表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/48

1.守りたい場所

「なんだって??」

 

 その話は突飛すぎて、とりあえず一呼吸置いてから母親のルカに聞き直した。

 

「だからね、おじいちゃんのお店は手放そうかなって思ってるのよ。」

 

 頬に手を当てて首を振るとエレノアと同じカフェモカ色の緩いウェーブした長髪がゆらゆらと揺れた。自分は肩にかかるかかからないかぐらいの長さなので、ここまで伸ばすと髪の毛は重くないのだろうか?とよく考えてしまう。

 

「え?あんないいお店を?冗談でしょ?常連さんたちもたくさんいるし、すごく居心地がいいし…。」

「エレンが言うこともわかるよ。」

 

 動揺を隠しきれないでいると、ルカの横に座っている父、ダレンが声を上げた。

 

「私もあの店が大好きだからね。」

 

 そう言う声はいつもの高めの声に比べて少し暗かった。優しそうな顔は困ったように眉を八の字に下げている。

 母も同じように困った顔をしてどうしよもないのよ、と哀しげな表情になった。

 

「だったらなんで…!?」

 

 エレノアは食ってかかる。当たり前だ。そこは小さな頃からよく言っていた祖父の家で、大好きな店である。おじいちゃんの思い出がたくさん詰まった場所なのだ。

 

 先月、祖父であるガイルが息を引き取った。眠るように亡くなったようで、カウンターで座ったまま息を引き取って居たところを常連のお婆さんが発見したそうだ。葬儀も恙無く終え、祖父の城であったカフェの片付けを終えて一息入れていたところで、母のこの発言である。心なしか、店内が一段階暗くなったような気がする。

 

「大好きだし思い出もたくさん有るんだ。だけどね、父さんが残したレシピも私では再現できないし私は私で国の仕事をしているからね。ルカだってそうだ。仕事の合間に誰か他の人にこの店を任せていくと言うことも考えたけど、それは父さんの店ではない気がするんだよね。」

 

 温かいコーヒーの入ったカップを優しく両手で包みながらダレンがそう言葉を落とすとルカも

 

「私も好きだけど、それ以上に今の仕事に誇りを持っているから片手間でどちらもやると言うことはできないのよ。それはそれで、お義父さんに失礼な気がするのよ。」

 

 と言ってため息をついた。ルカとダレンの寂しそうな表情にグッと言葉が詰まるが、それでもなかなかに受け入れる事ができない提案であった。

 

 ここを手放す?

 毎日のように遊びにきていたのに?

 よくお手伝いをしていたのに?

 

 ぐるりと見回すと、手に馴染むように磨かれたカウンター、窓辺のテーブル席、白い壁、使い古されたフライパンが目に入った。どこを見ても鮮明に優しかった祖父を思い出す事は容易だ。

 

 カウンター越しに常連と談笑している祖父。

 人気がまばらになるとテーブル席でコーヒーを冷ましながら新聞を読んでいるようで船を漕いでいる祖父。

 白い壁を背に持たれながら飄々とエレノアを見送りながら手を振る祖父。

 いつも美味しいパンケーキにこっそりと孫特典でフルーツとクリームをトッピングしてくれた祖父。

 

 現実は残酷だと知っているけど、あんまりではないか。

 ここは小さな頃からの自分の居場所なのだ。

 

 もちろん父と母の話もわかる。王国の公務員として働いている両親は国民から見ると素晴らしい職業についていると思われている。両親も誇りに思って仕事をしているし、祖父も好きな仕事を誇りを持ってしている両親を優しく見守っていた。だから、もしここに祖父がいたとしてもその決断に反対はしなかっただろう。むしろそのことに対して、そしたら俺は山で隠居でもするかなぁ、などと言いながら笑ってさえいそうだ。

 だからこの感情は単なる自分のわがままだと言うこともエレノアには解っている。解ってはいるが離れられない何かがエレノアを突き動かした。

 

「私が…私がこのお店を切り盛りするのはダメかな…?」

「「え??」」

 

 目の前の2人が同じ表情で固まってしまった。エレノアはグッと膝の上で拳を握った。

 

「え、エレン?仕事はどうするの?あなたがやりたくて始めた仕事でしょう?」

「翻訳の仕事は少し減らしながらお店メインでやっていけると思う。」

「エレン、父さんの料理の再現とかできないだろ…??」

「完全には無理…。だけど、レシピ集どこにあるかも知ってるし、一通りの手伝いはしてきてるから、店の回し方とか料理とかは他の人に任せるよりは今までのものを残していけると思う。」

 

 何がどこにあるかも知っている。わからなければ《聞けばいい》のだ。それは多分、他の人にはできないことだとエレノアは知っていた。

 エレノアの言葉を聞いて、ダレンはジッと娘を見つめた。その目には厳しいものが光っている。いつもは優しい父の背を正した居住まいに、思わず自分の背もピンと伸びてしまう。

 

「エレン、手伝いと本当に店を回していくと言うことは全く違うことなんだよ?それはわかってる?」

「…私だってもう大人だよ。もちろんわかってるよ。…そりゃ、勢いでいった部分もあるけど…。勢いもないとこんなこと言えないけど。」

「勢いだけでなんとかならないよ?」

「うん…。」

 

 父の真摯な問い掛けに目が泳いでしまう。

 不安ではないと言えば嘘になる。一つの店を構えると言うことはそう言うことなのだ。それを父は伝えようとしている。その父の横で母も心配そうにしていた。

 

「いくら居心地良くても、利益が出ないと店は回っていかないんだ。父さんはそれも込みでここまで積み上げて来てた。それをエレンは受け継げる?この場所を守っていける…?はい、無理でした!で簡単にやめれないよ?」

 

 エレノアは一度目を閉じた。自分のできること、言いたいことをまとめようとする。ダレンとルカは娘の答えをゆっくりと待った。

 

「私ね、おじいちゃんの料理もこの店の雰囲気も大好きで、もっといろんな人に知って欲しいの。料理だって人並みにしかできないけど、私にできる伝え方、やり方でここをもっと色んな人に知ってほしいしそのためには諦めたくないって思う。簡単に辞めようなんて思わないよ。この場所をどうしても守りたいの。説得力に欠けるかもしれないけど。父さんたちならまだしも、他の人に渡すとか、無理だよ。」

 

 エレノアは目を開くと、嘘偽りない気持ちを両親にぶつけた。がんばります!だけじゃどうにもならないことは知っている。これからいろんなことを学び、戦略を立てなければならない。

 娘の真摯な言葉を受けて、ダレンは息を吐いて頭をかいた。横でルカも苦笑している。

 

「ほら、言った通りじゃない。」

「…ほんとにね。」

「?」

 

 ルカの予想通りになったことに対してか、ダレンはコーヒーをググッと飲むと、カップを静かに置いた。

 

「エレンは、ずっとここが好きだったもんね。うちにいるのと同じぐらいここにいたんじゃないかしら?多分お義父さんはそれがすごく嬉しかったと思うから、あなたが子ここにいると言うことはきっと両手をあげて喜んでいるでしょうね、天国で。パパもわかってはいるのよ。ただあなたが苦労するのはちょっと見たくないだけ。」

 

 そう言って笑うルカにダレンは余計なことは言わなくてもいいから…と困ったように小声で呟いた。

 

「あなたがここを守りたいって言うのは想定済みよ?」

「!!」

 

 ルカは少し困ったように眉を下げて笑うと、カバンからいくつかのノートと紙の束を出してきた。なかには結構古さを感じる黄ばんだ紙や皺のよった紙もある。それをそっとエレノアの前に並べた。

 

「あ…!!」

「ノートの方はまだお義父さんの部屋にあるわ。」

 

 ノートをハラハラとめくると、それは帳簿のようなものだった。収益やその日に出たメニュー、仕入れ先とのやり取りなどが丁寧に書かれており、最後に一日のまとめのような事が一言二言書いてあった。文字の終わりに力が入る祖父独特の文字には見覚えがあった。紙束がざっくりまとめてあるものを手に取ると、それはどうやら自分が知っているレシピ集以外のものだった。祖父の知り合いの料理人に聞いた事が走り書かれていたり、試してみたことが書いている。失敗したからこれは作ってはいけない、と赤ペンで大きくバツをつけているものもある。新聞でたまにある料理や食材についての記事も貼ってあった。

 

「おじいちゃん、すごい…。」

「こまめだったんだよ。とても。」

 

 ダレンはそう言って目を細めながらそれらの紙をめくっているエレノアを見つめた。

 

「お店を建てたことも、母さんと店を切り盛りしていたことも、エレンと過ごした日々も大切な思い出で宝物だ、って父さんは言っていたよ。私の若い時、そうやって一から頑張る父を尊敬はできたけど、この仕事は私には無理だ、って思ってた。だから得意な分野で仕事についたし父さんはそんな私を後押ししてくれたけど、本心はきっとこの場所を守りたかったんじゃないかな。ちょっとずついろんな情報を残してたよ。…私室を整理した時に驚いたな。エレンもあとであの部屋を見ておいで。」

「エレンもよくここにきていたからね。もしかしたらって思ってたのかもしれないけど、エレンは翻訳の仕事も始めちゃうし、お義父さんもお店を継いでほしいなんて言えなかったんでしょうね。エレン大好きだったから。」

 

 そんな事知らなかった。祖父に店のことを言われたりしたことはない。いつでもふらっとやってきて祖父と話をし、常連さんたちと笑い合い、時には手伝いもする、そんな暖かい場所だった。そんなに大事なら言って欲しかった…と思うと同時に、祖父が自分がやりたいことだと言って勉強して仕事にしたことを何も言わずに応援してくれていた事にぎゅっと胸が締め付けられた。

 

「私…私ね、ここが好きだよ。自分のしたい仕事だからこれまで通り翻訳の仕事もするけど、ここもきっと守ってみせる。お父さんはお父さんの大事な仕事があるし、忙しいのも知ってるけど、お父さんだってここが大事ってことは知ってるもん。おじいちゃんが大事にしていたものを、作ってきたものを受け継ぎたい。」


 ノートを大事に抱えながら、エレノアはなぜか湧き上がる涙がこぼれないように唇を噛んだ。祖父の優しい笑顔が脳裏に浮かぶ。

 

「きっと、もっと居心地のいいところにしてみせるわ!!」

 

 

 

 

 祖父が亡くなって葬儀が終わったあと両親から承諾を得ると、鍵を受け取った。

 葬儀が終わって間もないので、親族たちの対応、書類手続きなど、しばらく両親は忙しそうだったので、祖父の家の整理を買って出たのだった。わからないものはそのままに置いていてもいいと言われているので、それ以外に必要そうなもの、思い出の品、そうでなさそうなものなどをより分けておこうと思った。

 店の鍵、勝手口の鍵、住居スペースへ入るための鍵、他にも水色のリボンの鍵がついている。これは用途がわからないと両親は言っていた。店の裏口へ行く扉を開けるとバックヤードから2階に行くための木製の階段がある。軋む音を響かせながら階段を登ると鍵を使って二階住居スペースに入った。横には洗面所とバスルーム。反対側には客間があった。少し埃っぽさがあるので客間の窓を開けると乾いた空気が流れ込んできて光も一緒にふわふわと揺蕩う。

 さらに奥に行くとトイレとその目の前には小さな物置があり、食材や生活用品がストックされていた。

 

 短い廊下を抜けてドアを開けるとリビングとキッチンがあった。祖父は家では料理はしないなぁと言ってたからかキッチンは小綺麗なままだ。リビングには年季のある皮張りのソファとローテーブル、棚には祖父母が大事にしていたティーセットと食器が綺麗に並べられていた。同じようにキッチン横の窓も開ける。キッチン横には二つ扉がついていて、その一つは寝室だった。覗いてみるともう父さんが整理しているのかクロス類はカーテン以外無くなっていた。殺伐としている部屋に見えた。カーテンを開けるとそこからは街並みが見えた。大好きなパン屋さん、仲の良い本屋さん、ついつい寄り道してしまうケーキ屋さん。窓を開けると街の香りまで運んでくれる気がした。

 

「おじいちゃん、この街大好きだったもんなぁ。」

 

 一度リビングに戻ると早速隣の祖父の書斎に入った。店の入り口にあるドアベルの小型バージョンのようなベルがチリリンとなった。そこは小さな部屋だと思っていたが、壁際に陳列する本棚と、厚い本達のせいで圧迫感を感じているのかもしれない。窓のカーテンを開けると先程の祖父の部屋から見えた景色が少しずれて見えた。そして天井にも採光窓がついているようで、他の部屋よりも明るかった。窓べには小さな木製のデスクとインク壺、その下にはファイリングされた紙とノートが山積みになっている。

 

「さっき言ってたのはこれかな?」

 

 ハラハラと捲ると、日付が遡っていく。ノートのものは全て日報のようなもので、営業日全て書いていたのかと思うと頭が下がる気持ちになった。いくつも簡単に確認していくと、一番古いもので自分の生まれた頃のものだった。孫が生まれると聞いて常連さんに謝って店を閉じ、祖父母揃って母の手伝いに行ったと書かれている。妹の時は祖父が私を見ていてくれたようで、祖母だけ手伝いに行ったと書かれていた。お店の横で小さな私を相手しながら仕事をしていたがそれがとても大変で、近所の常連の本屋のおかみさんが「見ちゃいられない!」と言って私の相手をしにきてくれたらしい。覚えてはいないけど、そう言うことを言うだろうなと想像できてしまってつい笑ってしまった。

 紙の束はメニューの続きのようだ。祖父が作っているものはさっき母に見せてもらったものにほとんど載っていたが、こちらは祖母の家庭料理のようだった。走り書きのように材料のメモが書いてあるが、丸くて小さな文字は優しかった祖母のものなのだろう。

 

「ランチメニュー、種類こんなにあったんだ。知らなかったなぁ。」

 

 ランチメニューの他にも一品だけとか、お酒のつまみのようなものもある。夜も営業していたのだろうか?

 

「ん?」

 

 ある一枚に目を凝らすと、メモの下に

 

 『早く良くなりますね。』

 

 と書かれていた。祖母は自分が中等部の学校に通っていたときに亡くなったが、それ以前いも体を患わせて入院していたことがある。確か初等科に入ったばかりの頃ではなかったか…。その時に祖父でも料理ができるように紙に書いてレシピを渡したのかもしれない。

 

(大事に取ってたのかな。)

 

 少し微笑ましく思いながら捲ると次の紙にも一言書いてあった。

 

 

 

 『小さなお友達達にもよろしくね。』


 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ