67.帰宅
「お帰りなさいませ、お嬢様」
王城から帰って自分の部屋に戻ると、ロニカとリーリスにそういって出迎えられた。なんだか複雑な心境というか、もやもやとした感じがしていたのだけれど、二人の顔を見たら少しだけマシになったように思う。
そんな二人に心配をかけたくなくて何食わぬ顔をして「ええ、ただいま」と応える。
「一日居なかっただけだけれど、何か変わったことはあったかしら?」
「ありませんでした」
「まあ、そうよね」
一日で何かあるわけでもなし、あったとしたら私が帰ってきたときに真っ先に報告してくれることだろう。これが数ヶ月とか離れていたというのであれば、些細なことも教えてくれたかもしれないけれど。お庭の花がきれいに咲きましたとか。
「不敬を承知でお聞きいたしますが、お嬢様は何かおありになりましたか?」
さてアルベルト王子についてはどうしたものか、それよりも王妃様の教育の方が……なんて考えていたら、まじめな顔をしたロニカがそんなことを尋ねてきた。「不敬を承知で」との言葉通り、死すら覚悟しているかのような彼女の表情に驚いてしまう。
「不敬を承知で」というのは主人である私があえて何があったのかを伝えていないのにも関わらず、聞き出そうとしているからというのはわかる。ロニカなら私のために命を投げ出しかねないので、決意に満ちた表情をしているのもわからなくもない。それに何かあったのかと言われると何かあったし、ともすれば絶望に打ちひしがれていたかもしれない内容ではある――アルベルト王子との婚約は私の破滅への道筋であるわけだから――。
でもそれをロニカが知るはずもないし、どうしてそんなことを聞くのだろうか?
「リーリス。私は何か表情に出していたかしら?」
「どうでしょうか。普段のお嬢様ならお城から帰ってきて、何か変わったことがなかったかとは尋ねなかったように思いますが。表情に出していたかどうかについては、むしろ出さなさすぎていたと印象を受けましたね」
「どういうことかしら?」
「――お嬢様はロニカやあたししかいないときには、いつもよりも表情が豊かになられますから」
いわれて思い返してみると、確かにそんな節はあるかもしれない。家族の前でもできるだけ貴族然としようと心がけているけれど、ロニカとリーリスにまでそうしようとは思っていない。と言うか、朝起きてから寝るときまで一緒にいることが多い二人に対して、気を張っているとさすがに精神力が持たない。
私は特別でも何でもない一般人――にしては、アレな体験をしているけれど――だから、丸一日気を張り続けるなんてことはできて数日。休まなければ倒れてしまう。
そして今回は意識して表情に出さないようにしたのだから、バレても仕方がないか。それに気づけるなんて、なんてできたメイドなのだろうか。むしろ二人の方が私よりも気を張り続けているのではないかと思う。それは良いとして、話すだけ――私の秘密に触れないところまでなら話してしまっても良いだろうか。
「わかっているとは思うけれど、ここだけの話にしてちょうだい」
「もちろんです」
二人がぺらぺら話すとは思わないけれど、前置きをすることで重要度くらいは伝わるだろう。予言云々を除いても、王子との婚約なんて大事件には違いないだろうし、こういうのは慎重に時期を見計らってから、ベストのタイミングで公表するものだろうから。二人を通じて広まりでもしたら、それこそ解雇では済まない事態に陥りかねない。
そういう警告も含めてなのだったのだけれど、ほとんど間をおかずに答えが返ってきてしまった。
「二人はアルベルト殿下は知っているかしら?」
「えっと……」
「第二王子様ですよね」
リンドロース出身のリーリスが答えられないのに対して、王都出身のロニカはすぐに答える。第二王子といってもこの程度……というよりも、遠くの王都の権力者よりも自分の住んでいるところの領主の方が生活に関わってくるし、領主よりも村長の方が重要だと考える人も少なくはないだろう。
極論、王族が死に絶えて別の王族が現れたとしても、生活が変わらなければ対岸の火事でしかない。
後は単純に得られる情報が前世よりも限られているというのも大きいか。
前世であれば海に行ったことはなくても――と言う人もかなり少ない思うけど――、海を知っている人は結構いるだろう。だけれどこの世界には海という存在を知らない人もいる。そういうことだ。
「その第二王子殿下と婚約することになったのよ」
「それは……」
私の言葉にロニカが口ごもる。普通だったらノータイムで「おめでとうございます!」と来そうなものなのに、そうではないと言うことは私という存在をわかっているのだろう。リーリスはそんなロニカの反応に首を傾げている。
「お嬢様は王子様との結婚は嫌なのですか?」
「そうね……王子妃という立場に魅力は感じないわ。王族というのはとても強い権利を持つ代わりに、大きな責任も伴う立場なのよ」
婚約が破滅につながるからと本当のことは言えないので、一般論的なことを返しておく。言っていることに嘘はないし、無邪気に王子妃になれたことを喜べる人は、きっと幸せな人なんだろう。
そもそも第二王子であれば、戴冠せずに公爵になるのが通常だろう。そんな第二王子妃というのは何とも立場としては微妙なものだ。見方によっては王太子妃の予備みたいな立ち位置だし。
不意にリーリスを見ていると、なんとも言えない表情をしていた。
「想像と違ったかしら?」
「そう……ですね。もっと華やかというか、いろいろなことができる立場だと思っていました」
「できなくはないでしょうね。第二王子妃でどこまでできるかはわからないけれど。だけれど、自分の感情で意見を変えるような王族――統治者は嫌でしょう?」
「嫌です」
「それが行きすぎればクーデターが起こってしまうし、そうでなくても王国が――リンドロースが疲弊してしまうとわかっているとわがままばかり言って過ごすなんてできないのよ」
そんなことをすれば人知れず殺されるかもしれないし、大々的に殺されるかもしれない。そもそも何もしなくても命を狙われるかもしれない立場だ。
「お嬢様は王子様のことはどう思っているのですか?」
「良くも悪くも、年齢相応だったわね。そういうことよ」
「それは……」
やっぱり婚約者として見るのは難しいけれど、それはそれとして話すことができただけでも良かったと思う。聞いてもらえるだけで、少しは気分が軽くなったから。
なんて思っていたら、今まで話を聞いていたロニカが口を開いた。
「ところでお嬢様」
「なにかしら?」
「そのときにはわたしたちも連れて行っていただけますよね?」
「そうね。そのあたりはきちんと確認して、結婚するときにはなんとしてでも連れていけるように交渉してみるわ」
「お願いいたします」
そういってもらえるのは嬉しいけれど、果たして連れて行くことができるのだろうか? いや連れていけるように、がんばらないといけないのだけれど。山奥の小屋に隠れ住むようになってもついてきてくれるのだろうかと、ふと考えてしまった。





