2.父親
ゆっくりと目を開ける。
あれからどれくらい経ったのかわからないけれど、前に見た女性は居なくなっていた。
代わりにメイド服を着た女性が居て、私が目を覚ましたことに気が付くと驚いたように目を丸くする。
「落ち着いてください。そして静かにしてください」
病気の子供が目を覚ました、となれば騒ぎながら両親を呼んでくる可能性がある。
だから先手を打って、落ち着いてもらうことにした。
そうしたら別方向の驚きが返ってきたけれど、たぶん話し方がリューディアとは違うのだろう。
少なくとも、子供が言うことではないと思う。舌足らずで話しにくかったけれど。
だけれど取り乱すことなくこの場に留まってくれるこのメイドは、さすがは侯爵家のメイドといったところだろうか?
「お嬢様。お目覚めになられたんですね」
「……そうですね。ですが、自分の身体のことです。これが一時的な事だとはわかります。
ですから、どうかお父様だけを呼んできてくれませんか? 大事な話があるのです。
きっとお母様が聞けば、心労を与えてしまうでしょうから」
ぬか喜びをさせてはいけない。
真実を話したときに、落胆させてしまうから。
きっと判断力が鈍るから。
メイドは「分かりました」と神妙な顔をして、部屋を出ていった。
メイドが見えなくなってから、自分の頭の中でリンドロース侯爵が来てからのシミュレーションをする。話す内容、順番、想定される質問等々、出来る限り考えておく。
そうでもしないと、緊張で何も話せなくなるかもしれないから。
しばらくして、コツ……コツ……と重たい足取りが聞こえてきた。
どうやらあのメイドはちゃんと話してきてくれたらしい。
ゆっくりとドアが開かれて、姿を見せたのは美丈夫だった。
背が高く、茶色の髪はきちんとセットされている。
目つきはやや鋭く、青い瞳が私を心配するかのように揺らいでいた。
年齢のほどは分からないけれど、子どもっぽさはなく、大人の男性としての魅力にあふれている。
「リューディア。体調は大丈夫なのかい?」
「はい。私が言う資格はありませんが、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」
頭を下げると、リンドロース侯爵――リューディアの父が、一瞬だけ驚いたような顔をする。
それなのにすぐに表情が消えたのは、貴族という奴だからだろう。
いや日本で生きてきた私が、貴族のなんたるかを語るなんておかしな話か。
「はじめましてリンドロース侯爵閣下。私はこの少女の体を借りる者でございます」
「何を言っている?」
面食らったように驚いた後、リンドロース侯爵は眉を潜めた。
「言葉通りの意味です。私はこの少女ではありません。
私はこの家の子ではありません」
「ふざけているわけではないのだな?」
「私には分かりませんが、この少女はこのようにふざけられる子だったのでしょうか?」
私が問えば、リンドロース侯爵はギリっと奥歯を噛む。
きっとこれで彼は、私が異質なものであると正しく理解しただろう。
「娘はどうした?」
底冷えする侯爵の声に体が震えそうになるけれど、それでも毅然とした態度で侯爵に応えなければ。
射殺さんばかりの目から逃げるように一度目を瞑り、深呼吸をする。
「そのことについて、お話をしようと思いお呼びいたしました。
結論から話すと、私に分かるのはお嬢様が既に居ないことだけです」
侯爵が両手を握りしめ、一瞬こちらに近づいてこようとしたけれど、踏みとどまる。
リューディアはこんなにも愛されていたのか。リューディアのゲームでの印象は、我儘な貴族令嬢といったものだったので、そんな彼女がこんなにも父親から愛されていたとは意外だった。
攻略キャラの一人である、リューディアの弟――ティアンからはものすごく嫌われていたので、家族の中でも孤立していると思っていた。
それとも父親だから娘を甘やかしてしまったのだろうか?
「私はただこの体に入り込んだ存在なので、状況は分かりません。
ですが、お嬢様は命に関わるほどの病気になった。そしてその病気で亡くなられた。そこに私が入り込んだ。
もしくは、病気で弱っていたせいで、私が入り込む余地が出来てしまった。そう言うことだと思われます」
「つまりお前がいなければ、リューディアは生きていたかもしれないと」
「おっしゃるとおりです。ですので選んでください。今ここで私を殺してお嬢様は病気で亡くなったとするか、私を育てるのか」
私が言うが早いか、侯爵はリューディア私の首をその両手で押さえ込んだ。
痛くて痛くて、どうにかなりそうなのに、どんどん苦しくなってくる。
死が近づいてくる。私が死んだときにはたぶん、痛みを感じるまもなく死んだのだと思う。それでも思い出せば恐怖しかない。
今回は加えて痛みも苦しみもある。
怖くて、痛くて、苦しくて……早く終わってほしい、そう思っていたら急に首の圧迫が消えた。
咳をしながら酸素を吸い、徐々に深くゆったりとした呼吸に変えていったところで、落ち着いた。
見れば沈痛な顔をした侯爵がジッと私を見ている。
見た目だけで言えば、私はリューディアと変わりない。
だから躊躇ってしまったのかもしれない。
「私を生かしておくと、いずれ侯爵家が没落する可能性があります。
今すぐにとは言いませんが、じっくりとでかまいませんが、できれば早めに結論をお出しください。その間、私は人形のように過ごさせていただきます」
脳内でいろいろシミュレートしていたパターンから、今にあったものを選び出し言葉にする。
急に娘が得体の知らないものになったのだから、私の扱いについて時間をかけて考えるだろうことは分かるけれど、人形のように過ごすにも限界はある。主に私の精神的に。だから出来るだけ急いでほしいとは思う。
侯爵は眉間にしわを寄せ、私を見下ろした。
「ここにいるのはお前の意思か?」
「いいえ。気が付いたらお嬢様の中にいました」
「お前は何処から来た?」
「こことは違う世界から。その世界で私は死んだはずでした」
それだけのやりとりをして、侯爵は部屋を出ていった。
ほっとした私はそのままベッドに倒れることにした。