幕間 ロニカ(下)
「姉は……生きているのですか?」
「お前の姉の助命をリディが願ったからな。加えてお前自身を雇うこともな」
「リューディア様が……ですか?」
わたしの呟きに侯爵様は肯定も否定もしないけれど、リディ様はたぶんお姉ちゃんがお世話をしていたというリューディア様だと思う。
お姉ちゃんはリューディア様を我儘だと愚痴をこぼしていた記憶がある。年齢は5歳だっただろうか。そんな子供がお姉ちゃんを助けようと思うのだろうか? わたしを雇おうと思うのだろうか?
何よりお姉ちゃんが殺そうとした侯爵様の子供というのは……。
考え込むわたしの心を読んだのか、侯爵様が鋭い視線をこちらに向けた。
「改めて言おうか。お前の姉に害されたリディがそう願ったから、お前たちは今でも生きている」
「姉に会うことはできるのでしょうか?」
「良いだろう。心ゆくまで話してくるが良い。そのあとで話を受けるか決めればいい」
「ご配慮ありがとうございます」
頭を下げると侯爵様は一人の騎士を呼んで、彼に案内をするように伝えた。
◇
お姉ちゃんと年が近そうな騎士様について、侯爵様の屋敷の地下に向かう。
騎士様は一言も話すことはなく、すれ違う人からも好奇の目を向けられるだけで話しかけられることもなく、歩くたびに鼓動が早くなってくる。
お姉ちゃんは大丈夫なのだろうか。お姉ちゃんはどうして罪を犯してしまったのだろうか?
なぜリューディア様は、わたしたち姉妹を助けようとしてくれているのか。
地下へ向かう階段を下りながら、全身に寒気を感じる。
それが本当に寒さのせいなのか、別の何かなのかがわたしにはわからない。
カツンカツンと冷たく足音が響き、騎士様が足を止めた先にあった鉄格子の向こうに、少しやつれたお姉ちゃんがボーっとどこかを見ていた。
でもわたしが近づくのに気が付いたのか、ハッとして立ち上がり、格子のところまで近づいてきた。
その動きに不自然なところはなく、お姉ちゃんが無事なのがよくわかる。大きなけがをしている様子も、何かの病気や体調不良になっている様子もない。
きっと牢屋に閉じ込めているだけで、それ以上にひどいことはされていないのだろう。
「ロニカなの!? 無事? 怪我はしてない? 体調は大丈夫?」
わたしを認識したお姉ちゃんは、わたしを気遣うようにそういうと「大丈夫だよ。お姉ちゃん」というわたしの返答に安心したように息を吐いた。
その様子はいつもの優しいお姉ちゃんと変わらなくて、牢屋に閉じ込められていることとのギャップがひどい。なぜこんなところに閉じ込められているのだろうかと、思わずにはいられない。
「お姉ちゃんは大丈夫?」
「うん。大丈夫」
少し無理しているかのように笑うお姉ちゃんに、これから聞こうと思っていることは、とても躊躇われる。だけれど、確かにお姉ちゃんが生きていたというのは、侯爵様が言っていたようにお姉ちゃんは罪を犯したのだろう。
「お姉ちゃん。どうしてこんなことになっちゃったの?」
「ロニカの薬をもらうために頑張っていたんだけど、失敗しちゃって」
「お姉ちゃんがリューディア様を殺そうとしたのは、わたしのため……?」
「あんな我儘なお嬢様よりも、ロニカのほうが大切だったから。別にお嬢様に死んでほしかったわけじゃないんだけど、そうしないとロニカの命が……」
「お姉ちゃん。もういい、やめて!」
やっぱりお姉ちゃんはわたしの病気を治す薬をもらうために、リューディア様を殺そうとしたのだ。
だとしたらわたしは間接的にリューディア様を害したようなもので、侯爵様になんといってお詫びしていいのかわからない。
お姉ちゃんのおかげで命は助かった。助かったのだけれど、そのせいでお姉ちゃんもわたしも処刑されたかもしれなくて……。
一番被害を受けたリューディア様が手を差し伸べてくれなければ、こうやってお姉ちゃんと話すこともできなかった。
「ねえ、ロニカ。侯爵様に会うことがあったら、あたしのことを話してもらえない?」
「……どうして?」
「あたしがこうやって捕まっているって、侯爵様が知れば出してくれると思うんだよね」
「……うん。わかった言っておくね」
何と返していいのかわからずに、肯定することしかできなかった。
どう考えても侯爵様が出してくれるはずがない。いやむしろ喜んで出すのではないだろうか。そして出ていった先には、断頭台があると思う。
お姉ちゃんの言っている言葉の意味が分からなくて、まるで会話の通じない何かと会話しているようで、だけれどお姉ちゃんには違いなくて。
お姉ちゃんがいなければわたしは死んでいたかもしれなくて、でもお姉ちゃんがいたからわたしは死ぬ直前だったわけで、頭がぐちゃぐちゃでわからない。
お姉ちゃんが生きていてくれたのは嬉しい。最初は会話できたことで安心した。
でも今はわからない。話すほどにお姉ちゃんがわからなくなっていく。
もうここにいたくなくて、格子から離れる。
「それじゃあ、わたしは行くね」
「侯爵様によろしくね」
「うん。任せて」
「それじゃあ、ロニカ。またね」
「さようなら。お姉ちゃん」
たぶんわたしは二度とここには来ない。ここに来ると頭がおかしくなりそうだから。
騎士様に頼んで、侯爵様のところに連れて行ってもらうことにした。
◇
「戻ったか」
「お手数をおかけしました」
「リディはその年齢のわりに賢い子だ」
侯爵様のところに戻ったわたしに、侯爵様がリューディア様の話をされる。
専属の使用人になるのだから、教えてくれているのだろう。聞き逃さないようにしっかりと耳を傾ける。
「それこそ使用人たちに遠巻きにされるほどには成熟している。それはわかるな?」
「はい。とても優秀であることは理解できます」
5歳でありながら、お姉ちゃんやわたしの処遇を決められるほどに。わたしを専属にすると決めたということは、子供の癇癪でこうなったのではないことがわかる。
それはきっと、優秀なんてものではなくて、異常と呼ばれるものだ。だけれどわたしは、リューディア様が異常だったからこそ生きていられる。
「リディは自分を遠巻きにせず、決して裏切らない者を求めているだろう。その覚悟があるか?」
「はい。この命に代えてもリューディア様を守り、付き従うことを誓います」
わたしの心を見透かすように、侯爵様がじっと見てくる。普段はそうは思わないけれど、今だけは心の内を見てほしい。頭の中はぐちゃぐちゃだけれど、リューディア様への感謝だけは嘘ではない。
そして償いたいと思う。わたしができることはなんでもしたいと思う。きっとそれでも足りないけれど。
「そこまで言うのなら、今から働いてもらう」
「ありがとうございます」
わたしは侯爵様に深く、深く、頭を下げた。





