幕間 ティアンの退屈 ※3人称視点
リンドロース家の当主であるアードルフと長女であるリューディアがリンドロース領に戻ってしばらくした頃。長男であり次期当主であるティアンは、姉のいない生活を謳歌すると同時になんとも言えない退屈さに不機嫌になることが増えた。今までは姉のところで嫌々勉強していたけれど、いまでは新しく雇った家庭教師に教えてもらうようになり、小言を言われることはなくなったし、よく褒めてもらえるようになった。
それこそティアンがどんな問題を解いても褒めてくれるようになり、最初は楽しく授業を受けていた。だけれど段々とこんなことで褒められるのはどうなんだと首をかしげたくなるようなことが増えた。それこそ簡単な足し算を正解した程度で褒められるので、馬鹿にされているような気分になる。
だけれどこれは仕方がないことで、ティアンは姉から年齢にそぐわないところまで教えてもらっていたけれど、普通は十分に褒められる内容であるから。
ティアンがそれを知ることはないのだけれど、それと同じくらいティアンが面白く思っていないことがある。
それはティアンの学力をある程度理解して、家庭教師がティアンの知らないところを教えようとしてくれた時に起こった。
「ティアン様。先ほどまで授業を受けていたのですから、お勉強はそれくらいでいいのではないですか?」
「授業は面白くないから」
「? お勉強ですからね」
「ううん。勉強は楽しかったし、楽しいよ。でもいまの先生から教えてもらうのは、そうでもないんだよ」
ティアンの家庭教師はティアンがわからないことがあれば、すぐに答えを教えてくれたけれど、それまでのティアンは自分で考える時間を与えられ、間違えたときにはヒントをもらい、少しずつ理解していく過程を楽しむようになっていった。渡される教材も簡素なものが多く――遊びが少ないものが多く――ただ問題を解くだけとなっている状況に物足りなさを感じていた。
むろんそれは家庭教師の腕が悪いのではなく、異なる世界の知識をもとに多くの時間をかけて準備を行っていた姉のほうが、そういった面では上だったというだけ。家庭教師の教え方は、この世界では一般的なものであるのには違いなかった。
ティアンの立場上、気にいらなければ別の人に頼むということもできるが、メイドのカメリアが「それなら変えてもらえないかと奥様に伝えておきましょうか?」と尋ねても、「それは駄目」と首を振るばかりだ。
姉を否定して無理に入れてもらった家庭教師をすぐに変えてしまうのは、なんだかみっともないような、格好悪いような感じがしたから。それに授業の後に改めて自分で勉強し直すのはそれなりには楽しかった。見返すことで授業中には気が付かなかった、小さな疑問点が見つかり、それがどういうことなのかと考えることで点と点だった知識が一本の線につながることに満足感を得ていた。
「ねえ。カメリア。何か面白いことはないかな?」
ぽつりとつぶやいたティアンにカメリアは何かないかと考える。
ティアンが退屈で不機嫌なことをカメリアはわかっている。同時にそれでもティアンが自分自身に当たることがないことも知っている。ティアンは見た目通りの幼さはあるものの、簡単には人に当たらないし、我慢強さもある。好奇心旺盛でフラフラしてしまうこともあるけれど、年齢のわりにとても仕えやすい主人であるのには違いない。
それもこれも、大体は姉への対抗心からくるもので、姉ができることは何でもできるようになりたいし、いつかは姉を追い越して自慢したい――と思っているからこそ。
姉を観察して、良いところは真似して、悪いところがないかと探す。基本的に姉が言うことは正しかった――周りが喜んでくれた――ので、彼女の前では嫌がることはあっても、しばらくしてから取り入れてみる。
両親に褒めてもらうために、嫌だなと思いつつも姉のところに勉強をしに行く。しっかり勉強すれば両親はティアンがどれだけ頑張ったのかを理解して、褒めてくれた。
そんなティアンにも我慢の限界はあるし、このままではいけないなと思ったカメリアは自分の力不足を恥じながらも「久しぶりに奥様とお茶ができないか聞いてきましょうか?」と答えた。
その言葉にティアンは先ほどまでの退屈がすべてなかったかのように目を輝かせて、頷いた。
◇
ティアンの母であるマルティダとのお茶会はすぐに準備ができた。
父であるアードルフがいない中、王都の屋敷のトップをしているマルティダとは毎日話すことができるとはいえ、ゆっくりと話す時間がなかったので、ティアンはこの時間がとても楽しみだった。それと同じくらいマルティダも息子とゆっくり話す時間を取りたいと思っていた。
「お母さま、聞いてください! 今日も勉強頑張りました!」
「それは楽しみね。何を頑張ったのか教えてくれるかしら?」
「はい! これなんですが――」
ティアンが今日の授業で何をしたのか、そこから自分が何を疑問に思ってどう考えたのかをつたないながらも母に伝える。
マルティダはそれを微笑みながら、相槌を打ちながら、話を聞く。
「それは頑張ったわね。さすがはティアンよ」
「ありがとうございます! 頑張りました」
満足そうなティアンにマルティダも笑みを深める。
「ティアン。最近は楽しいかしら?」
「……楽しいですよ?」
「嘘ね」
明らかに困った顔をして応えたティアンのほっぺたをムニムニと摘まむ。
「んー、リディがいなくなったからかしら」
「お姉さまなんて知りません」
「そうね。でもティアンはリディを越えたくて、頑張っていたんじゃないかしら?」
「お姉さまには勝ちたいです」
「でもリディがいなくなったから、張り合いがなくなったんじゃないかしら?」
「そうなんでしょうか?」
好きな母親の言葉にそうなんじゃないかなという気になってくる。
「だから次にリディに会うときに、リディを見返せるようにこのまま続けてみたらどうかしら?」
「はい、頑張ります!」
「頑張ったら、一緒に街まで出かけましょうか」
「本当ですか!」
キラキラと目を光らせるティアンにマルティダは「ええ、約束よ」と頷いた。





