029 ハフムーン・ディカッター伯爵
朝起きたルフェルニに、めちゃくちゃ謝られて、めちゃくちゃにお礼を言われた。
「カダベル殿! ほら、あそこ! 崖の上で蝶が飛んでますね!」
「うん。…蝶? …頭が蜻蛉な気が…いや、羽は蝶か。…ほんとだね」
「カダベル殿! 植物の群生地が出てきました! そろそろ上に登れる傾斜地になるはずですよ!」
「はい。そうね」
ルフェルニの口調と物腰が柔らかくなったのは、なんか打ち解けたってことでいいんだけどさ…
「……なぁ、ルフェルニ」
「はい? なんでしょう? カダベル殿!」
「……なんで俺たち手を繋いでるの?」
「あ! すみません。つい…」
今になって気付きましたとばかりに手を離して、恥ずかしそうにする。
「あの…私、あんな経験…初めてだったので」
顔を赤らめ、なんだか後ろ手にモジモジしながらそんなことを言う。
やめて。なんか誤解される言い方しないで。
そりゃミイラに抱えられて一晩寝るなんて経験は普通はないでしょうけど。
「…手を繋いでいると、いざという時に魔法が使えないといけないから」
「そうでしたか。残念ですがそう仰られるなら我慢します」
うーん。なんか顔だけ見ると普通に女の子に見える。
いや、なんか昨日の一件から完全に男の子には見えなくなってしまった。
まあね、カワイイ子に懐かれるのはミイラになっても嬉しいもんだけどさぁ。
なんかさぁ。付いてるモノがカワイイとは言えないもんだったんだよなぁ。
うん。顔に似合わずってヤツだ。
ミイラの俺には無くなってしまったアレが…それだけでもなんか哀しいんだよね。
で、アレがあるってことは、つまり俺の封鎖トンネルが開通される危険性もあるってことで……
ああ、すごい複雑だ。魔女をなんとかして呪詛を解除してやりたい気持ちもあるが…本当に男としても複雑だ。
「カダベル殿?」
「ん? いや、なんでもない…」
はー。ミイラとヴァンパイアの間の子ってどんなんだろうか。
俺がママになるってことは、俺が授乳せねばならんのか?
…あれ? そもそも、なんでルフェルニの子供を産む前提で俺は考えてるんだ?
「カダベル殿、見てください!」
「あ、ああ…。うん。いや子供の名前は“ザ・ノンデス”とかでいいんじゃないか…」
「え? なんの話ですか?」
「ん?」
「ここからでも街の姿が見えてきましたよ。あれこそがサルミュリュークです」
──
ハフムーン・ディカッター。
それがサルミュリュークという1つの都市を治める領主の名前だ。
伯爵はヴァンパイアであり、その側近もほとんどがヴァンパイアかハーフヴァンパイアという話だったが、市街地の中はイルミナード街と同じく、他種族が混じり合って生活している。
適齢期になったら処女を献上しろとか、気に入らんから串刺し処刑な…ということはなく、良い領主として民からは慕われているようだった。
ギアナードは王国制になっているが、そこまで王の力は強いわけではなく、各領主が裁量権を与えられて個別に統治しているらしい。
こうなると領主同士の権力争いとか生じそうなんだが、そこは過去の500年前に起きたという大戦争による苦い経験が活きている。
この国にある物語では、種族ごとで相争っていた各国の王たちが、ひとりの魔法士によってコテンパンに叩きのめされ、「仲良くしなきゃ全員ブッ殺す!」と血走った眼で怒られたんで、「やべー。仲良くしなきゃ」と種族同士の垣根を越えて仲良くするようになったとかならんとか…。
そして、その“伝説の魔法士”は、仲良く平和になった世界を見て、そのご褒美に“便利な魔法”を皆に教え与えたことで今に至る…らしい。
しかし、この手の物語ってたくさんあって、その魔法士が実は賢者だったとか、いや、知恵のある竜だったとか、源神オーヴァスの化身、いやいや火磔刑の魔女ではなかろうか…なんて感じだ。
カダベルは神話を信じていなかったし、賢者のことは魔法を創った存在として認めていたけれど、別に信奉していたわけじゃない。
むしろ魔法への信仰心が強まると、ろくに研究をしようとしなくなり、反魔法主義のクルシァンみたいな凝り固まった教義を生み出す元凶になるだろうとして忌み嫌っていた程だ。
街中を行く。サルミュリュークは人の往来も多く、賑やかな街だった。イルミナードよりも活気がある。
「その仮面…つけられないとダメなんですか?」
木をくり抜いて適当に作った仮面を見て、ルフェルニは唇を尖らせる。
「え? そりゃそうだろ。ミイラが往来を堂々と歩いてたら大騒ぎだ」
「まあ…そうですね」
なんか「素顔の方がいいのに…」とか言ってるけど、さすがミイラとも寝られるミイラフェチはレベルが違うな。
「伯爵は何かしらの情報を持っていると思うか?」
俺がそう尋ねると、ルフェルニは真剣な顔に戻る。
たまに軽口を言い合ってはいたが、心の中じゃ、当然皆のことを心配しているのだ。
世間話をするなんて薄情だと思われるかも知れんが、悪い事ばかり口にしていては気が焦るだけで良い事はない。
だから、できるだけ通常通りに振る舞うように俺から言ったのだ。
まあ、手を繋いだり、馴れ馴れしくしろとまで言った覚えはなかったんだが……
「情報というのは、聖騎士たちのでしょうか?」
緊張した様なルフェルニを見て、別の意味に聞こえたんだと気づく。
「ああ。別に疑ってのことじゃない。伯爵と聖騎士が組んで…なんてことはないだろう」
もし伯爵と聖騎士たちが繋がっていて、俺を潰したかったとしても、わざわざルフェルニごと崖から突き落とす必要はないだろう。もっと他にやりようがあるはずだ。
「伯爵はあの聖騎士たちのことは知りません。それは間違いありません」
キッパリと断言するな。それだけ伯爵は信頼されているってことか。
「…少なくとも公式な訪問者ではないはずです」
それには俺も同意だ。あの少数精鋭の編成は、いかにもお忍びで来ましたって感じだったしな。
「魔女の方が聖騎士と繋がってるってことはないか?」
ルフェルニは少し考えるようにする。
「それなら、聖騎士がプロトを倒したのは不自然では?」
「そうだな。魔物か…」
中二病聖騎士がドリアンをあっという間に倒したことを思い出す。
確かに、もし魔女と協力関係にあるんだったら、俺たちのことを挟撃していたはずだ。
「…カダベル殿を標的にしていたのは間違いないとしても、秘密裏に動いていたのは、魔女を警戒しての可能性も考えられます」
「うーん。もしかしたら、ロリーの保護もついでだったのか? 何年も経って、今更なんでって気もするしな。
…だが、標的が俺だとしたら、ますますわからん事になる。あの小僧は俺のことを相当恨んでるようだったし」
「カダベル殿はクルシァン出身なのですよね? 聖騎士のことはご存知では?」
「知ってはいるが、個人的な恨みを買う真似は…してないハズなんだがな。
総団長とは面識があるが、確か俺とそんな変わらない年齢のバアサンだった。他国に許可もなく入って、裏工作するタイプじゃないと思ったけど…ま、そもそも引退してたらわからんけどね」
「後は王国…例えば、国王や大臣クラスだけが知っている秘密裏の作戦、とか」
ルフェルニはそう口にするが、その顔には“そんなことあり得ない”と書いてある。
可能性はなくはないんだろうが…。うーん、どうなんだろう。
国王や大臣が知っていて、その黒幕にいる魔女が知らないなんてあるのかな?
「そうだ。そもそも、ギアナード王というのはどんな人なんだ? この国に住んで長いが、良い悪いの噂すらまともに聞いたことがないぞ」
まあ、カダベルは隠棲生活だから知らなかっただけってのもあるがね。
ルフェルニは何とも苦い顔を浮かべる。
「良い悪いすら噂されない…つまり、民にとっては良くも悪くもない王ということです」
「なんだそりゃ?」
「あまり大きな声では言えませんが…無能な働き者と言ったらわかりますか?」
「…ああ、なるほど」
俺はすぐに意識高い系の、覚えたての横文字ばかり使いたがる、二代目若社長の姿を思い浮かべる。
「…トップが無能なのはいいのです」
「…だな。だが、それを操ろうとする者がいた時には最悪な形となる」
「カダベル殿。この国の実状は…」
「ああ。そんな王を据えているからこそ、魔女のいいようにされてるんでしょ。説明しなくても察せるよ」
「あなたは本当に…はぅッ!」
「え?」
下半身を抑えて急に立ち止まるルフェルニににも少し慣れてきたな。
「……急な言葉責めは止めて下さい。私を殺す気なのですか。もう」
「俺は何も特別なこと言ってないだろ。もう」
ああ、軽口だ…こんな軽口叩いてる時じゃないのになぁ。
「……すみません」
俺の雰囲気で、何かを察したらしいルフェルニが落ち込む。
「…いや、いい。謝るな。普通に振る舞えと言ったのは俺なんだしな」
「……私、ロリーさんが少し羨ましかったんです」
「ん?」
「おふたりは見えない絆のような物で結ばれているから…だから……だから、きっと大丈夫です!」
根拠はない…けど、ルフェルニなりに俺を励まそうとしてくれたんだろう。
そうだよな。一番、罪悪感を覚えてるのはルフェルニだ。
気を遣わせてしまったな。申し訳ないことをした。
「…俺にとって、お前もロリーも同じ娘のようなものだ。だから決して無理はするな」
俺はルフェルニの小さな頭の上に手を置く。
年下でも敬意は払う。侮りはしない。
だけど、彼女たちが甘えたい時、泣きたい時、それを抱き止めてやれるくらいの懐の深さは常に持っていたいものだ……
なにせ、俺は100年以上も生きてるんだからな。
それくらいの責務は果たしたい。
敬意は払い、責務は果たす…それが今のカダベル・ソリテールだ。
──
城は…本当に城だった。
てっきり、ちょっとした屋敷を“城”と呼んでいるかとばかりに思っていたらとんでもない。
ああ、普通に城だ。
いや、要塞だ。
壁上もちゃんと狭間の様になっているし、側塔や深い堀に跳ね橋まである。
敵の攻撃を想定した頑強な造りになっているんだよね。
「かいもーん! かいもーん!!」
いやー、感動的だな。こんなの映画の世界でしか見たことないよ。
へー。この世界にも伝令ラッパみたいなのあんだね。あの音色で誰が来たか伝えるシステムなのかぁ。ローカルだけどよくできてるんだなぁ。
「「若!!」」
「「お帰りなさいませ!」」
「「ご無事で!!」」
げ! 門の先に列になって並ぶ大行列!
さっきのラッパで皆集まったの? 早すぎじゃね?
えっと、なんかルフェルニは当たり前のような顔してるけど、おかしくね?
コイツ、身分はたぶん高いけど使者でしょ? そんなに偉いの?
ルフェルニは堂々と列の間を進むけど、俺はおっかなびっくりだ。
皆が兵士か執事かメイド服できっちりしてる中、小汚い旅装束の木製仮面野郎(しかも中身は干乾びたミイラ)だぜ。場違いにも程がある。
あー。このお客様迎える感じが耐えられん!
好機の視線も多分に含まれてるし!
仮面脱ぎてー!
脱いで、ただの乾燥干物だって知らしめてぇー!
それで楽になりてぇー!
誰かぁ! 俺を小さい粗末な棺桶に入れて運んでくれー!!
「…大丈夫ですか? カダベル殿」
「ハハ。うん。…たぶん」
「何か失礼がありましたか? 失礼なことをした使用人がいましたら、厳重に注意致しますので…」
「やめて! そんなことやめて!」
俺はもう限界だよー。
お家帰りたい!
ゴライとメネボンんとこすぐに戻りたい!
お辞儀されるだけでも申し訳ないと思っているのに、それに対して「いや。挨拶が丁寧すぎるんだよね」なんて言ったら単なるモンスタークレーマーじゃん。
あーあー、中も想像していた何倍も凄い。
ヴァンパイアって金持ちなのか?
ってか、ギアナードは貧しい国だったんじゃないのかよ。
「…このカーペットって、おいくら万円よ。踏んでいいの?」
「え? 大したものではありま……あ、いえ。調度品は貴族の格を示すものですので、来客のためにそこそこの物を…と、用意したものです」
別にルフェルニをどうこう言うつもりはないんだけどな。伯爵が買ったものだろうし。
「…この街はそこまで豊かなのか? イルミナードとそんなに規模は変わらないように見えるが」
「豊かというほどではないかと。ただ商人がよく来ますので…」
「商人が? この辺は何か特産物でもあるの?」
「商人と言っても、主な取引き相手は美術商です。芸術家が多い街なのです」
「あー、芸術品は確かに値が付けば高価だわな」
「ヴァンパイアには絵が得意な者も多いので…伯爵もそのひとりなのです」
「へー、伯爵が描いた絵を買っていくということか…。高い値がつきそうだ。税金で贅沢してるわけではないということね。それはなかなかできた領主様だな」
「もちろんです。ギアナードの中でも、領民に対する課税が一番低いのが自慢ですから」
通り際、廊下の柱に掛かった巨大な絵を見て俺はギョッとする。
「まさか、あれはルフェルニがモデルか?」
「え? あ! いや、その…別に他にも…いなかった…わけじゃ…ないんですが。身近な題材の方が…モデルの用意…必要ない…から」
「別に恥ずかしがることもないだろ。伯爵がルフェルニの美しさを認めているということだろうからな。…なるほど。これは売れるわけだ。俺も1枚ほしいぐらいだぞ」
「えッ!?」
うち殺風景なんだよな。なんかガランとしてるし。遊び心がないと言うかなんと言うか…。
ゾドルを象った木像とか置いてあったけれど全部処分したしさ。
庭で燃やしたら、本人は泣いて抗議してきたけれど、それなら自分の家に持って帰りゃいいんだ。
「だ、だったら絵なんかじゃなく、私自身を…」
「売れるなら、いざという時の金策にもなるしな」
「……あ」
「ん?」
「いえ、なんでもないです…行きましょう」
通された場所は…謁見間というわけじゃないだろうが、それなりに広い部屋だった。
かといって、応接間というにはちょっと仰々しすぎる気がする。
生粋のヴァンパイアが左右にふたり。
彼らも両性なんだろうが、見た目では左が髪を短くしたキリッて感じの男性、そして右が髪を肩まで伸ばしたおっとりした女性…そんな風に見える。
そういや、ルフェルニは胸があるが、ロイホやエイクは大胸筋だ(厚みだけなら負けてないが)。両性と一口に言っても色々なのかも知れない。
ふたりとも眼は黒と赤のオッドアイで、双方ともにルフェルニに顔立ちはよく似ているが、身長から言っても年齢はもっと上だろう。
そして中央に脚を組んで座る男。ガタイもいいし、左右の男女よりももっと遥かに年齢は上だ。
髪は軽く毛先にパーマをかけており、偉そうに口元にヒゲを生やしている。
服装も金銀をあしらった赤いローブと、かなりゴージャスだ。
…ふと、クルシァンの忠臣ナドのことを思い出した。
思い出したといっても、カダベルの古い記憶だが、あれは主人に悪い意味で特別な感情を抱いていた男だったな。絶対に裏切らないという一点では信用できたが。
中央の男が軽く会釈して見せた。口にはニヒルな笑みをたたえている。
「…遠路遥々よくぞ、我が領地にお越し下さった。カダベル・ソリテール殿。こちらの無理な招致に応じて頂けたこと、まずは深謝する」
ああ、尊大だが、貴族らしく堂々としている。もう見ただけで彼が伯爵だとわかるな。
…伯爵?
彼が??
「我がハフムーン・ディカッターである」
ああ。そうだろう…?
仕草も格好もすべてが……???
「ルフェルニ・インフィニット。非常に困難な任務であったと報告は受けている。とても手放しでは喜べぬ事態ではあるが、それでもカダベル殿をお連れした事は大儀であった」
「…はい。感謝します。伯爵」
なんでルフェル二に表情に変化がない?
主君の元へ帰って来たんだから、もう少しぐらい…
ってか、コイツらどこを見て…んん?
「カダベル殿。この度、お連れの方が拉致されし件、心の底より遺憾に思っている。不慮の事態とはいえ、警護を約束したこちらの不手際だ。お詫びのしようもない」
「……」
「すでにコウモリも使った捜索隊は組織し、広範囲に情報を集めさせている次第。ディカッターの名に懸けて、全力を尽くし、無事に救出することをお約束しよう。今しばらくお待ち頂きたい。必ずや…」
──理由は勘に過ぎないが、君は全部を正直に話していない気がするからかな──
そうだ。これは自分の台詞じゃないか。
最初に“カダベル”が妙に思ったのはこれだったのか…
「…なんの茶番なんだこれは?」
俺の台詞に、水を打ったように静まり返る。
いや、元から“伯爵”しか喋っていなかったのだが…そういうことじゃない。
全員が冷たい水をぶっかけられたみたいな顔をした。
中でもルフェルニが眼を見開いているのが、俺の広い視界の端に視える。
「茶番? …何が茶番だと言うのだね、カダベル殿」
「やめろ。その取って付けたような喋り方が鼻につくんだよ」
「…ふむ」
「…こんなくだらない事のために。こんなくだらないことをするために、俺を呼んだと言うのか?」
俺はルフェルニに向き直る。そして仮面を外した。
伯爵を名乗る男と、側近の者たちが驚いた気配があったが、今はコイツらは関係ない。
「…ルフェルニ。いや、ハフムーン・ディカッター。お前が伯爵その人なんだろう?」
顔面蒼白になったルフェルニが膝を付く。
「お、お許し下さい! カダベル・ソリテール殿!!」
「いいや! 許せないな! これは許せないぞ、ルフェルニ!!」
俺はルフェルニの胸ぐらを掴む。ルフェルニは抵抗もせずされるがままだ。
「なぜ俺がここに来る必要があった? そのせいでロリーだけじゃなく、ロイホもエイクも連れさらわれたんだぞ!」
「……」
「なぜ、伯爵であることを隠す必要があった? お前の誠意に俺は正直に応えた! その返答がこれなのか!?」
「待たれよ。カダベル殿」
「イグニスト…」
コイツ…
このヒゲ野郎はイグニストっていうのか。名前からして偉そうに。
そのイグニストがグイッと間に入り、俺の手を押さえてルフェルニから外させる。
でも、本当になんなんだコイツは?
なんで伯爵じゃないとバレても偉そうな顔してんだ?
「若が正体を隠していたのは、決して悪気があってのことではございません!」
「カダベル殿のお怒りはごもっともです! しかし、どうか理由をお聞き下さいませ!」
あの男女が俺の前に平伏する。
「……エギール。ルクレイト。いい。私がちゃんと自分で話す」
再びルフェルニがひざまずく。
ってか、ヒゲ!
この3人がひざまずいているのに、お前はなんでひざまずかないのよ!?
なに偉そうに腕を組んでるんだ、クノヤロウ!?
「…途中、何度か打ち明けようと思いました」
「思った? 思っただけで…」
ああ。そうだ。
そういえば馬車で何か言いかけたことがあったな。
「……でも、できなかった。信頼を…失うのが…怖かったんです」
「信頼…。信頼は……」
立場を考えろ……
そう言うのは容易いよな。
俺は改めてルフェルニの立場になって考えてみる。
コウモリを使い、魔女の手駒マクセラルを撃退した屍従王カダベル・ソリテールの存在を知った。
しかし、それが味方か敵かも不明だ。
おまけに相手は生者じゃないミイラだ。
だが、味方となるなら、これは大きなチャンスとなるかも知れない。
それならどう動くだろうか?
そんな時、信頼できる部下に任せて自分は城で待つだろうか?
いいや、ルフェルニの性格上そうはしない。
そして、そうだ。
ルフェルニはそうしなかった……
“自分で話す必要がある”と、そう考えたんじゃないだろうか。
「……そうか。あれは最大の敬意を俺に払っていたのか」
伯爵が自らが動く。
それがどんなに危険なことか、頭の良いルフェルニならばよくわかっていたはずだ。
──この場で首を落として頂いても結構です──
自ら命を賭けて、この子は“屍従王”を動かす決心をしたのか。
そんな大それた存在でもない、こんな俺を動かすために……
「…ルフェルニ」
「…はい」
「俺は久しぶりにスゴく怒っている」
「……はい」
「だから、お仕置きを与える」
ルフェルニが驚いた顔をした後、口をモゴモゴとさせてから頷く。
エギールとルクレイトが何やら「伯爵に何を!」「我らが代わりに」とか言うが、それをルフェルニ自身が止めた。
そして、ヒゲ!
お前はなんですべてを理解したかのように頷いてんだ! 知ったかぶりしてんな!
「メッだ!」
コン!
俺はルフェルニの額を軽く指で小突く。
ルフェルニだけでなく、エギール、ルクレイトの顔もポカーンとしたものになった。
「…カダベル殿。ご冗談は…」
「冗談ではない。これで反省したのなら、もう二度はするな。…それともまだ何か隠しているのか?」
「ないです! 本当に…本当に……信じて…」
「ああ。好きでついた嘘じゃないとわかった。だからこれ以上は何も言わない」
「……ありがとうございます」
「礼ならロリーに言ってくれ」
「え? ロリーシェさんに?」
「ロリーがルフェルニに優しくしろって言ったからだ。彼女を取り戻したら、彼女に感謝するがいい」
「は、はい!」
「……じゃ、改めて本当に話をするとしよう。ディカッター卿」
──
ルフェルニ・インフィニットは、実のところ真実の本名だった。
“ハフムーン・ディカッター”というのは、家督名とか称号名のようなもので、公の場ではそう名乗るようだ。
なぜ本名を隠すのかと言えば、それが魔法に疎い名門貴族ディカッター家が、敵対者の魔法から生き残る為に講じてきた手段のひとつだったからに他ならない。
そして、現当主であったルフェルニの代で怖れていたことが現実のものとなってしまった。
つまり、魔女からの魔法…呪詛を受けてしまったのだ。
彼は困惑した。本名を隠してさえいれば、呪詛なんてかけられるはずがないと思っていたからだ。
魔法の知識がないので、どうやったのかはさっぱりわからない。
だが、事実として呪詛をかけられてしまった。
それもよりによって、王国を影で支配している魔女なんかに…
それが魔女に逆らえず、ルフェルニが長いこと苦渋の日々を過ごしていた事の理由だった。
「……逆らわなければ、そのうち呪詛は解く。そんな内容の書面が送られて来ました」
然るべき席に座った伯爵のルフェルニが、そう説明する。
「ヴァンパイアは…いえ、少なくともディカッター家は、魔女にみくびられていたのです」
隣に立つエギールが続けた。
エギール、ルクレイト、あのヒゲも同じくディカッター家の血筋を引く異父異母兄妹となるらしい。執事やメイドも何かしらの遠縁に当たる。
彼らはハーフヴァンパイアよりも血は濃いが、正当血統となれるのはルフェルニだけだ。
不思議と種族で長となる者が決まっているようで、だからこそ他種族に比べて血縁者が同じ場所に固まりやすいのだろう。
「だが、例えばだ。ルフェルニに何かあれば…言葉は悪いが、命を落としたりすることがあれば、他の者が正統血統者になるんだろう?」
ヴァンパイアは正統血統者がいなくなると、次に血が濃い者が、必然とその役目を引き継ぐ様になるらしい。
「ヴァンパイアという種が途絶えなければいいと考えるならば…」
そう。ルフェルニだけを呪詛で縛っても、ヴァンパイア全体の勢力が落ちるとは限らないはずだ。
「それはそうかも知れませんが、それが今いる正統血統者を重んじない理由にはなりません。
ヒューマンの王位継承などとは少し事情が違うのです」
ルクレイトが答えてくれる。
そうだ。これが種族間のギャップってやつだよな。考え方が大きく違うところが多い。
例えば、ロイホやエイクのような混血が格下になるかと言われればそうではなく、仮に純血種が全部いなくなった場合には、ハーフヴァンパイアでも同じように正統血統者になることがあるらしい。
だからか、「正統なヴァンパイアではない半端者が!」みたいな、よく物語にありそうな差別はないそうだ。
純血だろうが混血だろうが、関係なしに仲間という意識が彼らの根底にはある。
そして、現正統血統者を敬い丁重に扱うというのは、そもそもそういった本能から来るものなのかも知れない。
野暮なことを聞いたかなと思ったけれど、ルフェルニたちに気にした様子はない。
「…それで、魔女ジュエルとは何者だ? 魔物の原形…プロトといったか? あの赤鬼や緑鬼はなんだ? あれを使って何をしようとしている?」
「魔女ジュエルは、数百年も昔からギアナードに巣食い、国を影で操っている存在です。
今まで動くことはありませんでしたが、ほんの5年ほど前から…あの魔物たちを地方の寒村に放つようになりました」
カダベルの知識には、魔女についての事柄はほとんどない。
ましてやこの国に、そんなものが昔からいたなんて寝耳に水というやつだ。
「魔女…それは何かの例えや寓話的な物、または…例えばメチャ強い魔法士の俗称とかだったりしないの?」
「いいえ。実際に存在していますし、会ったこともあります。
…強い魔法士がそう名乗っているとして、何百年と生き続けられるような効果をもたらす魔法が存在するんですか?」
「いや、俺みたいなミイラになればわからんが…」
「私が見た限りでは…生身の……生者でした」
「そうか。うーん、普通の魔法が使えるだけじゃ無理だろうな」
賢者のように源術まで操れるなら話は別かも知れないが…うーむ。
マクセラルから聞いてからも、俺の中じゃ魔女の存在はまだ半信半疑だったんだよな。
魔女については名前だけは出てくるが、神話の中に出てくる太古の女神じゃないかとか、クルシァンでは源神オーヴァスに敵対する存在とされてたり…中には賢者の妻だったのではなどという逸話まであった。
そのどれが正しいにせよ、すべてが間違ってるにせよ、魔法を使う存在という共通の認識はあるが、ランク6とかランク7の世界を揺り動かす規模の、天変地異を起こせるなどというブッ飛んでいる話ばかりなもんだから、元カダベルは「そんなもん調べても魔法研究には役立たない」と、魔女自体も研究対象から外していた。
「…魔女について今わかるのはこの程度か。
俺と伯爵の繋がりは知られてしまったとして、こちらを敵と見做してるのなら、向こうから動きを見せるだろう。その時に叩いてやればいい。魔女の件はそれでいいかな?」
ルフェルニも同意して頷く。
もし俺たちの動きが魔女にバレないまま進んでいたら、各地の領主たちと内密に連携を取り、準備が整い次第、一気に国家転覆を狙う……だなんて、そんな大それたことを考えていたと聞かされた時は驚いたけどな。
失敗すればルフェルニだけじゃなく、その関係者がすべて処分される。
俺のことをどこまで信用していいのか、どうしたら屍従王を旗手とできるのか、またそれを引き受けてもらうにはどうすればいいのか…後からルフェルニがいかに苦悩していたかを知る。
俺に支配者の座に相応しいか見極めるだ云々は、これを言ってたわけだ。
「…だが、ルフェルニ。助けを求めるならば他にいたんじゃないの?」
「いいえ、いませんでした。貴族や領主たちの中に、魔女ジュエルに対して危機感を持っているのは私を含む少数の貴族だけなのです」
「危機感がありゃ、そりゃ何かしら対策考えるもんな…何百年も支配させないわな」
それ考えると魔女って本当に何歳なんだろう? 俺なんか比べ物にならない、スッゲー、クソババアなんじゃないだろうか。
「自分の領地に被害が及んでいないから、魔女はそう悪い存在ではない…そんなことを言う貴族もいる体たらくです」
思うに寒村を狙ったのはそういうことか。
同じ領地内でも、それこそ境界の末端にあるような寒村が襲われていると聞いても、領主自身の関心は薄くなるだろう。
兵を派遣する可能性は…よほど領民思いでなければ難しいんじゃないだろうか。
そして、ルフェルニは領民思いの領主だった。
他人の領地、または王国が管理しなければならない村々のことについても心を痛め、国の民が襲われている事実に深い憤りを覚えていた。
「…だがね、やっぱり俺のことを買いかぶり過ぎだと思うぞ。音頭を取るリーダーとなるのは、君のが相応しいんじゃないのか?」
「…いえ、私はサーフィン村を直に見て、この一緒に旅をさせていただいた…本当に短い期間ではありましたが、それでも確信したのです!」
「…うーん」
「屍従王カダベル・ソリテールは死者でありながら、生者などよりも人々を心から案じ、愛しておられる存在であると!!」
そんなキラキラした眼で言われるとこそばゆいなぁ…。
それに俺は別に博愛主義者ってわけじゃないんだけどな。
目の前に困っている人がいたら手を差し伸べるのは…日本人として普通じゃないかな。
「それと…恥ずかしい話ですが、私はこの幼い見た目のせいで侮られるのです」
ヒゲが「ふふん」と胸を張る。
いや、お前は下僕なんだろ? なんで領主よりずっと偉そうなんだよ。
ルフェルニは幼いってより、力づくでなんとかできちゃう…みたいな感じがあるんじゃないかな。実は全然そうじゃないんだけれど。
ボーンと腹の出た、油脂テカテカのハゲオヤヂ(貴族に対する偏見だが)からすれば、「このガキが! 生意気言うとヒィヒィ言わせたるけんな!」みたいな感じなのかしら?
「…夜中になれば、放っておいてもヒィヒィ言うのにな」
「へ?」
「あ。いや、なんでもない」
ルフェルニが軽く顔を覆い、エギールとルクレイトが「うあー」という顔で俺を見やる。
ちょっと俺に対する認識が変わったみたいだ。
おい。ヒゲ。お前はどうして自分の上腕二頭筋を見てうっとりしてんだ。
「…コホン。それに死者が耳元で危機を語れば、呑気な貴族たちも無視することはできないでしょう」
気を取り直すかのように咳払いし、ルフェルニは酷薄に言う。
そういうところは計算高くて腹黒なんだよな。
俺を利用してやるって言っているのと同じなんだよ、それ。
もちろん、そんなつもりじゃないのはわかったけどさ。
「? …ルフェ様。確か『屍従王と政略結婚して基盤を固める』というお話だったのでは?」
エギールが聞き捨てならないことを言った。
ルフェルニは慌てたように「なし! それ今言わないで!」とか言っているけど…。
そうか。そういやコイツら、コウモリで情報のやり取りしてたんだったな。
うん。【集音】使っている俺には丸聞こえだからな。
客人の前でコソコソ話すなっての。
だからこんな魔法使ったんだからな。決してこれは盗聴じゃない。
「…まあ、魔女のことは保留として、まず目の前の大きな問題は聖騎士のことだ」
「フム。ギアナード全土に偵察を放ったのは本当である。
特にクルシァンへの国境警備には、我らが隊を派遣している…その情報によれば、聖騎士らしき者たちの出国は確認されていないようだ」
うーん。ヒゲ。喋り方も偉そうだ。
しかもなんでポーズとってんだ。不快だ。不快極まりない。
「入国履歴は調べられないのか?」
「カダベル殿もご存知の通り、この国は出入国が比較的簡易なのです。
聖騎士も国賓として招かれたのでなければ、民間と同じ簡略な手続きで中に入れてしまいます…偽装されてもまずわかりません」
うーん。なんだそりゃ。つまり、不法入国のことまったくわからないってことじゃん。
それって国としてどうなのかと思うが…。
ああ、だから王都入場への審査だけは厳しいのか。それが最低限の防波堤なのか…ね?
「しかし、人質を連れての出国は目立つ。警戒させていれば、まずそういった怪しい者を見落としはしない」
「魔法を使われる事を想定していないならそうだな」
俺がそう言うと、ヴァンパイアたちは「うっ」と呻いた。
機械音痴って言葉があったが、ここで言うなら魔法音痴だな。
魔法に対して知らないというだけじゃなく、苦手意識みたいなのがあるらしい。
パソコンを前にして「無理無理!」と叫ぶ高齢者みたいだ。
「まあ、聖騎士の使う魔法で隠匿系はないと思うし、移動魔法なども限られたものしかない…ま、聖撃みたいな別の手段がないとも言い切れんがね」
「……すみません。お役に立てずに」
「いや、情報については君たちに一任するしかないからな。…ここは待つしかないだろう」
俺が聖騎士で、修道士見習いのロリーを奪還が目的だとしたら…必ずクルシァンに戻ろうとするはずだ。
なぜすぐにそうしないかと言えば、もしかしたら魔女の動きを警戒してのことかも知れない。
魔女からすれば、他国の聖騎士が入り込んで勝手をするのを良しとは思わないだろうし…。
「…気はすすまんが、“アイツ”に聞いてみるか。打てる手は全部打ちたいしな」
俺は世界で一番できるだけ連絡が取りたくない男の姿を思い浮かべる。
いや、ヒゲ。ポーズを取るな。お前を見ていたわけじゃない。ちょっと似てるけどさ。
「…あ。そういえば、カダベル殿」
「うん?」
「確か武術に興味がおありでしたよね?」




