027 ジョシュア・クシエ
フードから覗く、邪悪な老人の顔。
そこに生気はなく、すべてに絶望し、その曲がって歪んだ背中からは強い死臭が漂っていた。
俺はそれを“死神”だと思った。
“死神”が姉の頭に手を置く。
それは死刑宣告。
“お前の命は俺のモノだ”…そう言ったように聞こえた。
──カダベル・ソリテール──
それが、俺が初めて“敵”だと認識した男の名前だ……
──
店の邪魔にならないよう、いつもの隅の席に座って絵を描く。
最近のお気に入りの絵は、騎士と竜が戦うものだ。
魔女に操られた竜がみんなを苦しめている。それを救うのが選ばれた騎士だ。
だから、騎士はいかにも強く描かねばならない。
竜は大きな口を開いて炎を出す。怖い怖い存在だ。
それに負けないぐらいの勇猛果敢な騎士を、絶対に負けないように強そうに懸命に描く。
「“おい。ジョシュよ。俺様は悪い竜だぞー”」
長椅子の後ろから、緑の竜がピョコンと顔を出す。パクパクと口が動いていた。
それは緑のミトンだ。指先を口に見立てて動かしているのだということは、幼い俺にもわかった。
「“さあ、悪い竜め。私が懲らしめてやろう!”」
銀色の鎧が動き出す。「えいえい!」と武器を振り回して竜の頭を叩く。
それはレードルだ。レードルでミトンをバシバシ殴っているのだ。その様を見て俺は笑う。
「“ぐあー、やられたぁ〜”…こうして世界は平和になったのでした。めでたしめでたし」
父がニヤッと笑った顔を出す。
きっと今日は店が暇なんだろう。そんな時は俺を楽しませるために、こんな小芝居をやってくれるのだ。
「…どこにも連れて行ってやれなくてゴメンな」
「ううん。大丈夫だよ。ボク、ここ好きだし」
「ジョシュは偉いな。偉いぞー」
父が頭を撫でてくれる。俺はこの大きなゴツゴツした手が大好きだった。
「ねえ、お父さん」
「ん? なんだ?」
「ロリー姉ちゃんがいる時には、なんでボクのことを“ジョシュア”って呼ぶの?」
俺の疑問に、父は少し困ったように笑う。
「…お姉ちゃん、ロリーシェがそう呼ぶと怒るからだよ」
ロリーとジョシュって呼び方は、母がしていたものらしい。
俺には母の記憶がほとんど無いからわからなかったが、そう父から聞いたのだ。
だが、なぜ父がそう呼ぶのを姉が嫌がるのかは、その時の俺にはまったくわからなかった。
「……いつか。ジョシュとロリーって呼べる日がくるさ。もうちょっと待っててくれな」
そう言って、父は俺の頭を再び撫でた。
……しかし、そんな日が来ることは永遠になかったのだった。
──
父が死んだ。
父は真面目で優しく、とても強い人だった。
だから、あの酔っ払いを殺してしまったという自分の行いが許せなかったんだ。
父は悪くない。ぜんぜん悪くない。
俺や姉を助けるため、仕方なくやったことだ……
それなのに……
「せっかく助けて頂いた命なのに…粗末にするなんて」
父の亡骸を見やり、そんなことを呟いた姉が信じられなかった。
確かに父と姉は仲は良くなかった。けれど、俺たちを愛してくれた父の最期なのに、そんな台詞はおかしいじゃないか……
泣いて悲しんで、大好きだったと…せめて父の魂にそれを伝えるべきじゃないのか。
俺がモヤモヤした感情を抱いていると、姉は「前を向きましょう。ジョシュ。悲しんでいても何も始まらないわ」と言った。
その時のロリーの眼は、はっきりと覚えている。
ロリーは、まるで俺を見ていなかった。
俺なんか存在してないかのように、彼女は上の空だった。
俺はその時にわかった。
姉の頭に手を当てたカダベル・ソリテール。
あの時、あの老人が、きっとロリーに何かしたのだ…と。
そうだ。姉が言う通り、もしカダベル・ソリテールが命の大恩人で、大魔法士だとして、あの酔っ払いを生き返らせるような“奇跡”ができるんだとしたら、どうして俺の父の死をむざむざ見過ごしたんだろう。
そもそもだ。あの酔っ払いが暴れている時に、どうしてあの魔法士は最初から助けてくれなかったんだ?
俺が地面に倒されて、父がチンピラを刺すまでの間、あの老人は一体どこで何をやっていたんだ?
なんですべてが終わった後、タイミングを見計らったかのように姿を現したんだ?
……もしかして、これは最初から仕組まれていたんじゃないのか?
飛躍しすぎた考えだろうか?
いいや、そう考えた方が辻褄が合うじゃないか。
クルシァンで聞くカダベル・ソリテールの話は「彼は善人だ」というものばかりだ。
ヤツの名前を出すだけで、皆が良くしてくれる。
それも全部がお膳立てされ、計算され尽くしたかのような気味の悪さだ。
そんな人間が存在するのか?
なんの見返りもなく、見知らぬ誰かを助けるものなのか?
俺が知っている中で、身を持ってそれを示してくれたのは父だけだった。
父は俺もロリーも家族として、とても大事にしてくれた。
だが、父は善人だったからこそ不器用で、世渡りが下手だった……逆を言えば、そんな人間らしさがあった。
しかし、あのカダベル・ソリテールは違う。
この男の善性は、“他人に害を加えなかった”、“貴族の強欲さや傲慢さがなかった”という点が、ただ単に好意的に見られただけに過ぎないじゃないか。
カダベル・ソリテールの真の姿はこうじゃないのか…
人間味のない。
他人に興味がない。
つまらない男。
それは下僕であるナドも言っていたことだ。「決して危険を犯してまで、子供を助けるような人じゃない」、と。
そんな人間が、どうして姉や俺を救ったというのか?
理由はひとつだけ思い当たる物があった。
そう。それはヤツが魔法研究者だということだ。
つまり、魔法の研究の一環で…俺たち姉弟に眼をつけたんじゃないだろうか?
これは単なる憶測に過ぎないか?
そうだ。ガキの根拠もない考えに過ぎない。証拠は何一つない。
だけれど、どうしても俺にはそう思えて仕方なかった。
夜中、苦しそうにカダベルの名を呼ぶ、隣の部屋の姉の声で眼がさめる……
荒い息づかいと悶え苦しむ声。
それを聞くたびに無力感に打ちのめされて耳を塞ぐ。
ああ、姉はもう完全に取り込まれてしまったのだ…と。
──
騎士団への仮入隊に受かり、寄宿舎に入る前日にナドに呼び出された。
執務室に入ると、いきなり便箋を放られる。
「…これは?」
俺が訝しげに尋ねると、ナドは大げさに肩を竦めて「開けてみなさいよ」と言う。
俺がビリビリに破くと、その粗暴さが気に入らなかったのか、ナドは「んもー」と苦い顔をする。
中から出てきたのは小切手だった。だが、金額が書かれていない。
「カダベル様からよ。好きな額を書きなさい」
「なんでだ?」
「もし、この屋敷やアタクシが気に入らなそうだったら…そうしてやれってご命令だったからよ。別に拘束するつもりもないんだからね」
口ぶりからしても、ナドは言われたままをしているという風で、その理由には興味はなさそうだった。
「寄宿舎に入る…この時期に?」
「それはたまたまね。アンタが金の管理ができるようになる年齢になったと、アタクシが判断したのが重なっただけよ」
「ロリー…ロリーシェは?」
「姉とアンタは別人格でしょ。それとも、まったく同じ存在なのかしら?」
そうか。姉にしか用がないというわけか。
「……手切れ金というわけか」
「は? …アンタさぁ、なんでそんなヒネくれた物の見方しかできないわけ?」
「ナド。あんたには感謝している。…だが、カダベルはどうしても信用できない」
「“様”をつけなさいよ…」
ナドは不快そうにしたが、それ以上のことは言わない。俺がこう言う理由を知ってるからだ。
「本当に気にかけているなら、一度くらいは顔を見せるはずだろ」
「ご高齢だから…」と言いかけて、ナドは口ごもる。
カダベル自身が戻れない身体にしても、それなら使用人たちに「来い」と呼べば、一も二もなく即座に行動しただろう。
そうしない理由も、また俺たち姉弟を助けながらずっと放置している理由も、彼にはわからないのだ。
「……知らないわ」
「そうだろう。姉もそう答えるだろうな」
ロリーも同じだ。盲信的にカダベルを信じているだけで、俺が突っ込んだ質問をすると感情的になって話にならない。
「……別に出て行けってことじゃないわよ。金を受け取って、そのまま寄宿舎に居ても、ここに居てもいい。アンタが成人するまで出来る限りのことをしろってのがご命令だからね」
「……金なんていらない。今まで世話になった分は必ず返す」
小切手をビリビリに破いて机に放る。
ナドは何の感情もなく破られた紙切れを見つめた。
「ただ今利用できるものは、全部利用してやる…それだけだ」
──
寄宿舎での生活はそれなりに充実していた。
正直、周りの敬虔な信徒とは違い、俺は源神とやらを信じる気にはなれなかった。
上っ面は合わせているが、祈る時に気持ちを込めた事なんて一度もない。
広場や練兵場で何時間、剣を振っていても怒られることがないのは良かった。
怒りの炎をいつまでも絶やさぬよう、燃焼させ続けるために、俺は戦闘訓練に没頭した。
俺は強くなることで頭がいっぱいだった。強くなってどうするのか…そんなのは強くなった後で考えればいいことだ。
父の仇として、今すぐにでもカダベル・ソリテールを討つべきだとは思っていたが、しかしヤツが悪事を働いたという確たる証拠が得られないことに、鬱々とする日々を過ごす。
明確な敵だったらわかりやすかっただろう。
だが、敵は尻尾を一切見せない狡猾な男だ。
そして、もうひとつの懸念があった。こっちはもっと深刻な問題だ。
それは俺が強くなる前に、カダベル・ソリテールの寿命が尽きてしまうのではないだろうかということだ。
死んでしまえば万々歳…そんな風にはとても思えない。
事の真相を…ヤツの悪意を、白日のもとに晒さないまま全てが終わってしまったら、父の無念を晴らせないままに終わる。
そんなことは、俺にはどうしても耐えられなかった……。
──
5年前、姉がいきなり失踪した…
聖学校に聞いた話だと、奉仕活動実習のために出国したとのことだった。
しかし、目的地をギアナードにしている時点で、カダベル・ソリテールに会いにいったのであろうことは俺にはすぐにわかった。
すぐに戻ってくるだろう、または手紙でも送ってくるだろうと俺は最初軽く考えていた。
だが、ロリーは戻って来るどころか、手紙の一通も寄越すことがなかった。
俺とは違って、姉はマメな性格だ。
週に一度送られてくる手紙も、返信こそしたことはないが、必ず眼は通すようにしていた。
だいたいがカダベルの話で決して楽しいものではなかったが…
そして読んだことで、俺はつい返事をした気になっていたのだと、手紙を貰えなくなってからようやく気付いた。
本当に俺は馬鹿だった。
気づいた時には、もうすべてが遅かったのだ…。
姉のことは決して嫌いではなかった。唯一残った肉親なのだからして当然だ。
たが、カダベルの話ばかりするのと、やたらと俺を心配してくる事が少しばかり煙たく感じられていただけなんだ。
ロリーがいなくなって、俺は初めて、姉がかけがえのない大切な“家族”だったのだと気付かされた……。
──
聖学校も聖騎士団も、ロリーの捜索隊を出すことはしなかった。
准修道士ひとりに、そこまでする気はなかったというのもあったろうが、姉の出奔は自発的なものによると判断されたことが大きかった。
俺はカダベル・ソリテールの危険性を訴えたが、何の根拠もないということで一蹴された。
ナドは何人か使いをやったようだが、イルミナードに立ち寄ったのを最後に、それ以上の行方はまったく掴むことができなかった。
カダベルの住んでいたという屋敷も、もぬけの殻となっており、都市長に当たってみても引っ越した形跡がない、死んだ可能性が高い…そういう話だけで、手掛かりひとつ見つからなかった。
俺は何度かイルミナードに行きたいと、直接に室長に頼んだのだが、騎士の資格を得るまでは、親兄弟が死のうと寄宿舎を離れない…そういう入寮時の誓約のため、どうしても認められる事がなかった。
──
そして俺は聖学校の騎士訓練科を卒業し、従者を経て、無事に聖騎士となることができた。
その頃には、俺は姉は死んだものと考えるようになっていた。
連絡ひとつないのは、きっと生きてはいないからだろう…と。
しかし、そんな風に忘れかけていた頃に、ひとりのドワーフの商人と出会うことになる。
駐在所の前で厚手の布を敷き、様々な武具や薬品などが並べられていた。
掘り出し物があるかも知れないと、同僚に誘われ、俺も一緒に覗き見に来たのだ。
やけに話好きのドワーフで、ギアナード方面でも手広く商売をしているのだと、儲けが少ない辺鄙な場所でも商いをするのがドワーフ商人の矜持なのだと、そんなことを聞いてもいないのにベラベラと話す。
ドワーフは長命だ。だから数年前のことも、つい先日のことのような感じで喋るのは聞いていて変な感じがする。
「聖騎士のお兄さんや。そういやな、お前さんによう似た顔の、気前の良い修道士のお嬢さんに出会ったことがあったわい」
それを聞いた瞬間、俺はそのドワーフに食ってかかるかのように質問攻めにした。
「あ、ああ。そうさの。確かにカダベル…そんな名前の男を探してると言うておった。コレ以上の話を聞きたいのなら…」
俺は手持ちの金貨がすべて入った袋を、相手に無理やり握らせる。
ドワーフは何か言いたそうにしたが、剣に手をかけると「またもやか。商売をわかっておらん若者ばかりじゃな」とぼやきつつも話しだした。
内容を要約すると、ゴゴル村という場所に、あの酔っ払いゴライがいた。その事をロリーに話したら、彼女はすぐにレンジャーを雇って、その村へ向かったとのことであった。
「赤子を背負っていたっていうのは?」
「…それもワシはただ聞いただけの話だ」
「…カダベルに関係しているのか?」
「そんなのはワシは知らん。ただ、あのお嬢さんは何かあると思った様子じゃったが…」
ロリー…ゴライ…カダベル……
そして、それら全てを繋ぐゴゴル村。
もう少しで…もう少しで何かがわかるような気がした。
──
それから間もなくして、団長のサトゥーザ様に呼ばれる。
サトゥーザ・パパトゥは聖騎士の中でも最も気高く、最も崇高な理念を持った人物だ。
俺の信仰心のなさを彼女は知っていて、「私も“証拠を示せる信仰”しか信じない」と本音の部分を語ってくれたことがあった。
他の聖騎士や神官たちは、盲目的に源神を信じているが、サトゥーザ様は源神が授けた“形ある奇跡”…例えば、聖撃などの“結果”しか信じないのだ。
そして、教義そのものをただ受け容れるのではなく、そこにある理知的な部分、感情を制御する、統制された在り方こそが、騎士団の正義や規律を維持する上で、宗教というものの最も崇高な恩恵なのだと考えていた。
そして全てに懐疑的な俺に対して、かなり前から、何か親近感や共感めいたものを覚えて下さっていた様だ。
聖騎士になれたのは、俺自身の必死な努力もあったと思うが、このサトゥーザ様が特に目をかけて下さったことによるものも大きい。
「……未確認の情報ではある」
眉間に深いシワを寄せて言われる。不確定なことを嫌う彼女らしい。
「私がギアナードに行くのを止めたのには理由があると言ったな」
あのドワーフの話を聞いた後、俺はすぐにゴゴル村に行きたいという話をサトゥーザ様に伝えた。
ダメだと、規律違反だと、滅私だと…そう言われたとしても、俺は街を抜け出してでも向かったことだろう。
だが、そうはしなかった。
その理由は、サトゥーザ様が「ギアナードに対して大規模な進軍を行う可能性がある」と言ったからだ。
事実、最近の聖騎士団は慌ただしく軍拡増強を急いでいた。
戦争を起こす気なのでは…そんな不穏な噂も市井に流れていたが、聖騎士当人たちもなぜこんなことをしているのかわかっていなかったのだ。ただ命令に従っていたのである。
「…実は“魔女”が動き出したとの報告が上がっている」
「魔女?」
魔女…それは聖教会が最も忌み嫌う存在だ。
源神オーヴァスが、賢者を通して創り上げた魔法。
これらは本来世界に秩序と安寧のために、世界にもたらされた力だ。
しかし、魔女はそれらを勝手に改変し、悪用し、破壊と殺戮をもたらす魔法を生み出してしまった。
聖騎士や神官たちが使う魔法は、治癒や守りに関するものだけに限定しているのはこういった理由からだ。
実は聖教会は魔法そのものを否定しているのではない。魔法士が好んで使うような、攻撃や破壊的な魔法だけを常に否定してきたのだ。
「魔女なんてものが…」
俺が疑わしそうに呟く。
宗教の説話にありがちだが、魔女もまた神話上の存在だった。
しかしながら、魔法士たちが崇めている“火磔刑の魔女”は実在すると聞いたことがある。それは長年、地下深くの牢獄に閉じ込められているらしい、と。そうは言っても、それもまた魔法士たちが勝手に言っているだけのことだ。証拠となるものはない。
そして、それ以外の魔女に対する情報というものは、聖教会も持ち合わせていない。
つまり、魔女とは教義上の仮想敵であるとばかりに俺は思っていたのだ。
「…カダベル・ソリテール」
その名前を聞いて、俺は眼を見開く。
彼女にはその名前は伝えてあった。危険な存在であることについてもだ。
しかし、クルシァンの資料室で調べたところ、反教主義者の自称魔法研究家ではあるが、脅威となる存在とは認められないし、その上、“公爵位を持つ男”故に手出し無用との通達があった。
クルシァンの公爵位がどれほど凄いものかと言えば、それは聖教皇王や総団長にも直接進言できるほどの影響力を持つらしい。
それほどの影響力があるにもかかわらず、表舞台に出てこないのは、カダベルが資産の半分以上を費やして隠遁することを決意したからだ。
聖教皇王は、眼の上のタンコブと感じていた公爵がいなくなるのをさぞかし喜んだことだろう。
それならば一層のこと、爵位と領地を取り上げてしまえばと思うかも知れないが、カダベルはクルシァンに数多くの懇意にしていた貴族がいる。あの男は、若い頃は貴族の取りまとめ役のような存在だったらしい。
それ故、貴族たちが公爵の肩を持って、聖教皇王に向かって一斉に蜂起する危険性があった。
それから数十年、カダベル・ソリテールの名は本人が望むように忘れ去られ、聖教会も知らぬ存ぜぬの扱いをしなければならなくなっていたのだ。
「にわかには信じられないと思うが、このカダベル・ソリテールは“死者を操る力”を手にした…らしい」
「“死者を操る…力”?」
俺はすぐに、あの酔っぱらいゴライを思い出す。
父の死の原因となった男。そういえば、カダベルはこの男を生き返らせた。
姉はそれを疑うこともなく信じていた。
しかし幼かった俺は、きっと何かを見間違えたのだろうと後から思ったが…違う。
“アレ”は本当に生き返っていたのだ。
「魔女ならば…与えられるとは思わないか?」
「え?」
「死者を復活させる力だ。そして、いまギアナードでは“魔物”なる存在の噂も囁かれている」
それが本当だとしたら…
バラバラだったピースが集まり、ひとつの絵になるように…俺の中で何かがカチリとはまった音がした。
そうだ。そうじゃないか。
もしカダベルが魔女と会っていたら…
死者を甦らせられるのなら…
ゴライと何かしらの形で結託していたとしたら…
「ロリー! ロリーが危険だ!!」
狼狽する俺を見て、サトゥーザ様は大きく頷く。
「密偵の話では、5年前に行方不明になった準修道士ロリーシェ・クシエ。それがカダベル・ソリテールと思わしき魔法士と、現在共に行動しているらしい…」
「ロリーが…生きている? カダベルに…カダベルのところで…」
「ギアナードの魔女、カダベル・ソリテール、そしてロリーシェ・クシエ…この関係性は未だ不明だ。
だが、お前の姉は騙されている可能性も少なからず…」
「間違いありません! ロリーはカダベルに騙されている! もしくは操られでもしているのです!!」
まさか、もう反逆することも許されぬ死者にされているのでは……俺の背筋を冷たいものが走る。
「……そしてヤツは不遜にも、屍を従える王などと…“屍従王”と名乗っているらしい」
「…“屍従王”!」
サトゥーザ様の聖気が部屋に充満する!
そして、呼応するかのように、室内の聖珠が輝きだし、部屋の奥に佇んでいた源神オーヴァス像が下から光に照らし出された。
「源神オーヴァスによる託宣だ! 世界の秩序と倫理を乱す屍従王を討つ!」
サトゥーザ様が剣を正面に掲げられる。
「ついてくるか!? 聖騎士ジョシュア・クシエよ!?」
「ハッ! もちろんでございます!!」
俺は片膝を付いて恭順の意を示す。
ついてくるなと言われても、そんなことできるわけない。
仮に俺ひとりだったとしても…
「滅私!!!」
そんなことを心の中で考えていたのを見透かされたのか、サトゥーザ様に一喝される。
「お前の目的はなんだ?」
「え? それは屍従王を…」
「見誤るな! お前の使命、そして聖騎士団の最上命令は、神従たるロリーシェ・クシエの奪還!!」
「しかし、屍従王を討てと…いま…」
「屍従王など敵ではない。その裏にいる魔女こそが最大の敵だ。
そして我々は“準修道士ロリーシェ・クシエを救出する際に、たまたま屍従王と交戦しこれを倒す”…ということになる」
俺はようやく団長の意図に気づく。
魔女が屍従王を手先として操っているのだとしたら、表立ってこれを撃破するのはまずい。
なぜならば、屍従王が公爵カダベル・ソリテールだと世間に知られたら、いくら忘れ去られて無名とはなっているとはいえ、知る人が知ればクルシァンが弱体化したと思うだろう。
そうなれば、聖教皇王の立場が大きく揺らぎかねない。
それを見越して、魔女がカダベルを使っているのだとしたら、クルシァンは非常にまずいことになる。国力を低下させる狙いがあるのだとしたら効果的な手だ。
「…ロリーの救出。聖騎士団には大義名分が必要ということですね」
「ジョシュア。お前にできるか? 自ら心を殺し、宿敵を冷静に討ち滅ぼすことが?」
俺は眼を強く閉じる。
いつも真っ先に思い浮かぶのは、あの邪悪な魔法士カダベル・ソリテールの横顔だ。
しかし、それが光の渦に消えていく。
そして、姉の輝く笑顔が思い起こされた。
もう一度見たい。
彼女の笑顔を。
屈託なく笑い、俺の名を呼ぶ姉の姿を……
そうだ。これを取り戻す。俺は大事な肉親を取り戻したい。
だから、戦うのだ。
いまハッキリとわかった。
俺が強くなったのは…このためだったのだ。
俺が眼を開けると、そこには満足そうな笑みを浮かべたサトゥーザ様がいた。
「そうだ。それでいい。聖騎士は私怨のためには戦わない。私情のために戦えば、剣は鈍る。勝てる敵にも勝てなくなる」
そうか。サトゥーザ様は俺にそれを悟らせるために…
「…だがな」
「え?」
「個人的に、お前の熱いところは嫌いじゃないぞ」
「……ありがとうございます」
普段は“滅私”と言いつつも、そうやって本心を話してくれる…この人間らしさが、俺が団長の最も尊敬する部分だ。
──
サトゥーザは剣を納め、ジョシュアが出ていった扉をしばらく見続ける。
そして廊下から気配がなくなったのを確認すると、「フゥ」と肩の力を抜いた。
「…ドロシィ」
「ハッ」
声をかけると、源神像の後ろに隠れていた女性が姿を出す。
年齢はサトゥーザより3つ若い。切れ長な眼と、テクノカットにした髪型が特徴的な女性だ。
サトゥーザのような目立つ華やかさとは対象的にどことなしに影がある。サトゥーザが太陽としたら、彼女は月といった感じだ。
そんなドロシィは団長補佐官と呼ばれる、団の中で最もサトゥーザが信頼を置く人物である。
「…やれたか?」
「ハイ。ご指示に合わせ【描写】にて…これを」
ドロシィが丸めた厚紙を恭しく差し出す。
受け取って広げると、そこには片膝をついた状態で、口を一文字にした生真面目な顔のジョシュアが写っていた。
サトゥーザは無表情にしばらくそれを見やる。
微動だにしない。
「…団長。血が出ております」
「…む。すまない」
ドロシィがハンケチを差し出すと、サトゥーザは自身の零れ落ちた鼻血を拭き取る。
そしてまた厚紙を見やり、長い長い沈黙が再び続く。
数時間とも思えるような長い時が経過した後、ようやくしてサトゥーザが大きく息を吐いた。
「キュン死にするぅ〜!!」
厚紙を胸に抱き、顔を赤く歪ませたサトゥーザが甲高い声で叫んだ!
「あー、尊い! 尊いだろ! これぇ! もう! 宝だ! またコレクションが増えてしまった! ジョシュたん! カッコカワイすーぎーるぅ!!」
部屋の中を内股で走り回り、飛び回り、「キャッフーイ!」などと机をジャンプで飛び越えるサトゥーザを、ドロシィはごく当たり前のことのように見やる。
そしてドロシィが机の隠しボタンを押すと、団長室は真の姿を現す!
部屋の壁一面がひっくり返ってジョシュアの絵で埋め尽くされ、天井カーテンの間から『ジョシュア・クシエ永遠の推しメン』だの、『ジョシュたん崇拝マジ神』だの、そんな美辞麗句の書かれた垂れ幕が降りる!
あの源神像の顔の前にすら、ジョシュアの大きな胸像画が覆いかぶさった。
そこは聖騎士団長の部屋とはとても思えない。彼女が集めに集めたコレクションに所狭しと包まれ、“ジョシュア崇拝部屋”とも呼べる物へと変貌したのだ。
「…団長。滅私です」
「あー! そうだな! 滅私! 滅私! 興奮しすぎてダメだ!
落ち着け、落ち着くんだ、私! このままじゃ血圧上がりすぎて死ぬ…けど、このまま死んでも本望かもぉ!! ジョシュたんのこと考えて死ねるなんてサイコー!」
そうだ。普段、彼女が“滅私”と口癖のように繰り返しているのは、団員たちへの警鐘としてだけのことではない。
当の本人が自分に言い聞かせ、この醜態を周囲に晒さないための自戒だったのだ。
「…死んでしまったら、ジョシュたんに会えなくなりますよ」
ドロシィの台詞に、サトゥーザがピタッと止まる。
「もしかして! ドロシィ! ダメだぞぉ! ジョシュたんは私のモノなんだから! 会員ナンバー1は私だゾ!」
「…ハイ。もちろんわかっております。私はナンバー2です」
ドロシィはニヤッと笑って会員証を出す。
聖教会は非常に禁欲的であったが、若い男女が共同生活する上でやはり色々と問題が生じていた。
その捌け口となったのが、こういった狂信的なファンクラブである。
それは時と場合によっては、聖騎士団のヒエラルキーをひっくり返す場合があった。
事実、団長本人がジョシュアのような新兵を贔屓にして重用するなどということが起こるのだ。
幸いジョシュアは能力の高さゆえに、団長が引き抜いた…そう周囲に思われていた。
そうでなければ悲惨だ。例えば無能な者を出世させるなどということがあったとしたら、下手をしたら男同士や女同士の嫉妬が爆発し、内部抗争にまで発展する危険性をも孕んでいたのだ。
“滅私”とはまさに、こういったものに無理やり蓋をして抑え込むための方便だったのである。
「あー、もう! 姉を助けるために苦悶の表情! あれだけでパン1斤は食べられる!
いいなー、私もジョシュたんにそんなに想われたーい! 助け出されたーい! 姉になり…いや、実姉だったらお嫁さんになれないもんね! なら姉ポジションでガマンするぅ!」
他人が見たらおかしくなったとしか思えないが、ドロシィは真面目な顔で頷いている。
「……はー、マジ、実姉は死んでねぇかなぁ」
浮かれていたサトゥーザがいきなり毒を吐く。
彼女にとっては、血の繋がった姉であっても、ジョシュアに近づく異性は許せないのだ。
「でも、顔はジョシュたんに似てます」
「あー、そうなんだよな。顔だけはそっくりだから。うーん、ジョシュたんの顔が死ぬのは忍びない。それは望まない。…乙女心は複雑だわ」
頭をガリガリとかいて、気を取り直したかのようにサトゥーザは手をパンと叩く。
「でも、ジョシュたんに宿敵は倒させてあげよっーと! フフフ、有能な上司の鏡! 好印象度アーップ!」
「…しかし、信じて良かったのですか?」
「魔女からの情報か?」
再び団長の顔に戻ったサトゥーザが目を細める。
「単に我々を舐めてるということだろう。
はたまた、飼い猫に手を噛まれたか…」
「魔女は自分の作り出した屍従王を御しきれてないと?」
「自ら情報漏洩するのはそういう理由も考えられる」
「だからといって、聖騎士団を使って倒させる…そんなことしますか?」
「ああ。あのニルヴァを退けたらしいからな…充分にありうる話だ」
「まさか! あのシャンガラリアの精鋭魔法兵団を……。
しかし、彼らは魔女の部下のはず…ということは、これはただの仲間割れと見ていいのですか?」
「そこはわからんな。死者を甦らせる魔法…何かのトリックだとは思うが、魔女が操るのに失敗した魔物かも知れん」
「……危険なのでは?」
「危険? 何がだ? ドロシィ。我々を利用しようとしている魔女に、手痛い一撃をくわえてやるむしろ好機だろう?」
「…いえ、ジョシュたんが」
ドロシィがそう言うと、サトゥーザが自信満々に笑う。
「この私がそんなことはさせん。もし、私のジョシュたんに危害を加える者がいたら……」
そして、部屋中に光り輝く団長の聖気が満ち溢れる!
「生まれてきたことをたっぷり後悔させてから…ブチ殺すッ!」




