13.精霊の存在
「悪魔の証明」という言葉がある。もとは法律に関するなんだかんだ、という意味らしいというのを聞いたことがあるような、とてもとてもあいまいな記憶があるけれど、一般的に使うなら「ないことの証明」でいいと思う。
ないことを証明するのはとても困難だとか、無理だとか、そういう感じのふわっとした認識を私はしている。
要するに今の私はそんな問題に直面している。
いくら精霊の本を読んでもその存在を証明してくれるものがなく――精霊を見たみたいな目撃証言はあるけれど信ぴょう性がない――それなら存在しないのではないかと思っても、それを証明するものはない。何なら現在における王族の妥当性の一つが「精霊の王に娘を差し出し、祝福を得た一族だから」だとされているため、それを否定するのは王威の一端を否定するようなものになる。
精霊の存在があやふやになっているわけで、暗黙の了解に成り下がっているような気もするけれど。
王家の血族がいなくなるとか、クーデターなどで王族が変わるなどした場合には、精霊の加護が失われて証明されるかもしれないけど、現実問題そんなことはできない。
私の中では比重的に「精霊はいる」という方に傾いているけれど、何かしらの行動を起こすには足りない感じだ。
「何をしてるの?」
さてどうしたものかと考えていたら、誰かに声をかけられた。
声は幼く、今のリーデアと同じくらいだろうか。顔を上げると同年代の少年が興味深そうに私を見ていた。
濃い緑色の髪に、鮮やかな青の瞳。真面目そうな表情が年不相応な美少年だ。
一瞬アルベルト王子かとも思ったけれど、幼いことを抜きにしても似ていない。まず髪の色が違う。アルベルト王子は金髪碧眼でいかにもな王子様なのだ。
だったらまだ見ぬ第一王子だろうか?
「あなたは?」
「ボク? ボクはそうだね……ラウフだよ」
明らかに今考えました、と言わんばかりの間が私の警戒心を一段階引き上げる。
だけれどラウフ君は私の警戒など知らないとばかりに、近づいてくる。
距離にして2~3歩のところまで来ると、ラウフ君は足を止めて私の持っている本を見た。
「ふーん。やっぱり精霊について調べているんだ。どうして?」
「精霊がいるかどうかが知りたいの」
「知ってどうするの?」
「知ってからじゃないと、どうしようもできないのよ」
逃げられる気もしないし、あきらめて口を割る。
王族だった場合、あまりにそっけなくしすぎれば不敬に当たるし、王族以外に興味を持たれるのであれば私の破滅は免れると思ったから。
「じゃあ質問を変えるね。君は精霊はいると思う?」
「いると思って調べているわ。動き出すには足りないけれど、いるんじゃないかというところまでは調べられたもの」
「なるほどね」
そういってラウフ君はどこかに立ち去ったかと思うと、一冊の本を持ってきた。
手渡されたそれのタイトルを見ると、農業に関するものらしい。
「これでわかるんじゃないかな?」
ラウフ君に言われて半信半疑でページをめくる。その本は農業の歴史について書かれたものらしく、やり方が古いものだと500年前から書かれている。
そしてわかったのが、この国の農業の技術的な遅れ。詳しくない私だと細かく読み解くことはできないけれど、この数百年の間ほとんど変わっていないのはわかる。
変わっている部分は効率的な水の撒き方、効率的な土の耕し方などで、収穫量を増やすときには開墾するの一択。
品種改良をしたような記録はなく、広い農地を持つことだけが農家のステータスといわんばかりだ。
なぜこんなことになったのかといえば、未だに国外の農作物よりもヒュヴィリア王国のものの方が上だといわれているから。
その割に精霊の存在があいまいになっているのは、あまりにも当たり前に存在していたからだろうか。形だけでも感謝さえしていれば精霊が何とかしてくれると、無意識に思っているのかもしれない。
なぜなら今までいなくなったことがないから。それこそどれだけ森がなくなろうと、人が自然を侵食しようと、当たり前に恩恵をくれるから。
今まで大丈夫ならこれからも大丈夫……なんて時期は過ぎて、考えることすらなくなってしまったように見える。確か精霊について書かれたものについても、かつては精霊は森を好み川を好み山を好むなんてことが書かれていたけれど、近年になるほどそういった描写はなくなっている。
一度訪れた大規模な開墾を境に、その速度が増しているのもまた、精霊の存在を希薄にする原因だったのかもしれない。
それまでは精霊のために遠慮していた開墾だけれど、実際にやってみれば特に何も起こらなかったから。「ああ、大丈夫なんだ」と思われたのだろう。
「ありがとう、これで……」
頭の中で整理がついて、お礼を言おうと思ったところではっとして口を閉じる。
これで精霊の存在を確信できたと言ってしまっていいのだろうか?
この国では今の農業のあり方が常識で、おかしいのだと気が付いたのはあくまで私が死ぬ前の記憶を持っているから。品種改良もなしでここまでの成果をあげられているのは、やはり不自然だと思えるだけなのだ。
他国については軽く触れられていたけれど、実際の数字が書かれていたわけではない。
「これであともう少しで確信できそうよ」
「それはよかった。次はこれをどうぞ」
そういって渡された本は少し読みづらかった。
何というかこの国のそれとは微妙に言葉の使い方が違ったり、つづりが違ったり、それでもなんとなく読めるし、ある程度読めばすらすら読めるようになる。
そこまでくればどうして読みづらかったのかがわかる。これは他国の本だ。どこかまではわからないけれど、言語体系が似ている国の農業の記録。
ヒュヴィリアに対抗して農業に力を入れたけれど、どうしても追いつけない旨が書かれている。
それと同時に今までの試行錯誤も書かれていた。私の目から見ると荒唐無稽なことばかりなのだけれど、地球の発展もこういった無駄と思われることの繰り返しだったのだろうから、この本の国のほうがヒュヴィリアよりも自然に感じる。
これはつまり、ヒュヴィリアの地が何か特別なのだという証拠だ。これだけの証拠があれば、とりあえず行動するには十分ではないだろうか?
「これでわかったかな?」
「ええ、ありがとう」
「それで精霊がいるとわかった君はどうするのかな?」
そういうラウフ君はワクワクとした目をこちらに向けている。
何か期待しているかのような瞳に、私は一瞬言葉を失った。やりたいことはあるけれど、どうやったらできるのかがわからない。
「精霊が自由に暮らせるように、人の手が入っていない山か森が欲しいわ」
「はっはっは、それはいい」
仕方なく話した内容をラウフ君が思いっきり笑う。自分でもバカげたことを言っていることはわかるけれど、笑わなくてもいいんじゃないかと思う。一応真剣なのだから。
「笑うなら、話さないほうがよかったわ」
「ごめん、ごめん。でも君なら父上に頼めばどうにかなるんじゃないかな?」
「無理よ。こんなことに無償で便宜を図ってくれるほど、お父様は愚かではないもの」
「それなら何か対価を払えばいいんじゃない?」
「お金は持っていないわ」
「お金だけが対価じゃないよね」
それだけ言うと、ラウフ君は私の言葉を待たずに「それじゃ」といたずらっぽく笑うと、本棚の向こうへと消えてしまった。
慌てて追いかけると空いた窓だけがあって、彼の姿は見当たらなかった。





