50.10歳 現状
お母様とティアンが襲われたあの日から3年ほどが経ち、私も10歳になった。その間に、私は勉強と事業の経過とを確認する日々を過ごしていた。なんだか子供というよりは、大人に近い日々を送っているような気がする。
それでも前の世界でも毎日似たような生活を繰り返し続けていたので、それに対して特に何か思うところもなかった。いろいろと携わってきたけれど、そこまでプレッシャーに感じることもなかったのもやっていけている要因かもしれない。私が言い出した事業であっても、リンドロース家のものとしてお父様が責任を持っているからこその気楽さかもしれないけれど。それでもお父様任せにはせずに、問題があれば私も解決には全力で取り組んでいる。
この点で変わったこととしては、ティアンも顔を出すようになったことだろうか。実際にティアンの案が通ったことというのはないのだけれど、私がやっていることを見ていろいろと意見を言ったり、自分で企画書のようなものを書いてきて見せてくるようになったりと、私の部屋にやってくることが増えた。
王都の屋敷で勉強を教えていた時のような感じに戻ったと言えばいいのだろうか。言葉の端々から「お姉さまに負けません」という意思が見て取れる。この関係に至るまでにだいぶギクシャクした期間があったけれど、ティアンが積極的にやってくるようになったのもあって今の形に落ち着いた。
今、私がティアンにしているのは、ティアンの意見を聞いていろいろと指摘をすること。とはいえ、私が指摘できることも少なくなってきて、私が正せるところがなくなった時には、お父様のところにもっていこうかと思っている。ティアンの最近の関心ごとは植物紙。私が以前植林を進めるためにでっち上げたそれを、どこからか見つけてきて本格化させようとしているらしい。化粧品の類と同じく私は作り方をはっきりと知っているわけではないので――材料くらいはわかるけれど――やるとしたら、ティアンが試行錯誤してやっていくことになる。
「それだと木が減っていく一方になるわ」
「でも木はたくさん生えてますよ」
「そう思って使い続けた結果、木材不足なんてことにならないとも限らないわね。まだ試験段階なのだから、木を切る必要はないんじゃないかしら?」
そういうわけで、今日もまたティアンの持ってきた案件を見て意見を返す。もう何度目になるかわからないやり取りの中で、ティアンの構想もだいぶ現実的になってきたのではないだろうか? 現実的とは言っても、リンドロースの財力や権力があったうえでのものだから、お金は大事だよなと思わなくもない。いかに知識があっても、それを成すだけの何かがなければ、その道はとても険しいものになる。
後ろ盾になってくれる人を探し、その人に自分の知識の価値を認めてもらい、ようやくスタートできる。この価値を認めてもらうというのはおそらくとても大変で、突飛な知識の有用性を口頭で理解してもらうのは骨が折れるだろう。簡単なのは簡易なものでも、作りたいものを作って見せてしまうことだと思うけど、それを作るためにも時間と労力、あとはお金が必要になる。
幸い私の時には"私"が異物として、イレギュラーなものとして見られていた関係上、すんなりと話を聞いてくれたのだと思う。同時にお父様たちの柔軟性にも助けられたのは、言うまでもないけれど。
私の意見を聞いたティアンは「わかりました」とだけ言って、何かを考えている様子で部屋を出て行った。ティアンの姿が見えなくなったところで、ロニカが話しかけてきた。
「最近はティアン様と仲がよろしいですね」
「そうかしら? まったくそんなことないと思うのだけれど」
はたから見ると、姉に勉強教えてもらいに来た弟というだけで、仲がいい要素はないと思う。むしろやり取りは淡白で仲が悪いように見えても不思議ではない。ティアンも必要だと思っているからやっているだけで、本当なら私を挟まずにお父様のところに行きたいのではないだろうか? というか、なぜ私を挟んでいるのだろうか? できるだけいいものを作ってお父様に褒めてもらいたいからとか? その気持ちは分かるし、お父様としてもそちらのほうがいいだろうから今の状態が悪いとは思っていないが。
ティアンの成長が目覚ましいので、あと数年すれば私なんて簡単に追い抜いて行ってしまいそうなのが懸念材料だろうか? その時には踏み台のお役目御免というだけか。
「以前は一緒にお出かけになるということすらなかったですから」
「確かに屋敷を出るときには、ティアンを連れまわしていることが多いかしらね。でも必要なのよ。リンドロース領に残るのは私ではなくて、ティアンだもの」
たびたび私が町に顔を出すことで、リンドロースの子と言えば私みたいな雰囲気が出来上がってしまっていた。だけれど本来目立つべきはティアンでなくてはいけない。何とかゲームシナリオから逃れられたとしても、私はどこかに嫁いでいかないといけない身。あまり私が目立ってしまうと、要らぬ争いを生みかねない。ということに、あとから気が付いたのだけれど、お父様も気が付かなかったのだろうか? それとも先の未来の話よりも、今の安寧を望んだのか。
それとも知名度のある私を越えるだけの功績を残せとか、そういった感じの越えるべき壁の役割にしたかったのか。だとしたらお父様に申し訳ないのだけれど、今のところ何も言われていないので大丈夫だと思う。
「それではいつか、お嬢様がいなくなってしまうかのようではないですか?」
「『いなくなるかのよう』ではなくていなくなるのよ。どこかに嫁いでいくことは決まっているもの。私がリンドロースに残ることはまずないのではないかしら? それともロニカは私がずっとリンドロースにいてほしいのかしら?」
「わたしを連れて行ってくださるのであれば、場所は問いませんね。しいて言うなら、お嬢様にふさわしい殿方のところが望ましいです」
私にふさわしい相手とはいったいどんな人なのだろうか? 爵位的な話なのか、それとも人間的な話なのか。どちらにしてもふさわしい相手となると難しい。
「ロニカの要望に応えられるかを私が決めることはできないけれど、いっしょに来てくれるのは嬉しいわ。相手次第だとは思うけれど、専属のメイドを連れていくのを嫌がることはないとは思うもの」
リンドロース側が圧倒的に立場が下であるとか、大きな借りを作ってしまっているとかない限りは、専属のメイドを連れていくのも嫌がるようなところには嫁がされないと思う。
「それならばわたしはお嬢様がどこに行こうと構いませんよ。リンドロースから見れば大きな損失になると思いますが」
「それは言い過ぎよ」
一応私も自分のやってきたことは理解している。だけれどすでにある程度結果は出ていて、私がいないといけないところというのはほとんどない。しいて言うなら出来上がったサンプルがどれくらい前世のそれに近いのかを確認するくらいはできるけど、私に確認せずともこの世界で有用であればそれでいいだろうから。





