは…」
「いいんです! さっきだって、ジュエルやルフェルニさんとばーっかりお話して、私とお話して下さらなかったですし!」
「んー、いや、ロリー。だがな、教えてもらわんと気になって夜も眠れ…」
「カダベル様、寝ないじゃありませんか」
「そりゃ…そうなんだが…」
気になるな。研究者としてのカダベルの性質上、知らないことを知らないままにして置きたくない。
「…カダベル様。私のことを調べる時間はたーっぷりありますよ。それまでは世界から消えられませんね」
嬉しそうにロリーは笑う。
「……そうだな。ロリーやこの世界のこと、全部を解き明かすのも面白いかもな」
地球とはまったく違う世界。
死にかけの老人になって絶望していたが、ひょんなことをきっかけにして死後に様々な体験をすることができた。
いまならば、あの詐欺会社…『S・A・W・T・S』に感謝してもいいんじゃないか…俺はそんなことを思ったのだった。




