001 世界異動サービス
深森を過ぎると、なだらかな丘陵が続き、王都の南大門に続く街道が見えてくる。
普段は検問がいるだけなのだが、今は物々しい武装をした兵士たちが門前に隊列をなしていた。
森の陰から王都へと続く道を見ていたヴァンパイアたちは、顔を強張らせて事が始まるのをじっと見守っている。
「…ついに動くのか」
「ルフェ様。良かったのでしょうか…」
「ああ。良いんだ…」
平地に等間隔で配置された死者たちだ。死んで間も無い者もいれば、半ば腐りかけの者、白骨化した者と種々様々だ。
共通しているのは、その表情には何の感情もなく、微動だにもしない。明らかに生者のそれではなかったが、間違いなく自身の足で直立不動に立ち尽くしている。
はたして、見下ろす先にいる兵士たちが眼に入っているのかすら怪しい。
死の集団の奥に、守られるかのようにして鎮座している一体がいた。
それは鉄の仮面をつけ、真っ黒なフードを被った人物…“屍従王”と呼ばれる男だ。
その彼がゆっくりと鉄杖を突出すことを合図にし、命なき集団に命が宿ったようで、一斉に大移動を始めた──
それは未だかつて誰も眼にしたことがないほど、世にもおぞましい光景であった。
先頭の者たちがズルズルと引きずるのは棺桶だ。
王都への道を腐れた血や臓物で汚し、引ずられる棺桶によって幾つもの線状の跡を残す。
ようやくして、最後尾の王を乗せた御輿が動き出した。
側近と思わしき道化師、そして眼鏡をつけた骸骨が槍を構えて立ち上がる。
そして、ホウキのような頭をした屈強そうな大柄のゾンビが一際大きな雄叫びを上げたので、隠れていたヴァンパイアたちはすくみ上がった。
手綱をしっかりと引き、馬が勝手に逃げ出そうとするのを抑え込む。
「……もう誰にも止められない。誰にも」
一番身分が高そうなヴァンパイアの“少女”が王城を見やりそう呟いた……
──この出来事から、8年前。
──地球。日本国。東京都…
あと少しで世界が終わる。
そんないつの時代にもある、単なる都市伝説に過ぎないと笑うことは簡単なことだ。
要はいつ起きるかわからない“世界の破滅”から逃れるためのビジネスがあって、そんな都市伝説が後押ししているせいで、世の中に広く浸透しつつあるわけだ。
一昔前はオカルト書籍だっただろう。予言書の解説やら、予知能力などの本が流行って売れた。
それが今では“世界異動”に取って替わってという話だ。
世界異動…前は詳細に作られたバーチャルリアリティの世界に擬似的に移動するというのはあったが、最近のは“発見された平行世界への異動”を手伝うというサービスだ。
世界が滅ぶかもしれないから…そんな売り文句も今じゃ聞き飽きるほどネットに蔓延している。
どうせ金銭は持って異動できない。だから、金持ちはここぞとばかりに有り金をはたいて、良い異動先を見つける。もちろん異動先も金持ちなんだろう。
やはり異動先は金次第。金額によっては、家族単位で異動することもできるらしい。
こんなサービスを本当に受けるのかと思うかも知れないが、自殺する人が年間何万といる日本だ。どうせ死ぬなら異動してみよう…そう思う人もまた少なくなかった。
そして、俺もそんな中のひとりだった。
と言っても、別に自殺したいわけじゃない。
また都市伝説に感化されたわけでもない。
だけれども…
つまらない仕事。
将来に対する夢はない。
家族はいないも同然。
彼女なんてもちろんいない。
親しい友人もいない。
そんな“自分の人生に半ば諦めた毎日”を過ごしていたものだから、何か変化を求めて、とりあえず話だけでも聞いてみよう…そんな好奇心から、異動を提供している店へと向かったのだった。
居抜き店舗というやつだろう。ある商業雑居ビルの一角にその店はあった。
他にも色々なサービスを提供している会社はあったのだが、広告の可愛い女の子が目についたのと、予算的にもここが一番俺にマッチしているように感じたのだ。
窓にも壁にも、ファンタジー風の女の子キャラが、“異動して第三人生を楽しもう!”と言っているポスターが掲げられている。
客の姿はまばらで、番号札を機械から取ると案の定すぐに俺の番号が呼ばれた。
不気味なぐらいに笑顔が張り付いた男性店員が、やけに低姿勢に「どうぞどうぞ」と向かい側の椅子に勧める。
「──ええ。ええ。その通りでございまぁす! 剣と魔法の世界は現実に存在するんですとも!」
俺が質問を挟む間もなく、延々と紹介説明を続けた挙げ句、ようやく聞きたかった答えがこれだ。
この一言を聞くまでの前置きが非常に長かった。
「…それで異動する時には。その痛み…とかは?」
「まったくございません! 寝て、ちょっと夢を見て、朝起きたら、はい! そこはもう新しい自分! 新しい世界!」
当然、良いことしか言わないよな。
「異動先で何か問題があったら…」
「何も問題などございませんとも! この“DO60610世界”は、弊社で最も探索が進んでいるサービスとなります!」
「ええ。異動に際しての安全基準を満たし…ってやつですよね」
店員は何度も頷く。さっきまで彼が何度も繰り返した言葉だ。
「でも別世界となるわけですよね? もし…」
「“もし”はございませんとも!」
「いや、ですから…万が一…」
「“万が一”もございませぇん!」
こんな質問には慣れっこなんだろう。
「……それならいいですが」
「はぁい! 向こうの世界にもスタッフも常駐していますし、仮に問題が生じた場合にも、即座に手厚いフルサポートにて解決させていただきますからご安心を!」
いや、それが聞きたかったんだけど…なんかどうにもこの人とは噛み合わないな。
「…もし元の世界に戻りたい場合は?」
「元の身体に…となりますと、候補者による双方の合意が必要となりますねー」
「候補者…」
異動するためには、異動先の世界の人間の“肉体”が必要となる。簡単に言えば人格や魂だけを入れ替えるということだ。
当然、向こうの世界からもこちらに異動してくる…それが“候補者”なのだと、ざっくばらんに説明を受けたばかりだ。
もっと高額なのだと、肉体ごと異動もできるらしいが、俺の予算で受けられるサービスはこっちだけになるらしい。
「しかしそうでなくとも、こちらの世界に別の候補者がいれば、代替は可能となりますとも。姿形は変わってしまいますが、この世界には戻ってこれまぁす」
「……候補者がもしいなかったら?」
「ンホホ! 本当にお客様は心配性でいらっしゃられる!」
どういう笑い声なんだよ…。
「…いや、当然の質問じゃないですか」
普通は不安になるだろう。むしろ、なんでそこまで自信を持って売れるのかがわからない。
「んー、まぁ、別途オプションとなりますが、この保証パックにご加入していただければ、最初から元の身体を一定期間保持することもできますよ」
「…うーん」
オプションリストを示され、俺はそれとしばらくにらめっこする。
異動先に金は持っていけないから、全財産を使ってこの有料サービスを受けてもいいんだが…そうなると戻って来た時に無一文ってことにもなりかねない。
あ。でも、そうか。このオプションで財産の一部取っておくこともできるんだ。そりゃそうだよな。そういう保証がなきゃ意味がないよな。
「…ですが、異世界に行ってから、戻って来ようとされる方はまずおられませんがね!」
「…そうなんですか?」
「なぜならば、楽しい夢と魔法のファンタジー世界! 退屈極まりない、つまらない、こんな世界に戻って来るなんてブルルルッ! ンホホ! ありえない! ありえませぇーん!」
さっきからこの大袈裟な仕草が逆に怪しいんだよな。
ってか、そんな楽園なら自分が行けばいいじゃんか…というのは、さすがに言ってはまずいか。
「……うーん」
「なぁんにも迷われることはございません!
例えば…うーん。ペラペラリン、と! おやおや! この候補者なんてどうです?」
聞いてもいないのに、パッドの画面をスクロールして俺に見せてくる。
何が“ペラペラリン”だよ…。
写真は金髪青眼のイケメン青年だ。イモっぽい俺とは全く正反対の存在だ。
こうやって見せられると、異世界にもやっぱり“人間”がいるんだなと改めて思う。
こういう美男美女だけの世界…そういうのもあるかも知れない。
そういや、昔流行ったの似異世界でハーレムを作るなんてあったな。リアルにそれをやってるヤツもいるんだろ。…大金持ちだったらね。
「…んー」
「本名は…“カダベル・ソリテール”ですね」
なんか重機みたいな名前だな。思わず掘削機を思い浮かべてしまった。
「アイアイアイヤー! 背も高いですよー! 羨ましい! ハンサム! いやー、スラッとしてますな!」
なんか店員の視線がムカつくな。悪かったな俺は小太りで短足だよ。お前もそんな変わらない体型じゃないか。
「ほほお! 魔法の才能を所持していて、魔法も100個も使えるようですね! すごぉい!」
魔法100個…か。それが凄いのか凄くないのか、その世界の知識がない俺には何とも判断がつかない。
「そ、そうなんですか。…あの」
「んまー! 憎らしいことに! 貴族位ももっています! 社交的な大金持ち! セレブですぞ! セ・レ・ブ♡」
「……」
「もう文句もつけようもない! なんともなんとも優良な異動先ですよ! お客様! 決めちゃいましょ! もうこの際、ズバッと決めちゃいましょう!」
「……こんな人が候補者に?」
「ええ?」
「……こんな恵まれた人が候補者になるんですか?」
画面で見る青年は何も不満に思ってる感じはない。順風満帆な人生を謳歌してそうだ。とても俺たちの世界に来たいと思うようには見えなかった。
「……あー、まあ、そうですな。うん。人には色々ありますからね。うん」
なんか、一気にトーンダウンしたな。
「…色々、ですか?」
「ゴホン! ええ! そうですとも! それだけ、この世界の日本に生まれた…というだけでも羨む方が多いんですとも! 海外の人が日本を絶賛して移住してくるのにも似てますね!」
申し訳ないけれど、こんな国に? って思っちゃうな。貴族として暮らしてた方が楽しいんじゃないのかな。
まあ、つまり変わり者…ってことなのかな。
「科学の発達していない異世界ともなれば、この日本が魔法世界より魅力的に映ることも少なくはありません!!!」
「…そういうもんですか?」
「そんいうもんなんですとも!」
確かに俺も魔法って聞いたら少しワクワクするもんな。
手から炎とか出せるのかな? 瞬間移動なんかできたりして? 魔法100個使えりゃ、それぐらいできるだろうな。うん。それはちょっとやってみたい。
「それにこういった候補者は当然人気がありますからね。悩んでいるうちに無くなってしまうものですよ!」
「…はぁ。そういうものなんですね」
「そういうものなんです!」
「……でも、俺の予算で大丈夫なんですか? そんなに用意できませんけど」
こんなイケメン魔法使い…しかも金持ちだ。だとしたら、さぞかし高値だろう。
「問題ございません! えー、ただいま超割引特価のキャンペーン中でして!」
それは初耳だな。なんだかこの人、肝心なことを先に言わないよな。
画面をもう一度見ると、確かにキャンペーン対象候補…と、赤字に表示されてるけど。
「ああ、それも今週中に終わってしまいますぞ!! この機会を逃してはもったいなーい!!」
「今週中ですか…。なら帰ってもう一度検討して…」
「……あ、間違えました。今日で終了してしまうサービスでございました。まっこと申し訳ございませーん」
「え?」
そんなことあるの?
なんか画面のキャンペーン対象の日付が変わった?
…気のせいか?
「持ち帰って検討されるんですか? あー、検討されますかぁ。残念だなぁ。これならきっと次のキャンペーン来る前に無くなってしまうなぁ。惜しいなあ。とっても惜しいなあ〜」
俺はもう一度画面を見やる。店員のゴリ推しはウザいが、こんなイケメンになれるなら確かにいいとも思う。
この姿なら女の子とも堂々と話せるだろうし…たぶん。きっとそうだ。
そもそも俺の予算じゃ、今の俺とそんな変わらない状態の異動先しかなかった。俺が言うのもなんだが、パッとしない人物ばかりだったのだ。
平凡が平凡に異動してもあんまり意味はないだろう。下手をしたら余計に状況が悪くなるだけかも知れない。
もしかしたら何か裏があるかも知れないが、嫌ならすぐに戻って来ればいいか。
「さっきの元の身体保持…でしたっけ? この候補者に有料オプションも付けられます?」
「ええ! もちろん!」
「……本当に戻りたいと思ったらすぐに戻れるんですよね」
「当然です!
…まだ悩んでおられらます?」
「……少し」
「わかりました! ならこれならどうです!? 今ここで決めて頂けるならば! もし万が一お気に召さなければ、全額ご返金致しましょう! これでどうですか!?」
「全額返金…か」
「これ、ここだけの話! お客様だけの特別待遇ですよ!」
ここぞとばかりのヒソヒソって感じだけど、周囲にだだ漏れしてるよ。
どうせ俺だけってことはないんだろうけどな。最後のダメ押しなんだろう。
うーん。でも、確かに魅力的だな。お試し感覚で判断できるならいいかも知れない。
「……なら」
今日即決するつもりなんてなかったんだけどな。
ちょうど連休だったし、まあ、小旅行気分でいいかも知れない。今のつまらない人生の方がマシだったらすぐに戻ってこよう。
「はい?」
「…ちょっとお試し感覚で…」
「はいはい! お試し感覚でも問題はございません」
「……お願いしても?」
「はぁい! ならば、ご契約成立ということで! よろしいですか! よろしいですね?」
「あ、あの…」
うーん。契約…と言われると身構えてしまうな。
「ンホホ! 大丈夫です! 大丈夫ですとも! 契約書にさえサインしていただければ、後はこちらですべて整えておきますから!」
「…あ、はい。嫌ならちゃんと元に戻れるんですよね? そこは念を押して聞きますけど、本当に大丈夫ですよね?」
「もちろん! もちろんですとも!」
「それ、信じていいんですよね?」
「もちろん! もちろんですとも!」
「お遊び感覚でやっても…」
「お客様!!」
店員がずいっと顔を近づけて、ニカッと笑う。
「すべてはこの『S・A・W・T・S』にお任せ下さいませ!」
こうして俺こと“森脇 道貞”は、異世界“DO60610”の“カダベル・ソリテール”へ異動することになったのであった……