63.距離
とある昼過ぎ。王城へと向かう道。私を乗せた馬車が軽快な速度で進んでいく。私としては売られていく気分……とまではいわないけれど、どう気持ちの整理を付けたものかと悩んでしまう。何せ今から王城に行くのは、アルベルト王子との顔合わせがあるから。ゲームと同じ流れになるのだなと実感してしまうのだ。
私が直接アルベルト王子との婚約をさせないように動いていたわけではない。でも、少なからずゲームとは違う動き方をしていたはずだ。蝶々の羽ばたきが転じて嵐やハリケーンになるかのように、ゲームと違う動き方をすれば大きな変化につながる可能性もあったのだ。
新しい馬車や植林の考案など、いろいろやってきたことが蝶々の羽ばたきにも及ばなかったといえばなんだか詩的だけれど、そう簡単に未来が変わってくれないということを明示しているようで気持ちが重たくなってくる。
私と違いお父様はより直接的に王子との婚約を避けようとしていた様子なので、無力感もひとしおだ。こんな気分でもリンドロースの娘として堂々とした態度で今日の顔合わせに臨まないといけない。
貴族は――というか、状況というのはどうしてこうにも厄介なのだろうか。
「大丈夫か?」
「はい。ご心配をおかけしてすみません」
「大丈夫であれば構わない」
「――顔に出ていましたか?」
「珍しくな」
どうやら顔に出てしまっていたらしい。リンドロース家の者として、それではいけないと思い意識して穏やかな表情を作る。顔に出さないという意味だと無表情が簡単ではあるものの印象が良くなく、リューディアの顔は無表情だととても迫力が出るというか、不機嫌に見られてしまう。そのため意識して穏やかな表情ができるように、お母様と訓練した。なかなかのスパルタで少しでも表情が硬くなってしまうと指摘されたため、今ではとても上手に表情を作れるようになったと思う。
前世でも多少は笑ってやり過ごすということをしていたけれど、顔の筋肉を意識して表情を作るなんてやったことはなかったので、とても新鮮な時間でもあった。感覚をつかむまで大変だったけど。
ともあれ油断するとまだ表情に出てしまうらしいので、気を付けなければ。
お父様が「珍しく」というということは、今までは大丈夫だったのだろうし、何とか気持ちを切り替えることができれば大丈夫だろう。とはいえ、言うは易し行うは難しで、すぐに上手くはできそうにない。手を使って顔の筋肉をほぐすところから始めたせいか、お父様にさらに声をかけられてしまった。
「予言を抜きにしても殿下との婚約は嫌か?」
「正直なところ分かりません。王子妃に興味はありませんし、アルベルト殿下も――強いて一緒になりたいとは」
ゲームのキャラとして見ている分にはかっこいいとは思うけれど、自分が結婚する対象としてみた場合はそこまで魅力的だとは思わない。王子妃としての地位も別に欲しくはない。できればリンドロース領から出ることなく、リンドロースの発展を見守り続けたい。そうなると分家筋との婚約か、婿養子に来てもらってリンドロース領を一部治めてもらうか。そのあたりが理想だ。王子妃になると直接リンドロースと関わることは難しくなるし。
王子妃でなくても、どこかに嫁いだら難しいから最初から私の望みは叶わないわけだけど。
「私は国を治めるよりも、リンドロースを発展させたいと思っていますから」
「なるほどな」
「ですがアルベルト王子との婚約が必要なんだろう、ということは理解しています」
「そうであれば、殿下との関係は最低限で構わん」
「大丈夫なのですか?」
「陛下も今回のことが、リンドロースが望んでいるわけではないことを御存じだからな。最低限の義務さえはたしていれば問題ない。後ろ盾を欲しているのはあちらだ」
「かしこまりました」
お父様の言葉は予想外で驚いてしまったけれど、そういわれると気が楽になる。10歳を相手に婚約者と言われても、たぶん恋心は生まれないから、好きになって愛するようになんて言われるとどうすればいいかわからなかったところだ。
今の段階だと見れて甥っ子くらいだと思う。それならまだ――。
私が何を思おうと、王城に向けて馬車は進み続ける。
◇
「それなのに今日という日にここに来たんだね」
「考えてみたら、王城でほかに何があるのか私はしらないのよ」
王城についてからまだ時間があるからどうするかと聞かれ、あまり考えずに図書館に行きたいと伝えた。何度か王城には来ているけれど、そのほとんどを図書館で過ごしていたので、落ち着ける場所というとここしかないのだ。
そしてそこにはラウフ君がいて、今日のことを伝えておかないといけないかなと思った。すぐにどうにかなるわけではなくとも、以前話した通り遠からず今まで通り会うのは難しくなるから。
「第二王子と婚約ね……」
「残念ながら素敵な人が婚約者にはなってくれなかったみたいよ」
ちょっと皮肉交じりにつぶやいたら、ラウフ君は含んだような笑みを見せて「王子様は素敵な人じゃないのかい?」と尋ねてきた。そのいいようには思うところはあるけれど、婚約の話をしたら寂しそうな顔をしていたので許してあげようと思う。許すも何もって話だけれど。
「王子妃の地位に興味がなければ、それだけで素敵とは言い難いのよ」
「ふうん……」
ラウフ君はいつにも増して意味深に、そして大人っぽい声を出したかと思うと、じっとこちらを見つめてきた。
「ボクが連れ出してあげようか?」
その言葉に一瞬心が揺らいだ。今の状況から逃げ出せればと思わなかった日がないわけではない。一人では心細くても――と思いもする。だけれどすぐに私は首を左右に振る。
「私が逃げることでリンドロースに少なからず迷惑がかかるもの。提案は嬉しいけれど、受け入れられないわ」
「望まぬ婚約であっても、それでいいと?」
「それがリンドロースの平穏に必要なことであれば」
「リーデアはやっぱり不思議だね。どうしてそこまで尽くすことができるんだろう? 自分の命よりもリンドロースという家を大切にしているようにすら思えるよ」
「自分の命はとても大切よ。でも――」
そこまで話してどこまで話していいのか、どう話していいのかわからなくなる。だから「何でもないわ」と目を伏せた。
「話さなくてもいいよ。不思議な君の行動は、それでもとても君らしいとボクには思うから。そうするのがリーデアなんだろうね」
「どういうことかしら?」
「リーデアがそう決めたのであれば、ボクはしばらく見守っておくことにするよ。それからいろいろと決めることにする。それじゃあ、君に何かがあったらまた会おうね」
ラウフ君は私の言葉を無視して、一方的にそう伝えてくると図書館の出入り口のほうへと歩いていく。私はそれを呆けてみているだけだったけれど、本棚を曲がって彼の姿が見えなくなったところで慌てて追いかけた。
だけれど私が本棚を曲がってその向こうを見たとき、ラウフ君の姿はどこにもなかった。





