51.石鹸
リンドロースは美容品が多く作られ、この世界ではそれこそ美容の街と言っていいほどに領の中心になっている。しかしながら――中には前世にも劣らないようなものもあるとはいえ――、基本的には前世のそれのほうが質は上だった。特に体を洗うものに関していえば、貴族が使う高級品であっても前時代的な石鹸であり、綺麗にならないとは言わないけれど入念に洗う必要がある。
残念ながら私がそれを改善するには知識が足りないのだけれど、一つ気が付いたことがある。私がこの世界にやってきて5年がたつわけだけれど、そのころ使っていた石鹸と今の石鹸にあまり差がないのだ。
かつて毎シーズンごとに新商品が出ていたような世界にいたものとしては、不思議な感じがする。前世であってもロングセラーで長年愛されていた商品はあったし、私も毎回同じものを買っていた記憶があるけれど。でもこの世界では新商品がそんなに頻繁に出ることもないし、何というか停滞しているような雰囲気がある。前世の移り変わりの速さが異常だっただけかもしれないし、そこまで考えなくてもいいのかもしれないけれど、こんな風に考えてしまうのは今私の目の前にある情報を見るに、杞憂で終わらせてはいけない気がした。
「ロニカ、お父様にお話しできないか聞いて来てくれないかしら?」
「かしこまりました」
「それからリーリスに聞きたいのだけれど、最近新しく出た商品の噂はない?」
案ずるより産むがやすしとも言うし即行動に移る。何かあった場合実際に動くのは私ではないけれど。
「リンドロースが考案したものであれば、いくつか出回っていますが……」
「それ以外で何かないかしら?」
「特には聞いたことはないですね。ですが体を洗う石鹸がもう少し安くならないのか、と言いあっていたという話は聞きました」
「誰と言い合っていたの?」
「行商人らしいです。結局たくさん買ってもらう代わりに、安くしたんだそうです。以前お嬢様もそんなことを言っていましたね」
「作っても売れないのであれば意味がないものね」
100円の商品を100個作って50個しか売れないよりも、75円にして100個売れたほうが作っている側にはお金がたくさん入ってくる。これが駄目だとは言わないけれど、私としてはあまり推奨はしたくない。大量生産大量消費に繋がるかもしれないし、そうなると開拓が一気に進んでしまいかねない。実際のところ大量に生産できるだけの体制が整っていないだろうから、そう簡単にそういった時代になるとは思えないけれど。
問題はリンドロースの石鹸が安値で買われてしまったこと。そして資料に書いている通り少しずつ売り上げが落ちてきているように見えること。リンドロースの主要な産業の1つだからある程度内情を知れるわけだけれど、ここ最近は売り上げが増減しながら全体で見ると減りつつあるように見えるのだ。
そこまで大きな動きではないため、気にすることではないかもしれない。だけれどいつか見た石鹸を思い出す。白くて前世のそれを思わせる石鹸。あの時はまだ見た目だけだったけれど、5年もあれば完成しているのではないだろうか?
そこまでの効果はなくても、既存の石鹸と同程度の効果であれば、白い石鹸のほうが売れる可能性は高い。自分の体を洗うものだから、見た目にも清潔感があるほうが選ばれることに違和感はない。そうして今の石鹸が駆逐されてしまえば、リンドロースは大打撃を受けてしまうだろう。
「お嬢様、旦那様が今すぐにでも会ってくださるそうです」
「わかったわ。行きましょう」
戻ってきたロニカがすぐにお父様と話ができると伝えてくれたので、準備もそこそこに部屋を出ることにした。お父様はすぐに私のために時間を作ってくれることが多いのだけれど、私が半ば衝動的に――時間優先でアポを取っているせいか、毎回大した準備ができてない。私の要件の中には緊急性を要するものもあるので、出来る限り早い対応をしてくれているのかもしれないけれど、今回はそこまで急がなくてもよかった。たぶん今日話をしたからと言って、すぐに動けるものでもないと思うし。
そう思いながらロニカの案内で屋敷を歩く。だけれどいつも行くお父様の仕事場に向かっていない。たぶんこの方向は応接室があるのではないだろうか? ということは、来客中になると思うのだけれど……。
「本当に大丈夫なのかしら?」
「大丈夫だと言っていましたよ。それからお嬢様を応接室にお連れするようにと申しつかっています」
「何があるのかしらね」
「お嬢様が石鹸や美容品の資料を見ているときに話がしたいとお伝えしたら、旦那様は丁度いいとおっしゃっていましたね」
ということは石鹸か美容品の製造関係者とかだろうか? お父様が呼び出したのか、向こうからやってきたのかはわからないけれど、もしかしたら私の話は不要かもしれない。お父様が先んじて動いた結果、今の状況ということも考えられるし。
そうだとしたら私を呼ぶ意味はないと思うのだけれど、お父様がどう考えているかは行ってみればわかるだろう。
入ったこともない応接室の前までやってくると、ロニカが扉をノックして「お嬢様をお連れいたしました」と声をかける。すぐに扉が開かれて、ロニカと一緒に中に入った。
中にはお父様と壮年の見た目が少しいかつい男性が相対している。男性は一応礼服を着ているけれど、着慣れていない感じがすごく、数えるほどしか着たことがないんだろうなというのがわかる。
職人のようなので、私の予想が当たっていたということだろう。
「お話は伺いましたが、いくら領主様のお言葉とは言え、はいそうですかと受け入れられるものじゃあないですね」
「そうか。じゃあこれと同じものを作ってみろ」
話があまり見えてこないのだけれど、そういってお父様が男性に見せたものは、いつか私が見た白い石鹸だった。





