35.
「リーリスはリンドロース領に来て長いのかしら?」
「生まれはリンドロースの領都で、先ほど言ったお屋敷に雇われたときに初めてリンドロース領都を出ました。ですから領都を離れたのは数年です。帰ってきてからと考えると、二年もたっていませんから長くはないかもしれません」
「えっと、そのお屋敷というのは、リンドロース領のお屋敷ということでいいのよね?」
「はい。詳しくはその……」
「言わなくて大丈夫よ」
「ありがとうございます」
わかってはいたけれど、その貴族が持つ領地をその家一つだけで治めているわけではない。
リンドロースの分家筋の貴族がリンドロース領の何割かを治めていることになる。この辺りの知識自体は持っているけれど、感覚としてはわかっていなかった。
何というか○○○爵領と言われると、その家だけですべてを治めているものだと思ってしまう。というか、そんなに深いことを考えたことがなかっただけか。貴族という存在が、長い間ある種のファンタジーの世界だったのだから。
「働きに出る前と、戻ってきたときと領都に何か違いはあったかしら?」
「戻ってきてすぐはそんなに違いを感じませんでした。せいぜい知っているお店の老齢の店主が、その子供に替わっていたくらいです。隠居した店主は小さな畑を耕しながら、のんびり過ごしているようですよ。
そういったのんびりした生活は少し憧れますね」
「その気持ちはわかるわね」
のんびりできるということは、不慮の事故でも起きない限り命の危険はないだろうし、そういう生活ができるならやりたい。普通に貴族として生活ができていれば、それなりの年齢になるころにはできることではあると思う。それこそお爺様のように。
そこまで生きていることができれば、リンドロース侯爵家への義理というか、恩返しも十分できただろうし、安心して余生を送ることができそうだ。問題は普通に貴族としての生活ができるかがわからないことだけれど。
私の発言はリーリス的に驚くようなものだったらしく、目を丸くしていた。
「お嬢様でもそう思われるのですか?」
「貴族でものんびりするものよ。そうじゃないと、いまの私の状況が説明できないもの」
「ふふふ、確かにそうかもしれないですね」
おどけたように話すと、リーリスがきょとんとした後に、楽しそうに笑う。ロニカは義務感というか、忠誠心が先に出てしまって固いところがあるので、リーリスの気安さはうれしい。
ロニカのそれは私には安心感があるので、ロニカはロニカのままでいてほしいとも思うけど。
「それで領都はどうなったのかしら?」
「はい。あたしがここで働かせていただくようになってから、しばらくした辺りで職人街の方がなんだか賑やかになっていました。リンドロース侯爵様――旦那様からの指示で、何かを作ることになったとか、そういった感じでしたね。
その賑やかさは今でも続いているのですが、何が行われているのかは、お嬢様のほうが詳しいのではないでしょうか?」
「私もリンドロース家の者だけれど、なんでも知っているわけではないのよ? 情報は集めているつもりだけれど、お父様が意図的に隠してしまう情報もあるもの。無理に探れば痛い目に合うのは私だから、わきまえているわ」
何をしているのかは想像ができるけれど、具体的に何をしているのかはお父様に教えてもらっていないので、全部が全部嘘だというわけでもない。「知っているわけではない」というのは「知らない」とは違うから、嘘というわけでもないだろうけど。
お茶会やパーティなどでほかの貴族と顔を合わせる場面ではともかく、こういった場所で使用人を相手にこんな言葉遊びをして何の意味があるのか、私も疑問だけれど、嘘はついていないのだと私自身に言い聞かせられるくらいの効果はある。
「ほかにも畑のほうでも、旦那様からの指示で実験をしている――といったことを買い物に行ったときに、教えてもらいました」
「つまりリーリスが領都から離れていた期間での変化よりも、ここ最近の変化のほうが大きいのね?」
「そうなります」
「そういった変化に対して、何か不満とかは聞いたことないかしら?」
すでにお父様の手に渡った事業ではあるけれど、少なからず私も関与しているに違いないので、聞いておきたい。
「特に不満は聞きませんね。職人街のほうは新しいまとまった仕事が来たと思っている人が大半のようですし、畑のほうも実験がうまくいかなくても大丈夫なようにお金をもらっているって買い物に行ったときに教えてもらいました」
「そんなことも教えてもらったのね」
「そのお店は八百屋だったのですが、自分の畑も持っているところらしくて、その実験を頼まれたところの1つだと言っていました。お金がもらえてウハウハだって、嬉しそうに話していましたから。むしろ係われなかった人、不満というか羨ましそうな反応しているみたいですね」
そういえばお父様はできるだけ民に寄り添った判断をしているらしい。お父様に任せるようなかたちにしておいて、本当に良かった。私がメインでやっていたら、こんなにスムーズに事が運んでいなかっただろう。
携われなかった人からの不満は仕方がないものだ。全員を雇うというのは無理だろうし、クオリティが求められる以上素人は当然のことながら、新人――とその能力に近い人――には声をかけないだろうし。
「領都は栄えている様だけれど、ほかのところはどうだったかしら?」
「あたしが知っている範囲ですと、確かに領都が一番人が多いですね。ですがあたしが働きに行っていたところも、そんなに悪いところではなかったですよ。買い物に行けば気さくに話しかけてくれましたし。ですが領都も含めて、それだけじゃないというのは否定できませんね」
「どれだけお父様が善政を敷こうとしても、完全にというのは難しいのね」
お父様と言えども、領全体に目をいきわたらせることはできないから、その裏で何かしている人がいてもおかしくない。
ともあれ良い情報を知ることができただろうか?





