040 ミイミイライの罠
人っこひとりいない都内、アンワートは遠慮なく全速力で馬を走らせる。
「…これだから、生活魔法しか使えない国は駄目なのです」
アンワートは、低レベルな魔法しか使えないこの国を心底軽蔑していた。
【遠心通話】が使える者が数人いれば、わざわざ自分が確認に行く必要などなかっただろう。参謀が自ら現場に赴くなんて考えられないことだ。
しかも、重客扱いであるべき自分に護衛もつけない。行きたきゃ勝手に行けという、そんな態度にも不快感を抱く。
トップたる王が、“ああいう王”なので仕方がないことではあるが…。
「…城の守りは堅牢ですしね。安全は安全ですから、まあいいでしょう」
団長を含む聖騎士たちがいて、さらには魔女までいる。正直、外門よりも遥かに強い戦力が内部に集中していた。
「…それにしてもあの女。どういうつもりなんだか」
アンワートは先程のやり取りを思い起こして怒りを再燃させた。
そのやり取りとは、ロリーシェとの面会を求めた際に、それを団長サトゥーザ・パパトゥに無碍に断られたことだ。
その断りの理由には2つあった。
1つはロリーシェは准修道士であり、神官たるアンワートの部下と言ってもいい存在ではあるが、現在は精神的に安定しておらず、聖騎士団の厳重な保護下にあるためであること(団長が同じ女性であり、彼女が面倒を見ているという点も大きい)。
もう1つは総団長から直々に、神官団に対するロリーシェへの接触を禁ずる厳命が下った事によるものだ。
後者のは間違いなく、サトゥーザが総団長に働きかけたことによるものだろう。これが無ければ、アンワートは立場的に、無理やりにでも面会を行うこともできたのだ。
「…サトゥーザ・パパトゥは己の立場というものがまるでわかっていない」
職位だけでいえば、アンワートは団長よりも上なのだが、神官と聖騎士は互いに足りない部分を補い合う関係にあり、教義上では常に対等で、尊重し合うべきなのだとされている。
しかし、そんなものは表向きなだけであって、内心ではお互いに快くなど思ってはいない。
それは団長サトゥーザも例外ではなく、アンワートが気に食わないから拒んだというのが目に見えてわかった。
「後で聖教皇王に直に掛け合ってでも…」
ようやく外門の壁面が見えてきた時、アンワートの不快感は絶頂に達した。
「…愚かなッ! なぜ門を突破されているわけでもないのに、死者が都の中にいるのか」
兵士たちが、動く死者にひどく戸惑っているのが眼に入ったからだ。
門は外から大きく歪み、物理的な攻撃を受けた形跡があったが、それは侵入できる程の損傷ではない。きっと途中まで破壊して諦めたのだろうと思われた。
こんな事態になることそのものがありえない話だが、見えている事実は変わりようもない。
敵の侵攻が思ったより苛烈だっのだと、そうアンワートは判断する他なかった。
「外の戦闘も継続中か。王国騎士団が壊滅したというわけでもなさそうですね」
小門を開いて、外にいる仲間を戻せないかと頑張っている。
だが、折れた支柱の一部が、完全に可動部を塞いでしまっていた。そう簡単には動かせそうにない。
「死者は外から来たのではない? となると、やはりあの棺の中から出てきたという事か…どうしてわざわざ運び入れたのやら」
よく見やると、棺が何個も入口の前に並べられていた。これは死者たちが運び入れたような感じではない。つまり、兵士たちが何かの理由で中に引き入れたに違いなかった。
アンワートは死者と戦っている兵士たちを尻目に、棺の側へと近づいて行く。
「……チッ。金に目が眩んだのか。本当に馬鹿な王だ」
中にたんまりと入っている財宝を見やり、アンワートは額を手で覆った。
「しかし、こんな少数を中に入れたところで…」
斬っても突いても倒れることのない死者に苦戦はしている。だが、それでも兵士の数はこちらの方が圧倒的に多い。時間さえあれば、制圧はできるだろう。
「…何が狙いだ?」
アンワートが思索に入ろうとした矢先、壁の方から「屍従王が倒れた! 倒したぞ!」という声がした。
「なんだと? そんな馬鹿な…そんなに早く…」
外のが囮であることには、アンワートはすでに気付いていた。
だが、囮である以上はできるだけ長く引きつけておく必要があるはずだ。
(役目を果たした? …そうか。こうやって侵入するのが目的か!)
アンワートはニヤリと笑う。
「…わかりましたよ。これは二重に仕組まれた罠」
まず外の死者の軍勢で注意を引き、中にヴァンパイアのスパイを送り込む…かと見せかけておいて、実はこの棺を都内に運び込ませるのが真の狙いだったのだ。
「そう。完全閉鎖された、この都市の守りは強固です。潜り込むにはそういう手を使うしかない。
…そして私の読みは当たった。ここまで来た甲斐があったというものです」
アンワートは近くにいた兵士の肩を掴み、自分の方へと向かせる。
「なにを…」
「雑魚に構う必要はありません。ここにある全部の棺を調べなさい」
「は? だって、死者たちはそこから出て来たんだぞ! いまさら出てきた後を調べてどうなる!」
棺の蓋は全部開かれている。財宝が周囲に散らばっていたが、誰もそれを気にする余裕もなかった。
「そこが盲点です。あの死者もまた囮ですよ。
見なさい。この棺は不自然に大きい。宝だけじゃない。これこそがフェイクなんですよ。まだ“死者”が中に隠されているはず…」
生体反応はない。ということは、そこにいるのは死者で間違いない。
「死者に紛れて出てこなかったのは失敗ですね。それともほとぼりが冷めるまで待つつもりでしたか…屍従王よ」
「え?」
アンワートは強く兵士の肩を叩く。
「さあ、調べなさい! 必ず屍従王が隠れているはずです!!」
アンワートの指示に従い、兵士たち数人が棺の中を調べる。
宝石を外へ放り出し、自ら棺の中に入り込んで剣を突き刺して、底面まで徹底的に調べあげた。
「……なーんもいねぇよ」
金の王冠を手にした兵士が唾を吐き捨てる。
「…は? そんな馬鹿な。もっとよく調べ…」
「そんな暇あるか! 今は動いてる死者だ! どうしても調べたきゃ、自分でやりな!」
兵士たちはアンワートを突き飛ばし、仲間の応援へと向かって走って行ってしまう。
「……そんなまさか。本当にあのヴァンパイアひとりだけで何とかなると考えていたのか」
アンワートは眉を寄せる。
屍従王は間違いなく策謀家だ。プロトやニルヴァ魔法兵団を倒した手法、魔女ジュエルから得た会話の内容…それから察するに、相手の意表を突き、翻弄して崩すことを得意とする。
それこそアンワートは自分と似たタイプだろうと見越していた。
「魔女にはどうやっても勝てない……ならば、最初から戦うこと自体がブラフ? 屍従王は戦場には来ていない? まさか、そんなこと…」
無いはずだと考える。だが、自信はない。この囮作戦でどんな目的を果たそうとしたのかまったくわからなかったからだ。
「棺の宝…死者を引き込むため…それは間違いない。だが、その次の手が無いなんてありえるのか? ここまでする本当の狙いは何だったんだ?」
屍従王本人が指揮を執っていなかったにしても、混乱に乗じた何かのアプローチがあって然るべきだ。
そして現に意味のあるような行動は要所に見える。しかし、それら全体にどんな繋がりがあるのか、アンワートはついに見いだせなかった。
「……戻らねば。やはり、ロリーシェ・クシエと何としても話さねばなりませんね」
場合によっては聖騎士団を敵に回してでも…そう覚悟した時、【遠心通話】の魔力を感じる。
アンワートは片耳を手の平で覆った。
相手の声は頭の中に聞こえるでそんなことをする必要はないのだが、周りが喧騒に包まれている時はこうした方が集中して聞けるのだ。
「…はい。アンワートです。聖心余す所無く照らされますように」
予想していた人物だったので、アンワートは丁寧に返答する。
「…ええ。はい。そうです。はい…」
相手の話を静かに頷いて聞いていたアンワートだったが、徐々にその細い眼が開かれる。
「え? …それは。まだ。…は? いや、もう少し時間を…。いいえ、違います…。はい」
抗議しようとして、アンワートは額にうっすら汗をかく。
「……はい。かしこまりました」
アンワートはギリッと奥歯をきつく噛み締めた。
「……カダベル・ソリテールッ。お前は…お前はいったい何をしたッ!?」
──
【糸操・倍】に抵抗感を覚える。きっと“引き継がれ”たのだろう。時間はほぼ予定通りだ。
操作がおかしくなるといけないので、俺の方は解除した。
しかし、【倍加】してギリギリ届く距離で良かったよ。トイレ行く振りして何度も確認しちゃったもんな。
それに視認せずに適当に動かしてたからさ。中には壁に引っかかって、昔のテレビゲームのキャラみたいにバグってた奴もいたことだろう。
…ま、どうせ死者が動いていること事態が異常なんだから一緒か。
少しぐらい変な動きしても、数分程度じゃバレないだろ。
「……さて、そろそろ行かなくては」
同じ窓側の席についていた赤ら顔の老人たちが「えー」と一斉に抗議の声を上げた。
客は俺たちしかいない。完全に貸し切り状態だ。
「今日は付き合いが悪いのぉ〜」
「緊急事態宣言を聞いたじゃろ。外に出ちゃいかんって話じゃよ。なんか外で騒いどる音が聞こえとったしな」
「聞こえたか? お前の声がうるさくてわからんかったわい」
「はん! それでも危険なんじゃ! 何がまでは知らんがな!」
「“シジュウナンチャラ”ってのが来とるらしいぞ!」
「そいつは怖いのぅ! ヘンテコな名前で正体がわからーん! はよ避難せねばな!」
「阿呆か! そんなん言って、朝からずっと飲んどるじゃねぇか!」
「違いねぇ!」
老人たちはガハハと笑う。本当にどこまでも愉快な人たちだ。
「…この1週間大変勉強になりました。ありがとうございます」
頭を下げて席を立つ。そして金の入った小袋をテーブルに置いた。
俺が本当に帰るのだと察して、3人は互いの顔を見合わせる。
「…そこまでしてもらうわけにはいかん。今日の酒代ぐらいは持っとるさ」
「しかし…」
「アンタは良い人じゃ。こんな年寄りを真剣に聞いていくれた。なかなか見どころある若者じゃ」
実は俺の方がずっと年寄りなんだけどね。
「ああ。ワシらこそ楽しく話をさせてもらったからな」
「ウム。いきなり見知らずのワシらに、話を聞かせてくれと言われた時は疑ったがな。お前さんの仮面とマントはかなり怪しいぞい」
「こらこら。半年分のツケを払ってくれた大恩人じゃぞ!」
「そうじゃ。タダ酒飲むのは客じゃないが、金を払うなら酒を飲まんでも客だと店主も言いおったわい!」
「あの寝しょんべんたれのサム坊め! あんだけ昔は世話してやったのに、今は偉くなったもんだな!」
そんなことを言い合って、3人はガハハと再び笑い合う。
「……しかし、散々話したが、この国は腐っておる。何もせんでも、そのうち勝手に崩壊するわい。
アンタは魔法士なんじゃろ? 魔法士はこの国じゃ大成せん。他所の国に移った方が身のためじゃぞ」
「はい。ですが、その前にすることがありますので…」
「……ふぅむ。最後に聞いてもいいか?」
「ええ。どうぞ」
「そもそもじゃ…。なぜワシらなんかと話をしたかったんじゃね?」
俺は3人の顔を順繰りに見回す。
「ドンさんは大工の棟梁。ボルアムさんは酒造所の所長。ルッケズさんは騎士団の剣術教官。今は引退なさっていますが、この王都の根幹を支えてこられた方々であることに間違いありません」
3人は照れ臭そうにする。あんなに過去の栄光を自慢していたのに、改めて他者にそう言われると気恥ずかしいものがあるのだろう。
「…いまじゃなーんの取り柄もない、つまらん酒飲みじゃがな。いわゆる底辺ってやつじゃよ」
ルッケズが自嘲気味に笑う。
彼は肺の病気が原因で若くして引退し、第二の人生で剣術教官となったのはいいが、王が新しい流派の剣術顧問を雇うと、即座にお役御免のお払い箱になってしまったのだった。
「そうそう。負け組ってやつじゃな」
ボルアムが酒をチビリと飲んで頷いた。
彼はこの国でも有名な酒造りの名人だったが、その名声を疎んだ同業者にあらぬ嫌疑をかけられ、冤罪による懲役刑を食らった苦い経験を持つ。
「昔は…そうじゃったかも知れん。だが、今は社会から必要とされておらん」
ドンが薄くなった髪を撫でて言う。
彼は城壁や砦などを補修したりする業務を行っていた大工だ。伝統的な工法を大事にする玄人だったのだが、国が経費削減のため安価で粗悪な工法を取り入れたことに反対したことで干されてしまったという。
「……いや、あなたたちこそが、国の真の姿を知る人たちなんです。だからこそどうしても話を聞きたかった」
この国は一見して不変だ。常に同じ事を繰り返しているように見える。
しかし、そんなわけがない。
ある一定の文化があり、そして魔法という生活の手段があって、ただ不変のまま毎日を生きるなんて不可能だ。
そして誰もが気づいていない。こんな“小さな綻び”が徐々に亀裂を深くし、この国を衰退…緩やかな死へと向かわせている要因だということに。
今回、俺が知りたかったのは、“この国に生きる力があるか”どうかだ。
「…それでは。皆さん。私はこれで失礼します」
俺は席を立ち上がる。
本当にそろそろ行かねばまずい。
「…いったいアンタは何者なんじゃ?」
「……聞いて驚きません?」
3人は神妙な顔をして頷く。
「私……いや、俺は、屍従王カダベル・ソリテールと申す者です」
──
戦い開始からおよそ1週間前…王都東門。
「はい。次の人〜。初めての人はこっち。通行証だけじゃなく、申請書も必要だからね。ほら急いで急いで。次がつっかえてんだからさ」
今日はやけに初の入都希望者が多い日だった。
(勘弁してくれよ。ツーマンセルが基本じゃねぇのかよ…なんで俺ひとりでこんなん全部捌かなきゃなんねぇのよ。やってらんね…)
果ての見えない長蛇の列に、うんざりしてくる。
「通行証と申請書はまとめて準備してる? どっちか片方しかないのも、順番通りに並べてないのも受け付けないから。並び直してもらうよ」
「はい。大丈夫です」
門番はチラリと一行を見やる。
年配の男がひとり、年配の女がふたり、そして若い女だ…こういう家族で来るパターンはだいたい問題がない。
「えーっと、ゾドル・ムアイにミライ・ムアイ。それと…“イラミ・ライミ”?」
書類を見やると若い女の名字が違う。つまり家族じゃない。
【真偽】を使う。赤く光る。怪しい。だが、誤差があるので断定はできない。あくまで可能性があるだけだ。
「ゴゴル村から来たのね。おふたりはだいぶ前に登録されているね。だけど…この娘さんは初めてなの? 血縁関係でもないのね?」
「へえ、そうなんです」
「入都の目的は?」
「この娘は、祖父と一緒に3年ほど前に村に移住して来たんですが、つい先だってその祖父が亡くなりまして…」
「えーん、おじいちゃーん!」
紫髪を目元まで垂らしたイラミが、両手で顔を覆ってシクシクと泣いている。
「よしよし。イラミ。もう泣くのはおよし。
…祖父だけが唯一の肉親でしてね。その後は我々が面倒をみてきたのです」
「いや、そうじゃなくて…王都に来た理由を聞いてるの」
「元々、この娘のおじいさんは王都に住んでいたらしいんですよ。ですから、せめて故郷に葬ってやりたいと思いまして…」
「…その祖父の名前は?」
「“ミイミイライ・ライミ”です」
「え? もう一度…」
「“ミイミイライ・ライミ”です」
「マジで? 偽名じゃなく?」
「はい」
「なんだか舌噛みそうな呼びづらい名前だな…。でも、そんな男が王都に住んでいたって記録は…」
戸籍を調べたが、そんな名前の記載はなかったとの回答が添付されていた。
「…娘さんは王都には住んでなかったのね。他に身分を示す物はなし、と」
門番はイラミを見やる。暗そうで地味な女だ。
(さて、面倒だな。どうしたもんか…。上司を呼ぶ? 人手不足なのに、こんなことで面倒かけるなって怒られそう。ダルいわ。かといって、尋問するのもつまらなそうな女だしなぁ)
通行証は厳密な審査を行っている様に見せるため、わざと発行に時間を掛けているのだが、実のところ申請書類さえ正しく揃っていれば出されないことはない。
そして肝心の直接審査なのだが、実はガイドラインやチェックシートなどのような物はなく、門番個人の感覚に任せている部分が大きいのだ。
逆に言えば、通行証があっても門番が怪しいと思えば通さないこともできた。
「娘さんの両親も亡くなってるんじゃ、本当に王都に居たかどうかも調べようがないね…」
「そうなんです。住んでいたのは、この娘が生まれる…だいぶ昔のことだったらしいですから。我々もその点、よくは知らないんですわ」
「…なるほど、ね」
ありえない話ではない。さすがに10年以上前の記録なら、書類が残っていなかったりするのはよくあることだ。これだけでは疑えない。
「…で、その荷物の中身は?」
門番は荷車を指差す。
「えっと、祖父です。…遺体です」
「だろうね。見せて」
「…え、でも見ない方が…」
「いるんだよ。そうやって遺体のフリして密入国するヤツとかね」
ゾドルは肩を竦めると、上に掛かっていたシーツを捲る。
その中身を見て、門番は眼を見開いた。
「ミイラじゃん!!」
「だから言ったじゃないですか」
「えーん、おじいちゃーん!」
「いや! だからと言って、こんな干乾びてんのそうそうねぇよ! どんだけ放置してんのよ!」
「なかなか申請に手間取って…」
「えーん、おじいちゃーん!」
「手間取るって…これって、簡単にこうなるもんじゃ…」
「えーん、おじいちゃーん!」
「うるさーい! 泣くな!!」
怪しい点はある。だが、言っていることに嘘はなさそうだ。少なくとも、麻薬の密売人などには見えない。
「うーん。とりあえず、遺体の搬入も記録しておくからな。えっと、もう一度名前を…」
通行証と申請書を照らし合わせ、出入管理簿に記入をしていく。
「ゾドル・ムアイ。ミライ・ムアイ、ミイラ・ライミ…」
「ミイラじゃないわよ。イラミよ」
「えーん、おじいちゃん!」
門番は頭を左右に振って、二重線で訂正すると新しく書き直す。
「あー、えっと、ゾドル・ムアイ、ミイラ・ムアイ…」
「ミイラじゃないわよ! 失礼だね! ミライ・ムアイだよ!」
「えーん、おじいちゃん!」
「あーあ、もうわかった! ミライラのミイラが1体だな!」
「違うわよ! イラミ・ライミの祖父ミイミイライ・ライミのミイラが1体よ!!」
「えーん、おじいちゃん!」
「わかるか! 紛らわしい! ってか、うるせー! 黙れってんだろ、このクソ!」
そんなやり取りをしていると、並んでいる者たちの「まだかよ」「はやくしろよ」という声が上がる。
奥にいる上司がジロッと睨んでくる気配を、門番は背中に感じた。
(ふたりは元から通行証持ってんだからいいか…。問題ないだろ)
門番はイラミを見やる。人畜無害そうだ。今まで悪いことなんてひとつもしたことがなさそうだ。
(どうせ遺体は荷物扱いだ…いいや。もう。死んでんだから、悪さすることもねぇだろうし)
何もかもが面倒くさくなり、門番は書きかけた書類を、上司に気付かれないように丸めて捨てる。
貴重な紙は魔法で再利用されるので、無駄にするとひどく怒られるのだ。
そして申請書に押印して書棚にと投げると、通行証をやや乱暴に返した。
「もういい。行け。ちゃんと聖教会を通して、埋葬の許可とって死亡届も出せ。わかったな」
「へい。ありがとうございます」
ゾドルはペコリと頭を下げると、ミイラにシーツをかけて歩き出す。
ミライは泣き続けるイラミの背を優しく撫でて先を促した。
「……はー。疲れる。転職しよっかな。俺、この仕事向いてねぇのかも」
いつもの愚痴をもらし、門番は首を横に振って仕事に戻れと自分に心の中で言い聞かせる。
「…おーい! 次! 次だ! あ! だから、こっちは初めての入都者だけってんだろ! 2度目は向こうの受付だって! 手間かけさせんなよ! まったく!」
──
無事に王都に入り、周囲に人気のないのを確認して、ゾドルとミライが大きく息を吐く。
「あー、緊張したー」
「寿命が半分縮んだよ。まったくもう」
「…大丈夫だと言ったろ」
荷台のシートから声がする。
「東門は国内からの入都がほとんどだ。比較的審査が緩く、あの兵士は1週間ほど見ていたがそう仕事熱心でもない。しかも面倒くさがり屋なんだ。どうせ俺のことは記録しないさ」
「それはわかっていても…」
ゾドルは周囲に人気がないことを再確認し、それからもう一度大きく息を吐いた。
「さすがはマイマスターです」
涙を拭き、下ろしていた髪を上げたカナルが瞳を輝かせて言う。
「…そのマイマスターってのは止めてくれ」
カナルは、カダベルが倒したニルヴァ魔法兵団の唯一の生き残りだ。
足の怪我が治るまで捕虜として地下に置いていたが、なぜかその過程でカダベルに対して強い忠誠心を抱くようになったので、今回協力してもらうことにしたのである。
「しかし、なぜ急に王都に行かれることに?」
「魔女の本拠地だからな。前もって下調べしておきたかったんだ。それにロリーのこともある」
「ロリーシェは本当に大丈夫なのかい?」
「ああ。攫ったのは聖騎士だ。俺という“悪”から救い出したつもりならば丁重に扱うはずだ」
村にはロリーシェが攫われたことを伝えた。
ナッシュには血の涙を流しつつ、罵詈雑言の限りを浴びさせられたのだが、それを思い出すとカダベルの気は重くなる。
「…敵はこちらを強く警戒しているのでは? 侵入自体は成功しましたが、これは看板される可能性が高いと思われるのですが…」
「してるだろうけど、俺自身は現在のところほぼノーマークよ」
「? そんなことが…」
「ルフェルニのスパイを通して、わざと“屍従王は正々堂々戦うつもりの様だ”、“死者の軍勢は3,000体の歩兵のみ”って情報を流してみたのよ。全部本当のことだけをね」
「裏付けもなしに、それを鵜呑みにしますか?」
「普通はそうね。そもそもなんで鵜呑みにしたと思う? ちなみに俺は聖騎士と魔女…双方と軽く交えている。で、彼らが俺のことどう思ってるかわかるかい?」
カナルは少し考える仕草をする。
「……警戒すべき敵。ですが、決して倒せない敵ではない」
「正解。俺自身だけの力では、魔女も聖騎士にも歯が立たない。だから、形振り構わず軍力を必要としているんだろう…と、向こうは思うわけ。情報隠蔽もままならないくらいに、必死に軍備拡張してるのね、ってね」
「やって来ることがわかっているなら、迎え撃つ準備をするだけ…ということですか?」
「そう。警戒するべきは屍従王“軍”であり、正面で叩けるぐらいの規模の間なら、好きに遊ばせといてやろう…みたいな変な余裕が出てくるものよ。強者の傲りってやつでね」
「しかし、単純に頭を潰せばいい…そう考える場合もあります。それこそ戦が始まる前に…」
「それをやるならもうとっくにやってるよ。魔女も王様も、俺と正々堂々戦いたいんでしょ。騎士道精神あふれる王様でありがたいよ」
「聖騎士もですか?」
「ん? いや、聖騎士はそれに嫌々付き合わされるというわけさ。王国に協力関係を申し出た以上、ホストの意向に反したことは…ギリギリまでしないだろ。馬鹿みたいに体裁を気にするヤツらだし」
「…なるほど。本当の情報を流したのはそういうことですか」
カナルの理解が早いのを見て、カダベルは満足そうに頷く。
「あちらさんは諜報が上手く機能してねぇし、魔女と聖騎士の足並みはずっと揃わないと思う。組むにゃあ、相性最悪だからな。
そして、俺との戦いの舞台をこの王都を指定してくる可能性が高い。そういう意味で調べておく価値は充分にあるんだ」
「本当に王国と戦争を…」
ゾドルが不安そうな顔をした。
「違う。俺が倒すのは魔女だけだよ。それにお前たちはカナルを連れてすぐに帰っていい。ちゃんと出都の履歴があれば、サーフィン村は怪しまれん。…まあ出入の突合を真面目にやってればの話だけど」
「…あたしらは大丈夫さね。でも、カダベル様。あんた様は?」
「まあ、問題ないだろう。潜伏している間、昼間は墓地で死体のフリでもしよう。夜間に酒場などで情報収集するさ」
「さすがです。マイマスター」
「だから、それは止めろって。…その気になれば、お前は俺を殺せる程の力を持っているんだぞ」
カダベルは布を少しめくり、カナルの反応を見やる。
少しでも怪しい素振りを見せるならばすぐに手を打つつもりであった。しかし、どんな隙を作って見せても、彼女がそれに乗ることはなかったのだ。
「そんなことはございませんわ。マイマスターこそが、最強の魔法士。あのマクセラルですら簡単に倒してみせたのですから…」
彼女の眼にあるのは崇拝畏敬。カダベルを見る眼は明らかに狂信的だ。
いまカダベルの中では、彼女もまたミイラフェチ信者のひとりに確定しつつあった。
「…ヴァイスを、骨と眼鏡にしたのは俺なんだぞ」
「かつての仲間ではありましたが…恐らく、敗れた時点で、幾つかの記憶を消去されたんだと思います」
カナルが舌を出して見せる。そこには魔法陣が描かれていた。
何かしらの力を発動させ終わったのか、色はくすんだ物と変わっているように見える。
これがどういう力を持つのかカダベルにもわからなかったが、彼女はマクセラルとヴァイスという仲間がいて、ニルヴァ魔法兵団に属していたという記憶しか残っていなかったのだ。
嘘をついている可能性も考慮して、【真偽】で様々なテストを行ったが、結果は本当に記憶の欠落があるとしか言いようがなかった。
そのせいか、ヴァイスがメガボンになったのを見ても「前より無口でクールになりましたね。性嗜好的にもこちらの方が好みです」という冷淡な感想しか返ってこなかったのである。
「魔女の情報も…」
「お役に立てず申し訳ございません…。魔女とニルヴァ魔法兵団の関係も思い出せないのです」
「…まあ、仕方ないな」
カダベルには、あのジュエルがこのような高等な事をしたとはどうしても思えなかった。
魔女だからこそ、自分が知らないような魔法も使えるだろうが、それにしても都合の悪い記憶だけ消すような器用な真似をする感じには見えない。
「…しかし、危険にはなるが君には働いてもらいたい。見返りは…」
「もちろんです! 私を手足のようにお使い下さいませ!」
ロリーシェの救出を条件に、彼女を自由の身にしてやる…そんな話をしようと思っていたカダベルは閉口する。
「カナル・プレナルカ。君が味方に来てくれて、本当に頼もしいよ…」
カダベルは空に輝く太陽を見やって、そう呟いたのであった……。




