52.比較
「これは?」
「最近西のほうで開発されたという石鹸だそうだ」
「触らせてもらっても?」
「構わん。好きなだけ触ると良い。さてリディ、聞きたいことがある」
「お父様、なんでしょうか?」
お父様に呼ばれたので、男性を迂回するようにお父様のもとへと向かう。それからもう一つあった同じ石鹸を私に渡した。これが私を呼んだ理由だろうか?
「この石鹸がどれほどのものか、お前の意見を言ってみろ」
「なるほど。少し使用してきてもよろしいでしょうか?」
「行ってこい」
お父様に言われて速やかに一度退出する。たぶん早めに戻ったほうがいいので、一緒に来ていたロニカに「一番近い水場はどこかしら?」と尋ねる。私が住んでいる屋敷だけれど、普段いかない場所はよくわからない。確実にメイドのロニカのほうが屋敷には詳しいだろう。手を洗うときには水を持ってきてくれるから、水場と言えばお風呂しか知らない。何なら孤児院の水場のほうが知っている。
ロニカに連れられて着いたのはキッチン。私が中に入ると中で働いていた人たちが一斉にこちらを向いた。
それから料理長らしき人が「お嬢様どうかなさいましたか?」と尋ねてくる。中身と外身の年齢のギャップが埋まってきたからか、5年前に比べるとまだ皆相手をしてくれるようになった。恐る恐るという感じは否めないけれど。
「お父様に言われて、この石鹸の使い心地を確かめに来ただけよ。端のほうでいいから、水を使わせてもらえないかしら?」
「ええ、そちらでよろしければ」
示されたのは、使われていなさそうな一角。邪魔にならないだろうし、ちょうどいい。蛇口なんて便利なものは存在しないので、ロニカに水を用意してもらって手を洗う要領で石鹸を使ってみる。
その前に改めて石鹸を確認してみたけれど、見た目は私が知っている前世の石鹸と変わらない。前世の石鹸というと半透明だったり、きれいな色がついていたりとしたけれど、小学校の手洗い場にあったような感じのいかにもなやつ。
少し水を付けて泡立ててみると、現行の石鹸よりも泡立ちは良さそう。でも記憶の中のそれよりはまだ品質は良くないと思う。
「ロニカ、これでロニカの手を洗ってくれるかしら?」
「良いんですか?」
「ロニカたちが頑張ってくれるから、私の手はあまり汚れないのよ。だから性能をみるのには向いていないの」
「わかりました。お借りします」
ロニカに石鹸を渡して洗ってもらう。とはいえ、ロニカの手もそこまで汚れていないけど。まあ、私よりは効果がわかりやすいだろう。
「どうかしら?」
「従来のものよりも汚れが落ちやすいように感じますね」
「それだけわかれば、十分かしらね。戻りましょうか」
「かしこまりました」
「それじゃあ、邪魔をしたわね。頑張ってちょうだい」
働いている人たちに声をかけて、お父様のところに戻った。
◇
さてこの石鹸だけれど、なぜ私にその判断を任せたのかだけれど、おそらくお父様は私の知る前世のそれと比べてどうなのかを知りたいのだと思う。5年で進化した白い石鹸と、5年でほとんど変わらない黒い石鹸。白い石鹸が私の前世のそれと同じ作られ方をしているとして、まだ改善の余地があるのか。あるとすればこの二つの差は広がっていくばかりだから、それをお父様は危惧しているのだろう。
だとして、どうやって伝えたものか。今回はお父様だけがいる部屋ではないから、前世の話はできない。
「どうだった?」
「従来のものよりも質は良いですが、まだ改善の余地はありそうです」
「なるほどな」
下手なことを言うことはせずに、必要な情報だけを簡潔に伝えてから一度下がる。いろいろ言葉を付け加えるよりも、お父様に判断してもらったほうがうまくいくだろうし、そもそもこの男性がどういう人なのかを明確には知らない。
「それでこれと同レベル――いや、超えるものを作れないと困るな。出来るか?」
「出来ます。やらせてください」
「……まあ、良いだろう。別に急いでいるわけではないからな」
それで話は終わったらしく、礼服の男性が神妙な顔をして出ていく。競合商品が出てきたのに対して、特別何か対抗策があるわけでもない企業に対して発破をかけたのだと思うのだけれど実際のところはどうなのだろうか?
「お父様。今の方はいったい……?」
「それについては書斎に戻ってから話す」
「わかりました」
確かに応接室で話すことではないかもしれない。先にお父様が出て、その後ろをついていく形で書斎に向かった。
◇
「さっきのは石鹸を製造している者たちの取りまとめをしている男だ」
「新しく作られた石鹸を見せて、危機感を煽りたかったのですか?」
「そういう選択肢も提示していた。というのが正しい。もともとは一度事業を徐々に縮小していき、別のことをしてもらうつもりだったな」
だから「はいそうですかと受け入れられるもの」ではなかったのか。長年係わってきた仕事をやめろと言われたようなものだから。次の仕事が用意されていたとしても、それになじめるのか不安だろうし、今までやってきたという自負やプライドもあるだろうから、そう簡単には受け入れられるものではなく、領主であるお父様の言葉であっても突っぱねたというわけか。
そうして家に帰った後で「領主様に一言言ってやったが、無理難題を押し付けられた」なんていうのかもしれないと考えるのは、被害妄想が過ぎるだろうか? ないとは言えないだろうけれど、そう言われてしまうのも貴族というものかもしれない。
「リディが話したかったというのは、これのことでいいんだな?」
お父様がもう一つ石鹸を見せてきたけれど、いくつもっているのだろうか? それはそれとしてお父様の言っていることは正しいので「そうです」と返事をしてから続ける。
「お父様が気が付いていなければ一応確認をと思って時間をいただきましたが、杞憂だったようですね」
「確認をとって、リディとしてはどうすべきだと考えていた?」
だからそういうのは準備をしている余裕がなかったんです、とは言えないので、なんとなく考えていたことを必死でまとめながらお父様に話すことにした。





