9.文字
本を借りて文字を勉強し始めて1か月ほどたった。この世界でも1か月は約30日で、1日は24時間。1週間が7日と覚えやすいので助かる。
ゲーム中でもそうだったので、違和感も別になかったし、前の世界のことが両親以外にバレる可能性が少なくなった。
1か月もすれば、借りた本をすべて読めるくらいには文字が読めるようになったのだけれど、子供ということを鑑みても異常な速度であることは間違いなく、ますます周りに不信感を与えてしまったかもしれない。
ラウリアだけは依然として私から離れようともせずに、お父様に会わせようといろいろと手をまわしてきた。大体はスルーしたけれど、何回かはお父様のもとに訪れることになり、迷惑をかけなかっただろうかと不安なところがある。
そしてリンドロース家の書庫にある精霊の本を読んでみた結論としては、これだけでは情報が足りないというところだろうか。
精霊について書かれた本というのが、大体が物語で最初の王女と精霊の王のように人と精霊の恋愛を描いたものばかり。子供に読み聞かせるには難しいというだけで、その存在を証明してくれるようなものは何もなかった。
でも辞書はとても助かった。たくさんの言葉を覚えることができたし、ちょっとした専門書くらいなら読めそうな気がする。
侯爵家の書庫に望んだものがないとすれば、あと可能性がありそうなところだと王宮の図書館か、教会の本部くらいだろうか。教会ヒュヴィリア王国の国教と言っていいもので、精霊を信仰しているもの。精霊関係ということで教会についての本が一冊あり、どうやら昔に比べると今は影響力が弱く、精霊の王の伴侶を出した王族――ヒュヴィリア家が教会内でも一定の力を持っているため、好き勝手出来るほどの力は持ち合わせていないのだとか。
ゲームでの経験から見ても、教会が王族と対立はしないし、宗教関係者が権力におぼれているということもない。
積極的に精霊を否定でもしない限りはうるさく言われることもないけれど、まったく権力がないわけではないことに加えて、王家が王家たりえている理由の一つとして、精霊の王の伴侶を輩出したというものがあるため、貴族たちは表向きに精霊を否定することはない。
でもお父様の反応を見る限り、暗黙の了解としては精霊はいないものとして考えられている節もある。
ここまで考えて、やっぱり大きな図書館に行ってみたいなと思うけれど、いえばラウリアが過剰反応してしまいそうな気もする。
「リューディア様。何をなさっているのですか?」
「文字を練習するためのものを作っているの」
「それは見ているとなんとなくわかるのですが、リューディア様はすでに習得されていますよね?」
「これはティアン用なのよ。使うことになるかはわからないけど、文字を覚えるのは大変だもの」
小さいときは案外すぐに文字を覚えられたような記憶はあるけれど、同時にたくさん反復練習をしたなという記憶もある。
この世界には紙がないわけではないけれど、文字の練習で使い捨て出来るほどではない。代わりに簡易的な黒板のようなものがあり、消しては書いてを何度か繰り返すことができる。
だからティアンが文字を勉強するときの助けになればと、消えないようにお手本を書いて、その上をなぞれるように同じ文字を薄く書く。昔こんな風に書き取りをしたなというのを思い出したからやり始めたのだけれど、手書きでするものではないなと後悔はしている。
ただ見た感じ五十音表な一覧はあっても、お手本のすぐ近くに文字が書けるようなものはなかったので、最悪なぞる部分がうまくできなくても使い道はあるだろう。
結構時間がかかったけれど、すべて書き終わったころ、ガチャリという音を立ててこの部屋の扉が開いた。
扉を見るとティアンが何とか扉を開けて、部屋の様子をうかがっているのが見える。その後ろでティアン付きのメイドが緊張した面持ちでティアンに注意しているけれど、どうやらティアンには聞こえていないらしい。
「おねえさま!」
「ティアン。勝手に扉を開けては駄目よ。せめてノックをして」
「……はーい」
注意をしたら不機嫌そうになるのは、仕方がないのかもしれない。注意する側の私が姉とはいえ、一つ上でしかないというのも理由だろう。仮にお父様かお母様に言われていたら、落ち込むのではないだろうか?
厳しい姉を目指すところの私としては、ここでのフォローはお母様あたりにお願いしたいので、機嫌を取ることはせずに「どうしたの?」と訪ねてきた目的を問う。
不機嫌だったティアンは、それが嘘だったかのように目を輝かせると、元気な声で「おねえさま、遊びましょう」と誘ってきた。正直遊ぶことは悪いことではないと思う。4歳のティアンはもちろん、本来5歳の私だって今は遊び盛りの時期で、1日遊び続けても許されることだろう。
それが経験となり、将来の糧となることも少なくはない。
だけれど、あえて「勉強するから、ラウリアにでも遊んでもらって」と突き放す。
それを聞いたティアンが不機嫌そうに頬を膨らませる。
「さい近のおねえさまは、お勉強ばかりです」
「そういうのなら、ティアンも勉強する?」
「……やります」
「そう、それならこれを使うといいわ」
つい先ほど出来上がった黒板をティアンに渡すと、不思議そうな顔でこちらを見る。
年齢のせいかすぐに機嫌が変わって微笑ましさを覚える。
「これは、なんですか?」
「上に書かれている文字をまねして、下に書けるだけ続けるものよ。こんな感じね」
ティアンの後ろに回って、なぞるところから文字を一番下まで書き込む。
そのあと黒板けしのようなもので、書いたものを消してから、チョークを渡す。
それで理解したティアンは、面白がって文字をなぞるところだけをやり始めた。なぞるところは薄く書いただけなので、さっき消したときに一緒に消えてしまった。だからティアンは最初の文字には手を付けていないわけだけれど、本格的に勉強するわけでもなし、興味を持ってくれたのであればはみ出さずになぞれるかゲームでも構わない。
さて勉強するといったけれど、精霊については行き詰ってしまったし、覚えている童話をこの世界の言葉で書く練習でもしていようか。
日本語に似ているけれど、使い慣れるに越したことはないだろうから。
しばらくして、ティアンが飽きたのか疲れたのか眠ってしまったので、ティアン付きのメイドにティアンの部屋まで連れて行ってもらう。
それからラウリアに、お母様が今から時間があるかと聞いてきてもらうように頼んだ。