037 開戦前、思考の読み合い
魔女ジュエル・ルディと出会ってから、ちょうど1ヶ月半後…
俺は王都インペリアーの付近に布陣する。
『あー、はいはい。それでオーケーよー。さて、【遠隔視】も【通信話】もせいぜい10分だからね。ちゃっちゃとやろうねー』
指示通りに、平野に等間隔で屍体を並ばせる。
物理的な糸で動かしているわけじゃないんで末端までスムーズに動く。
1,000体以上を声ひとつで操れるのは、なんかとっても偉くなった気がする。
一応、小隊みたいな単位をイメージしてみたがどうせ形だけだ。動かしたら皆ひとまとめになってしまうだろう。
【糸操】はそこまで細かく動かせないし、最終的には大雑把な前進しかできない。
しかし、壮観だが悪夢でもある。
半分以上が、白骨。
残りのおよそ4分の1が、腐乱したゾンビ。
残り4分の1が、毛や皮膚が残ったミイラ。
武器は木を削り出した槍に、石を括り付けた斧、防具は板切れを張り合わせた程度のものだ。
装備させた後に思ったけど、むしろ無い方が良かったかも。余計にみすぼらしく見えるし、どうせ持たせても役には立たないしな。
前列だけでも見栄えを意識して、鉄の装備とかでも良かったかもだが…俺のもったいない精神が拒否反応を示している。
ともかく、これで準備は整った。時間さえあれば、色々と方法は思い付くものだ。
ロリーたちの情報は結局、この日まで手に入れることはできなかった。
ミューンたちは貴族の情報網を使ってくれたし、ミミたちも四方八方当たってくれたようだが、やはり容易には入り込めない場所にでも隠れているのだろう。
ただこの国からは出ていないことだけは確実のようだ。それが知れただけでも良い。
もし他の国に行かれてしまっていたとしたら、本当に追いようがなくなってしまう。
『…まあ、予測している通りなんだろうけれどさ』
「ロリーシェさんやロイホたちは本当に王城にいるのですか? 私には、どうしても魔女と聖騎士が繋がっているようには思えないのですが…」
『うん。アイツら利害が一致しているからね。こんだけ国中を捜しても見つからないなら、もうあそこしかないでしょ』
俺は王都を指差すように命じる。
『クルシァンにとって、ロリーは腫れ物に触るようなものらしい。彼女を連れて聖騎士たちが帰還できないのだとしたら、取れる手段はそう多くはないよ』
「……カダベル殿はいったいどこまで先を読んでおられるのですか?」
『いや、大したことじゃない』
「いつも、そう仰られますが…私には大したことのように…」
『とにかく、魔女が決戦の舞台を王城に指定してきた。最も堅牢で難攻不落の場所だから妥当でしょ』
俺を確実に潰したいからなのか、それとも何も考えてないだけか…。
王都の損害を顧みないなら、何も考えてないんだろうな。あの魔女。
仮に俺に勝ったとして、あのプロトのことをどう説明するんだろう? 野生の魔物を飼いならしたの…なんて言って、国民が納得するのかね。
死者が襲ってきた上に、魔物なんて存在がいるなんて知ったら大混乱になるだけだと思うが。その事態を収拾する術があるのかねぇ。
『…敵は多いよな。専業兵士だけで5,000人近いしな。まあ、全部を動員するとしたら、1万はまず越えると見た方がいいよな。
その上にプロトが10数体くらい、王国の将軍、聖騎士が最低3人以上…王様も結構強いんだっけ? で、最後に魔女か。いやー、厳しいねぇ』
「カダベル殿…」
『そんな不安そうな顔をするな。ルフェルニ。まぁ、大丈夫だ。手は打ったからな』
どう考えても、真正面から戦って破れる相手じゃない。
この作戦で上手くいってくれればいいが…
『【望遠】…あー、こっちは“遠隔だと使えない”んだったか。
それにしても【遠隔視】ってのは気持ち悪いな。視える画面が2つ重なってて酔うわ』
「口頭でご説明いたしましょうか?」
「いやいいよ。こっちからでも一応は見えるからさ。
見張りはそりゃいるよな。こっちには当然気付いている。だが、ちょっかい仕掛けて来ないのは真面目だからか? それとも罠を警戒してくれているのかな?』
開戦を待たずとも、王都の外で陣を張ってる最中に奇襲かければいいじゃんと思うんだがね。
嚆矢を飛ばさなきゃいかん決まりがあるわけでもないし、ましてやこっちは死者だぞ。
『名乗り挙げた方がいいのかな?』
「え?」
『「各々方ぁ!! 当方は死者を率いる軍勢の将、カダベル・ソリテールと申す者ぉ! やあやあ、いざ尋常に勝負勝負〜」ってな感じで?』
俺は古武者をイメージして言うが、ルフェルニは首を横に振る。
「そんな必要はないかと…。門に辿り着けば自然と戦端が開かれます」
『それもなんか寂しいな。単なる襲来じゃん』
まあ、死者の軍勢で乗り込むって時点で襲来以外のなんだって話ではあるけれども。
「しかし、カダベル殿。私も軍を指揮した方がよ。いのでは? 援軍としての形でも…」
王国軍に援軍に来た風を装って、さり気なく俺をアシストするか…ルフェルニなら案外上手くやりそうな気もする。
『いいんだって。作戦内容は話したでしょ』
「ですが…」
『前もって準備してたら後で怪しまれるんだ。“救難信号”が来たら、それから準備して、ゆっくり出てくればいいのさ』
散々説明したんだが、感情的に納得できないみたいでルフェルニは難しい顔をしている。
死体の中の“彼女”も何か言いたそうだ。ま、【糸操】を使うのに神経使ってるからそんな余裕もないだろうけど。
『はてさて…。現状はどうなってるかね』
俺は城を調べ始める。
『あれ? うーん、おかしいな』
“内側”から外壁を全部見やったが、肝心の物が見つからない。
「なにか?」
『いやね。プロトちゃんが配備されてないんだよねぇ〜。
城内か王都の中? いや、あんな馬よりデカイのさすがに通りに置いたりは…悪い手じゃないか。
でも、変な所に置いたら、兵士や民衆が大騒ぎするだろうしなぁ』
いくら魔女でもそんなことはしないと思うんだが。
混戦状態で紛れ込ませる気なのか? 転移できるから、その可能性はあるな。
『宿木石が欲しいんだけどな。まだちょっと魔女を倒すにゃ心許ない気も……あ』
「カダベル殿?」
俺は王都側の布陣を見ていて違和感を覚える。
いや、最初から感じてはいたんだ。その正体に今になって気付く。
「そういや、なんで騎兵がいないんだ?」
「? 籠城戦になると見て、外に配備しなかっただけでは?」
「籠城戦? …いや、こっちの方が数少ないし、歩兵しかいないんだ。そもそも籠城の構えをする必要はないし、撤退した場合に追撃するのは……んん?」
「カダベル殿?」
『…あー、そっか。撤退戦する気はねぇと見破っているのね』
「それはどういう…」
『こっちの考え読んでるヤツがいる』
「カダベル殿の考えを?」
『これ、やっぱり魔女が指揮してんじゃねぇんだ。へー、少しは頭使い始めたな』
「ど、どういうことですか?」
『……ん? いや、作戦ちょこっと変えるわ。ルフェルニ、例のは準備してくれてある?』
「え、ええ…」
──
敵は総勢3,000体余り。いくら死の軍隊とはいえ、この王都を陥落させるには足りなさすぎる。
「…プロトを警戒して間隔を空けているんでしょうが、あれでは陣形の意味をなしませんね」
双眼鏡を片手に、アンワートは首を横に振る。
「だから! なんでアタシのプロト使わないのよ! この時の為に50体も用意したんだからね! もったいないじゃない!」
「…残念ですが、プロトたちは防衛だと道を塞ぐ程度の使い道しかありません。ドリアンに至っても、味方に損害を与える危険性がありますから」
「だからなんで防衛しなきゃなんないのよ! こっちから突っ込んで倒せばいーでしょうが!」
「…敵は策士です。攻められた時の罠は用意してあるでしょう。それでゴゴル村でも完敗したんじゃありませんでしたか?」
「グムゥッ!」
「それにあの人数で包囲網戦はできません。おびき寄せ、引き込んで倒す…下手に軍を動かすよりも確実な戦法です」
「めんどくさ! アタシのドリアン10体であの屍体どもを蹴散らしてやるんだから!」
「…それにプロトの存在は王国では秘密にしておきたかったのでは?」
「ウッ! ヌググッ!」
さっきから犬のように吠えるものだと、アンワートは呆れ顔をしてしまったのを手で覆って隠す。
「もし、どうしても使うのであれば、敵が雪崩れ込んできて混戦となったところに投入するのが良いでしょう」
「なんでそんなこと!?」
「死者たちがプロトを引き連れて来て、仲間割れしたんだろう…と、そんな説明ができます」
「そ、そんなことアタシだって考えてたわよ!」
そんなわけないだろうとアンワートは思う。
「王様にも貴族たちにも、前もってプロトの存在は教えてたんだから!」
「…魔女とプロトに関係があると知れてしまっていたら逆効果でしょうに」
そもそも説明は貴族に対してではなく、民衆に対してなのだが、そんなこともジュエルは理解していないのだ。
「なら、味方だと思わせればいいじゃないの!」
「プロトを公にできなかったのは、仲間だとは思わせられなかったからではないのですか?」
「そ、そうだけどさ!」
貴族に完全な理解は得られなかった…そうでなくとも、魔物の存在を喜んで認める人間などまずいないだろう。
だからこそ、寒村相手にほそぼそと実験を繰り返していたのだろうとアンワートは見越していた。
いくら魔女とはいえ、“国の意向”そのものに真っ向から反した行いまではできないのだ。
「プロトは確かに強力な兵器です。しかし、それが民衆に受け容れられられるかどうかは別の話です。下手をしたら、屍従王よりも忌避されかねない存在になるでしょう」
どこまでも諭すような話し方に、ジュエルは口の中でモゴモゴと「殺す」を連呼する。
口を開いて言わないのは、ジュエルにとって彼の存在が有益であると頭の片隅で認めてしまっていたからだ。
「…それにプロトを使うまでもないんですよ。あの程度の軍勢ならば、外門の兵力でも充分に対処できます。
しかし、あれで全部だとは…」
【魔力検知】は使ったが、あれ以外の伏兵などは見つけられなかった。
ということは、総力を結集しているということだ。
どんな魔法で死者を操っているかまではわからなかったが、アンワートの眼から見ても複雑な動きはできそうにはない。
死者をどこかに隠す、そんな伏兵のような細やかな使い方はまず不可能と見ていいだろう。
「特攻玉砕というわけですか…まあ、そんなわけないですよね。
しかし、生きている者がまるでいない。何人かの貴族と連絡を取っていたようですが…兵を借り受けるまではできなかったということですかね」
脅して屍体を提供させた…そうアンワートは推察する。
生きた兵をくれと言われるのは抵抗あっても、ただ単に屍体をくれと言われたら、この国の領主ならば妥協するやもしれない。
死者を手厚く葬る習慣のあるクルシァンではまったく考えられないことではあるが。
「……でも、キミたちが連れて来た人たち。捕虜かなんか知らないけどさ、本当に必要なの?」
「ええ。あれは餌であると同時に、いざという時に使える人質です。カダベル・ソリテールに対する良い切り札になる可能生が高い」
「でもさ、アイツは人質のこと知らないじゃん!」
アンワートは薄く笑い、ジュエルが頬を膨らませる。
「それはないですよ。各聖教会宛にこんな書面が届きましたから」
懐から便箋を取り出すと、それをジュエルに手渡して「開いて」と示す。
「…『聖騎士の中に誘拐犯がいる。皆でロリーシェ・クシエ准修道士を捜そう。“朱羽老人”より』…なにこれ?」
「かつて、クルシァンでは国家規模の一大プロジェクトが行われましてね。それは国民全員が財産の一部を聖教会に寄付するというチャリティだったのです」
「はあ?」
「財政を立て直し、信仰を強め、かつ信民たちの結束を強める……そのような良い事だらけの素晴らしい活動でした」
「ああ?」
「皆がね、朱で染めた羽を胸元に挿すことがトレードマークだったのですよ」
「さっきからベラベラとなによ! そんなチャリティがなんだっつーのよ!」
「…この“朱羽老人”というのが、カダベル・ソリテール当人なのです」
「…は?」
ジュエルは、手紙とアンワートの顔を交互に見やる。
「“朱羽老人”という名は、この活動に対するカダベルからの強い皮肉が込められているんですよ」
アンワートはジュエルの持つ書面、最後の自著のサインが朱いインクであるのを見て険しい顔をする。
「…カダベルは寄付金を聖教会宛にではなく、聖教会が運営する孤児院に直接送金しました。しかも各院個別にです。それも普通には考えられないような大金をね」
「だ・か・ら! それがどうしたのよ! そんな良いことする奴だからなんだってのよ!」
「良いことをする奴? とんでもない! 彼は慈善活動家なんてする男じゃない!」
アンワートは鼻で笑い飛ばす。
ジュエルは不服だったが、少しアンワートの話を考え始める。
ちょっと頭に来たら殺す…それじゃ、マクセラルの時と同じだ。彼女も少しは成長していたのだ。
「…狡猾なやり口です。単なる一貴族が恵まれない子供のため、直接的に支援なんてしたらどうなると思います?」
「うーん? んー、そりゃ感謝する?」
「ええ。もし聖教会を通してだったら、孤児院へ分配される援助額なんて微々たるものだったでしょう」
「よくわかんないけど、聖教会は金集めが目的だったんでしょ?」
「そこですよ。孤児院からして見れば、個人からの多額の援助。聖教会からの微々たる援助。どちらにより感謝を抱くでしょう?」
「そりゃ、朱羽老人…だわね」
正解だとアンワートが頷いたことで、ジュエルは「当たってた」と得意そうに鼻の穴を拡げる。
「ええ。結果、朱羽老人に強い敬意を抱く聖職者まで表れる始末。彼のしたことこそが、本当の慈善活動だと称賛する声まで上がりました」
ジュエルは難しい顔をして頷いていたが、アンワートは理解してないだろうなと思いつつも続けた。
「それからというもの『聖教会は多額の寄付は募るくせに正義は行わない集まりだ』などと、度々に揶揄されましたよ…」
アンワートはジュエルの持つ書面を憎々しげに見やる。
「この一件で、聖教会の権威は大きく揺るがされたのです。
そして何を隠そう、これこそが朱羽老人を名乗るカダベル・ソリテールの狙いだったのですよ!」
死者の軍勢をアンワートは目を細めて睨む。
「彼のそんな行いを覚えている関係者はまだ多い。
そんな中、このような手紙が何通も届いたらどうなるかはわかるでしょう?」
「えー。コレを信じる?」
ジュエルは手紙をヒラヒラと振る。
「少なからずとも疑念は抱かれるでしょう。それは信仰の国では看過できません。
そして、ロリーシェ・クシエが実在していて、本当に行方不明になっていることが何よりもまずい…」
「…このロリーシェっての殺しちまえばいいんじゃね?」
アンワートは眉を寄せて、ジュエルを見やった。
「何処で誰が見ているかも知れないのに? それに救出した准修道士を殺すのは、とても現実的じゃありません」
「うー? そうなの?」
「ええ。聖騎士たちがギアナードに入った当初の目的は、ロリーシェ・クシエの奪還だったのですから」
ジュエルは少し考えるように頭を前後させる。そして、パッと明るくした表情を上げた。
「そっか! アンタたちがアタシの国に勝手に入ってたの、このロリーシェを助けるためだったのよね!」
「……最初からそう言っています」
ジュエルにとって聖騎士なんてまるで興味もない存在だった。
アンワートに聞かされて、初めてギアナードに入っていたことを知らされた時も「へーそうだったんだ」という感じだったのである。
「ですから、彼女を殺すことも、このまま屍従王が暗躍している状態で連れ帰ることもできないでいたのですよ…」
「なーる! 連れ帰ったら、誘拐犯は団長だってなっちゃうからね!」
「…ご理解いただけた様でなにより」
誰のせいだと思いつつも、アンワートは感情を押し込んで作り笑いをする。
そもそも始めにジュエルが屍従王の情報をクルシァンに流したのだ。しかし、当の本人はその自覚がまったくなかった。
「…でもさ、それでどうしてカダベルがここにロリーシェがいると思うわけ?」
「行える手が限られているからです。解放するか、またはギアナード国内にいる誰かに助けを求めるか…」
「あ〜。それがアタシってこと?」
「……もしくは有力な貴族か聖神殿でしょう。しかしそうしたら、ディカッター卿が気づかないはずがない」
「キャハハ! ルフェルニんとこのコウモリはどこにでも入り込めるからね。アレ倒すのは、足が速くて気配を消せるプロトじゃないと大変なんだよねぇー」
ルフェルニの名前が出た途端、ジュエルは上機嫌になってそんな事を言う。
(しかし、この様子からしても…カダベル・ソリテールとクシエ姉弟の関係を、ジュエルはまったく知らないのか?
聖騎士を動かしたのは、情報を流した魔女側に何の意図もなく、単なる偶然…?)
もしただの世間話からこの騒ぎになったのだとしたら、はた迷惑な話だとアンワートは思う。
「……聖教会も隠し事が多い。決して一枚岩ではない組織です。こうやって魔女と話していたりね」
屍従王討伐は、そもそも魔女に対する牽制のつもりだった。
魔女が誤って創ってしまったと思われたアンデッドの駆除…そのつもりが、まさか聖教会側が窮地に立たされる事になるとは上層部も考えてはいなかった。
カダベル・ソリテール。聖教会がタブーとして触れなかった存在。もう死んでいてもおかしくない老齢だ。
もしアンデッドとなって他国で使役されているならば好都合…正義の名の元に滅ぼしてしまえとその程度に考えていた。
それがこんな手痛いしっぺ返しをくらうとは思いもしなかった。使役されてるはずのアンデッドが、こんな姑息な手を使ってくるだなんて、誰が予想し得ようか。
(団長はクルシァンに早く戻したい。しかし任務を与えた以上は、聖教会にも聖騎士にもメンツがある。といって、大義名分として利用したロリーシェ・クシエも簡単には処分できない…となれば、こちらがやれることはひとつだけ…)
「…すべからく屍従王を排除せねば。そのために、わたくしが来たのですから」
「あ! ちょっとどこへ行くのよ!?」
尖塔を足早に降りて行くアンワートに、ジュエルは慌てて付いて行く。
「あれは陽動です。真の狙いはここに潜入するつもりでしょう」
「潜入? どうやって?」
「古典的な手ですよ」
──
アンワートは1階にある搬入口にと辿り着く。
「今朝入って来た積荷はどこですか?」
いきなり話しかけられ、検閲係の兵士たちは戸惑いつつも食料倉庫の扉を指差した。
「ここだけですか? 他に物資は?」
「ありません。後は火薬が少し…」
「よろしい。これから王都より入ってくる物流は絶対にストップするように。何をどう言われても城への搬入は許可しません」
何の権限でと兵士は思ったが、当たり前のように上から目線で言われたので、つい勢いに呑まれ頷いてしまった。
アンワートは食料倉庫の中へと入る。中には所狭しと、木箱やタルが積み重なっていた。
「なにが、なんなのよ…もう。ここの食料がなんだってのよ。お腹空いたなら厨房行けばいーじゃん」
「籠城するならば食料搬入は必須です。そこを突くのは当然でしょう。…【生体探知】」
アンワートが魔法を使うと、大きな木箱ひとつが仄かに光る。
兵士たちに命じて、蓋を閉じている留め釘を抜いて開かさせると、中には木毛の緩衝材に覆われた、幾つものワイン瓶が出てきた。
「なるほど。酒なら戦いが終わるまで開けることはないですからね。なかなかしたたかではあります」
アンワートはその瓶を掴むと惜しげもなく床へ放り捨てる。
転がった瓶の何本かが割れて、中身が漏れ出し、強く甘い香りが辺りに漂う。
側でそれを見ていた兵士が「もったいねぇな」と指をくわえた。
瓶と緩衝材をすべて取り出し、アンワートは奥側を覗き込む。
そして中側と外側を交互に何度か見やると、木箱の側面を強く蹴った。
「…出て来なさい。巧妙ですが、底に人が隠れるスペースがあるのはバレてますよ」
パキンと何かが割れる音がした。
そして、側面の板の一部が勢いよく外れて、血走った眼の男が這い出して来る。
「クソォ!」
男は手にしたナイフで、一番近くに居たアンワートに襲いかかった!
「危ない!」
「【鎖輪束縛】」
アンワートが魔法を唱えると、男の両手両足が魔法の輪によって拘束され、その場に転がる。
「…なにコイツ?」
「ヴァンパイアですね」
「そりゃ、見ればわかるわよ」
大して驚いた様子もないジュエルが、倒れているヴァンパイアの肩に片足を乗せる。
「外のは囮です。時間さえ稼げば良かったんでしょう。そして彼がロリーシェ・クシエを奪い、即座に撤退する…そんなところじゃないですか」
「はぁ!? アタシとの勝負はどうなんのよ!?」
アンワートは残念な子を見るような眼を一瞬だけしてから、すぐにまた笑顔にと戻る。
「魔女と一騎打ちで勝てるとは思っていないでしょう」
ジュエルは「そりゃそうね!」と得意気な顔をした。
「…カダベル・ソリテールの狙いはロリーシェ・クシエを奪い返すこと。そして王都インペリアーを混沌に陥らせることです」
「は? なんでそんなことを?」
「死者が攻めて来るのです。その戦力を我々は大したものでないと知っていますが、民衆は違います。常識では計り知れない存在に、強い恐怖心を抱くことでしょう」
ジュエルは考え込むが、いくら考えてもわからなかったので、イライラしたようにヴァンパイアを強く踏みつける。ゴリッという嫌な音がして、男は苦悶の声を漏らした。
「あー! さっきから回りくどいのよ! ハッキリ言いなさいよ!」
「…魔女ではなく、屍従王の存在そのものを、この国の民は間違いなく脅威と見なすようになるでしょう」
「それがなんだってのよ?」
「あなたが影で支配していたこの国のシステムそのものが破綻する可能性が高い」
「え? は? な、なんでそんなことに…」
「簡単な話です。今まで平和だったからこそ、愚かな王が上に立ち、その裏側で魔女が支配しても誰も気にも留めなかった」
愚かな王…他国のリーダーを馬鹿にする言い方に、ジュエルは眉を寄せたが反論まではできなかった。
「…しかし、目に見えた恐怖というものは人間の心を強くかき乱す。“動く死”ほどわかりやすいメッセージもないでしょう」
「あ! 王都で戦わきゃいいじゃない! 止める! やっぱ止めるわ!!」
「今更ですよ。しかし、どちらにせよ、ここ以外の戦場に選択肢はありませんでした」
どこで戦おうとも、動く死者の話はどこまでも拡がって行くことだろう。
そしてこちらが勝利したとしても、命懸けで戦った兵士たちへの箝口令なんて効果があるわけがない。
ましてや初戦の相手が死者ともなれば、自分の心の中に秘めておける者などそうはいないだろう。愚痴にしても、自慢話だとしても、きっと「ここだけの話…」を誰かに話さざるを得ないものだ。
それが目に見ていない噂ならば、どこまで尾ひれはひれがつくものかわかったものではなかった。そういうものは隠そうとすれば隠そうとするだけ余計に収拾がつかなくなる。
「国中が混乱する…それを元通りに戻すのは容易ではない。ましてや平和が当たり前の国であれば尚更のこと。精妙なバランスで成り立っているからこそ脆い…」
しかし、アンワートにとって他国がそういう状況に陥るのは別に困ったことではない。ましてや敵である魔女が困り果て苦しむなら願ったり叶ったりだ。
ジュエルが戦場を王城・王都と決めた時に何も言わなかったのはこういうわけだ。
(しかし、今は余計な真似をさせるわけにはいかない。少しフォローしておくか)
珍しくオタオタとしているジュエルに優しく微笑みかける。
「大丈夫です。勝てば良いのです。そして国王ゼロサム様、そしてその後ろ盾となられる魔女ジュエル様…おふたりが健在の限りは、ギアナードは永久に続くと、国民を安心させてやれば良いのです」
「そ、そうだよね! 勝てばいいんだよね! なんだよ! それなら、最初からそう言えっての!」
本当に馬鹿の相手は疲れる…と、アンワートは心の中で嘆息する。
「…【真偽応答】。侵入者よ、わたくしの質問に答えなさい。嘘を言えばすぐにわかります。無駄ですからね」
アンワートはしゃがみ込み、睨みつけてくるヴァンパイアに向かって微笑む。
「あなたがカダベル・ソリテールの切り札なのですか?」
「……」
「答えなさい。拷問系の魔法は不得手なんですよ。わたくし、こう見えても神官なんでね」
アンワートは落ちていたナイフを取り、ヴァンパイアの頬を何の躊躇いもなく切りつける。
「ウッ! …あ?」
そして血が流れ出る前に瞬時に治療してみせた。
痛みが一瞬のものだったので、ヴァンパイアは驚いた顔をしている。
「治癒は得意なんです。半死半生で…そうですね。例えば、頭から胴体を切り離した状態でも…半年はあなたを生かして置ける自信がありますよ」
耳元でそう囁き、首筋に刃を当てる。
ただでさえ色白のヴァンパイアの顔が、より蒼白のものとなったのを見て、アンワートは満足そうに頷きナイフをしまう。
「もう一度だけ聞きます。あなたの目的はロリーシェ・クシエを連れ出すことで間違いありませんか?」
「…あ、ああ。そうだ」
ヴァンパイアの身体が青く光る。本当のことを言っているという証左だ。
「死者を使い、この城に忍び込ませようとしていますか?」
「…い、いや」
青く光る。やはりあの死者は細やかな任務には不向きなのだとアンワートは確信する。
「アタシも聞いていい?」
「…いいですよ。どうぞ」
「カダベル・ソリテールはランク3以上の魔法を使える?」
「……知らない」
「は!? なんで知らないのよ! 仲間なんでしょ!」
「…ランク3の魔法は、恐らく魔蓄石を使ったのでしょう」
「なによそれ!?」
強力な魔法が使える魔女からしたら、まるで役立たないものだ。知らないのも無理はないかとアンワートは思う。
「カダベル・ソリテールはランク1の魔法しか使えないはずです。【魔力探知】の結果もそうだったんでしょう?」
「そうだけどさぁ。…もしかしたらガチンコでやり合う気かってちょっと思ったんでぇ!」
(本当に馬鹿なことを言うものだ。魔女とサシで戦うなどと、わたくしでも御免だ…)
魔女を倒す手はある。だが、アンワートはリスクに見合わないと考えるのを即座に止めた。
「…頼む。助けてくれ」
ヴァンパイアが頭を下げるのを見て、アンワートは命乞いかと眼を細める。
「伯爵様たちは騙されているんだ。あのアンデッドに! あれは悪魔なんだ!」
「なんですって? そんな話を信じられると…」
アンワートは、ヴァンパイアの身体が青く光り続けるのを見て口を閉じる。
「…どういう意味です? あなたはカダベル・ソリテールか、ディカッター伯爵の指示で潜入したのでは?」
「違う! あのヒューマンの女! ロリーシェという修道士こそが、屍従王を倒す鍵になるんだ!! だから、俺は自らの意思で乗り込んだんだ!」
(演技では…ない? 救出のために敢えて情報を与えなかった? いや、そんな危険が大きいことをするか?)
アンワートは顎に手を当てて思案する。
(…カダベルとディカッターは協力関係にある。それは魔女ジュエルを倒すため、あえて毒杯を呑むことにしたと、わたくしはそう思っていた。
しかし、そうではない? 屍従王はヴァンパイアの…サルミュリュークを完全に掌握しているわけではないのか?
もし共闘を嫌々に強いられているのだとしたら…)
ヴァンパイアをもう一度見やる。
「…ロリーシェ・クシエが鍵になると言いましたね。それはどういうことですか?」
「お、俺は聞いたんだ! 屍従王から! 屍従王はあの女の力で甦ったって! また死ぬのは困るから、取り返さなきゃいけないんだとアイツは言ってたんだ!」
またもや青く光る。嘘は言っていない。
(話としての筋は通っている。弟の話では、カダベルは魔法の研究に彼女を必要としていたらしい。そして、“朱羽老人”もまたロリーシェを特別視していた。このことから、人質としての価値も高いと判断できたわけだが…)
アンワートはチラッとジュエルを見やった。
「屍従王が甦った方法は…」
「アレが甦った方法は知らないわ。アタシが勝ったら教えてもらえる約束になってから」
ダメだ。話にならないとアンワートは思った。
甦った方法は、さすがにアンワートにもわからない。
ただ、アンデッドという邪悪な存在については多少聞き覚えがあったので、何かしらの魔法的な要素で偶発的に生まれてしまった魔物だろうと考えていた。
少なくともカダベルは魔法研究を行っていた様だから、可能性としては高いだろう…その程度の認識でしかなかったのである。
(ロリーシェ・クシエが、カダベル・ソリテールがアンデッドとして復活するのに必要だった…だと?)
そうなると、少し話が変わってくる。
アンワートも魔法は使えるが、専門分野である治癒系以外についてはわからないことの方が明らかに多い。
「…そうじゃないと、永遠に殺せない。倒しても倒しても、復活するんだ。屍従王はッ!」
アンワートだけでなく、ジュエルも眼を見開く。
そんな存在がいるわけがない…だが、現にカダベルは死んでいて動いている。
「だから、あの女であればもう一度殺せる! 屍従王を甦らせた女なら、殺し方も知ってるハズだ!」
にわかには信じられなかったが、その鬼気迫る話しぶりには妙な説得力があった。
「……ロリーシェ・クシエに、詳しく話を聞く必要があるようですね」
アンワートが歩き出そうとした瞬間、血相を変えた伝令が慌てて走ってくる。
「コウモリが! コウモリの群れが街に!!」




