018 カダベルVSマクセラル
熱波を背に感じ、俺は驚いて振り返る。
あの野盗どもを落とした穴から、物凄い火柱が立ち上がっていた。
これはきっと油が一気に燃え上がったせいだ。
考えられる魔法は…ランク3【大火球】か? もしくはランク4【波熱焼却】? 規模からいうと前者か。
いやー、【大火球】って、ファンタジー魔法定番のいわゆる”ファイヤーボール”っていう戦闘系魔法なんだが、もちろん俺は使えない。使えたら格好いいんだろうけれど、この世界だとまあまあ習得の難度が高い魔法だ。
「まさか自爆したのかよ? メンタル弱すぎだろ」
いくら格好良い攻撃魔法でも、油だらけの身体で使うものじゃないだろうよ。
ってか、対峙した時に単純な攻撃魔法を使って来ないから、てっきり使えないものとばかりに思っていた。
攻撃魔法が使えるなら、ゴライ砲への応酬だってできたじゃんか。
うーん、もしかしてランク1しか使えない俺を馬鹿にして使ってなかっただけなのかな?
「あちゃー。焼死体は嫌だな…。ゴライを弄る時より気が重いじゃん。俺、グロ耐性ないんだよなぁ。…そんな本人がミイラだけど」
「はいデッセ」
「…んー。ゴライ。意味がわかってないのに返事するのはいかんよ」
まあ、死んでしまったのは仕方がない。
あの感じだと骨まで残らないで、“情報は引き出せない”かもだが。
それは事故だな。仕方のない、悲しい事故だ。
「そんなことよりも…」
俺が歩き出そうとした時、ゴライが俺を突き飛ばす。
「どわッ! ご、ゴライ! ツッコミはもう少し優し…く?」
俺を庇うように立ったゴライが勢いよく燃える!
飛んできた大きな火球に焼かれたのだ!
「ゴオオオオオオオッ!!!」
「お、おお! ゴライ! チッ! 【流水】」
痛みや熱さはないはずだ。しかし、炎に巻かれて無事なはずがない。
俺は慌てて魔法を使い消火する。消防隊の放水に比べればショボいもんだが、それでも全身にかけてやって消し止めた。初期消火は成功だ。
ゴライはうずくまって倒れている。ゾンビではあるが、おそらくダメージの許容範囲みたいなのがあって、それが一定以上を越えるとフリーズしてしまうようなのだ。
それは身体的な不具合というより、精神的なものであり…源核から消去しきれなかった部分である。
俺が叡智を結集して甦らせた最高傑作ゴライも完全無欠というわけではないのだ。
「…まさか」
火柱の方を見やる。そこにあの…確か村に入ってから“盗み聞きした内容”で、“マクセラル”というらしい男が穴から脱出して立っていた。
「馬鹿じゃねぇの。穴を【大火球】で斜面に抉って、這い上がってきたのかよ…どんだけよ」
半ば焼け焦げ、それでも憎しみに充ちた眼は死んでいない。
「【感覚遮断】…じゃないな。なら、【強耐性】か。ほんと、ランク3の魔法を考えた賢者はゲーム好きなんだろうな。俺と話が合いそうだよ」
そんな軽口を叩いてみるが、俺は冷や汗びっしょりだった(身体は汗かけないんで、心の中での話だが)。
マズイ。炎系の魔法とミイラなんて相性最悪だ。こっちは乾燥してんだ。燃えたらゴライより悲惨なことになるのは間違いない。
「殺す! 殺すぞ! 貴様を、カダベルッ!!」
火と煙のせいでガラガラ声になりながらマクセラルが怒鳴る。
どうせ死んでるんだから、殺されてやってもいいんだが…そのままサーフィン村も燃やし尽くしそうな勢いだ。
「やるしかないか…くそったれめ」
対抗する魔法は…ない。
ランク1にはない。
【流水】ぐらいしか思いつかん。
氷とか雷ならなんとかなる。俺もゴライも寒さには強いし、ランク3程度の魔法ならボロボロにされつつもなんとか対抗できただろう。
雷も…上手く行けば水分や神経がない俺の身体にはダメージを受けないだろうし、もし物理魔法でくるならゴライの耐久力勝負だと考えていた。
だが、炎だけはダメだ。炎に対策するのに俺はわざわざ落とし穴の中に水を【油変】させ、加えて村にある貴重な燃料油をありったけ流し込ませたのだ。
炎の魔法は単純だが、だからこそ脅威であり対策が難しい。
RPGではファイヤーボールは最弱な初期魔法だろうが、現実に考えれば、何もない所から燃え盛る球が飛んでくるんだぞ。どうやってこれを防御しろってんだ。むしろ最強級の魔法じゃないか。
「【大火球】!」
「ならば、【火球】…って、そんな魔法ねーえよ!! 【掘削】!」
俺はその場に1メートル前後の穴を掘り、ゴライと共に落ちてやり過ごす。
なぜ【大火球】があるのに【火球】がないんだ?
あるのは【火種】だ。ほんと、マッチの火と同じぐらいの大きさの火を出す、それこそタバコ吸う人には便利であろう魔法だ!
俺は吸わないから、ありがたくもなんともない!
「ハハハ! 魔力切れを狙うか!? 無駄だ! 俺は100発は撃てるぞ! ニルヴァ魔法兵団をナメるな!!」
はなから魔力切れなんか期待してねぇーよ。
そもそも魔力って個人差ありすぎて数値化できねぇし、魔法自体の消費量もまちまちだから感覚でしか判断できない不確定要素じゃん。
これを数値化して割り出すのが今後の課題…って、今はそんな話はどうでもいいな。
やっぱり魔法士だったか。しかも今の話だと攻撃魔法とかに特化してるって感じだな。
「うーん。想定外はいつも起きるんだが…。はぁ。なんか良い方法ないかなぁ」
ゴウッ! 穴にいる間も炎の球が上空を飛んでるのが見える。
俺が何かするのを警戒して連発しつつ、近づく算段だろう。
距離が縮まったら、この穴に【大火球】を投げ込むってことか。悪趣味だな。
まあ、油まみれにして火をつけようとした俺ほどじゃないがね。見た目的にも俺の方が悪役っぽいし。勝ったな。…何にかは聞かないでほしいが。
「【掘削】で掘り進んで、背後から【倍加】した杖でブン殴る…ダメだ。途中で気づかれる」
ゴウッ!!
「気絶しているゴライを【糸操】で動かして盾にしつつ、接近して杖でブン殴る…ダメだ。その前にゴライが燃え尽きる」
ゴウッ!!
「うーん。【流水】でプールを作り、『あらあら、そんなに焼けちゃって。お兄さんたら、熱いでしょうよ。お入りよ』と友好関係構築アピールする…ダメだ。今さら逆効果だ」
ゴウッ!
「あー! さっきから“ゴウッ”、“ゴウッ”うるせーな! 今考えんの! 静かにしてよ!」
ゴウッ!
どんだけ撃ってくんだよ!
「うーん。炎に対抗するにはやはり炎だよな。かといって俺が使えるのは【火種】…」
俺は自分が作った狼煙の煙を見やる。木材や燃料は用意したが、そこに火を着けたのは俺の【火種】だ。
あんなものをわざわざ用意したのは、もちろん村からあいつらの意識を俺たちにへと向けさせるためだ。
「燃料がありゃ、俺の【火種】も大きく強くなる。【乾燥】と【油変】それに【空圧】に【反返】と【射準】を上手く使えば…【大火球】には及ばないにしても、それに近くはなるか」
なにも抵抗せずにやられるよりマシなだけで、それでも【大火球】の連発には勝てない。
【射準】は俺が相手を視えてることが条件だし、フイゴの原理で【火種】を大きくしようとすれば時間が掛かるのは当然だ。戦闘じゃとても有益な手段とは思えない。
「ああ、カダベルの魔法知識よ! それと道貞の無駄な雑学知識よ! 融合せよ! 今こそ融合せよ! 俺とゴライを生み出したような奇跡を再び起こすのだ!」
俺は自分のすっからかんな頭をペチペチ叩く。
そして自分が使える100個の魔法を1つ1つ思い起こす。
「えーと、【照光】、【牽引】、【発打】、【空圧】、【糸操】、【解析】、【調整】、【筆記】、【倍加】……ん?」
なにか閃くものがあって、俺は顔を上げる。
「【倍加】……これって魔法自体にも使えるのかしら?」
──
マクセラルは左脚を引きずりながらも前に進む。
痛みはひどいが、それ以上に怒りが彼を突き動かしていた。
【大火球】はそれほど強い魔法ではない。
だが、マクセラルは魔力総量が大きく、かつ連射が可能だったので、必勝の手段としてこれを切り札にしてきた。
ランク4が扱える格上のはずのヴァイスもこれを防御することはできない。そんな最強の力を持つからこそ、マクセラルがリーダーなのである。
これはあまり知られていることではないが、魔法も筋力と似たところがあり、使えば使うほどに強くなっていく。
その強くなるというのは威力が上がるという意味ではなく、例えば発動速度などが早まったり、いわゆる“扱い慣れ”てくるという点で卓越するのだ。
魔法はランクによって特性が分かれているが、当然高ランクを極めた魔法士は尊敬される。
しかしそれができない魔法士は、各々得意分野の魔法を切磋琢磨して幅広い状況に対応しようとする。低ランクしか覚えられないと、そうやって強くなるしか道がなかった。
マクセラルやカナルはそうやって魔法兵団の中でも地位を確立させていったのだ。言わば叩き上げのエリートなのである。
だが、それでもランク1なんかは論外だった。あれは庶民が生活のために使う魔法だ。魔法兵団が使う魔法とは言えないし、それしか使えない魔法士なんて、見世物のショーしか出来ない奇術師と同じだ。そういう蔑みがマクセラルや魔法兵団の中にはあった。
だからこそ、許せなかった。いくら卑怯な罠に引っかかったとはいえ、ランク1の魔法しか使えない魔法士にコケにされることは、マクセラルの今までの血を吐くような努力を侮辱するものと言えよう。
「死人のフリしたペテン野郎が! 何が屍を従える王だ!」
もはやマクセラルにはゴライがなんだったのかや、またヴァイスの死、そしてカナルのこともどうでも良かった。
ただあの憎いカダベルという男を消し炭にしてやる以外に、自分の気持ちを鎮める方法はなかったのだ。
「さあ、出てきやがれ! さっき火葬だとか抜かしたな! 俺がテメェを火葬にしてやるぜ!! 骨まで残さねぇでな!!」
「…それは困るな。一度、火がついたら消えない性質でね」
マクセラルは酷薄に笑う。為す術なく降参して出てくるのであろうと思ったからだ。
カダベルは想像通り穴から出てきた。両手を開いて降参のポーズを取ってだ。
「…なんだぁ、そりゃぁ」
それが諦めてのことでないと気づいたのは、カダベルの頭上に炎の球があったからだ。
それは魔法による物だとはすぐにわかった。
「テメェも【大火球】を…いや、ハハハ! こりゃ傑作だぜ。なんだ、そのチンケな炎は!」
【大火球】は人よりも大きいサイズの炎だ。しかし、それに比べるとだいぶ小さい。せいぜい3分の1程度という大きさだろう。
しかも不安定のようで、小さくなったり大きくなったりを繰り返している。
(あんな物、【断膜壁】で防御するまでもねぇぜ)
「【大火球】! 見ろ、これが炎の魔法ってヤツだ!!」
マクセラルは同じように頭上に炎の球を生み出す!
それはカダベルのものより遥かに大きく、漏れ出す高熱が紅炎となって噴き出すほどに滾っている。それはまるで小さな太陽のようだ。
「すまないね。俺のはなんとも歪で…なかなかに初めてやるから【調整】が難しい。高熱を逃さないように燃料を常に投下しつつ、外に放熱せぬよう【空圧】で押しとどめるのが思いのほか難しい」
「…何を言ってんだ? あ? それも手品なのか? ハッタリ野郎が…」
「聞きたいんだが、ニルヴァ魔法兵団と言ったかな? 魔法の専門家たる君たちは、複数の魔法を一挙同時に扱えたりするのかね?」
「……はぁ? そんなことできる存在がいるわきゃねぇだろ」
「そうか。良かった。攻撃と防御を同時にできたら厄介だと思ったんだ。【大火球】と【断膜壁】のコンボとかあるんだったら、俺の負け確定だったからね」
「あ!? 俺の【大火球】がそんなチンケな炎に…」
「見た目じゃないんだよ。まあ、派手なのがお好みならばいいだろう! 【倍加】!」
カダベルが魔法を唱えると、その炎が遥かに巨大なものとなった。
それこそマクセラルのものを倍にするくらいのサイズにだ。
「…が! な、なんだそりゃ! 何をしやがった!」
「単純だよ。俺が使ったすべての魔法を【倍加】させたんだ。【火種】に【倍加】、【油変】に【倍加】…そして今最後に、この複合魔法とも呼べる魔法自体を【倍加】させた」
「は? 【倍加】? …荷運びにつかうクソ魔法じゃねぇか。なんでそれでそうなる??」
「やはり、そういう認識なのか? まあ、魔法自体を【倍加】させようなんて、カダベル自身も考えなかったようだしな。マクセラルくん。君のお陰で勉強になったよ。ありがとう」
マクセラルは考える。【大火球】を解除して防御に…いや、それでは間に合わない…
「この累積の効果は…何乗分なのかな? 計算は苦手でね。得意だったら勝手にやってくれ。ま、そんな余裕もないだろうが」
「く、クソォオオオッ!!!!」
カダベルが豪炎の球を投げるのに合わせ、マクセラルは【大火球】で迎え撃つ! 彼にはそれしか手はなかった。
(れ、連続で! 【大火球】の連続撃ちで止めてやる!!!)
「魔法の指向性ってのはよくわからないが、熱移動ってのは確か高いところから低いところへなんだよな。…超高熱と高熱がぶつかり合ったらどうなるんだろうか?」
「お、俺の【大火球】が呑み込まれ…」
相殺されるどころか、【大火球】をも取り込み、移動速度を増してよりひどい熱波を周囲に撒き散らす!!
そしてぶつかりあった炎の球同士が螺旋状の大渦を描いて大爆発した!!!
「…ああ、そうか。爆発するのか。うまくやりゃ、圧縮の度合いによって爆発魔法にもできそうだな」
カダベルは穴に戻りながらそうポツリとそう呟く。
「魔法はやはり実験してみないとわからないことが多い」
カダベルの知識でも【倍加】はただ質量を倍にするだけの魔法だと、そして生物や非生物を問わずに対象にできるぐらいしか知らなかった。
そして【魔法】を対象にした場合、その効果が累積する…つまり、これは魔法をエネルギーだとするならば、エネルギー自体を倍にする魔法になるのなら話がまったく違う次元のものになる。
「…だから、生物に対しても、本当は筋力が倍になるわけじゃない。その物体に対する働きが、つまり力そのものが倍になってるから軽く持てたりできたわけだ」
カダベルはうんうんと頷く。
「この魔法に対する違和感の原因はここだな。物体に作用させた時には質量が倍になるから、筋肉自体が倍になる…そう思い込まされてたわけだ。対象によって異なると、それが魔法が魔法たる所以だな」
そこまで言って、カダベルはふと思い当たる。
「…ならより高ランクの魔法に【倍加】かけたらどうなるんだ? 【大火球】に【倍加】かけたらヤバいんじゃないか?」
そんなことをする敵がでてきたら大変なことだ。
ひとりで一挙同時に複数魔法が使えなかったとしても、仲間と連携すれば可能かもしれない。
「魔法おっかねー。これ考えたヤツ、馬鹿だろ。
…っと、そろそろ魔法の効果が消えるかな」
カダベルがヒョコっと顔をのぞかせる。
炎も熱も綺麗さっぱり消えていた。
これもわからない点だ。普通、これが自然現象などだとしたら、燻った煙の一つでも残っていそうなものだ。
だが、焼け焦げた痕跡はあっても、炎と熱…魔法で生み出したものはすべて効果時間の経過と共に消失する。
「…この判断基準は魔法とは別のところで行ってるのかな。それが源術か。いやー、正直よくわからん。
なんでキリンの首が長いのか説明できないのと同じだな。高い枝の葉を食うために進化しただって? 最初から背の低い木の枝葉を食ってたら首が伸びるわけないじゃん。伸びたにしたってあんなになるかよ。伸びすぎだろ。そもそもなんであのサイズになって止まったんだ。どうせなら、もっと長くてもいいじゃん」
ブツブツと愚痴を言いながら、カダベルは穴から這い出て歩き出す……。
──
「あ。生きてたか。良かった良かった」
俺は倒れているマクセラルの前に立つ。
炎の球はたぶん半ば上に向けて撃ったから、きっと直撃しなかったんだろ。
ほとんどの熱エネルギーは上方向へと逃げたはずだ。なんか花畑を燃やしちゃうのももったいなかったしね。
あー、なんかゴライみたいに片目が白くなって、髪もほとんど焼けちゃったし、半分以上焼け溶けていて酷い有様だったが、まあ、瀕死でも生きている…死んでる俺よりマシだわ。健康健康。
「て…テメェは…いったい…なんだ…。“魔女”…なのか?」
「魔女? 興味深いキーワードが飛び出したな。ホウキに乗って飛び回る長鼻のババアがこの世界にもいるのか?」
盗み聞きはしてたけど、やっぱ本当に魔女ってのがいるのか。
「…なに、いってんだ、テメェ……クソ…が」
いや、魔女って言ったのお前じゃん…。
「ヒヒ。俺は…何も喋んねぇぞ。カダベル。テメェは…なんも知ることはできねぇ…ザコが…」
「いいよ。源核を見た方が早いから…」
「テメェはあの方を怒らせることになる…ザマアミロ…ゴミ野郎が…へ、へへへ」
なんだコイツ。瀕死で意識が朦朧しているのはわかるけど、人の話を聞かなすぎでしょ。
ってか、さっきから人をクソとかザコとかゴミとか言いすぎじゃない?
道貞の時に散々言われなれてるけど、大人になってからは忘れかけてたのに。軽くトラウマ思い出したんですけど。
俺、マクセラルのこと悪く言ったことないじゃん。
敵だけどそういうとこ弁えてるじゃん。
大人だもん。老人だもん。もうミイラだもん。
…よし。ちょっと頭きたからイジワルしてやろう。
「なあ、マクセラル。俺の正体、気になるんだろう?」
マクセラルのお喋りが止まる。
そうだよな。気になるよな。
このままじゃ死んでも死にきれないよなぁ。
俺は仮面を取ろうとする。
…あれ? 取れない?
おい。ここはバカッと取り外して、格好つけるところだろうが!
なんだ! 熱波を浴び続けてミイラの皮に癒着したのか!
俺は何度か拳で殴りつけ、ようやくのことで仮面を外す。
あー、格好悪いにもほどがあるだろ!
「…ヒッ!」
マクセラルが息を呑む。
俺は相手が動けないことをいいことに、胸ぐらを掴みあげて、嫌というほどに顔を近づけた。
ポッカリと空いた眼窩と、マクセラルの片方だけの眼が交差する。
俺は顔に巻いた包帯を引きちぎって素顔を晒した。
マクセラルが歯を打ち鳴らす。
それは恐怖だ。
よくわかる。俺も最初自分の顔を見た瞬間にそうだったからだ。
「よく見ろ。俺は“死”だ。お前の“未来”だ。これからお前はこうなる」
あ。漏らしやがった。
そんなに怖かったかな。
確かにちょっと低い声だしてみたけど、演技はB級映画の素人丸出しじゃん。
…いや、でも漏らしたのは恐怖のせいかどうかわからんな。もしかしたら身体的なショックというやつかもしれん。
「イヤだ…。イヤだ…。なんだ、どうして死んでるヤツが動けている? 喋っているんだ? なんなんだ、お前は…」
よし。怖がっているな。さっきのお返しだ。
「俺は不条理の象徴だ。お前たち理不尽な者たちに死をもらたらす、不条理の体現こそが俺という存在なのだ…」
よしスラスラ言えた! 前もって考えていた台詞だ!
いやー、ちょっとダークヒーロー意識してみました。
こういうの考えるのって楽しいよね。でもちょっと長いかな。もっと短い方がいいのかな。
「屍を従える王…」
「え?」
ああ。なんかとりあえずハッタリをかますのに考えたヤツだな…。
冥界の王とか、冥府の主とか…色々考えたけど、ゴライが主戦力だったからこういう名にしたんだ。
よく考えれば手下がひとりしかいないのに、王って偉そうで恥ずかしいな…裸の王様みたいだわ。
もっと屍体の手下がいるとビビってくれていれば意味があったんだろうけど、それにしたって大した効果もなかったようだし…。
「…その通り。お前も、お前の仲間たちも、俺の操り人形と化し、この世界を混沌の海に沈めるのだぁ!!」
とりあえず悪役に徹する。怖がれ怖がれ。ゲへへへ。
俺だって散々…パンイチで登校を強要され、先生に怒られた時は怖かったな。
かといって指示にしたがわなきゃボコられたし。
あ。お漏らしの連想であのトラウマが!
ああ、あれこそ、まさに恐怖だった。
クソッタレ! 恐怖なら、俺をイジメてた奴らに倍返しにしてやりたい!!
マクセラルくんには対してそんなに恨みがあるわけでも…
「【土狼1】」
「な!?」
マクセラルが魔法を使う。半透明な狼が現れ、彼の襟首を噛んで掴まえ走り出す。
「逃走手段があったのか!? ランク2の魔法だと!? 【牽引】、【倍加】!」
射程距離と引き寄せる力を倍にした【牽引】を使うが、その範囲を越えてスルッと抜けて行ってしまう。
「馬鹿か俺は! むざむざ逃がす必要があるか!」
──
マクセラルは痛みに呻く。
だが、それでも痛みを感じているということは生きているということだ。
魔女ならば傷を治す魔法が使える。今の状態のマクセラルも完全に癒やすことができるだろう。それが唯一の希望となっていた。
「クソ。もう維持できねぇ…か」
途中まで走って【土狼1】が消える。
1体しか召喚できない上に、不得意な魔法だ。
カナルより長く維持できないし、上手く操れるわけでもない。戦場で使うことになるとは考えていなかった魔法なのだ。
しかし、戦術の幅が広がるかもと、試しに“こっそり”と覚えて置いたのがここで初めて役立った。
村の入口まで辿り着くことには成功した。
カダベルが追ってこないとも限らないが、助けを求めるならば村人しかいない。“同じ人間”なら助けないはずがない。
「本当にあんなバケモンがいるなんて…クソッ。なんとしてでも生き延びてやる。あんなバケモンの自由にさせてたまるか…」
痛む身体に再度、【強耐性】をかける。
これで傷や痛みが消えるわけでもない。ただ痛みに耐えて動けるようになるだけだ。身体機能さえ損なわれていなければ、立ち上がって動くことができる。
「俺は死なん…。カダベルの野郎を殺すまでは…」
「誰を殺すと?」
村の入口を見やると、あのロリーシェがいた。
あの純真そうな修道士だ。
マクセラルはまだ自分は運に見放されていないと思った。
「ちょうどいい。修道士ならば【手当】が使えるだろう。俺の右手だけでいい。さっさと治せ!」
魔力が尽きたわけではない。ならば【大火球】さえ使えれば、つまり魔法を発動に必要な条件である、左右のどちらの手を敵に向けるということさえできれば、カダベルを殺すことができる。
これは【強耐性】を使っても、腕を上げて固定するという動作までができなかったからだ。狙いがつけられなければ、【大火球】は撃てない。
しかし、ロリーシェは動かない。抜けたノロマな女だとマクセラルは苛立つ。
「さっさとしろ! 俺がテメェらを苦しめているクソ野郎を始末してやるって言ってんだぞッ!」
そうだ。その目的さえ果たされば、この馬鹿な女には用はない。
自分の気が済むほど、泣き叫ぶほど弄んで、殺してやる…そうマクセラルは心に決めた。
「…エーー」
心底うんざりした顔でロリーシェは肩を落とす。
「あ?」
「カダベル様ヲ コロスゥ? コロス デスッテェ〜? ソンナ人二 カケル魔法ナンテ アリマセンカラァ〜」
ひどく棒読みで、虹彩が暗く淀んだ眼で冷たく見下される。
ロリーシェの全身から闇の揺らめきが幻視され、冷酷無比なマクセラルですら背筋がゾッとした。
(な、なんだこの女…無垢な顔しやがって、俺なんかより…ヴァイスやカナルなんて比べものにならないぐらいひどく歪んでやがるッ)
同族嫌悪なんて言葉では言い表せない不快感がそこにはあった。
ズリズリと気だるそうに歩く姿は、さっきのカダベルやゴライなどよりも、よほど死者に近いものを思わせた。
「ち、近寄るな! 俺に近寄るんじゃねぇ!」
「コラー! 待てー! 逃げるんじゃなーい!」
カダベルが杖を振り回して走って来るのが見えた。
一瞬、助けが来たと思ったマクセラルは自分を強く恥じる。
「クソッ! 両方とも敵じゃねぇか!」
「カダベル様ぁ!」
「あ…ああ?」
さっきまで幽鬼のような顔をしていたロリーシェが、カダベルの姿を視界に捉えるや否や急変貌する。
「助けてー! カダベル様ぁ! この男に襲われそうになっていたんですぅー!」
「は、はぁッ!?」
襲われそうになってたのはどっちだとマクセラルは思う。
「なにぃ!? 小僧! まだそんな元気があったのか! 俺の眼が黒いうちは…いや、黒くも白くもないんだが、それでも許さーん!!」
「キャー! ステキです! カダベル様ぁ!」
まさに今マクセラルは自分の状況が、前門の虎、後門の狼にあるのだと観念する。
「…この、マクセラル様が、こんなところで…終わるのか…」
──もーう。しょうがないなぁ〜──
どこから声が響き、マクセラルはハッとする。
──【遠隔空間転移】──
マクセラルを中心に、村の入口に魔法陣が生じた。
「魔法だと!?」
マクセラルの全身が輝く。首にかけられたネックレスが強い魔力に覆われているのが見れた。
「魔力が込められたアイテムか?! させるか! 逃さんぞ!!」
そして、瞬時のうちにマクセラルはその場から消え去る。
「なぁッ!?」
ミイラにできる全速力を出して走ってきたカダベルは、勢い余って、蹴つまづいてしまう。
それは自分の脚で走り慣れていないせいだった。
そして、ちょうど消えたマクセラルの延長線上にいたロリーシェの胸に飛び込む形になった。
カダベルの体重は非常に軽い。だから、ロリーシェがしゃがんだのは重かったからでなく、カダベルが地面にぶつからないよう、抱き止めようとしてのことだ。
「……ご、ごめんね。わざとでは、ないよ」
豊満な双子に顔をうずめたカダベルは、申し訳なさそうにそう言う。
「はい。大丈夫です♡」
紅い顔を天使のように嬉しそうに微笑ませるロリーシェとは違い、カダベルがイメージしていたのは看護師に抱き抱えられ介護されている老人の姿であった……。
──
意識が戻ったマクセラルが、最初に知覚したのは石鹸の良い香りだった。
そして目を開き、眼に飛び込んできたのは中空を漂うシャボン玉だ。
「【万全再生回復】」
上級魔法が発動され、マクセラルのあの大傷が一瞬で癒える。
ベテランの神官でも、ここまでのランクの高い魔法は使うことができない。
「おっかえりぃ〜。楽しんできたぁ?」
白い大きなバスタブの中で、脚をバタつかせて湯泡を飛び散らせているのは魔女ジュエルだった。
彼女はお気に入りのアヒル人形をつかむと、ピィーと押して鳴らせて遊ぶ。
「…助けて…くれたのか?」
「まーねぇ。マクセラルが手こずる魔法士って、そりゃ気になるじゃない〜」
アヒルを湯に浮かべ、それに波を立てて揺らし、ジュエルはキャッキャッとはしゃぐ。
「……ヤバい奴だ。野放しにしちゃいけねぇ」
「ふーん。そうなんだぁ」
「マジだ。どういうことか知らねぇが、屍体を操る力を持っている。その本人も屍体だ!」
「屍体ねぇ〜」
「“王”と言っていた! ってことは、手下はもっといてもおかしくねぇ!」
あまり真剣に取り合う様子がないのに、マクセラルは内心怒りを覚える。
だが、助けられた手前もあって文句までは言えなかった。
「泳がしたままじゃ、まずいかなぁ〜」
「ああ。絶対にまずい! 俺にもう一度チャンスをくれ! 次はあのカダベルを確実に殺す!!」
「カダベル…ねぇ。聞かないお名前だなぁ〜」
しばらくアヒルをジッと見やっていたジュエルだが、それが波に揺られてやって来ると、クチバシがチョンと彼女のまな板を突いた。
「もう。エッチなアヒルちゃんですねぇ〜」
ロリコン気などないマクセラルはどうでも良いことだったが、次に何が起きるのかと眼を細める。
「そうだね。マクセラル。キミの言う通りかも、“変わった魔法で対策するヤツには気をつけろ”…そう言われてたからね」
「なら!」
ジュエルはクスクスとアヒルを持ち上げて笑う。
しかし、すぐにその無邪気な笑みが邪悪な物へと変わった。
「おイタするそういう子はこうだぞぉ〜」
ジュエルは乱暴に両手に挟むと、グシャグシャに丸めて黄色い小さな親指大のボール玉にしてしまった。
それをマクセラルの前に放り投げて、ゲラゲラと笑って湯面を叩く。
その異常さに、さすがのマクセラルも背筋が凍るのを感じた。
「……はー。もちろん。その屍体を操る王様の対処はするわ。
どういうつもりか知らないけれど、このアタシにケンカ売ってタダじゃすまさせない」
「あ、ああ! その通りだぜ! 魔女ジュエル!」
「だけどさぁ〜。もっと面白い話してくれたんなら考えたんだけどぉー」
「え?」
ジュエルの眼が、ここに来てマクセラルへ初めて向けられる。
「…命令守んない、つまんないヤツには罰を与えないとね」
その言葉の直後、溢れ出た湯に赤色が混じり込み、排水溝へと流れていったのであった……。