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屍従王  作者: シギ
第二章 ギアナードの魔女編
29/113

028 発情と呪詛と静寂と…

 何かが遠くに視える。


 それはクリーミーピンクのチェック柄のワンピースを着た、ツインテールの女の子だ。

 

 そうだ。あれは…確か、ノドカちゃんだ。


「ねえ、ミチサダ。アンタ、修学旅行いくの?」


「…うん」


「家貧乏なんでしょ? そんなお金あるの?」


「…うん。大丈夫ってお母さん言ってた」


「あらそう。キモいわね。バスでアンタの隣になるみたいなの。だから、休んでほしいわ」


「…僕も行きたいよ」


「フン。アンタ、デブで汗かきでしょ。迷惑よ。修学旅行に行く権利なんてアンタにはないわ」


「ゴメン…。でも、行きたいんだよ。お願いだよ」


「おまけにゲロ吐くんじゃない? 吐いたら許さないから。死んでね」


「……吐かないよ。僕、もし吐いたら死ななきゃいけないの?」


「そうよ。責任をとって死になさい」


「……死にたくないよ」


「口応えするの? それだけでキモいわ」


「ノドカちゃん…。キモいって言わないで。言われると悲しいんだ」


「そういうこと言うこと自体がキモいって言ってるの。わからないの? バカなわけ?」


「……」


「いい。アンタは存在するだけでキモいの。だから、死にたくないなら、常に周りに気を配りなさい」


「…うん」


「アンタの存在で不快な思いをする人がたくさんいるの。それをよく自覚なさい」


「…わかったよ。ノドカちゃん」


「名前呼ばないで。不快だわ」




──




「…コナクソがぁ!」


 なんだ?


 なんで、少坊の時の嫌な想い出がこんな時に!!

 

 ああ、もちろん落下していますわ。


 下からの風と、重力をビンビンに感じてますわ。


 この身体で地面に叩きつけられたらどうなるのかな?


 間違いなく全身バラバラかしら?


 痛みはないと思うけど、粉々になった場合、俺の意思とか感情とかはどうなるんだろう?

 

 その時には本当の“無”になるのか…?


 …ああ、それは楽かもな。


 ちょっと怖くはあるかも知れない。


 でも、何も考えなくて済むっていうのもアリかもね。


 そうだ。そうだよ。


 道貞は前にそう思ったことがあったよな。


 なら、もう……



「…カダベル殿」


 いつの間にか俺が抱き抱えていたルフェルニが、胸元で小さく声を上げた。


 意識を取り戻したのか。


 そうか。それなら俺以上に怖いだろう。全身が震えているのが伝わってくる。


「…私は…何のお役にも立てなかった。ごめんなさい。ごめんなさい…」


 何を謝るんだ?


 お前は頑張ったろう。


 充分に頑張ったはずだ。


 むしろ俺の方が役に立っていない。それなのになんで謝る? 


「…ウッ…ウウッ」


 ああ、泣くなよ。泣かないで欲しい。


 泣かれると俺の方がどうしていいかわからない…。


 だからキライなんだ。


 そういうの……


「泣かれるより…キモいって言われる方が万倍もマシだ!!」


 生き残る道を俺は必死で探す。


「【軽化】、【浮揚】! 【牽引・倍】!!」


 俺は思いつく限りの魔法を唱える!


 だが、壁面に【牽引】が届かない! 


 身が軋む。だが、そんなものはもう関係ない!!


「なめんじゃねぇぞ! クソが!! 【空圧・倍】!!」


 何度も【空圧】を飛ばして、なんとか壁に近づく!


「【牽引・倍】!!!」


 クッ! 無理か!


 俺とルフェルニの体重を軽くして【浮揚】を使っても、こんな程度じゃ落下速度は緩まないか!!


「そうだパラシュート! 【角延】!」


 俺はある魔法を思い出して使う。


 ベッドのシーツなどの四角をピンと張るための魔法だ。

 アイロン魔法なんて呼ばれ、主婦には人気があるが、よりにもよって、またなんでこんなものをカダベルは習得したのやら。

 魔法なら何でもいいやって感じだったのかもしれないが…手当たり次第すぎだろ。


 魔法の対象先は俺の外套だ。


 この魔法は、布のような柔らかい素材の角を限界にまで引っ張る。

 従って、俺の外套はピーンと張られた状態となり、さらに揚力を得る。


 この姿はまるでムササビの術を使う忍者だな。…いや、パラグライダーの方に近いか?


「よし! 速度が落ちる! 後はクッションだ!! やれんか!? やれんだろ! がんばれ、俺! 【紡錘・倍】!」


 【紡錘】はカダベルがまず使わなかった魔法の五本指のひとつに入る魔法だ。 

 これは文字通り糸を紡ぎ出す魔法だが、ただ単に糸を生み出すだけなのである。

 アパレル系の職種なら重宝するかも知れないが、それ以外の人にはちょっとした荷紐にするぐらいにしか使えない。

 それに加え、強度が市販のものに劣る。わざわざ、この魔法を使う者はあまりいない。


 しかし、今回は【倍加】させたことで強度はそこそこあるはずだ。


 俺の片手から、茹でた素麺でも噴出させているみたいに糸がジャバジャバと飛び出す。

 どうやら【倍加】によって糸を出す量も増えるらしい。

 この糸は魔力で作られている為、【流水】のような供給元を必要としない。俺の魔力が尽き果てるまで生み出すことができる。


「【収束・倍】、【射準】!」


 噴き出した糸がバラバラにならぬように【収束】させて集め、下方の壁面に向かって放つ。

 その姿は蜘蛛の糸を手首から出す某アメコミヒーローのようだ。

 物理法則を無視し、糸の束の先端が下へと向かって勢いよく飛んでいく。


「【接合・倍】!」


 糸の先端が壁に触れた瞬間に魔法を使う。上手く壁面にへばりついた。


「よし! さらに【接合・倍】!」


 俺は自分の身体に糸を巻きつけ【接合】で固定してから【紡錘】を止める。


 大丈夫だ。糸はまだかなりの長さがある。


 そして再び【紡錘】を使い、同じことを繰り返す。手当たり次第、壁に向けて糸をくっつける。


 ああ、もうすぐそこに地面が見えている!


 まだ勢いは殺せきれていない。このまま落ちたらバラバラになるのは確定だ!


 ってか、なんでさっきまではスローモーションみたいにゆっくりだったのに、いざ急ごうとする時にはこんなに落下が早く感じるんだよ!


「こ、これで足りるか!?」


 俺の身体は糸だらけだ。できるだけ衝撃が分散されるよう、四肢だけでなく、頭や身体にも巻きつける。

 そのグルグル巻きの姿は、まるで蜘蛛の獲物にでもなったみたいだ。


「上手くいってくれぇ! おらぁ! 【収束・倍】!」


 俺の身体に巻き付いた糸に向けて、【収束】をかける!


 そして糸が俺を中心に一箇所に集まろうとして、強く引き寄せられる! 


 これが魔法の凄いところだ!


 物理法則を無視し、糸が括り付けた部分がグッと引き絞られた感じがした。


 結果どうなるか?


 糸の長さが足りなくなってきているのもあり、落下しようとしている俺が、大きく上への方へと引っ張られる! 


「う、うごがががッ!!」


 あー! キツイ!


 痛みはないがキツイ!


 ミイラボディが悲鳴を上げている!


 ギリギリまでねばって、自分に【倍加】をかける。

 体重も増えてしまうが、質量が増える分、たぶん密度も増えて壊れにくいかも…いや、ダメか?

  

 ああ、こんな時にそこまで考えられるか!

 

 でも、もっと可哀想なのはルフェルニだ。生身の肉体じゃまず衝撃に耐えられないだろう。

 彼身体に糸を括り付けなかったのはそういう理由だ。下手をしたら脱臼だけじゃ済まない。


 俺は柔らかな卵を守りでもするかのように、ルフェルニを抱きしめる。


 ああ、この子が小柄で良かった。ロリーみたいに豊満だったり、あのマッチョどもだったら難しかった事だろう。


「クソぉ〜! それでも、落ちて…行くぅ〜!!」


 無数の糸は、俺の考えていたようなハンモックにはなってくれなかった。


 ブチブチと途中で切れたり、くっつけた壁面の岩ごとすっぽ抜けて落ちたり…


 ああ、視える。


 地面が視えるわ。


 俺は…俺たちは、糸から切り離され、落ち…………




──




 ルフェルニがムクリと起き上がる。


 そして、戸惑ったように左右を見回した。


 周囲は糸だらけだ。寝るのに快適なクッションではないが、地面に直に横になるよりはマシなはずだ。


 うん。でも、怪我がなくて良かった。下ろす時にちょっと頭ぶつけちゃったからな。若干痛かったもだが…後遺症とかはなさそうだ。


 ああ、俺の外套かぶせてたから不思議そうに見てるな。


 臭かったかな? たまに天日干しをしたりしてたんだけど…


 それで、俺を見るわな。


 うん。こっち見るわ。横に座っているんだもん。

 

 そりゃビックリした顔をするよな。


 さっきまで一緒にいたヤツがミイラになってりゃそんな顔になるわな。


「…カダベル殿?」 


(返事がない。屍のようだ)


 はい。死んでます。


 そうだ。手厚く葬りなさい。


 手向けの花はそこら辺にある雑草で構わないから。


「…カダベル殿」


(返事がない。屍のようだ)


 うん。問題なく死んでるから。


 そうだよ。オジサンは君を助けるために全魔力を消費して干乾びた…そんな設定よ。


 君は「ありがとう」と両手を合わせて、そのまま行っていいのよ。


「…………カダベル殿。聞こえてるんでしょう?」


「…………」


「いま動きましたね?」


「……“動いてません。ただの屍です”」


 ルフェルニが安心したように笑う。


「……ミイラだぞ、俺は。おかしいと思わんのか?」


「いえ、実のところ知っていました」


「……へ?」


「コウモリを偵察に向かわせた時に、普通の魔法士ではないと…私たちは知っていたのです」


「……なんで言わなかったの?」


「あ、いや…。その、仮面をしておられましたし。何か事情があって隠しておられるかと思っておりました」


 なんてこった…。マジか。


 なら、コイツらミイラと一緒に行動して平気なのか? コイツらもまたミイラフェチなのか?


「私ごときを助けて下さったこと、心から感謝します…」


 ルフェルニが深く頭を下げる。


「そして旅の安全を保証すると言っておきながら、カダベル殿を、ロリーさんを…こんな目に遭わせてしまい……本当に申し訳ございません。私は…私は…この場で責任を取って…」


「いい。責任取って自害するとかはダメだからな。そんなことをするって言ったら怒る」


「しかし!」


 ああ、そうか。


 それで少坊のことを思い出したのか…“責任とって自害”、ね。


 俺はルフェルニに対して、そんなつもりはなかったんだが、な。


「シカシもカカシもありません。…あれ? なんかロリーとも似たようなやり取りあったな」


「…あ、うぅ…」


「あ! 泣くな! 泣くなよ。ルフェルニ。俺は泣かれるのが一番キライなんだから」


「わ、私は…ただ、ただ、申し訳なくて……」


「いいか。ロリーは殺されてない」


「…え?」


「これには根拠がある。彼女は修道士で、アイツらは聖騎士だ。つまりそういうことだ」


 どういうことだ? これを根拠にするには我ながら弱いなぁ。


「そして…そうだ。理由までは知らんが、ヤツはロリーを保護すると言っていた。そうであれば丁重に扱うことだろう」

 

 ロイホとエイクは…まあ、なんとも言えんな。だから、それはルフェルニには伝えない。


「生きているなら、助け出すことを考えればいい。

 あの中二病聖騎士をブッ倒すには、お前の剣の力が必要だ。

 どうしても責任を取りたいと言うのなら、アイツをボッコボコにすることで取ってちょうだい」


「……はい」


 絶望している時には、何かしらの目的を与えてやるのが一番だ。


「わかりました。私はロリーシェさんの奪還のため、死力を尽くします!」


「よしよし! その意気だ!」


 目的に向かってガムシャラに走っている時は後悔なんてしている暇はないからな。


「それに、あの中二騎士の野郎だ! ルフェルニの整った顔で、『その中二病の必殺技が格好いいとでも思ってんの? ちょーダサーイ』とか言ってやるんだ! そうすりゃ、アイツきっと立ち直れなくなるぞ!」


 ククク、あの小僧の吠え面が楽しみだ。この礼は倍返しくらいじゃ済まさん!


「……ん? ツラといえば、あの聖騎士の顔どこかで見たような。……思い出せん。ま、いっか」


 あれ? さっきから、なんかルフェルニの顔が紅いな。


「君。もしかして、罵倒が趣味だったりするのか?」


「え? …あ、いえ、その私の顔を…カダベル殿が…整っていると…仰られたので…その…恥ずかしくて…」


「本当のことだろ? だって、俺なんて見てみろよ。目玉もねぇ上に、骨と皮しかねぇんだぜ。骨皮だ。骨皮ス…いや、やめておこう」


 特殊な髪型をしたキツネ顔のイメージを慌てて振り払う。


「…あ! 不快なら顔を隠すけど。そこらへんい散らばっているゴミで…うまく仮面作れるかな」

 

「いえ、大丈夫です」


「だって、夜とか見られないだろ? 夜中にトイレ行けねぇってレベルじゃないよな。布団の中で漏らすだろ」


「あの、本当に…。もっと怖いかもと思っていたんですけれど、意外と…大丈夫です。むしろ素顔の方がいいです」


「そ、そうか…」


 やっぱりミイラフェチか!


 なんだ、この世界はミイラフェチが標準搭載されてんのか?


 こういうのって有料の追加オプションじゃないのか?


「……しかし、ここからどうするかね。崖を登るのはちょっと無理そうだな」


 糸を【接合】させたようなボコボコなところもあるけど、基本的には断崖絶壁だ。落ちてきた感覚から言っても、1,000メートルくらいはあるかも知れない…そんなわけないだろうけど。


「このまま川下へ行きましょう。先に進めばだんだん低くなり、登れるような緩い傾斜となるはずです」


「あー。でも、食べ物とかは? こんなところじゃなんもないだろ。俺は飲まず食わずでも平気だが…。ま、水は出せるがね」


「私も大丈夫です。3、4日ぐらいならば食べずとも行けます。…でも、飲食なんかよりも…」


「ん?」


「いえ! なんでもないです!」




──




 それから崖の間を2人して黙々と歩く。


 やがてミイラの沈黙に耐えかねたのか、ルフェルニから声を掛けて来た。


「カダベル殿。…聖騎士と戦った時のキズは大丈夫なんですか?」


「ああ、取り敢えずは塞いだからな。骨は破片を集めて【接合】したし…」


 【倍加】させた【接合】だと、同じ物質でもくっつく。怪我の功名じゃないが、新しい発見だった。

 【接合】は凄く便利だけど、違う物質同士しかくっつけられないって制限が微妙だったんだよね。


「胸んとこの大きな亀裂は魔法で生成した糸で縫ったんだ。…本当は石灰か何かで埋められればいいんだがね」


 自分の身体を修復するって変な感じだよな。

 でもこんな簡単にいじれるなら、そのうち骨の代わりに全部を鋼とかに代えられるんじゃね?


 やべー。格好いいかも。超合金製の俺の爆誕じゃん。


 超合金ってなんだよと思うけど、その響きが格好いいんだよな。高級感が増す感じがする。


 うーん、でも、どこまでやっていいのかわからん。


 下手にやりすぎると、“これは俺じゃない”って認識になった瞬間に昇天してしまう危険があるな。


「カダベル殿が動いてるのは、魔法の力によるものなのですか?」


「うーん。そうとも言えるし、そうとも言えない部分もあるな」


「そうなんですか?」


「あの聖騎士の使った最後の技…聖撃って言ったか? あれは俺は知らん何かだ。魔法に近いんだろうが、魔法ではない。

 …つまり、世の中は不思議でわからんことだらけだって話」


 わけわからんことの代表である俺に言われ、ルフェルニは「なるほど」と頷く。



「…暗くなってきたな。【照光】」


 深い崖にいるせいか、なんか普段より暗くなるのが早い気がする。


「こんな所に野生動物が出ることもないだろうが、周囲を見張っとくよ。俺は眠らなくても大丈夫なんだ。少し横になるといい」


 俺が外套を脱いで渡そうとすると、ルフェルニは首を横に振る。


「寒くはありませんから…。でも、お言葉に甘えて。あの岩間の陰で休ませてもらいます」


「ん? ここで寝ても…ああ、いや、わかった」


 そりゃそうだよな。寝る側にミイラいたら嫌だわな。


 いまも【照光】の光で、きっと墓場からそのまま出てきた怪異の様相してるだろうし。そんなん俺自身が見ても悲鳴を上げる自信がある。



 さて、ルフェルニが行ってしまうと暇だ。


 ロリーはどうしているだろうか。


 ちゃんとご飯食べさせてもらって、ふかふかの布団で眠れているかしら?


 修道士見習いだしな。不当な扱いを受けるわけはないにしても、かといって良い待遇になるかまではなんとも言えない。


 聖騎士の中にだって清廉潔白なヤツらばかりじゃないだろ。

 もしかしたら「おう、姉ちゃん。ええ乳してまんなぁ」なんて、不埒な輩がいるかも知れない。

 それで「あーれー」と帯を引っ張られて……んー、そう考えるとムカムカしてくるな。


「…そんなヤツいたら火葬だな。ミイラに火葬されるっていう悪夢をマクセラルみたいに味わってもらおう」


 俺は懐から、紫鬼2体を倒した時に手に入れた水晶を引っ張り出す。


「戦力増強を視野に入れて…だが、2つだけじゃ、“メガボン・マークⅡ”は造れんしな。ボーン素材もない。はてさて、どうしたものか」


 腕を組もうとして、べキッと胸のところで音がした。


「やべ。また穴あいちった…あー、くそ。ミライが居たら裁縫してもらえたんだろうけどな。やっぱ素人が適当にやってもダメか」


 【接合】は後で剥がすのが面倒だと思って極力使わなかったが、やはり縫ったところも無理矢理にでもくっつけるしかないか。

 そう思って魔法を使おうと思った時、ふと地面に並べていた水晶が眼に入る。


「うーん。…お。すっぽり入る」


 我ながら何を思ったのか、自分の穴に水晶を入れて見る。


 ほら、男の子って穴があるとなんか指突っ込んだりして抜けなくなるじゃない。あんなノリだ。


「…コイツで塞いでも…あ!」


 手が滑って、誤って水晶が俺の中に入ってしまう。


 コッ! カッ! コッ! コン!


 あー、肋骨の間を通って、腹の方にまで…これ取るの大変じゃん。


「……空洞か。なら、こういう石とかを腹ん中に貯めとけるのか?

 うーん。もし、この状態で俺自身に魔法かけたらどうなるんだ?」


 試しに手にもう1つの水晶を手に持ち、最初に【軽化】を、次に【倍加】を自分自身にかけてからジャンプしてみる。


 せいぜい数百グラムの違いなんだろうが、腹の中で動く水晶が、なんだか重くなったり軽くなったりしている感じがする。


 対して、手に持った水晶にはまるで変化がない。今回、この手に持つ水晶は魔法の対象にしてないから当然の結果だ。


「オッホッホー。これは面白いぞ。俺の中にあると、“俺の身体”と見なされるのか。

 その上、魔法の効能は別個としてかかる…矛盾だな。まったくの矛盾だ! そこまで想定されていない故のバグか!」


 もしかしたら俺の気のせいかも知れないけどね。

 こういう時に計量機とか欲しいよな。感覚でそうだと決めるのは研究者としてどうかと思うわ…と、俺の中のカダベル脳が言っている。


「色々とコレでなんか出来そうだな。【抽出】」


 俺の中の“異物”は簡単に【抽出】できて、俺の手の中に水晶が2つとなる。


 良かった。腹の奥に手を突っ込んで取ることにならなくて。


 しかし、これは“俺の身体”と見なされるならおかしい結果だ。


 だけれども、魔法は個々によって設定パラメーターのようなものがあり、判定基準が統一されているわけではない。

 だからこそ、想定外の使い方ができる。【倍加】による相乗効果の累積だなんて、明らかに初期設定ミスだろ。


「よし。これなら水晶に魔法を込めたりして、もっと応用に幅が…」


 色々と考えを巡らそうとした時、何やら呻き声のような物が聞こえた気がした。


「…ルフェルニ?」


 返事はない。何やら嫌な予感がする。


 具合が悪いって話だったし、もしかして結構無理していたとか…。


 そうだと困るな。治療系の魔法はさすがに応用とかで何とかなるもんじゃない。


 ミイラとかゾンビとかスケルトンにして良いのなら、職人技の見せ所なのかも知れないが…ない。ないわ。



「おい。大丈夫か?」


 岩越しにいるであろうルフェルニに声をかける。


「…こ、来ないで下さい」


「そんなこと言ったって、スッゲー苦しそうじゃんか。【鎮痛】なら使える。…痛いの痛いの飛んでけレベルの魔法だがな」


 病気の時って不安になるよな。誰かに側にいてもらいたいもんだ。


「おー…」 


「ハァ…ハァ…」


 覗き見ると、なんか凄いことになってる。


 真っ赤な顔してて、涙ボロボロ流して、ヨダレたれまくってて…岩に抱きついて、荒い息を吐いて苦しんでるんだが。


「本当に大丈夫なのか?」


「…み、見ないで下さい」


「確かに具合悪いところをあまり見せたくないのもわかるが…。

 どこが痛いんだ? それとも苦しいのか?」


「身体が熱くて、熱くて…灼けそう…です」


 なんだ? ヴァンパイア特有の熱がこもって抜けなくなる病とかなのだろうか?


「とりあえず、服を少し脱いだらどうだ?」


 ルフェルニはかなりの薄着だ。それ以上脱ぐと下着だけになってしまうが…。


 あー、それに男の子ってなわけじゃないからな。脱げってのはまずかったかな。でも他に方法ないし…


 上着のボタンに手を掛けるのを見て、俺は「後ろ向いてるから!」と背を向ける。


 ミイラだってデリカシーくらいは持たないと!


「【流水】で浸した布を振り回すと、冷えて…あー、吸水力のあるタオルか何かあればいいんだが」


 外套はさすがにゴワゴワしてるし、ましてや水を吸わないな。俺の下の服も基本的に革とか、防水加工してある布でできている。


 ミイラだから水に濡れると潤うんじゃないかと思うかも知れないが、下手に水分が体内に入ってしまうと、代謝がないせいで簡単には抜けないし、下手をしたら溜まった水がそのまま腐ってしまう場合があるのだ。


 子供たちに臭いと言われ、ついに自分が腐り始めたかと思ったら、腹の中にカビが生えたのが原因だったことがあった。

 俺自身は【防腐】しているが、俺の中の水気にまでは効果が及ばないのだ。


 ああ、あれは本当に大変だった。【除臭】でも完全に取れないし、何度も洗い流して、完全に乾かしてようやく消えたのだ。


 まったく、鯵の干物か、切り干し大根になった気分だった。


「ルフェルニ。もし大丈夫だったら上着を1枚くれ。濡らして渡そう…んが!?」


 脱がれ落ちたシャツに視線を動かして驚く。


 え? あそこに落ちてるのまさか下着?


 え? 上着だけ脱いだんじゃないの?


 ということは…


「ぜ、全裸…?」


「ハァ…ハァ…」


「いや、確かに服を脱いだらとは言ったが、裸になれとは…」


「ハァ…ハァ…」


 …ん?


 あれ?


 もしかして…


「……まさかとは思うが、その病って…発情期?」


「…そう…です」


 あおー!


 そうだ! やっぱりそうだ!


 思ってたんだ!


 飼ってた猫みたいな鳴き声してたって!


 発情期になると月に向かって鳴いてたもん!


「イーヤーダー!」


 俺は尻をガードする!


 とりあえず何でもいいからってなったら困る!


 ミイラは対象にはならないかも知れない!


 でも飼ってた猫は毛布に腰振ってた!


 可能性はある!


 死ぬ前どころか、死んでからも辱めを受けるなんて!!


 使わなくなって自然に塞がった穴を再び開通されるだなんて耐えられない! 岩盤事故が起きるぞ!


「…いえ、安心して下さい。できませんから」


「できない? た、確かにミイラとじゃ…」


「バカにしないで下さい! ミイラだって平気ですよ!! 私はヴァンパイアですよッ!!」


「ご、ごめんなさい…」


 いや、なんで俺が謝ってんだ?


「……いえ、大きな声を出してすみません。でも、それぐらい辛いんです」


 いやー、ヴァンパイアって大変なんだな。


 股の間に腕は挟んでモジモジしてるし。


 い、いや、見えてない。肝心なところは隠してる。大丈夫だ。


 しかし、たぶん男子中学生並なんだろう。そういや夜中とか妄想ヤバいもんな。


 夜中、満月の時に素っ裸になってベランダで吠えてたとあったなぁ。…もちろん猫抱えて、猫と一緒に。うん。


 あの頃は悶々しすぎていたが、よく犯罪をおかさなかったと当時の自分を褒めてやりたい気分になる。


「うーん、どうしたものか…」


 パチっと俺の中で何かが閃く。


「安心しろ。ルフェルニくん。人には知恵がある!」


「…ハァ、ハァ…知恵?」


「そうだ。自家発電という素晴らしい先人たちの叡智の結晶があるんだよ!」


「…フゥ、フゥ……自家発電?」


 え? いや、なんか真顔で問われると凄い恥ずかしい。


 ミイラがこの絶世の美少年(美少女?)に何のセクハラ説明しているのだ…。


「…あの、なんて言いますか、自分で自分を慰めるといいますか…はい」


 ルフェルニは多分あまり頭回ってないな。


 俺のしどろもどろの説明に、しばらくボーとした後、フッと悲しげに笑う。


「……ああ、自慰ですか。私に自慰をしろ、と」


 うーん。なにこの背徳感は!


 幼気な顔にそんなことを言わせることへの罪悪感!


「知っているなら早い。なら、スッキリしよう! その病から解放されるんだ!」


 俺は何を力一杯言っているんだ?


「…………手伝っていただけるので?」


「…………は?」


 手伝う?


 どうやって?


 自分でするから自慰って言うんじゃないの?


 俺の頭の中に、セコンドに立って「やれ! やるんだ! 行け! 今だ! ルフェルニ!!」と叫んでいる片目アイパッチのミイラの姿が思い浮かんだ。


「冗談です…。冗談ではないですけど、冗談です」


「なんだ。冗談…え?」

 

 なんだ意識が朦朧としてておかしくなってんのか?


 もうイヤだよ。こんなルフェルニと会話続かないよぉ。


「…でも、それもできません」


「は? なんで?

 あ、もしかして俺がいるから? いや、それならもっと離れて…」


「……いえ、絶頂を迎えると死ぬんです」


「は? …なにそれ? ヴァンパイアの特性なの?」


「違います。ここを見て下さい…」


「ちょ、ちょっと待って! 腕を動かさないで! 見ろって言われても…」


 しかし俺の予想とは違って、ルフェルニは腹部の辺りを少し開いて見せた。


 そこには奇妙な幾何学模様が描かれている。きっとそれは大事な部分にまで続いているのだと思われた。


「…“魔女の呪詛”、です。私が他種族と交わらぬようにかけられた呪いです」


「…なんだって?」


「…んぅ。ツライ。キツイ。…ハァ。…カダベル様の言う通りです。魔女は私たちの種族を警戒していました」


「そ、それはそうだろうが…。それでルフェルニに呪詛をかけたっていうのか?」


「…ヴァンパイアには正統血統というのがありまして、血が濃い者がヴァンパイアを継ぐのです。そうでない者はハーフヴァンパイアとして、能力だけで言えば…正統には劣ります」


「そうか。ハーフヴァンパイアしかいなくなれば…そのうち血は薄れて、種族は滅びるというわけか」


 つまり、お家断絶ということだ。


「しかし、伯爵は…。いや、ルフェルニも身分の高いヴァンパイアだからそうなのか? 正統血統の者、全員に呪詛を?」


「…まあ。そうですね。それに近いです」


 言葉を濁されたが、そりゃ言えないよな。種族の弱点を話してるわけだから。


「……魔女にとって、もはやヴァンパイアは敵とは見なされていないのだと思っておりました。国を裏から掌握しようとする狡猾なヤツです。我々の未来を閉ざしたことで、これで終わりだと…油断しているものとばかりに…」


 ルフェルニがポロッと涙を零す。

 苦しいからか、それとも悔しいからか…いや、その両方なのだろう。


「…ヴァンパイアにとって種族を残せないのは屈辱的なことなのです。我々にとって、愛と繁栄を育むことこそが生命への讃歌。その義務を果たせぬ私は出来損ない…です」


「…ルフェルニ」


「…カダベル殿。あなたの孤高さと気高さ、それにも勝る深い慈愛に、私は“王”の姿を見ました。

 死に支配されず、むしろ死を従えられる王…ヴァンパイアの、いえ、私の忠誠を捧げるに相応しい方…」


 ルフェルニの眼がトロンとしている。焦点がまるで合ってない。


「俺は王なんかじゃない。手下なんて2体しかいないんだぞ」


 しかも、1体は半ば腐っている上にサーフィンボードを武器と思っていて、もう1体は頭良さげな眼鏡なのにカチコチに固い上に会話が成り立たないヤツなんだぞ。


 出来損ない? それを言ったら俺の方じゃないか。


 騙されて異動して、死ぬこともできず、流されるままに生きて…いや、無様な死に様を晒し続けている。


 俺は外套をルフェルニの肩にかける。


「あふッ!」


 変な声出すなよ。敏感になっているのはわかるが…


 何がしてやれるでもない。だが、俺は外套でルフェルニの身を包んだ。まるで赤ちゃんの御包みのようにだ。 


 そして俺はルフェルニを抱きかかえる。「よしよし」と左右にあやしながら。


「あ、あ、あ…!」


「ルフェルニ。こういう時こそ無心となるのだ。瞑想の基本だ。まさに赤ちゃんのようになるのだ」


「…赤ちゃん」


「そうだ。赤ちゃんからは学ぶものが多いぞ。眠気の方が勝れば、本能はそちらを優先する」


 俺は【鎮痛】を使い、【空圧】で外套の中に対流を作る。溜まった熱はこれで少しは緩和されるはずだ。

 それが思ったより心地良いのか、ルフェルニは眼を閉じ始めた。


「…安心して眠れ、ルフェルニ。永遠の静寂がお前の隣で見守っているんだからな」


 歯の裏がムズ痒くなる尊大な台詞だったが、ルフェルニの心を和らがせるには充分だったようで、強張っていた肩から力が抜けた……


 そりゃそうだ。ミイラになる以上に安らかな眠りがあってたまるかよ……

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