60.束の間
お父様と一緒に屋敷に戻る。帰ってきた屋敷にはお母様もティアンもおらず、屋敷が静かで寂しい。
使用人たちはいるけれど、屋敷の主の一家にむやみに会話を聞かせるようなことはない。まさかどこでも誰とも話していないなんてことはないだろうと思って、ロニカやリーリスに冗談交じりに聞いてみたら、普通に部屋から遠いところで話をしているらしい。屋敷も広いし当然か。そもそも私の部屋に近づく人は少ないし。
屋敷に戻ってから、お父様に今日か明日には話があるからそのつもりでいるようにと言われて、自分の部屋に行く。今日はロニカとリーリスを連れて行っていないので、二人は思いっきり私の部屋の掃除をするらしい。曰く表面上は掃除されているけれど、細かいところまではやっていないようだ、とのこと。
おかげで置いていった私の荷物は変わりない様子だったわけだけれど、私の専属の二人には気に入らなかったらしい。本当は私が戻ってくるまでは休みにしていてもよかったのに、二人は首を縦に振らなかった。
大体私の部屋の掃除が甘かったからと言って、もともといた使用人たちが咎められることはない。あるとすれば私がいない間にこの部屋の掃除を担当していた人を私が呼びだして、直接罰する場合だろうか。それでも雇っているのはお父様になるわけなので、最終判断はお父様がする。
なぜ大丈夫なのかと言えば、私の部屋が普段お客様に見られることがないから。私の部屋を掃除するよりも、お客様に見える部分を念入りにやったほうがお父様からの評価は上がる。その代わり私の評価が下がるわけだけれど、私はリンドロース家に不利益にならない限りは放っておくスタイルなのでわざわざ呼び出したりはしない。人を入れ替えるというのもコストがかかるのだ。
それにロニカが少し開けた引き出しの上を指でなぞって、手についた埃を見て「なんですかこれは」と言ったことが面白くてどうでもよくなったところもある。
本当にそんな場面に出くわすなんて、私はいつか「この泥棒猫」という日が来るのだろうか。言えるような場面にならないように手を打とうとはしているのだけど。
「お帰りなさいませお嬢様」
部屋に入ったところで、ロニカとリーリスに迎えられる。
なんだかんだで仲がいい二人が一緒に掃除をしているところは、少し見たかったかもしれない。普段どんな風に話しているのだろうか? そういった日常の風景を私が見ることができないのはなんだか寂しい気がする。身分の差がある以上仕方のないことだ。
「掃除はもう大丈夫かしら?」
「はい。大丈夫です」
「それならよかったわ」
ロニカが大丈夫だというので、きっと大丈夫だろう。部屋の汚れを私は気にしない――ということはさすがにできないけれど、ここで嘘をつかれるような信頼関係ではないから。
「ところで、お城はどうでしたか?」
「そう言えばリーリスはいったことがなかったかしら? ロニカも行ったことはなかったと思うけれど」
「そうですね。ですがわたしはよく見ていましたから、そこまで気になりませんね。入れないのが普通の場所でしたので」
「私も図書館くらいしか知らないのだけれど。たぶんティアンのほうが詳しいんじゃないかしら?」
「そうなんですか?」
リーリスに再度問いかけられて「ええ」と短く返す。なぜ図書館に行っていたのかと言えば、精霊のことについて調べたかったからというのと、ついでにラウフ君に会えるかもしれないから。ラウフ君については理由ってほど明確なものではないけれど。会えたらいいなと思うだけだし、なぜか毎回図書館にいるだけだから。
精霊については話してもいいのだけれど、話さなくてもいい内容ではあるので話さない。私が何も言わないからか、リーリスが話を変える。
「本と言えばお部屋の中にそれらしきものがありましたが――」
「それは昔に私が書いたものではないかしら?」
「やはりそうなのですね。昔というと5年は前になるのでしょうか」
「そうよ。ここ5年はリンドロースから出なかったものね」
「さすがはお嬢様ですね」
「何が『さすが』なのかはわからないけれど、ありがとう」
リーリスの褒め言葉に言葉を濁してしまう。リーリスが嫌みなくそう言えるのは、リーリスが貴族というものに疎いからだろう。普通は5歳で本と言えるほどにたくさんの文字を書くことはないし、内容も5歳というには無理がある。そこに貴族であるという条件を加えたとしても結果は変わらない。リーリスが思うよりも、貴族の子供は子供らしいところがあるし、きっと最初は平民の子と変わるところなんてどこにもないのだろう。
だからリーリスの褒め言葉を素直に受け取るのは難しい。
そんな風に思っていたら、私たちが話している間に誰か来ていたらしく、その対応をしていたロニカに声をかけられた。
「お嬢様、旦那様がお呼びのようです」
「分かったわ。すぐに向かうと伝えておいて」
「かしこまりました」
と言っても、ロニカがやってきた使いに言付けるだけだけれど。
この呼び出しが一体何なのか私は予想するしかできないけれど、でも嫌な予感がしてしまい、あきらめ気味に息を吐いた。





