10.母親
ラウリアにお母様にアポを取ってほしいといったら、こちらでも張り切ったらしく、すぐに会う手はずを整えてくれた。
今日の目的はティアンの頑張りを知ってもらうこと――そしてティアンを褒めてくれるように祈ること――。できるだけ早く伝えて、ティアンのモチベーションになるようにしてほしい。
私が褒めるのはあまりよくない。私が厳しくする分、お母様に愛情を注いでもらうわけだから。甘やかしすぎるのも、教育によくない。
困ったことに以前の私は姉でもなければ、親になったこともないので、これで正しいかはわからない。そもそも子育てに正しいことがあるかはわからない。
親でもない私が出しゃばっても仕方がないので、私は私ができることをしつつ、お母様に言われたことをできるようにしよう。
「リディ。今日はどうしたのかしら?」
お母様は相変わらず美しく、お父様もそうなのだけれど、私という存在に対して嫌悪感を見せることはない。
内心苦々しく思っているだろうけれど、それを見せることは決してなく、私の精神衛生上とても助かっている。
「今日ティアンが勉強を頑張っていましたので、その報告に来ました」
「ティアンが?」
首をかしげるお母様に黒板を手渡す。
小脇に抱えるくらいの大きさの黒板にいっぱいの文字が書かれている。
たくさん書かれている文字は決して上手ではなく――私の字も完ぺきではないけれど――、中にはEをヨと書くような可愛らしいミスもある。
でもこれだけ書いたというだけでも、褒められていいと思う。
黒板を見たお母様はくすりと優しい微笑みを見せると「これをティアンがね」とつぶやく。
本来リューディアにもこのやさしさが向けられていたはずなのにと思うと、胸が痛くなる。だけれどもう私にはどうすることもできず、代わりにティアンが受けてくれるのだからと納得して「それでは」と部屋を出ようかと腰を上げようとすると、お母様から声がかかった。
「この家に来て1か月、リディはどうかしら? ティアンはこうだけれど、貴女は読み書きはもう問題ないくらいにはなっているのではないかしら」
「そう……ですね。簡単なものでしたら、本も読めると思います」
「それは前の世界の記憶があるからね?」
「似たような部分も少なくありませんでしたから」
正確には私にもわからないけれど、すんなり覚えられたのは確かだ。おかげでますます使用人から避けられるようになったとは思うけど、元が元なので気にするほどでもない。
何なら私が異常だという噂だけ流れて、アルベルト王子との婚約が少しでも遠くなってくれればとすら思える。
「そうなのね。では何か困ったことや足りないものはあるかしら?」
「特には……いえ、一つ頼みがあります」
「言ってみなさい」
「可能であれば王宮の図書館に行きたいのです」
「精霊について調べているのだったわね。それがリンドロースの未来につながると?」
今のままではらちが明かないしと思い、思い切って王宮の図書館のことを言ってみたけれど、試すかのような目で問われてしまった。
「それ自体は私が授かった予言にかかわることではありません。ですがその先、長く続くリンドロースのためになる可能性はあります」
精霊がいたとして、どう家の発展に結びつけたらいいのかはわからない。だけれどリンドロース領が精霊が住みやすいと思われるような場所になれば、リンドロースにとって悪いことではないと思っている。むしろ一番怖いのは何も知らないままに精霊に愛想をつかされてしまうこと。
精霊がいなくてここまでの発展をしているのであればそれは安心だし、精霊がいるからこその発展であれば、今の形骸化した状態は良くないと思う。
精霊がいるとして、精霊との訣別の時期にあるというのであれば、やはり何かの対策はしておきたい。
その時になって選択肢は多いほうがいいだろうし、選択肢を増やすためにはきっと今の段階から動き出しておいて損はないはずだ。
「王宮で貴女の知りたいことがわかるとは限らない。それでも行きたいのね?」
「はい」
「わかりました。わたくしからも侯爵には伝えておきます。ですが貴女自身の口から言うようになさい」
「わかりました。ありがとうございます」
王城に行きたいというのをいきなり私から言っても、予言にかかわるところではないから連れて行ってもらえる可能性は低かっただろうから、お母様の口添えがあるのは正直に助かる。
「その代わり礼儀作法の勉強もしてもらいます。まだ幼いとはいえ、城で無作法をしてしまえばリンドロースの名に傷がつくかもしれません」
「承知いたしました」
「どうやるかは追って連絡するけれど、わたくしが直々に教えることになるはずよ」
「お母様が……ですか?」
「何か問題があるかしら?」
「いえ、私にそこまでしてもらえるとは思っていませんでしたので……」
リンドロース家の娘として、ある程度の教育は受けさせてもらえると思っていたけれど、お母様直々にというのは考えていなかった。
もちろん侯爵夫人として、立派に働いているお母様なら教師役としても十分だろうけれど、リーデアに対してだと考えると過剰だと思う。
お母様はフーっと息を吐いてから「だとしたら大丈夫ね」と答えた。
「わたくしたちにも責任があるとはいえ、リディは異質な存在なのはわかっているわね?」
「はい。理解しています」
「もう少し年齢を重ねたら違うのだろうけど、今のリディに先入観なく教育できる人がこの屋敷にはいないのよ」
「ああ……わかりました。お母様よろしくお願いします」
使用人の中だとラウリアが私に普通に接してくれるけれど、ほかはシャルアンナくらいだろう。そしてそのシャルアンナはあまり私に時間を割いている余裕はないと。
屋敷の中でもこうなのに、外から先生を呼んでくるというのは論外だろうし、消去法的にお母様になったのか。ラウリアでもいいとは思うけど、ラウリアは私に甘そうなので効果的ではないだろうし。
恐縮ではあるけれど、そういう方針だというのであれば、私は受け入れようと思う。
聞き返したのも、嫌だというよりもびっくりしたからというのが大きいし。
「それではこれで失礼します」
「頑張るのはいいけれど、気をつけなさいね」
部屋を後にする直前お母様に言われた言葉に、胸がキュッと締め付けられたかのようだった。





