幕間 王太子の誕生会
リンドロース家の当主アードルフの書斎に次期当主であるティアンが初めて呼ばれた。
何かなと緊張しつつ、それでも期待をしつつアードルフのもとへメイドと一緒に向かったティアンに対して、アードルフが侯爵家当主の顔をして待ち受ける。
父の仕事の時の姿を初めて見たティアンは息をのんで言葉を待つ。
「近々王太子の誕生会がある。その時にティアンを連れていくことになるから、準備を頼む。
ティアンもそれだけ覚えておいてくれ」
「はい、お父さま。なにかぼくがしておくことはありますか?」
「ティアンはまだ5歳だからな。そんなに求められることはないが……挨拶の仕方だけは勉強しておいたほうがいいだろう。
あとでマルティダに聞いておくといい」
「いいのですか?」
何か特別なことがあると思って構えていたティアンは、なんだか拍子抜けをしたような気分で父を見る。
すでに挨拶の仕方は姉に教えてもらっているので、あとは確認してもらうだけだから、ティアンがすることが本当に少ない。
「誕生会とはいっても、実際は次期当主同士の顔合わせをすることが目的だからな。ティアンと同じく5歳の者もいれば、すでに成人している者もいる。
その中で成人していないものについては、ある程度目溢しされるのが慣例だからな。まずは貴族のパーティというのがどういったものかを確かめるといい」
「わかりました。たのしみにしていますね」
「ああ、そうするといい」
父との会話を終えて、頭を下げてから部屋を後にする。
それからティアンは一緒に来ていたメイドのカメリアに「何もしなくていいのかな?」と尋ねてみた。
カメリアは困ったように眉を下げる。
「ひとまずは奥様に挨拶を見てもらうのはどうでしょうか?」
「お母さまの予定を確認してきてもらっていい?」
「かしこまりました」
この前は感情に任せて母親のところに突撃したティアンだけれど、姉に言われてからは姉以外のところに行くときには事前にカメリアにアポイントメントをとってもらうようにしている。
大体はすぐに呼ばれるので、あまり意味がないけれどそういった姿勢を両親に褒められるので、意識するようになった。
ただし姉のところに行くときだけは、そんなことをしなかったけれど。
「ほかには何かないかな?」
「そうですね……」
再度問われてカメリアが頬に手を当て考える。
リューディアであればどう答えるのか。ティアンに対して厳しい態度をとるのはリューディアであり、それ以外のところでも思うところはあるけれど、彼女のおかげでティアンが聡明になったのは理解している。言っていることも幼子のティアンに言うには厳しいけれど、間違っているわけでもない。
だからリューディアがどう判断するかは、参考にする価値はある。
「きっとたくさんの方が来るでしょうから、名前だけでも覚えてみてはどうでしょうか?」
「うん。そうだね、そうしてみるよ。ありがとうカメリア」
「勿体ないお言葉です。ひとまずお部屋に向かいましょう。それから奥様のところに行ってまいります」
カメリアと話を終えたティアンは足取り軽く自分の部屋に戻った。
◇
「それだけできれば今は充分ね。リンドロース家の嫡子として、堂々とした挨拶をしてきなさいね」
「はい! お母さま」
マルティダのところで挨拶のやり方の確認をしたティアンは、上々の評価に笑顔で応える。
「パーティでは同じ年くらいの子とあえるんですよね? たのしみです!」
「そうね。でもティアンには少し物足りないかもしれないわ」
「? そうなのですか?」
「まあ、行ってみればわかるわ。パーティ――社交界には今後何度も行くことになるから、周りをよく見てみるといいかもしれないわね」
自慢の我が子への欲目もあるとマルティダも理解しているけれど、それでもティアンはよくできた子だと自慢に思う。
おそらく同年代の子の中でも頭一つ抜けるほどには優秀だろうと思えるほどに。
とりあえず心配することはないだろうと、マルティダとしては不安に思うことはなくティアンを送り出すことになった。
◇
王太子の誕生会。実際のところは各家の次期当主の顔合わせ会のようなものになる。
次代で切磋琢磨するであろう人たちとの顔合わせであり、ある種の後継者の発表会であり、この時に連れてこられた者以外が当主になろうとすれば、それなりの正当性を見せないと白い目を向けられることになる。
行われるのは数年に一度であり、そのたびに名目は異なる。今回は王太子の誕生日が選ばれた。
5歳から参加するようにと言われているものの、兄弟がおりまだ確定させられないという場合には連れてくることはできない。
だから5歳での参加というのはとても稀有なのだけれど、ほかにいないわけでもない。
初めての王城、初めてのパーティで緊張していたティアンだけれど、母に太鼓判を押してもらったこともあり、自信をもって入場することができた。
きらびやかな場内に目を奪われそうになるのを必死で抑えて、堂々とした態度でパーティに臨む。
何せティアンはパーティに行く前に姉のリューディアに「リンドロースの名に恥じないようにするのよ」と言われたから。しっかりと役目を終えて、自分の頑張りを自慢してやるのだと、見返してやるのだという意気込みを持っている。
その効果もあってか、年齢のわりにしっかりとした、ともすればティアンの倍近い年齢の子と変わらぬ挨拶をしたティアンは、多くの人に褒められるところとなった。
もちろん褒めている裏で何を考えているかはわからないが、現状における優秀さは誰もが認めた。
結果ティアンは確かな手ごたえを得ることができた。
◇
誕生会から帰ってきた日は疲れてそのまま寝てしまったティアンは、翌日朝食の後でマルティダに報告に行った後、姉のところに自慢をしに行こうかと足を向けた。
あの意地悪な姉に自分はよくやったのだと、認めてほしかった。それを言われるだけのことはしたとティアンは思っている。
いざ姉の部屋に入ろうとしたとき、少しだけ空いた扉の隙間から部屋の中の声が聞こえてきた。
「お嬢様どうなされたのですか?」
「昨日ティアンが初めてのパーティに行っていたじゃない?」
話の内容が自分であることに気が付いたティアンは中に入ることを止めて、様子をうかがうことにした。
リューディアの声が今までに聞いたことがないほどに、弾んでいたから。なぜ自分の話をするのに、そんなに弾んだ声を出すのだろうかと、不思議で動くことができなかった。
「お父様からティアンの様子を聞いたのだけれど、しっかりやれたみたいなのよ」
「そうなんですね」
「ええ、それがとても嬉しいのよ。ティアンはリンドロースを背負っていくのだもの。
きっともう私が教えることはないわね。それは寂しいけれど、ティアンがこのまま育ってくれるなら、私の役割も終わりかなと思うのよ」
そんな姉の話を聞いてしまったティアンは心がかき乱されたような感じがして、思わず踵を返してしまった。
そのまま自分の部屋に戻ってから、隣に控えているカメリアに半ば無意識に問いかける。
「カメリアは知ってたの?」
「リューディア様のことでしょうか?」
「うん」
「はっきりと聞いたわけではありませんが、予想はできていました」
カメリアはそこまで言うと、逡巡してから言葉を付け加える。
「ティアン様は気づいておられなかったかもしれませんが、リューディア様の部屋で使われていた教材は全てリューディア様の手作りだったようですよ」
「どうして……?」
「ですが、ティアン様の思う通りにしていいと思います。奥様もおっしゃられていましたが、リューディア様と距離を取りたいのであれば、それが一番だと思いますよ」
以来ティアンはリーデアとある程度距離を取りながら、彼女を観察するようになった。





