038 屍従王軍VS王国騎士団(1)
王都インペリアーに、コウモリの群れが飛んでくる。
思わず射かけようとした兵士たちも、これらが普段は人畜無害な動物であり、なおかつ今は駆り立てられているような性急な様子であった事から、深い憐れみの感情を抱いた。
そして、兵士たちは互いに顔を見合わせ、気まずそうに引き絞っていた弦を元にと戻す。
都内は国家緊急事態宣言が発令されており、住人には外出禁止が命じられていた。
しかも内容が“敵からの攻撃に備えよ”…という初めての物だったこともあり、人々は困惑しつつも兵士たちの出す指示に従った。
そして、窓越しに、国王が将軍たちを伴い外壁へと向かうのを見て、これは本当にただならぬことが起きたのだと誰しもが思ったのだ。
「ねえ、お母さん! 何かが来るよ!」
「これダメよ! 顔を出しちゃ!」
「あ! コウモリだ! コウモリが来たよ!」
「わー、カワイイ!」
その愛くるしい姿がパタパタと飛んでくるのに、子供たちははしゃいで窓を開けようとし、それを慌てた親たちによって止められる。
そんな光景があちらこちらで見られた。
「いったい何が起きようとしているの…」
無邪気に喜ぶ子供たちとは対照的に、親たちの顔は不安の色を増した。
臆病なコウモリは、普段は森にいて滅多に姿を現さない。
意思疎通が可能なヴァンパイアとは深い関係を結ぶこともあるが、その他の種族とはまず関わり合いを持つことはなく、それこそ人口の多い都市に好き好んで来るような動物ではない。
まさに何か不吉なことが起きようとする前触れにしか思えなかった。
「あれ? なんか持っている…」
「え? …ヒッ!!」
小さな手が指差す先を見やり、親は悲鳴を上げて、我が子を抱きしめたまま身を屈める。
それはコウモリたちが持っていたのは、人間の髑髏だったからだ。
『災いだ。災いだ。災いだ…。“死”の行軍がやってくる…。大軍を率いて王城を目指す……』
コウモリが一斉に喋った…最初、そう皆が思った。
しかし彼らは人間とは会話ができないはずだ。人語を話すことはない。
そして、ややあってようやく気づく。
そうだ。コウモリたちが手に持ったドクロが喋ったのだと!
「ぎゃああああッ!」
「うひぃいいいいッ!」
そこかしらから恐怖の悲鳴があがる中、コウモリたちはまるで街中すべてに聞かせようとするかのように、パタパタとゆっくり旋回して飛び回る。
『…其れは魔女が屍従王の逆鱗に触れたが為に。復讐の屍を伴って、彼の王は来たる。屍を従え、死を与えに連れ来たる──』
「魔女って…?」
「“屍従王”ってなんなんだよぉ。そんなの聞いたこともねぇぞ…」
「復讐って…王国が何かしたってのか?」
窓を閉めていても、まるで拡声器でも使っているかのように、おどろおどろしい声が響き渡る。
内容は不明な点ばかりだ。だが、この緊急事態を巻き起こしたのは、その“屍従王”という存在を、この王城にいる“誰か”が怒らせたせいだと知る。
『故に──』
先に続く言葉に、誰もが意識を集中させてゴクリと息を呑む。
『危ないから家を出てはダメだぞ』
泣いていた子供がピタッと止まり、恐怖に慄いていた親たちがあんぐりと口を開く。
『えー、業務連絡、業務連絡。これより死者たちが王城を目指して行進いたしますぅー』
『彼らは避けるという動作ができませんのでー、予期せぬ怪我をされる恐れがございます。進行先にいなければ、襲われることは絶対にございません』
『ですから、くれぐれもご自宅から出られませぬよう、重ねて重ねて、国民の皆様にお願い申し上げますー』
その後も業務連絡は続く。さながらデパートでの館内放送のようだ。
『子供から目を離すな』だの、『心を強く持て』だの、『あれ? 業務連絡だと兵士に言った方が良かったのかしら?』等々、そのような私情のようなものが混じったものまで、とりあえず注意喚起を促す言葉がひたすら並ぶ。
わからないことばかりではあったが、とりあえず国民に危害を加えるつもりは一切ないことだけは伝わって来た。
3度ほど同じ内容を繰り返し流し終わると、コウモリたちは役目を果たし終えたとばかりに王都から去って行く。
中にはドクロを怒ったように投げ捨てる個体もいたことから、彼らは嫌々こんなことをさせられていたのだということが察せられた……。
──
去っていくコウモリたちを見やり、王国軍将軍デトロイト・バックドロッパーは眼を細める。
「…何がしたいんだ。いったい」
まったくもって意味がわからない行動だ。注意喚起するぐらいならば、最初から攻めて来なければいいのにと思う。
しかし、視線の先にいる死者の群れは立ち去る気配を見せない。
ゆっくりと前進しつつ、こちらをジッと見ている…いや、むしろ見えているのかすら怪しいのだ。そんな虚ろな眼をしている(そのほとんどが眼球すらなかったが)。
まだ距離はあった。だが、開戦は間近だろう。強い緊張感が辺りに漂う。
「王。どうか、お下がりを。先陣は私めが…」
「冗談を言うな! 俺は王だ! このギアナードを守る責務がある!!」
どの兵よりも突出し、正門の真ん前で剣を地面に突き刺して、仁王立ちをしている鎧姿はゼロサムだ。
バックドロッパーは、王に気づかれぬようにため息をついた。
王たる方がこんな一番危険なところに立つ…それもまた意味がわからないことだ。
「王の剣技を侮るわけではございません。ですが、相手は訓練で戦ったような生きた兵ではないのです。まず様子を見るために…」
「理解している!! だが、最初は誰かが戦わねばなるまい!! ならば王である俺がやる!! やらねばならないのだ!!」
まるで全然わかっていなかった。
初戦で気持ちが昂りすぎているのが見て取れる。気力が満ち充ちている。
だが、これは非常に危険な状態だ。
事実、このような大きな戦を行うのはバックドロッパーを始めとし、兵士たち皆が初体験なのだ。
ちょっとした小競り合いや、野盗討伐などで殺し合いを行ったことはあった。だが、これほど組織だった戦争を行ったことはない。
(平和ボケか)
後ろの膝が震えている若い兵士を見て、バックドロッパーは眼を細める。
そうだ。この恐怖心は悪いものではない。恐怖があるからこそ、命を奪われることが怖いからこそ、冷静に慎重に戦うことができる。
問題は恐怖にかられて身動きがとれなくなってしまうことだ。だが、そうならないために今まで血反吐を吐くような訓練してきたのである。それが専業兵士というものなのだ。
だが、王は違う。命を賭けた戦い…本人は常にそのつもりだったと言うだろうが、バックドロッパーを始め、兵士たち皆が常に気を遣ってきたのだ。
(このままでは王も、あの骸共の仲間入りになってしまう…何とかせねば)
バックドロッパーは城を睨む。
魔女も神官も、そして腕の立つ聖騎士たちも城に籠もる考えのようで、王国軍だけで露払いをしろとばかりの態度だ。
特にあの偉そうな神官に至っては、馬が怯えるので騎馬を使うな、防衛戦はこちらが有利なのだから下手に先行部隊を使って手の内を見せたりするな…など、色々とやかましく口出しをしてきたのだ。
しかし、聖騎士は少し違うように見えた。自分より遥かな高みにいる強者と感じ取れた彼らであれば、きっとゼロサムを説得できたに違いない…そう思うと、バックドロッパーは己の無力さを改めて痛感させられた。
なんとも歯痒い。しかし、将軍である自分がヤケになったら勝てるものも勝てなくなる。
今は目の前の敵に集中すべきだと、バックドロッパーは気を取り直す。
「…突撃の構え! 槍兵二列横隊にて前面に展開! 弓兵、城壁上から常に援護射撃! 射程に入ったら迷わず射て! いちいち指示は出さん!!」
「バックドロッパー!!」
「王!!!」
叱責しようとしたゼロサムに被せるように、バックドロッパーが怒鳴り返す。
初めてのことに、王は何度か眼を瞬いたが、それでも怯むような様子はなかった。
バックドロッパーは少しだけ、自分が仕える王のことを見直した。
愚鈍だ、安直だ、能力がない…そんな陰口を叩かれる王であったが、共に横に並んで戦うには申し分ない男じゃないか、と。
「正面切って戦うだけが騎士道ではありませぬ! 戦争ならば、絶対に勝つ方法を選びます!」
バックドロッパーは、後方の兵士たちを指し示す。緊張はしてはいたが、逃げ出すような腰抜けはここにはいない。
「そして、王よ! あなたがこの国を護る責務を持つように、我々もまた王を護る責務を持っておるのです!」
「……そうか。そうだったな」
共に戦う兵士たちに初めて目を向けて、ゼロサムがニヤリと笑う。歯の抜けた顔で…。
「総員、第一戦闘配備につけ!!」
もうついている!
だが、誰もそんなことに動揺しない。王はこういう人だと理解していたからだ。
「ギアナードに勝利を!!」
王の激励に、全員が呼応して喉が裂けんばかりに声を出す!!
その勢いは恐怖を打ち払い、眼の前の敵に集中させた!
敵は自分たちよりも少ない!
勝利はそう難しくはないはずだ!
「突げ…」
「待ったぁッ!!!」
バックドロッパーが王の指示を邪魔する。
勢いをくじかれ、王は前のめりに倒れそうになり、槍兵は穂先を大きく揺らす。
「なんだぁ!? バックドロッパー!!」
「あ、あれを!!」
止めたのには理由があった。
横に広がり始める死者の軍勢。その奥に何かが見えたのだ。
それは上下に大きく動き、乗っている者がガックンガックンと揺さぶられている。
「…ま、まさか、あれが屍従王カダベルか」
さすがのゼロサムも眼を丸くする。
それは御輿だった。御輿に担がれたミイラが、下の巨大なゾンビとガイコツによって、大きく揺さぶられているのだ。
何やらリズムに乗って動かしているようではあるのだが、ゾンビとガイコツの体格差がありすぎて、かなり傾斜が大きく、揺れ幅もそれに従って激しい。
それは異様な光景だった。吹っ飛びそうな勢いで自分たちの王が運ばれているのに、部下の誰もそんなこと気にしていない。
時折、聞こえる「ワッショイワッショイ」という掛け声もまったく場にそぐわなかった。
(なんだ? どういうことだ? 向こうも王が前線に出てきた? 何か策が…いや、あれは魔法士だという話だった。それとも死者故にそんなものは関係ないのか?)
なんの警戒もなく射程内に入る。まるで、「どうぞ射掛けて下さい」と言っているようなものだ。
上で弓兵たちが困惑しているのがバックドロッパーにもわかった。
「将軍。火矢を放ちますか?」
「い、いや、待て…」
火矢は効果的な攻撃だ。相手は乾燥しきったミイラもいる。火矢であれば、きっとダメージは大きいだろう。
「チッ! やはりだ! このニオイは! 奴ら…全身に油を塗りたくっていやがる!」
バックドロッパーは敵が何やら粘着性の液に塗れていることに気付いた。
最初、腐れた肉汁か何かと思ったが、ここまで近づいて来て初めてわかる。
「逆にチャンスなのでは? 一発の火矢で全員を燃やせます」
「少しは考えろ。人間が相手なら炎に巻き込まれれば死ぬだろう。だが、相手は元から死んでいるんだ。痛みも熱も感じない…そのまま行軍してきたらどうなる?」
「あ…」
それは人間松明だ。そのまま大群が壁面にとりついたら、それこそ大火事に発展するだろう。大きな被害を被るのは自分たち側になる。
「…そうか。夜間に攻めて来なかったのはこういうことか」
「は?」
「暗闇だったら、あの油に気づかず火矢を射ていたかも知れん」
「そ、それは…。しかし、その方が相手側にとっては思うツボだったのでは?」
「違う。あの王は馬鹿じゃない。こっちの戦術を理解した上で、間違いなくこっちが嫌がる行動を取っているんだ。
…だが、その狙いがわからなすぎる。ここまで無防備に出張ってきて、どうする気なんだ?」
「バックドロッパー! いつまで話している! 敵は眼の前だぞ! 突っ込んでいいのか!?」
少しは考える時間をくれよと、バックドロッパーはそう思う。
「王。もう少し待って下さい。敵の出方を待ちましょう」
幸い、敵に弓兵や砲丸兵はいない。遠距離攻撃ができるのは魔法士だけだろう。
それにこの距離で魔法を使わないということは、遠距離を攻める魔法は持っていないのではないだろうか。
「待ってどうなる! 向こうは王が出てきているんだ! あの首を獲れば終わりだ!」
今にも飛び出して行きそうなゼロサムを、数人がかりの兵士が抑えつけていた。
「もう少し…もう少しだけ…」
待ってどうなるか、それはハッキリ言ってバックドロッパーにもまったくわからない。
だが、状況に進展を望んだ彼の祈りに応えてくれたのか、屍従王を担ぐ御輿が上下運動を停止させた。
それに合わせるかのように、死者の行進もピタリと止まる。
距離は100メートルあるかないか。少し伸ばせば槍の先端が当たりそうな、そんな感覚を覚える微妙な距離だ。
ビュンッ!
そんな中、上から1本の矢が放たれた。そして屍従王の頭にと見事と突き刺さった!
「ば、馬鹿! 誰が射ていいと…」
射ったのは新参兵だ。青い顔をしていることからそれが故意にではなく、つい指が滑ってしまったのだろうとわかる。
しかし射てるタイミングで迷わず射てと言ったのは自分だ。強く責めることもできない。
いや、むしろ敵の頭を討ち取ったのだから、褒めて然るべきなのではないだろうか。
そんなことを思いつつ、バックドロッパーが屍従王の方に振り返ると、そこには身の毛もよだつ、悍しい光景があった。
屍従王は自ら頭に刺さった矢を掴んで前後に揺らすとそのまま引き抜き、「別にいいよ」とばかりに左右に手を振ったのだ。
危うく漏らしそうになる。しかも大きい方をだ…バックドロッパーは尻をキュッとすぼめた。
本当に屍体だ。誰もが「もしかしたら屍体のフリをしてるだけでは…」そんな思いがあっただけに、そんなあからさまな証拠を目の前に突き付けられて絶望する。
(燃やすしかない。燃やし尽くすしか…玉砕覚悟で…)
それがどんな結果をもたらすか、先を予想することが難しくて、バックドロッパーはひどく悩む。何がどうするのが正しいのかまったくわからない。
そんな中、屍従王が片手を挙げた。すると死者たちの前列だけが動き出す。
最前線の槍兵が構え直し、弓兵たちが大きく引き絞る音がする。
「バックドロッパー!!」
ゼロサムが怒鳴る。しかし、バックドロッパーの眼には、どうしてもそれは攻撃には見えなかった。
死者たちは、なおも近づく。
兵士たちの持つ槍の先端が恐怖でカタカタと震える。
それでも死者たちは何も恐れることなく躊躇うことなく進み続ける。
「こ、攻撃を…ぬ?」
そして、ようやく気付く。死者たちがロープのような物を肩に回し、何かを引きずっていたことに。
ロープの端は長く、大群の間からズルズルと引きずられて、ようやくのことで姿を現す。
それは棺桶であった。最前列の死者たちは棺桶を引きずって歩いていたのだ。
それはまるでブラックジョークのように思われたが、誰も笑うことができない。滑稽というよりも不気味さしかなかった。
そして死者は止まる。槍の穂先を額の直前にまで自ら近付けて、まるで突き刺せと言わんばかりの距離にまで近づいてだ。
「……助ケテクレ」
死者の口から、とても信じられないような言葉が出た。
「ま、まさか喋れるのか…?」
バックドロッパーの呟きに応えるではないだろうが、次から次へと死者たちがパカパカと口を開く。
「……我々ニ安ラカナ眠リヲ」
「……屍従王ニ、戦イヲ強イラレタ」
「……墓ニ…墓ニ戻リタイ」
「……苦シイ…苦シイ…解放シテクレ」
彼らは口々にそう言う。
そして、死者たちは王都の方を一斉に指差した。
「王国ノ墓地…」
「ソコ安息ノ地」
「愛国ギアナード中心、我ラハ向カウ」
「己ガ愛スル者ト共ニ」
情報が断片的すぎてわかり辛い。しかし、屍従王に無理やり従わされているのだということだけは伝わってきた。
「そうか…。この者たちも我がギアナードの民だったのか…」
誰もが混乱している中、ゼロサムだけが何かを理解したように頷く。
「は? 王よ…。何が…」
「死者たちよ! お前たちが、我が王都を目指していた理由がわかったぞ!」
ゼロサムは落涙して拳を握りしめる。
何がこの王の琴線に触れたのか、バックドロッパーにもさっぱりわからない。もちろん周りにいる兵士にもだ。
「聞け! 俺こそがギアナード国王ゼロサム・ウィンガルムである!」
死者たちが一斉に、それも一糸乱れずにゼロサムにと向き直る。
つまり“ギアナード国王の声に耳を傾けた”のだ。
それは本当に気持ちの悪い光景だった。
「…王」
「…コノ地ヲ統ベル王」
「…我ラノ真ノ王」
(なんだ…コイツらは…)
強い嫌悪感がバックドロッパーを襲う。
何か違う。何かが決定的に間違っていると頭の中で警鐘が鳴り響くが、その正体がまったくわからない。
「そうだ! 死者とはいえ、お前たちもまた我が民だ! お前たちの安息の眠りは俺が保証しよう! あの屍従王を倒し、お前たちを解放することを約束する!!」
ゼロサムはそんなことを言い出す。
一見、良い事を言っているように聞こえる。だが、そこに何か強く引っ掛かるものがあった。
「そうだ…。コイツらは屍従王の指示で前に出てきた。それなのに…なんで第一声が、“助けてくれ”…なんだ?」
バックドロッパーが何かを叫ぼうと口を開こうとした瞬間、死者たちが一気に動き出す!
さっきまでの緩慢な動作ではない。それは統制された戦いの動きだった!
「わざと…! わざとゆっくり動かしてたのか! クソォ! やるしかない! 全軍攻撃開始!!」
「行くぞ! 我らが民を、死者を冒涜する者を討ち滅ぼすのだ!!!」
こうして、屍従王と王国軍による戦闘が開始されたのであった──




