序章
「ねえねえ、おじいちゃん聞いてくれる??」
鈴を鳴らすような声が店内に響く。
時刻は夕刻。窓辺から入る外の光も暖かな橙色を帯びてきていた。そんな中を優しい小さな光がふわり、ふわりと揺蕩っている。
孫が1人遊びを止めて話し出したことに、カウンターに座って新聞を読んでいたメガネの老人が、新聞を読むのを止めて視線を上げた。その目にはいつもの優しい光が宿っている。
「ん?どうした?」
低くて深みのある声が小さな少女に声をかけた。少女はウフフ、と笑って居住いを正すと、キラキラした目で老人を見つめた。
「またね、夢を見たんだよ!」
カウンター越しに、少女は楽しそうに床に付かない足をプラプラと振った。大きな身振り手振りと、クルクルよく変わる表情でその内容を語っていく。
「おっきなおっきな建物がたくさんあってね!人も隣町のロゼニアよりも沢山あふれててね!いろんな形の乗り物も走ってて!!でも不思議なんだよ?なんと馬が馬車をひいてないの!…どうやって走ってたんだろ??」
自分で喋っていて自分で不思議がっている。首をこてんと傾けると、柔らかそうな肩くらいで揃えられた栗毛がふわりと揺れた。でも次の瞬間にはひそめられたまゆは元に戻り、また軽快に喋り出した。
「たくさん友達とお喋りしてね、そうだ!アイスも食べたんだよ!なんか周りがピカピカしててね、目がチカチカしたけど。楽しくて!うん、楽しいことたっくさんした気がする。」
「へえ、それは楽しそうな夢を見たんだね。」
七歳過ぎた孫の話は早く伝えないとという気持ちからか早口になっているし、文章も取り留めがない。でも祖父はその話を聞くのが好きだった。毎度そんな早口で話す世界は、現実と違う世界を彷彿とさせる。この街からほとんど出たことのないこの少女の想像力には自分までワクワクする何かを感じた。それは周りも同じ様で、祖父の感じる高揚感も周りから感化された物かもしれない。
祖父からもらった温かなホットミルクをふうふうと冷まして飲みながら、少女はそうなの!と声を上げた。
「魔道具みたいなものもたくさん見たよ!四角い箱の中で人が喋ってたり、筆箱みたいな箱の中で人が踊ってたり。不思議なんだけど不思議じゃないのが起きてから不思議だったー。夢の中では普通なんだよ。
優しそうなお兄さんとね、大きな鳥さんに乗って旅行する約束もしたんだよ!」
“優しそうなお兄さん”
彼女の夢にはよくこの人のことが出てくる。実在するのかどうかは分からないが、黒髪短髪の優しい目をした人だそうだ。一緒に食事したり、散歩したりという話を前にも聞いた事があった。
ふわりふわりと光が少女に寄り添うように集まる。孫娘はちょっと困ったような寂しそうな表情をした。
「そのお兄さん、ちょっと泣いてたの。楽しかったのに。理由は覚えてないんだけど、すごく困っちゃって。どうしたら笑ってくれるだろうって慌てちゃったよ。」
むう。と、唇を突き出しながらカウンターに顎を乗せる。なんだったかなぁ、なんだったかなぁ、と一生懸命思い出しているようだ。
「夢だから覚えられてなくてもそれは仕方ないんじゃないかな?」
そんな様子が面白くて、カウンター越しに孫娘の頭を撫でてやるとまだムウムウ唸っている。
「大事……な事だったきがするの。」
少し思い詰めたような顔をしたが、カップの飲み物を飲み干すと立ち上がって伸びをした。
「おじいちゃん。」
「なんだい?」
「ママたちはハイハイって夢の話を聞くのに、なんでちゃんと聞いてくれるの?」
「そりゃあ、たのしいからだよ。」
心底不思議そうな顔でカウンター越しに話しかけてくる姿に、顔を綻ばす。
「だってそうじゃないか。見たことのない世界、おじいちゃんはワクワクするよ?」
気持ちを肯定されて、少女はやっぱりおじいちゃんに話しに来てよかったー!といいながら体に合わない大きなポーチを肩にかけた。なかにはいろんな宝物が今日も所狭しと入っているようで、方にかけるとカバンの中でカチャカチャと鳴っていた。
「もう帰るのかい?」
「うん。ママのお手伝いしなきゃ!」
「偉いねえ。じゃあお使いも頼まれてくれるかな?このパンをお母さんに渡してくれるかな?」
「いいよ!おじいちゃんの友達のロッソさんのパンだ!大好きー!」
カウンターから立ち上がり、後ろの棚からパのマークの入った紙袋を渡すと、少女ははねて喜んで、そしてくるくると回った。体全体で喜びを表現しているようで、なんともわかりやすい。
「また遊びに来るね!!」
「ああ。いつでもおいで。」
扉の方に近づき手を降ると、カウンター越しに祖父が手を降った。周りの小さな光も心なしかゆらゆら見送るように揺れていた。夕刻の橙色の優しい光が差し込む店の入り口についたカウベルの乾いた音が響くと、木のドアは軋みながら開き、少女は町の雑踏に消えていった。
「んー…。久々におじいちゃんに会ったな。」
朝の光が差し込むで部屋のベッドから上半身を起こすと、ぐぐっと体を伸ばす。まだ半分寝たように頭がポヤポヤしているが、寝ぼけてもいられないので立ち上がって窓辺に寄った。
薄い黄緑のカーテンを開けると、窓から外の冷気をひんやりと感じた。薄っすらと結露がついている窓の外では町も目を覚まそうとしているようで、少し小高い場所にある自宅からは新聞配達の自転車の音と、所々で朝食の準備をしているからか煙突から煙が上がっている。
「さっむいなあ。」
一度ふるりと震えると、気合を入れてパジャマを脱ぎ、クリーム色のニットと紺のプリーツのスカートに手早く着替え、厚手の水色のストールを肩にかけて部屋を出た。ヒンヤリとした空気を感じながら階段を降りると、薄暗い部屋の中でほんのりと光る光の玉がふわふわ舞っていた。
「おはよー。」
部屋を見渡してそう声をかけると、一つ光が寄ってきた。そっと朝の挨拶がてらその光を撫でる。そうするとそれは彼女の周りを二回回って離れていった。よくよく見ると小さな子どものような姿をしている。気ままにその部屋を飛ぶ光は10ほどあり、姿形はみんな違っている。髪が長いもの、短いもの。金の目のもの、青い目のもの。羽があるもの、動物のような尻尾や耳があるもの。違いはあれど、共通して手のひらに乗るぐらいのサイズで優しく発光している。優しく祝福するように、挨拶するように頬にキスを落とすと、それぞれの好きなところへ飛んで行ってしまう。昼間にはなかなか見せてくれないこの時間が大好きだったりする。
1人だけ窓辺からなかなか動かない金色の肩までの髪をぴょこぴょこと跳ねさせた光の元へ行くと、逆に自分から彼へと頬にキスをした。
「おはよう。今日も外の世界は楽しそう?」
そう声をかけると、返事はしないものの、いつものように柔らかく微笑んでくれた。普段はなかなか見せてくれないこの柔らかい表情がお気に入りだったりする。
「さて、今日も準備をはじめましょうか!」
そうひとりごちながら髪結紐で髪を一つに括ると、部屋のカーテンを次々に開けていった。開けるたびに部屋…店内に薄く光が差し込んでくる。ゆっくりと登ってくる太陽の優しい黄色い光が今は目に少し刺激が強かった。柔らかい光は年代物の大事にされているカウンター、一つずつ磨かれたグラス、丁寧に扱われているシンクや食器類を少しずつ照らし出していく。暖房魔道具に自分の力を少しこめると、早速この空間を少しづつ暖めはじめた。
起きたばかりの体をもう一度伸ばすと、彼女…エレノアはググッと上に体を伸ばした。
「おじいちゃんおはよう、今日もみんな元気みたいだよ?」
エレノアはヤカンをコンロにかけながらそういうとそっと笑うのだった。
初投稿です。よろしくお願いします!