11.不穏
「そういえばティアン。今日はお勉強を頑張ったみたいね」
「うん! いっぱい書いたよ!」
「上手に書けていたわ」
そんなやり取りがお母様とティアンの中であったとかなかったとか。
ティアンも喜んでいるようでよかったと、私は自分の部屋で考えていたのが、少し前のこと。
お母様の礼儀作法の授業が始まって、姿勢や歩き方などがだいぶ矯正されてきた。前世での癖がプラスに働くこともあれば、マイナスに働くこともあり、奇妙な出来になってしまったのはご愛敬だろう。
お母様曰く「なぜこれができて、これができないのかしら」である。
この辺お母様も理由はわかっているので、煩くは言われなかった。スパルタではあったけれど、痛みを伴うようなやり方はせずに淡々と駄目なところを指摘され、どうしたらいいかを教えてくれる。
この淡々と指摘するのがとても怖かったのだけれど、今の私的には命の危機にさらされなかったらある程度耐えられる自信があったので何とかなった。
でも5歳児にやるような厳しさではなかったと思う。私が5歳児でないことを知っているからだろうけれど。
授業が始まって数日したところで、お父様に王宮図書館に行きたいという旨を告げると、お母様からの合格をもらったあとで、お父様にお城に行く用事ができれば連れて行ってくれるということになった。連れていくよりも、私がちゃんと本を読めるようになったことのほうに驚いていた様子だ。
ティアンはお母様に褒められたのがうれしかったのか、度々私のところにきて文字の書き取りをして帰っていった。その間、私が小言を言うので私の前だといい顔していないけれど、文字練習用の黒板が私のところにあるからしぶしぶやってきているという感じ。
まあ、悪くはないのかなと思う。私は嫌われることはわかったうえで、こういう役目を引き受けたのだから。
「ティアンのことなのだけど、リディはこれでいいのかしら」
「良いんです。私のことはいずれここを出ていく身ですから」
「貴女がそれでいいのであれば、良いでしょう。
これで王城に向かうには十分な礼儀は身につきました。次に侯爵が王城に向かうときにでも、いっしょに連れて行ってもらいなさい」
「! ありがとうございます」
「これで終わりというわけではないから、気を抜かないように」
「はい、もちろんです」
お母様に窘められて、気を引き締めなおす。
でもお母様に認められたことが、お城に行けるようになったことよりも嬉しかった。
だけれどお母様も言っていた通りこれで終わりなのではなく、むしろここが最低限だと考えるべきだろう。
見た目が5歳児だからということで目溢しをしてもらっているところも、少なくないと思うし。
「それじゃあ、今日の授業は終わりにするわ。いつでも王城に行けるように心の準備はしておきなさいね」
「わかりました。失礼します」
頭を下げてお母様の部屋を後にする。いつもはすでにラウリアが待っているのだけれど、早めに終わった今日はラウリアの姿がない。
たぶん私の部屋にいるだろうし、家の中であれば一人で戻れるからラウリアがいなくても問題ない。
少しご機嫌に自分の部屋に戻っていたら、私の部屋の中からドンと何か大きな音がした。
何かと恐る恐る近づいていくと、部屋の扉が少しだけ空いてる。扉に触れないように気を付けて中を覗いてみると、ラウリアがイラついたようにぶつぶつと何かをつぶやいていた。
すぐに入るのが躊躇われて、でも入らないわけにはいかなくて、深呼吸を2度してから扉を開ける。
「ラウリア大きな音がしたけれど、どうしたのかしら?」
「お、お嬢さまっ」
私が入るとラウリアがはっとしたようにこちらを見る。先ほどまでの苛立った様子はなく、焦ったような声が何かあったといわんばかりだ。
といっても、私のほうが内心ドキドキしていると思う。ラウリアが何をしていたのか、何を考えていたのだろうか。
「あ、あの、申し訳ありません。ボーっとしていたらコケてしまいまして。できれば旦那様や奥様には言わないでいただけると……」
「本当に何もないのね?」
「はい、もちろんです」
そういうラウリアの必死さは本物で、これ以上は問い詰めることができない。
これ以上聞いてしまうとラウリアとの関係が崩れてしまいそうで、怖い。
「わかったわ。だけれど今回だけよ」
「ありがとうございます。今後はこのようなことがないように注意いたします」
「そうしてちょうだい。それから今日はもう一人にしてくれないかしら。何かあったら呼ぶから」
「かしこまりました」
頭を下げてラウリアが出ていく。
完全に扉が閉じるのを確認してから、はしたなくベッドに倒れこんだ。
ラウリアのこと思い返せば、不審な点はいろいろある。妙にお父様のところに行かせようとしていたこと、急ぎでもないことを急ぎの用事だと伝えたのだって、改めて考えてみれば一介のメイドがやっていいことではない。
でもそのことと、今日の表情が結びつかない。
メイドの領分を超えていたことで褒められたことではないことでも、今回のように実行したからといって、私はもちろんリンドロース家に何か不利益があるわけではない。
だから病気で倒れていた5歳の子供が親に甘えられるようにと配慮してくれた、と考えることもできる。
今日のことだって、本当にミスをしてしまって苛立っていただけ、ということだってある。
きっとそうだ、そうに違いないと自分を納得させようとしたけれど、ふいにお母様が「気をつけなさい」といったのを思い出した。





