036 八翼神官
北方ギアナード王国、王都インペリアー。
どこの都よりも高い城壁に囲まれ、立派な建築物が並び立つ。そんな重厚な雰囲が、国家の威厳を保つことに一役買っていた。
それは貧しい国とはいえ、すべての情報、すべての物資が集う中心部として、表面上は栄えている風を装っているからだ。
しかし、見る者が見れば、それは張子の虎であり、徐々に磨り減り、疲弊して死へと向かっていることがわかったであろう。
その要因といえば、都市の発展を抑制する見えない圧力であり、現状維持を第一義として、ひたすら存続だけを目的としているせいだ。
生活する彼らは伝統に則り、“新しいモノを創り出す”ことはしない。
建物が壊れたとしても、元あった建物と全く同じ物を作り上げる。
魚屋が潰れたところには、別の人間が入り込んでも同じ魚屋ができる。そこが道具屋であれば、同じような道具屋ができる。
誰もそれらに疑問を挟まない。それが生まれ育ってからの、“当たり前”だからだ。
国家の運営は収支の一定化を重視し、税率は上がりもしないが下がりもしない。
革新を腐敗として断罪し、不規則性を排除することが国家の役割となっている。
その非常なまでの固執した徹底ぶりは、まさに社会主義や共産主義を連想させるものだ。
そして、その歪な社会が破綻しないようにする役割を果たすものこそが、“魔法”である。
魔法は生活に安定をもたらせ、種族間や人々の格差の溝を埋めるために使用される。
ギアナード王国にとって、魔法は生活の基礎である。都市部の者たちは最低限の生活に必要な魔法を習得することが可能であり、そのためのカリキュラムのようなものまでが設けられていた。
では、魔法が使えないヴァンパイアのような種族はどうするかと言えば、彼らはその不便さを他種族の中で生活することで、その恩恵を預かれるようになる。
社会全体が相互依存するように絶妙なバランスを保っており、過不足が生じないように魔法がその差を埋める。
それでも上手くいかないところは国家が介入して修正を施す。
これこそが、北方ギアナード王都の長年に渡る“正しい在り方”であった──。
──
魔女ジュエルは、ギアナード城の最も高い尖塔の縁に腰かける。
ここが最近の彼女のお気に入りのスポットだ。
棒飴を何度も出し入れする。唇が唾液と溶けた砂糖でテカッてベタついても気にしない。これが彼女にとっての精神安定剤なのだ。
「…うまくいかないなぁ〜」
この都市の見えない“抑制圧力”がぼやく。
「なんか気分悪いなー。アタシが最強なのにさー」
彼女がこの国のシステムを考えたわけではなかった。
彼女は“ただ存在する”だけで、国家に影響を与える。魔女の持つ絶大な力は脅威であると共に抑止力となると、ジュエルはそう“教わっていた”。
彼女は数百年の権利を行使する上で、幾つかのルールが課せられていた。
それを破れば“報酬”はなし。それどころか“無能”としてのありがたくないレッテルまで貼られることになるだろう。
彼女たちに課せられたルールとは、大まかには、“直接魔法を行使して人や街に危害を加えてはならない”のと、“直接自分が国を支配してはならない”…この2点である。
だが、ジュエルはなんでそうなのか、自分たちが全力でやり合えばいいだけじゃないかと常々思っていた。
でも、疑問は口にしない。バカだと思われたらイヤだし、その制限下では勝てませんなどと言ったら、負け犬のような気分になるからだ。
「マクセラル…生かしときゃよかったかな〜」
あの時は勢い余ってつい殺してしまったが、よく考えてみれば手駒を減らす必要はまったくなかった。
プロトを管理させるために、わざわざ借りたのだ。あんな風に無駄に殺すつもりはなかった。
殺しても別に「そうか」で終わるとはわかっていたし、仮に文句を言われても「あんな無能をよこすほうが悪い」と言ってやれた。
だが、かといって次を貸してくれだなんて言うのも癪だった。
それこそ自分で何もできないのかと思われたくなかったのだ。
「うーん。困ったなぁ。プロトたちじゃ、あのミイラ男には勝てないだろうし…ムカつく。考えるのダイキライ!」
ジュエルはピョンと飛び上がると、浮き上がり、尖塔の壁に沿ってゆっくりと降りて行く。
そして、バルコニーから中へと入った。
「さあ、来い!! 手加減などいらないぞ!」
ちょうど入った瞬間に、木刀を構えた若い男が自室で叫んだ。
なぜか彼は長い鉢巻のようなもので目隠しをしている。
それを見たジュエルが思ったのは、“またおかしなことをやっている”、だ。
「か、畏まりました…」
戦闘訓練をするには狭い室内だ。だが、きっとそれを“想定して“のつもりなんだろう。
しかしながら、対峙して居るのは、真剣を持った熟練の兵士ふたりだ。
「失礼しますッ!」
兵士たちは決心した様に頷き合うと、目隠しをしている男に向かって本気で斬り掛かる!
「なんで本物の剣でやってんだよ〜」
ジュエルは思わず口にしてしまったが、踏み込んだ時の音によって掻き消された。
目隠しをした男は口元をニヤけさせている。そこには余裕が感じられた。
「ていやッ!!」
まるで視えているかのように、寸前で攻撃を避けると胴に一撃を入れる!
鋼の鎧に木刀がめり込み、ドォンともズゥンとも取れる鈍い音が響いた。その衝撃音がいかに強烈な攻撃だったかを物語っている。
事実、鎧がガードしてくれたにもかかわらず、兵士はうずくまって低く呻く。
「う、うおおッ!」
1人目が簡単にやられたのを見て、焦りと恐怖心を覚えた兵士が突き掛かる!
忠誠心があればそんなことしないだろとジュエルは一瞬そう思ったが、いや、むしろ命令どおりに本気でかかることこそが、真の臣下の姿なのかも知れないと考え直した。
「遅い!!」
兵士の突きは簡単に避けられ、剣を持った手を折り曲げられる。そして突きかかった勢いを利用して投げ飛ばされた。
固い石畳に受け身も取れぬままに叩きつけられ、左右に転がって苦しそうに咳き込む。
「うむ! いいぞ! 絶好調だ!!」
木刀を何度か素振りし、男はひとり頷く。
倒されたふたりは、互いに支え合うようにして立ち上がった。
「「ご指導! ありがとうございました!!」」
兵士たちが姿勢を正して深々とお辞儀をすと、それに対して「うむ! 精進せよ!」と目隠ししたまま男は快活に応えた。
兵士たちはペコペコと何度も頭を下げ、そそくさと退室して行く。
「……王様」
両手を腰に当てた男の背に、ジュエルは半ば呆れたように声を掛ける。
バッとマントを翻すようなオーバーな動作で“王”は振り返った。
「ジュエル! 見たか! 今の俺の動きを!! 暗闇での暗殺に対応できるように鍛錬を…」
「うん。いいから。見てたけど…まずその目の上に巻いてるの取ってよ」
目隠しししたまま話そうとしたのをジュエルが止める。
王はこれまた大げさに、目隠しの結び目を引きちぎるかのようにして乱暴に外した。
ジュエルは「普通にほどけよ」と小さく口にしたが、彼はそんなに器用ではないのだ。
爛々と金色に輝く美しい瞳、短く切り揃えられた貴族らしからぬオレンジ色の髪、容姿だけは整っているゼロサム・ウィンガルム…このギアナード王国を統べる若き国王である。
しかし、ニカッと笑った前歯の1本が抜け落ちていた。それだけで絶世の美男も台無しである。
ジュエルはこれが王が言う、“鍛錬”とやらに原因があることを知っていた。
さっきは見事に撃退したが、こんな無謀なことを繰り返していれば、怪我をすることだってある。
しかし、「俺に一撃を与えるとは大したものだ!」などと、歯を折った部下を気軽に許してしまうのは王としてどうなのかとジュエルは思う(そもそもゼロサムが無理強いしてやらせたことではあるが)。
そして、まだ歯を治してもいないうちから、こんな鍛錬をしていることから、この王らしからぬ王の性格というものがよくわかるだろう。
「あのさ、ゼロサム」
「なんだ?」
「ちょっとお願いがあるんだけどぉ〜」
「ほう! 珍しいな! 魔女ジュエルから頼み事とは!!」
頼むから声量を落としてよ…そう思いつつ、ジュエルは我慢して続ける。
(…王様だけは殺しちゃダメ。後がタイヘン)
彼女が耐えているのは、国王とは常に対等な関係にあるからだ。
本来魔女が遥かに格上なのだが、“直接自分が国を支配してはならない”という制約があるので、どうしても代理人が必要なのである。
「近々、アタシ、戦争を…? 戦争って言っていいのかコレ? まあいいや。…うん、戦争すんの。だから、ちょっと力とか貸して欲しいんだけど」
とても“ちょっと”のお願いではない。
さすがのゼロサムの顔も一瞬だけ無表情となる。
「戦争だぁって!?」
「うん」
「それはスバラシイ!!!」
「あ?」
予想外…いや、予想通りと言うべきか。その返答にジュエルは頭が痛くなった。
「敵はどこだ!? 南か!? 北か!? 東か!? 西か!?」
「……この国が一番の北よ」
「そうだったな!? 敵の数は1,000人か!? それとも10,000人か!?」
「……1人か数人だと思う」
「いいぞ! 相手が少数でも構わない!」
「そ、そう…」
「やるならやろう! いまやろう! 徹底的に!! 全軍を動かす! 各領主にも伝令を送り、兵を集めさせよう! 農民からも徴兵するぞ!! 憲兵も使う!! よーし、全面戦争だ!!!」
子供でももう少し考えて発言するだろう。しかし、ゼロサムは本気でこんなことを言っている。
この国はもう数百年と戦争をしたことがない。ギアナードだけではない。他国もそうだ。
“戦争するな”という命令は受けていない。
だが、“彼女たち”の話し合いの上、人間たちを集めて戦わせるやり方はどうにも賢くないだろうという結論に至ったのだ。
「…ねえ。兵は貸してほしいけど、そこまで大規模な戦いにはならないわ」
「そうなのか?」
あからさまにゼロサムは残念そうにする。
「だが、俺は戦うぞ! 魔女ジュエル! お前もこの国の民!! そのために国王が自ら剣を振るう!!」
「うん。それはあんがと…」
ジュエルは敵が屍従王であることを告げるべきか少し悩むが、伝えようが伝えまいがゼロサムが戦わないという選択をすることはないと思った。
むしろ、敵が死者だと聞いたら、面白いとかなんとか言って、変なやる気を起こすかも知れない。
騒ぎ出されるのは面倒だったので、後で伝えればいいかと思う。
「それでさ、ちょっと防衛大臣と話がしたいんだけど…いい?」
「全然構わん! 俺も話し合いに参加しよう!」
「うん。それはいいや…」
「なぜだ!?」
「…鍛錬して腕を磨いといて。王様の剣技に期待しているからさ」
「おお! そういうことか! わかったぞ!! 任せておけ!!
よーし、兵を呼べ! 100人でも構わん! 俺の部屋に呼ぶんだ!!」
「この部屋にそんなに入るわけないだろ」…という言葉を、ジュエルはあえて口にはしなかった。
──
「規模は?」
「わかんない」
「敵のリーダーは屍従王と?」
「うん。今はそう名乗ってるって。この前、友達から聞いた」
「友達から…ですか。他には?」
「うーん。あ! 本名はカダベル・ソリテールだって」
「カダベル・ソリテール…それが王を標榜する首謀者なんですか?」
「“しゅぼうしゃ”?」
「あー、例えば山賊とかですな。徒党を組んだリーダーが、王を自称する例がありますから」
「山賊じゃないわ。村にいたみたいだし」
「王を名乗る者が村に? うーん、よくわかりませんな…」
「そんなことアタシは知らないわ」
「ふーむ。しかし王というからには、部下を従えているのですよね?」
「たぶん」
「相手は戦闘系の魔法士…だったんですな?」
「うん」
「それで、屍従王とは何を目的にして戦うので?」
「え? なんとなく?」
防衛大臣は老眼鏡をずらし、怪訝そうにジュエルの顔を見やる。
「なに? 文句あるの? 殺すよ?」
「…いえ、これだけの情報では作戦が立てようがありませんよ」
「何言ってんの。それをするのがアンタの仕事でしょうが」
「ジュエル様。敵の情報というのは…目的、位置、規模…そのどれもが重要です。大まかな情報からでも、敵の戦略や戦術を分析し、対抗手段を講じる。それが防衛戦というものです」
「防衛? 防衛するの? アタシが?」
「はい? もしかして、こちらから攻めるのですか?」
「どうなの?」
「ええ? えっと…戦場はどこになるのです?」
「さあ? ここ?」
「え!? この王都が…戦場になると?!」
「それでもいいんじゃないかなぁって」
「ちょ、ちょっと待ってくだされ!」
どうにも話が噛み合ってないことにジュエルはイライラし始めていた。
てっきり、「屍従王ってムカつく奴と戦争するの。だからお願いね」で、「はい。畏まりました! 〇〇という戦術があります! それで撃退しましょう!」で済むとばかりに思っていたのだ。
「…あー、ともかく、王都の防衛は万全ではあります」
防衛大臣は王都の図面を拡げる。
そして要所ごとにどれだけの兵が常駐しており、臨時に動員できる予備兵力、最終防衛ラインを王城とした籠城戦になっても、いかに長く持ち堪えられるのだということを長々と説明する。
ジュエルはまるで興味なさそうに「はあ」と曖昧に頷く。
「…屍従王とやらが、王都がいかに難攻不落か知っているかはわかりませんが、もし陥落せしめられると思っているのであれば…そうですな。それなりの策を練ってくるはずです」
「めんどくさ。アタシは屍従王カダベル・ソリテールをコテンパンに倒したいだけなの。だから案を出しなさいよ」
防衛大臣は顎を撫で、困ったように首を傾げる。
「…屍従王の居場所がわかるのですよね? ならば斥候を差し向けましょう」
「なに“セッコー”って?」
「偵察のことです。敵の側にまで気づかれぬように近づいて情報を得ます」
ジュエルは何やら考えるようにする。
「どうしました?」
「ん? いや、ムリじゃねと思って」
「無理?」
「うん。だって、アイツ、姿を消してたアタシの存在にも気付いてたし…バレずに近づけるの? 人間が?」
防衛大臣は開いた口が塞がらなくなる。
「魔女様が…近づけないような…魔法士なのですか? そ、それは…かなりヤバい存在では?」
「アタシよりは弱いよ。それは間違いないわ」
「…魔女様ご自身で倒していただければ?」
「それができないから頼ってんじゃん! バカなの!? できんなら最初からやってんよ! 殺すぞ! このクソジジイ!!」
「もう手の打ちようがないじゃありませんか!! 情報も何もない状態で、私に何をやれと言うのですか!?」
「だから、屍従王を倒したいの! 倒す案を出せって言ってんの!!」
「ンゲゲッ!」
防衛大臣は力任せに胸倉を掴まれ、前後にシェイクされる。
そんなことをしていると、部屋の扉がノックされた。
「ダレ?」
パッと手を離すと、防衛大臣は苦しそうに咳き込む。
「俺だ!!」
ゼロサムの声に、ジュエルは大きくため息をついた。
入室の許可も待たず…立場的に言えば特に問題もないが…ゼロサムはバァンと叩き壊すのではないかという勢いで扉を開く。
「悩みを解決する者たちを連れて来たぞ!」
「…へ?」
ゼロサムは、ふたりの人物を連れていた。
ひとりは三十代半ばと思わしき凛とした女性。
王国騎士団よりも遥かに上等な鎧に身を包み、胸当てには女神の彫刻が施されていた。
もうひとりは四十代前後の男性。
純白のローブを着こなし、実に几帳面で神経質そうに見える。
ジュエルには女性の方はなんとなしに見覚えがあった。だが、男性の方は初めて見る。
「はじめまして。北方ギアナードを統べる魔女ジュエル様」
男性の方が恭しくお辞儀をした。
「わたくしは、“八翼神官”『自誠』の字、アンワート・トキノウムと申します」
「八翼神官…」
ジュエルは記憶の片隅から、ちょっと偉い神官だった…そんなアバウトな情報が思い起こされる。
「…それで、その神官さんが何の用?」
「はい。参謀を必要とされていると聞き、微力ながらお力添えをできればと思いまして」
アンワートの細い眼がうっすらと開かれる。
「…その屍従王とやら。わたくしの策にて見事倒してご覧に入れましょう」




