024 ルフェルニの体調
──それは静寂──
──万物は流転して一瞬たりとも同じ形状はしていない──
──だが、いま俺の中にあるのは静けさ──
──生と死の狭間にあって、真理は沈黙と同化して、ただ本質として存在し続ける──
──魂は流転の渦に呑まれ、やがて源へと還る──
──還る──
チチチ…そんな鳥の鳴き声で俺は眼を“開く”。
「…朝か。今日も晴天のようだな」
昨日の延長のような気もしなくはない。
だが、定期的にリセットすることで、俺は自分の中にメリハリをつけることにしていた。
組んでいた脚を外し、手を開閉する。全身からメキメキという嫌な音がした。
ほぐしておかないとすぐにこんな音がする。脂でも差せれば違うのかもだが…少なくともバターじゃダメだった。
「【牽引】」
魔法を使うと杖が飛んでくる。
瞑想するようになってからは、やたらに精度が高くなっている気がする。眼でいちいち確認しなくとも、あるのさえわかれば、俺めがけて正確に飛んでくる。
これを使いこなせれば、ちょっと違った戦法が生まれるかも知れない。
「…せいッ!」
俺は杖を思いっきり振る。遠心力を利用し、振りかぶった際に絶妙のタイミングに【倍加】で重さを加え、振り下ろす際に反対の手で【牽引】を使って引っ張る。
ブゥオンッ!
と、音だけは立派だ。非力な俺でも、これで成人男性の骨を砕くぐらいのパワーを得られる。
もっと上手くできれば、剣士とでも戦えるかも知れない。
まあ、こんなことを普通の人間がやったら筋を痛めるだろうが、痛みのない今の俺には関係ないことだ。
しかし、やりすぎるとミイラゆえに関節が摩耗とかで壊れるんじゃないかと思ったが、【防腐】を【倍加】させた効果は思ったよりも凄いようで、どうやら俺の全身の劣化そのものまで食い止めてくれているらしい。
つまりどういうことかというと、“使い過ぎによる破損”も経年劣化と見なされるようで、通常生活だけでなく、戦闘行為を行っても、これ以上は崩れないようにと保護されるみたいなのだ。
まあ、ただ普通に攻撃されたら壊れるけどな。故意の物損は経費処理できません…ってな感じだ。
「…物理攻撃が最強の魔法士か。単なるお荷物だよなぁ。バランス悪いパーティだわ」
近接系4人に、回復系1人…遠距離支援がいない。
回復系を守りつつ特攻しかできねぇ脳筋パーティじゃん。
「せめて遠距離攻撃ほしいよなー。【大火球】ぐらい覚えといて下さいよ、カダベルさーん」
まあ、カダベルは元々戦うタイプじゃなかったしな。戦闘系の魔法士…どころか研究者だったんだから仕方ないか。
日常生活で【大火球】使うなんてそうそう無いだろうし。花火大会の時には重宝されそうだけどね。
「…護身術、だよな。なんか杖術とかないのかな。王都だったら、そういった武術道場みたいなのもありそうだけど」
今やっているのはただ振り回しているだけだ。プロから見たらどうなんだろうか?
いや、ミイラが動いているだけでも凄いことだ。感動してもらえるかも知れない。…いや、叫ばれて石を投げられるのがオチか。
「…汗もかかん。筋肉疲労もない。やった感じはまったくしない。だが、まあ、今日はこれでオシマイと」
周囲を見回すと、昨日俺がしゃぶりつくしたウマイモンが皿で干からびていた。
ってか、俺には唾液がでないから歯で噛んた跡しかないんだが。
姿見の前で外套を直して、仮面を付ける。
仮面も色々やっているけど…なんか違うんだよな。縦や横にスリット入れてみたり、まん丸に穴あけて見たり…どうもしっくりこない。
それに仮面が新調される度、ロイホとエイクがギョッとするんだよな。
きっとこれ、ファッションでやっていると思われてるよな。
ロリーにも「かぶらない仮面をいただけませんか! 私も付けます!」なんて言い出してるし。
うーん。旅先じゃあまり増やしたくない。荷物になるし、そのうちロリーに1個くらいパクられそうだし。
それに、今は細い横スリットでやってるけれど視界は狭くなる。
なんだか相手の顔がモンタージュ写真みたいになってる。とっても不快だ。
なんか色のついた薄いガラスとか手に入ればいいんだがね。
それに木目がついているのもなんだかなぁだよ。工作で作りましたって、そんな安っぽい感じがあってイヤだわ。
「あー。素顔で歩きたい。ミイラ保護法案とかある国ないのかなぁ。
ミイラ差別はいけないよ。ミイラだって生きて…いや、動いてるんだからさ」
室内なのに外套ってのも最悪なんだよな。
本当はシャツにハーフパンツという夏の道貞スタイルでいたい。もしくは作務衣か甚平がいい。
この世界の服ってなんか重いし、ゴワゴワしている。柔軟剤とかないからしゃあないんだけどさ。
室内でも外套はおってるのは、服の中がガリガリだからだ。
ダボついた服にはしているけど、歩く時の風圧とかでパタパタして、中身がスッカラカンなのが丸わかりなんだよね。
「…俺は寒がりだから。そうだ。寒がりだから仕方ない」
そんな風に自分に言い聞かせつつ、廊下にと出る。
「おーい。ロリーやーい。朝だよー」
ロリーの部屋をノックするが返事がない。
低血圧らしく、彼女は朝にひどく弱い。天気にも左右されるらしいが、具合が悪い時は昼過ぎまで寝ている時もある。
掃除に来るといって来なかったときがあって、心配して家にまで見に行ってみると玄関で倒れていたことがあったな。
…あれはダイエット中だったっけ? 年頃の女の子は難しい。
「おーい。おーい」
ダメだ。出てこない。
朝っぱらだからあんまり大声も出したくないしな。
でも、中で倒れてたら困るしな。うーん。
「…【発打】」
俺は小刻みに【発打】をノブめがけて放つ。
何をしているかと言えば、この振動で錠を回転させることができるのだ。角度が少し難しいが、慣れればそうでもない。
安宿の錠なんて、扉が開かないように押さえているだけだ。それを外せば簡単に開けられてしまう。
衝撃だけをダイレクトに目標物に与える魔法ってなかなか便利なんだよな。手や杖で殴ってもこうはいかない。それにそんな行為を他の人が見たら、扉を壊して侵入する不審者以外の何者でもない。しかし、魔法を使う小さな動作ならたぶん怪しまれない。
何回か繰り返すとガチャンと音がして、留具が外れた音がした。
「ロリーシェさーん。入りますよー」
ん? あれ?
…よく考えたら俺マズイことしてね?
でも娘が起きてこなきゃ、父親だって寝室に入るよな?
…あれ? しないのか?
普通は母親とかにお願いするのか??
俺、おかしいかな?
そういや死んだオフクロにも「アンタはデリカシーがなさすぎ!」って言われたような……
でも、今更だ。扉を開いてちょっと顔を入れる。
部屋は俺のと同じ作りだ。当たり前だけど。
奥のベッドにシーツが盛り上がっていて、ロリーが寝ているのがわかる。
「ロリー…おーい。起きろ。置いていっちゃうぞー」
ムクッとロリーが起き上がった。
「…むぅー」
スッゲー顔してんな。
超眠そう。寝癖で頭も爆発してるし。
「…あさ…わたし…おきる…」
なんで単語の羅列なんだ?
そうか。寝ぼけてて頭が回ってないんだな。
「朝ごはんよー」
裏声でミライの真似をする。
朝食平気で抜くロリーを見かねて、朝必ず食べさせるためにミライが作りに行くこともあったようだ。
そりゃ朝起きたら俺にまず供物捧げに来るミイラフェチだからな。飯食ってから来いよとは思う。死人の前に生きている自分だろ。
「…ごはん…ごはん…」
お目々はまだ開いていないが、ご飯という単語に反応してロリーが動き出す。
そして、ベッドから降りようとして…
「ゲッ!!」
俺は慌てて扉を閉める。
「お前! まさか全裸か!?」
「…んぅ? カダベル様?」
外国人は裸で寝るって聞いたけど、いやー、マジかよ。俺は無理だわ。なんか落ち着かないじゃんか。
ってか、寝起き悪いくせに、素っ裸で寝んなよなー。ミライも怒らなかったのか?
あれ? 前に倒れていたときは服着てたけど……ああ、あれは玄関だったから出掛けようとする前に倒れたのか。ならあれは不幸中の幸いだったのか。
「…カダベル様。カダベル様」
「え? お前まさか…」
扉の前に気配が…ノブを掴んだ感じがしたので、俺は慌てて扉を押さえる。
「そのまま来るな! 服を着ろ!!」
コイツ! 寝ぼけてやがる!!
なんか、俺が大騒ぎしていたせいで他の客が顔を出して不審そうに見てくる。
「なんだクノヤロウ! 見せもんじゃねぇぞ! 自分の部屋に戻れ!!」
「…カダベル様。カダベル様」
「コラ! ガチャガチャさせんな!」
──
「…そちらも似たような感じか」
「は、はぁ…」
食堂でルフェルニがロリーと全く同じ顔をしている。眼が開いているんだか閉まっているんだかよくわからない。
「はい。若。あーん」
「…あーん」
エイクがそう言うと、ルフェル二が口を開き、そこにスプーンでポテトサラダを運ぶ。
口に入ると、眉を寄せて咀嚼し始める。
「大変だな。従者ってのはそんなことまでしなきゃいかんのか」
「いえ、ルフェ様はちょっと特別でして…」
言葉を濁してそう言うのに違和感を覚えるが、なんだかそれ以上のことを説明する気はなさそうだった。
「…ロリー。お前もだ。さっさと食べろ」
「…むぅ?」
「むぅ…じゃない。ほら、パンを持て。自分で食べろ。俺は“あーん”なんてしてやらんぞ」
俺がロリーの手をとって黒パンを握らせると、頷いてモクモクと食べ始める。
「ロリーシェさんもいつもそのような感じで?」
「いや、いつもはここまで酷くはないが…。まあ、久しぶりに村じゃない場所だったからな。あまり寝られなかったんじゃないか。
ほら、こぼしてるぞ。ちゃんとお目々を開けなさい」
「…ふぁい」
なんか介護しているみたいだ。普通は逆だろ。こっちは100歳越えだぞ。
「それでこれからのことですが…」
「うん?」
「街を出たら、他の街には寄らずに一直線で目的地に行きたいのです」
「それは補給もしないということか?」
ロイホもエイクも渋い顔をしている。なんだか望んでのことではなさそうだな。
「そんなに悪い状況なのか? 旅の日程に関してはそちらに一任している。口を挟みたくはないが、俺には同行者がいるからな。無理はさせたくはない」
「も、もちろん重々承知しております」
「ならハッキリと言ったらどうだい。何が問題なんだ? そうやって隠そうとするから信用ができ…」
「若の体調が思わしくないのです!」
ルフェルニを見やる。
眠そうだ。確かにもの凄く眠そうだ。
「ただの寝不足にしか見えないが…」
「いえ、あまり良くない兆候なのです」
確かに風邪をひいた時なんか、体調悪い時なんかは眠くなるが…
「我々、ヴァンパイア…我らはハーフなのですが。なんのハーフかと言いますと…」
「いやいい。見ればわかる」
そのウサギ耳を見て俺がわからないと思うのか?
それとも筋肉とのハーフだと思っているとでも…あり得るか。
「若は生粋の血筋のヴァンパイアであり、ハーフなどとは比べ物にならぬほど、病に対する耐性なども非常に優れているのです。ヒューマンと違い、そう簡単に体調を崩したりはしません」
だってよ、ロリー。聞こえてないか…。
「今まで予兆はあったのですが、ここまでハッキリと出ることは…」
「待て。なら、具合が悪いのにわざわざ使者として来たということなのか? それはどうなんだ?」
「……いえ、大丈夫なんです」
ルフェルニが眼を開ける。ようやく覚醒したようだ。
「大丈夫じゃ…ないんだろう?」
「時期的なものなのです…。ヴァンパイア特有のものでして、旅の支障にはなりません」
「本当か?」
ロイホとエイクの心配そうな顔を見る限りそうとは思えない。
「…だが、具合が悪いのだとしたら、なおさら無理はしなくていい。こちらはそこまで急ぐ気はない」
「いえ、急ぎたいのはこちらの都合なのです。…なるだけ早く伯爵邸に辿り着きたい」
「ん? ヴァンパイア特有の病…もしかして、帰れば薬があるとかなのか?」
「……まあ、そんなところです」
うーん、なーんか疑わしいんだよな。
なんでそこまで本当のことを話したがらないんだ?
「急ぐ件は了解した。…だが、ひとつ聞かせてくれ。具合が良くないのに、伯爵はお前を使者として送ったのか?」
「…いえ、こうなる予定ではなかったのです」
体調管理できないヤツがよく言う台詞だな。
まさか風邪をひくとは思わなかった。いや、お前の普段の生活管理がなってないだけだってパターンが往々にしてある。
「どんな予定でもだ。伯爵がそれを知って、お前を送ったのだとしたら最低だと思うぞ。それはそいつに言うからな」
具合が悪い人間に「いいから仕事来いよ」っていう上司ほど嫌なものはない。気合で乗り切れるなんて思う方が間違っている。
「……その原因の一旦はカダベル殿に…」
「やめろ。ロイホ」
「…なんだ? どうして俺に原因があると?」
え? ミイラ病みたいなのがあるとか? 感染でもするのか?
「……なんでもありません。お気になさらずに」
えー。なんだよ。なんか感じ悪いなぁ。
「えひゃい! お、おはようございます!! …あれ? 私、いつここに?? ハッ! パンを食べてる!? いつの間に!?」
そして、ロリー。タイミングが悪すぎるぞ…。
──
西方街道をひた走る。舗装された道を行くのは、山道を下るよりも遥かに快適だった。
イルミナード街から西方と南方に街道が走っている。
南に向かえば国境があり、中央クルシァンに向けて出られる。
他国に行くには海路を使うこともあるようだが、北方の港町は寂れていて人気がない。
海がしょっちゅう荒れて船が停泊できなくなることが多いのと、あまり漁業が盛んでないことが原因だろう。
普通、街道ともなれば物資の往来もあって賑やかだと思われるかもだが、このギアナードに関して言えば、決して人通りが多いとは言えない。
地域特有の特産物があるわけでもなく、また国も民も豊かでないからこそ、商人たちも積極的に商売に来ることもないのだ。
「……娯楽がないんだよなぁ。なんかアミューズメントパークみたいなのありゃいいのに。
この国、餓死者がでるほど切羽つまっているわけでもねぇのにな」
東南ゲルモルドのドワーフなんて上手くやってるらしい。嫌な仕事はゴーレムに押し付けて、自分たちは真っ昼間から酒浸りという話だ。
この国もゴーレムの導入を検討して…そうだな。ゴーレム同士の剣闘大会とかやっても面白いんじゃね?
専属の整備員のドワーフを雇って、チューンナップやカスタマイズさせた自分だけのゴーレム同士を闘わせるとか…やべー。これは熱いかも!
伯爵に会ったら、さっそく提案してみよう。
そして発案者特権で、なんとかゴーレム1体を貰えたりしないかしら。
「素人の俺が魔法であそこまでできるんだから、ゴーレムなんかもっと凄いんだろうな。
超魔法言語で、完全自律制御とか…やっぱスゲーだろうな。
あれ? もし変形合体までできたら…へへ、俺の夢が全叶いじゃんか」
つい興奮して、独り言をしてしまった。
ルフェルニがこちらを見ていたが、俺は咳払いをしてそっぽを向く。
嘘をつく子なんかとは仲良くしてあげませんよーだ。
「…カダベル様」
ロリーが、ルフェルニに聞こえないぐらいの小声で言ってくる。
「…なぁに?」
「…なぁにじゃありません。ルフェルニさんに優しくするって話はどうなったんですか」
「…えー。だってぇ〜」
「…カダベル様」
そんな非難がましい眼で見ないで欲しいな。
「……伯爵とやら信用できなくなってきたんだもん」
「…そうなんですか?」
ま、最初から信用なんてしてないけれどね。
「……でも、それとルフェルニさんは関係ないじゃないですか」
「…いや、大いに関係あるだろ。伯爵に遣わされて来てるんだからさ。
ってか、なんでロリーが泣きそうな顔をしてるんだ?」
「…なぜか悲しいからですッ」
「…なんじゃそりゃ。まあ、いい。わかったわかった」
子供じみたことをしたせいで、なんかこっちからは話しかけにくいなー。
むしろ、俺のが被害者のはずなのに…。
「あー、ううんッ。…少しいいかね? ルフェルニくん」
「…はい。なんでしょう?」
「えーとだね…」
ヤベ。話し掛けたはいいけど、話題なんて何も考えていなかったわ。
「あー、伯爵は俺を呼んで、いったい何をさせるつもりなんだろうか?」
「…それは」
「お前の考えでいい。それが外れていても構わない。教えてくれないか?」
ルフェルニは少し口を開いて、そして思い切ったかのように頷く。
「…あなたが支配者の座に就くに相応しいかを見極めようとしています」
「は? へ? 支配者?」
なんかとんでもないワードがでてきたぞ?
「…えっと、この国には国王がいるだろう? 伯爵は国王から領地を預かっているんだろう?」
「…今のままではギアナードはお終いです。未来を観られる者が、未来を創れる者が必要なのです」
なんだ?
なに言ってるんだ? コイツ…?
「カダベル殿…。実は私は…」
ルフェルニが胸に手を当てた瞬間、大きく馬車が揺れる。
そして、ロイホが仕切りを開けて慌てた顔を出した。
「すみません! 待ち伏せされました!」




