なぜ異世界で【十字架】を掲げるのだろうか
復帰後二作目の短篇エッセイです。
ある日のことである。
たまには漫画でも読もうと思い電子書籍アプリを立ち上げ、昔ながらの異世界ファンタジー作品を読み進めていたところ、ワタシはあることに気が付いた。
「あれ?この作品の舞台は地球とは別のファンタジーな異世界だよね?だったら何故、このヒロインは十字架を掲げているんだろう?」
異世界ファンタジーに当たり前のように登場している「十字架」というアイテム。ワタシがこのとき読んだ異世界ファンタジー作品に限らず、漫画・アニメ・ライトノベルやゲームなど様々な作品にそれは存在している。
あるときは信仰のシンボルとして、またあるときは悪魔や吸血鬼と相対する際の御守りのひとつとして、そしてゲームなどでは呪いを解く消費アイテムや、ストーリーを進めるためのキーアイテムとして当たり前のように登場しているのだ。
そもそも十字架とは、罪人が磔刑(磔の刑)に処される際の刑具である。古の伝承では「磔刑に処された者は呪われる」と言い伝えられ、古代ローマでは国家反逆罪などの重罪犯を磔刑に処すことで民衆への戒めとしていた。
この意味での十字架であれば異世界に存在するのも理解出来るのだが、ワタシが問題としているのは先に述べたようなアイテムとして十字架が存在することなのだ。
地球上で十字架といえばキリストが磔にされたことで有名であるが、それが信仰の中で重要な物となったのはキリストの死後4世紀以降のことである。
当時まだ宗教として広く公に認められていたワケでは無かったキリスト教であったが、ローマ皇帝であるコンスタンティヌス1世が信仰したことで公認の宗教となった。コンスタンティヌス1世に関しては「夢の中で十字架が勝利のしるしとして現れた」と語った伝承や、コンスタンティヌスの母ヘレナがエルサレム巡礼に際して十字架の遺物を発見したという伝承があるほど十字架と縁深い。
これらのコンスタンティヌスの伝承や死後に復活したというキリストの逸話から、十字架は「勝利のシンボル」「復活の象徴」として信仰のアイテムとなったのである。
といったところで簡単な十字架の歴史は以上として、空想世界に十字架が登場する切っ掛けとなったのは、恐らくカトリック教会におけるエクソシスムと呼ばれる悪魔祓いの儀式であろう。
カトリック教会やエクソシスムの概要については、多様な解釈と宗教的な面倒なアレコレがあるので取り合えず置いとくとして、この「悪魔祓い」という一種のパワーワードが、プロテスタント教会の信徒やキリスト教を信仰してない人々の目を惹くことになった。
悪魔祓いでは祈祷や儀式などによって悪魔・悪霊・悪神・魔神・偽りの神を追い払い、その際には十字架が重要な役割を果たす。
この儀式の意味や内容を詳しく知らない人からすれば、悪魔祓いとは「邪悪な存在を祓う儀式」となり、単純に「十字架=御守り・武器」という式が出来上がってしまったのだ。
それ以来、空想世界では悪魔や吸血鬼に十字架を掲げ、狼男には銀のロザリオを鋳潰した弾丸を用い、呪われた対象物から呪いを解くアイテムとして使用される。
4世紀以降の古い伝承や物語から、現在の漫画やアニメ・ライトノベルやゲームなどに至るまで、この様な経緯があるからこそ十字架はアイテムとしての効果を発揮するのだ。
さて、ここで最初の疑問に戻る。
「なぜ、キリスト教が存在しない異世界で、十字架がその効力を発揮するのであろうか?」
この疑問の答えをワタシは見つけてしまった。
ここでまたキリスト教の話になるのだが、キリスト教の歴史を語る上で11世紀から13世紀までに行われた「十字軍遠征」は余りにも有名な出来事だ。
十字軍は西ヨーロッパのカトリック教会諸国が、聖地エルサレムをイスラム教諸国から奪還することを目的に派遣した遠征軍のことである。
その経緯や十字軍の概要はここでは省くが、この遠征軍には騎士や教会関係者以外に民衆も参加していたという。その民衆の中には敬虔な信徒以外にも、商人や没落した貴族・借金で夜逃げする者や親に捨てられた孤児まで居たのだそうだ。
そうやって様々な思惑で十字軍に着いて行った民衆達であるが、その全てが聖地奪還の聖戦に参加した訳ではない。中には行軍に飽きて故郷へ帰る者、行軍中に病気や事故で亡くなる者、そして行方不明になる者もいたという。
そう行方不明である。
行方不明者はいったい何処に行ったのか?
用を足す為に隊列を離れて森に向かいそこで獣に襲われてしまったのかもしれないし、行軍に紛れ込んだ人拐いに誘拐されたのかもしれない。はたまた途中で立ち寄った村などに居着いてしまったという可能性もあるのだが……と、ここでワタシの脳裏に1つの可能性が閃いたのだ。
もしかしたら行方不明者は異世界に転移してしまったのかもしれないという可能性である。
非常に馬鹿馬鹿しい空想であることは重々承知している。
しかし、ことは漫画やアニメなどの空想の世界での出来事なのだ。そう考えると意外としっくりくる妄想ではなかろうか?
新天地での新規事業開拓を夢見た商人が、没落して再起を図る元貴族が、借金で逃げるしかなかった落伍者が、親に捨てられ絶望の淵に立たされた孤児が、異世界に渡ってキリスト教を普及する。
そして十字架は異世界でも信仰の象徴となるのだ。
中々に熱い展開ではなかろうか?
これで長編一本書けそうだし(笑)
読者の皆さまがお読みの異世界ファンタジー作品に、もし十字架が描かれていたらこのエッセイを思い出して欲しい。
その十字架には、異世界に一人で飛ばされながらも信仰を棄てずに懸命に生き続けた元孤児の願いが込められているかもしれないことを………
※このエッセイは妄想の産物であり、実在する特定の宗教の関係者や歴史的な出来事についての苦情等は一切受け付けないことを御了承下さいませ。
内容の全てはフィクションという魔法の言葉で綺麗さっぱり忘れることです。
もし評価や感想を頂けましたら、貴方が創造した異世界にも十字軍からの転移者が現れてくれるかもしれません。