004 甦るゴライ(1)
カダベル・ソリテールは、かなり裕福な貴族であったがとても変わり者でもあった。
それは老いてから頑迷になったというわけではなく、元からそんな感じなのだ。型枠にはめられることを嫌うタイプだ。
この街の中心部に居を構えたが、家族や使用人すら側に置かず、嗜好品どころか家財道具すらほとんど持っていなかった。
あるのは簡素なベッド、机、本棚と沢山の魔法書だけだ。財産は銀行か本邸の信用できる管理者に預けていて、身の回りに一切の金品を置かなかった。
いわゆるミニマリストってやつだろう。
食事は中庭に家庭菜園があって、キノコやイチゴのような物を食べていた。
この世界には甘味が少ない。買いに行くのも大変だったことから、この甘いイチゴが食べられることだけは、俺にとって大変ありがたいことだった。
なんというか、偏食なのか、ただ無頓着と言うべきなのか。金を払って食べ物を買うという考えすら欠落するほどに、ひたすら魔法研究に没頭していたようだ。
彼がS・A・W・T・Sをどうやって知ったかは不明だ。
そして、地球の日本に異動を希望した理由も正確にはわからない。
確かにそういった情報は公開しないってのが異動条件の規約にあったが、今思えばそれは俺を騙すための方便だったのではないかと思う。
しかし、俺が思うに、きっとカダベルは人生に絶望していたんじゃないだろうか。
人生の殆どを賭けた魔法研究で成果を出すことができず、晩年になって酷く後悔し、失った人生を取り戻そうとして…
ああ、そうだ。俺が提供できるものなんて“若さ”ぐらいしかない。きっとカダベルは若さを欲したのではないだろうか。それならば納得できる。
そして、いま彼は森脇道貞になって今どう思っているのだろうか?
社会底辺の落伍者になって後悔してるだろうか? それとも新しい機会を活かし、人生を切り拓いて俺ができなかったようなチャレンジを行っているのだろうか?
そして、“現”カダベル・ソリテールは、異動直後から大きな失敗を犯そう…いや、もうすでに犯してしまっていた。
この屋敷の中で一番広い客間。大きく重厚なテーブルの上に、ゴライを寝かせる。
部屋が血だらけになるのが嫌だったので、風呂場で【流水】を使いザッと洗い流し、【乾燥】済みだ。臭いもかなりひどかったので【除臭】も使った。
こんな魔法ばかり使っていると、なんだか家電になった気分になる。
かなりの魔力を使ったので、精神的な疲労はある。
この世界の魔力とは集中力や精神力に近い。それが途切れたら魔力切れで魔法が使えなくなる。数値化できないので、感覚でしか残量がわからないのが不便だ。
しかし、カダベルは魔法研究のために頻繁に魔法を使っていたので、一般人よりも魔力の総量が多い。
魔力総量については諸説あって、生まれた時から変わらない定量説。魔法習得によって少しづつは増えていくという増加説。そして、魔法に使い慣れることで消費量が効率化するという効率化説。大きくは、この3つに分かれる。
そして、カダベルはこれら3つのうちどれかではなく、すべてが正しいと考えていたようだ。
定量説と増加説と矛盾すると思われるだろうが、魔法を余り使わない人は魔力総量が変わることはないので、そういう状況下にあっては定量説も正しいというのがカダベルの見立てだった。
そしてランク1は、さほど魔力を消費することがない。カダベルであれば、ほぼ制限を気にせずに魔法が使えるのは強みだ。
惜しむべきは、やはりカダベルがランク1の魔法しか習得できなかったことだろう。
それでも100個の魔法が使えるというのは凄いことのようで、普通の生活を送っている人で5個程度使えればいいという感じだ。俗に言う魔法士という専門職でもせいぜい20から30個程度使えるくらいだろう。
それを踏まえても、カダベルはやはり努力家だったんだと改めて思う。というのは、魔法は魔法書を読めば使えるというわけではないからだ。
魔法を使えるようになるには、“理解”と“想像力”が必要となる。
魔法書は言わば手引書であり、それを読み込んで習得できるかは本人のセンスによる。
それでもランク1のものは簡単なものが多いので、子供であっても容易に習得できるものばかりだ。
そして魔法の習得の難易度別にランク付けが為されているわけであるが、魔法に造詣が深いはずのカダベルが上位の魔法を習得できなかった理由までは不明だ。
彼自身が特段、魔法士として大成することを望まなかったというのもあるが、それは高ランクの魔法を習得できなかったことが原因であって、なぜ出来ないのかについてだいぶ研究していたようだが結論は導き出せていなかった。
彼のメモ(不思議と自分が書いたものという認識があって、記憶にあるのだが)には“おそらく”、“たぶん”という考察めいた記述が幾つも残されている。
やはりランク1しか使えないことがとても悔しかったのだろう。より高いランクの魔法が使えれば研究する幅も拡がったであろうから…そのことが、きっと彼の人生に暗い影を落としたであろうことは想像するに難くない。
「…なんだかフランケンシュタイン博士になった気分だ」
死体…いや、屍体か。
どっちでもいいんだが、屍体の方がより重々しい感じがする。
本当に屍体が自分の家にあるというのも気が滅入るが、これからやる事を考えるとさらに陰鬱な気分になる。
目の前にいるのが綺麗な女性ならまだ救いもあったかもだが、相手は熊みたいな大男だ。しかも脳味噌と内臓が半分飛び出しているというオマケ付きだ。
血はだいぶ失われ、全身が青紫になってきて、その不気味さに拍車をかけていた。
「まずは腐敗を避けなければならないが…。腐りやすい臓物を取り出してミイラにするのが一番なんだろうがな」
包帯でグルグル巻きにされたゴライが憲兵に挨拶をしている姿を思い浮かべて首を横に振る。
俺ぐらい痩せていればわからないかもだが、太り気味のゴライではすぐにバレてしまう。
何か代わりに詰め物でもすればいいかもだが、適当なものが思いつかない。
綿を詰めるわけにもいかないだろう。ヌイグルミでもあるまいし、歩かせるときに余計に不自然になりそうだ。
…まあ、そんなことを言っちゃ、屍体を歩かせる時点で不自然なわけだがね。
「…ならゾンビか。ただの魔法研究者がネクロマンサーになるのかよ。そんな魔法も使えないってのに」
医師免許という制度もまだない時代、初めて手術をした中世の医者の心境というのはこんな感じだったんじゃないだろうか…やぶれかぶれの気分になる。
俺は今使える100個の魔法を慎重に頭の中でピックアップしていく。
そうだ。問題はひとつひとつ解決していく。順序立ててひとつひとつだ。そうしていけば、やがて大きな問題も片付く。
「…まず腐敗防止だな。これは簡単だ。【防腐】」
本来なら食用肉や魚に使う保存魔法だ。微生物による分解、虫食いなどまで止めることができる。
しかしながら、新陳代謝がなくなった人体だとどこまで保持できるのか不明だ。風化や劣化そのものは避けられないだろう。あくまで腐らないようにするだけで、一時しのぎにしかならない。
「次に……いや、腹の穴だな」
頭の方を見やり、「うあー」と声を漏らしそうになり、一番面倒そうなものは後回しにすることにした。
上着をまくると、細長い二等辺三角形の傷が幾つもある。浅いものもあれば深いものまで…
これだけを見ると、シデランがいかに残酷な男だと思うかもしれないが、こうやって何度でも刺してしまうのは恐怖に駆られてのことだ。反撃されるのを怖がるあまりにやり過ぎてしまうらしい。犯罪心理学の本にそんなことが書いてあった気がする。たぶん。
ゴライは子供たちに危害を加えていた。それを父親が刺し違えるつもりで守った…そう考えればその気持ちもわからなくもないだろう。
「…俺は裁判官じゃないからな」
ついそんなことを口走ってしまう。
シデランの人殺しを正当化することに俺自身も罪悪感を覚えないわけじゃない。そしてその逃亡まで手助けしているわけだ。
前の世界なら司法に委ねることが正解だろう。そして情状酌量を訴えることがもっとも正しい。その結果、父親が裁きを受けて収監されても、日本ならば子供は施設か何かで保護されることになる。後ろ指をさされることはあっても、餓死するようなことにはならないだろう。
しかし、この世界では子供の価値は高くない。それこそ地球の暗黒の中世よりひどい扱いかもしれない。
彼らが路頭に迷い、生きるために盗みを繰り返した挙げ句、どこの誰かに殺されたとしてもおかしくはない。そんな厳しい世界なんだ。
俺は腹の傷の一つを指差す。
「【接合】……駄目か。発動しない」
【接合】は異なる物体同士をくっつける、溶接や接着剤を使った時の効果をもたらせる魔法だ。
半ば予想していたことだが、傷口を癒着させて塞ぐような使い方はできないようだ。神官の高ランク魔法には【回復治癒】があるので、どちらかというと【接合】は無機物に働きかける建築用の魔法だ。
「屍体は“物”として扱われると思ったんだが…いや、魔法によって異なるのか?」
俺の知識ではそれについての解答は見い出せなかった。
カダベルは魔法について詳しかったが、それは表面上のことだ。それを上手く応用しようという考えがなかった。そのせいか、俺の中の知識は肝心なところで足りてないことが多い。
これはカダベルが無能だったとか、研究が足りなかったとかが原因ではなく、“魔法があるのが当たり前の世界”では、そういった発想自体がしにくいようだ。
さっきの【糸操】のように、“人形を操れる魔法”という固定観念があるせいで、“それでは死体を人形に見立てて使ってみよう”などとは思わないのだ。
そしてそれは魔法に精通すれば精通するほどに顕著になる。
高ランクの魔法士ほど“魔法とは、これこれこういうものだ!”という凝り固まった考えに縛られるようになっていく…と、カダベル自身が皮肉っていた。
まあ、そこは自分が使えないっていう僻みも多分にあっただろうけどね。
魔法書から学ぶには想像力が大事だと言ったが、それは“自由な発想力”といった類のものではない。魔法書に書かれた字面通りの結果を生じさせるための決まりきったイメージなのだ。
だからこそ、多くの魔法を習得した者であればあるほど、自分の考えで応用して魔法を使ってみようなどとは思わなくなる。
習得の段階で自分の独創力を発揮してしまうと、意図していた魔法とはならずに失敗してしまう。この仕組みが魔法の可能性の幅を狭めているように俺には思えてならなかった。
「…そうか。異なる物質、か」
俺はクローゼットの中から、古びた革のローブを取り出す。
ハサミを探そうとして周囲を見回し、“カダベル”には不要なのだと思い出した。
どうにも道貞の習慣と、カダベルの記憶がごっちゃになって混乱する時がままにある。
「…【切断】」
大きさをイメージすると、その通りにローブが幾つかの四角辺に切り分けられた。
俺はその中の一片を取ると、ゴライの腹の傷に当てがう。
「これでどうだ? 【接合】…よし!」
布切れが一瞬だけ熱くなったかと思うと、ゴライの腹の部分にベタッとくっつく。
試しに爪で引っかいてみても、繋ぎ目の凹凸はまったくわからなかった。
「…なんか色味が違うけど。まあいいか。新手のパッチワーク…いや、タトゥーだとでも思ってもらえれば!」
俺の手が器用なら、または魔法をもっと自在に操れるなら、オシャレな模様にでもすればいいのだろうが…そこまでは望むべくもない。
次から次へと【接合】させて穴を塞いでいく。なんだかツギハギだらけでみっともないが、これで用は果たしたのだからいいだろう。捲くったシャツを戻せばわからなくなるだろうし。
気持ち悪い話になるが、腐敗は防げたとしても、腹の穴から虫が入って卵を産み付けられる可能性はある。【防腐】は飽くまで虫食いを防ぐだけで、“移動する巣”にされることまでは防げない。
虫を落としながら歩くゴライ…そんなのは見たくない。
「それでどうかな。声は…【空圧】」
「マ゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ッ゛!!!」
「うるせッ!」
横になっているせいで若干くぐもったのと、狭い部屋の中、しかも下のテーブルにも響いているので、思った以上に不快な叫び声だ。
ちょうど、水月の近くにあった穴だけは空気を入れる用としてそのままにして置いたのだ。
「…たまらんな。これじゃ獣の雄叫びだ。もっと高い声にできないか? 首の位置と、空気の量を調節して…」
「マ゛ア゛ァ゛ァ゛…ン、ボ、ボ、ボ…ボマァ…ボラァァーァーラァーラァラァーラァーァ!!」
「…なんか裏声になって余計に気持ち悪いな」
憲兵が見に来たときにどう言い訳しようか。歌でも歌わせてるとでも言えばいいか? うーん。なんとか喋らせられないかなぁ。
「さて、これで取り敢えずは…よくないな」
ベッコベコになった頭を見やってため息をつく。
「…頭割れてて、中身が飛び出て…こりゃどうすりゃいいんだ?」
少しでも整形か形成外科の知識があれば何か思いついたであろうが、もはやどうしていいか皆目検討もつかない。
「とりあえず、陥没したところを修復? でも脳味噌ん中に落ちた骨片とかどうすりゃいいんだ? …うーん。なんか用材で盛ってから塞げばいいのか?」
【牽引】で頭蓋骨の下に落ち込んだ骨片を取ろうと試みる。
ブッチ! ブチャチャチャ…
「げ! げげげッ!」
駄目だ。どうやっても“他の物”ごと引きずり出してしまいそうだ…なんか暗くてよく見えんし、骨だけ限定して引っ張れない。その周辺までついでに引っ張ってしまう。
【照光】を使えば、よく見えるだろうから作業が捗りそうだが…ぶっちゃけしたくない。誰が好き好んで脳味噌の中を明るく照らして見たいと思うのか。
「…よし。見なかったことにしよう。もう塞いでしまえ」
中庭にあった消石灰を持ってきてトレーに開け、そこに【流水】と、砂を少しずつヘラで混ぜながら入れ込んでいく。
「多分これでセメントみたいなるはず…上手く行かなかったら【接合】してしまえばいいかな」
骨の代わりになるかは不明だし、生きていたら絶対に健康に悪いだろうが…塞ぐ方法はこれしか思い当たらなかった。
あまり見たくはないが、ベコベコになった頭蓋骨を見やる。そして即席で作ったセメントを塗り込んでいく。
「支えとなるものがないと駄目か…【牽引】で引っ張りつつ流し込んでみるか」
穴が空いたところはセメントが落ち込んでしまう。この際、中に流し込んで全部埋めてしまえとも思ったが、頭が重くなるのはあまりよくないだろう。
諦めて【牽引】で中の骨を引っ張る。他の物ごと引っ張られる気味の悪い嫌な音がしているが、もうここまでやったら止めるわけにもいかない。
「ん? 何か…固いものがある? 大きな骨か?」
重い手応えのような物を感じて、さらに【牽引】する。
もし大きな破片があればそれを支点にして周囲を覆っていけば塞げる。それができないなら何か代わりの固くて平べったい物を用意しなければならない。
慎重に引っ張っていくと、ようやくのことでそれが姿を現した。
「??? なんだこれは…」
それは半透明の八角形をした親指くらいの水晶のようなものだった。
もしかして装飾品のようなものが頭の中に入り込んだのかと思ったが、そんなものが入る余地はないし、ましてや傷口があるより奥側で、眉間の近くにあった物だ。そんな奥にまで外側から入り込むとは考え難い。
なら、ゴライが生きている間に入れたのかと考えたが、そんなことをするとはとても思えない。
脳外科手術がこの世界に絶対に無いとまでは言えないが、少なくともこんな物を気軽に入れる技術などそうはないだろう。
「…なにかの臓器? いや、人体にこんな物があるなんて聞いたこともないぞ」
水晶を手に取ってよく見るが、見れば見るほどそれが人工に作られたものとは思えない。
若干、天然に出来た歪さのような物がある。まさに自然の造形だ。もし装飾品として作るならばもっと精巧にすることもできたろう。そんな恣意的なものが見えないのだ。
「…この世界の生物特有の何か、か」
考えてみれば、見た目は同じでも、元の世界の人間とは違う可能性の方が高いのは当然だ。
そもそも魔法なんか使える人間はいなかったしな。何かこの世界独自の器官のような物があってもおかしくはない。
「もしかして魔法を操る器官だったりして…か。ふむふむ。興味深いな」
もしかしたら、今の俺の身体にも同じ物があるのかも知れない。
「ま、これは後回しだ」
俺はいったん水晶を小箱に入れ、再びゴライの頭部の修繕を行う。
陥没してるところは【牽引】しつつセメントを塗りたくり、形にならないところは無理やり【接合】させていく。どうしてもパーツが足りないところはそこら辺の端材を【切断】して加工して付け足す。
途中から人体を扱っているというよりは、完全にプラモデルでも作っているような感じになっていた。
なんとか…うーん?
なんか、ちょっと少しデコボコはしてるが、頭の形が最初の頃よりはマシになる。
「……大丈夫。大丈夫だ」
剥き出しになった骨は革で覆って整えていく。
「…うーむ? なんか髪の毛が。足りんなぁ」
中途半端に頭皮が引っ張られているので、髪の毛がやけに寄ってしまっている。上手く全体に行き渡っていない。
元は逆さにしたホウキみたいな髪型なのだが、今では使い古した学校のホウキ(巨大なハケみたいなヤツ)の様になっている。隙間が空きすぎててホコリを取れずにイライラさせられる用が足りんヤツだ。
「うーん。…ホウキか。ホウキね。ホウキ、ホウキ」
別の部屋から、毛ばたきを持ってくる。
なんでこんな物があるのかと言うと、カダベルもこんな物を購入した覚えも使った覚えもなく、おそらく魔法書を買う際にサービスか何かで貰ったものを屋敷の中で放置していたのだろう。ただ家にそんな物があった…そういう曖昧な記憶だった。
毛ばたきをゴライの頭にあてがい、もっとも映える位置を決める。
「…………【接合】」
うーん。なんだか雄鶏の頭みたいになったが、なんかデコボコや、革のツギハギも上手く隠れたし、これはこれでオシャレだ。
柄も上手く鼻のカーブに反っていて一体化している。これはきっとカッコいいはずだ。
…たぶん。
「…どうだ。ゴライ。満足してくれたかね?」
「ボマラァーァ!」
「そうか。それは良かったよ。俺は少し疲れた。ちょっと休ませてもらうよ」
「ボマラァーァ!」
「……」
なんだか頭が痛い。
もう眠ろう。
今は、もう何も考えずに眠るとしよう……