Episode33:師匠の言葉
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今日は上弦の月であった。陽が落ちた頃には日中では開かなかった酒場や娼館などのお店が次々と顔を出して、より賑わいを見せ始める。行き交う雑踏を避けて通り抜け、彼の連続襲撃事件が起きていることすら忘れさせるほど普段と変わらぬ日常風景が描かれているのが分かる。中には夜間の警備兵があちこちで巡回し、異常が無いかを常に鋭い目で監視している。夜になれば闇賭博と言う違法行為が人目を忍んで行われているのをティベリウス帝から聞き、取り締まる側としてもそんな懸念を少しでも摘み取っていく必要があるだろう。
本来の目的であるテサロ二クス図書館も閉館。特に寄り道せずに宿屋に戻るとそこでも人が多く、賭博でやたらと楽しんでいる姿が見受けられる。外出許可証を返却した俺たちは一度指定された部屋に荷物を置き、再び一階へと戻る。外食も考えてはいたが、取り敢えずは宿屋で提供されているご飯で済ませることにした。
「―――ほう。クベラ大国でそんな事件があったとは。今回と言い、アンタたちは厄介事に巻き込まれやすいわね」
隅のテーブルで食事をしながらこれまで旅してきた思い出話に花を咲かせていた。
ここの料理はなかなかどうして高級な品揃えで驚いている。師匠が口にしている酒は店内に匂っていた紅酒で市場ではなかなか出回らない上等な物。オリーブたっぷりの野菜のマリネに豆入りプルス、豚の頭の串焼きと乾燥肉、そして極め付けにメディオラ帝国でしか手に入らないとされるメディオラエビとメディオラウナギといずれも庶民的とは言い難い。
ぐびっと紅酒を喉を通して、気持ち良さげにもう一本開けようとする。
「ぺルゼラさん。飲み過ぎですよ」
「大丈夫だって。あたしはまだまだ飲み足りんぞぉ」
「顔真っ赤にしてよくそんなこと言えますね」
小麦肌で多少分かりづらいが師匠の顔は茹で上がったエビみたいになっている。それもそのはず、食事を始めてまだ一時間も経過していないのにこの人は紅酒を次々と飲み倒している。これを開ければもう十本目に突入する。そんなに美味なのかと興味を惹かれつつもあるがアレクの酔いどれ具合を思い出し、この感情をそっと閉まっておくことにした。
「しかしまあ、あれだね。二人とも随分と大きくなったもんだよ。歳はいくつになったんだ?」
「今年で十七です」
「もうそんな歳になったのか。あんなに可愛かった二人が………時は無情にも直ぐに流れ、今や立派に成長を遂げてしまうとは、あたしもまだまだ負けてられないな」
「師匠。そっちは壁ですよ。俺たちはこっちにいます」
こりゃあ重症だな。
「ハッハハ! 冗談だよ冗談。久しぶりの再会だもんだからつい舞い上がってしまってね。十年ぶりとなりゃあ、この昂りを抑えずにはいられないでしょうに」
「………んまあ、そうっすね」
否定はしない。
見た目や性格がこうであれ、師匠とこうして会えるとは思いもしなかったことだから嬉しいのはこっちも一緒だ。師匠に剣の指南を受けて貰って以来は、一度もどこの国で再会せずに十年間過ごしてきた。
互いが知らぬこの空白の期間をこうして酒飲みの場で埋め合わせようとしているのだから、師匠もそれが楽しくて幼さを残す顔により無邪気さが増す。
「んで、坊主。剣の調子は如何ほどだ? 先の騒動で剣を折らしたとなると、だいぶ腕鈍ったんじゃないの?」
「不測の相手だったとはいえ、簡単に折られてしまったのは俺の未熟さが招いた結果ですので、返す言葉もないです」
「ほう、正直だねぇ。何だったら、久し振りに稽古をつけてやろうか? 坊主の十年間培ってきた剣術をあたしにぶつけてごらんなさい」
「それは嬉しい申し出ですけど、今は………」
申し訳なさげに腰に差していた使い物にならなくなった短剣の鞘のみを取り出して、テーブルに置く。
「クベラ大国で新しいの買わなかったのかい?」
「それも考えたのですけど、これといった短剣がなくて買わず仕舞いといったところです」
「なるほどね。でも、この鞘はもう捨てても良かったんじゃないの? どうせあっても何の役に立たないし」
「タミルにも同じこと言われました。その………何でしょうか」
指で鞘を撫でながらふっと苦笑を洩らして、
「長年使ってきた相棒を俺はどうして手放せなくて。小さい頃からの思い入れ、と言うのでしょうか? もうガキでもないのに、これだけはずっと腰に差しっぱなしでいるんです。変ですよね」
初めて短剣を握ったのが師匠と出逢った頃だ。
最初はなかなか慣れなくて掌が血豆だらけになって、まともに剣を振るうことすらままならなかった。それから必死に体力、筋力をつけて、師匠の剣術を少しでも奪おうと藻掻き続けてきた。師匠と別れた後も常に自主練を怠らずに、雨風に晒されて出来た刃毀れや錆びも鍛冶屋で治してもらった。自分自身など二の次と思えるほど、この短剣を大事に扱ってきた。
しかし、それも先のアポロとの戦闘で到頭破壊されてしまい、今や張りぼてと成り果てた鞘のみを残しても尚手放せずにいたのだった。
後先の戦いに備えて、顕現者でも対抗できる短剣を作ってもらうために暫くは模索中ではあったが、実際は内心このような拘りの強さがあってか新しい短剣を作らずにいるのが事実。
そんな俺の話を受けて、師匠は静かに紅酒を木製ジョッキに注ぎ込む。芳醇な葡萄の香りを立たせ、杯を満たした紅い水面にゆらゆらと映り込む自分の顔をじっと見詰めていると、
「―――だったら、あたしに任せんしゃい」
「え?」
「この国にあたし行きつけの鍛冶屋があるの。あたしの剣も何度かお世話になってるし、腕は確かよ。場所は帝都から少し離れた郊外地区で遠いし何かと交通の便が悪いのが玉に瑕だけど。それでも行くことに越したことはないし、どうかしら?」
グッとサムズアップでしたり顔した師匠。少しムカつく顔ではあるけど、せっかくの師匠の善意を無下には断れまいと思い、俺はゆっくりと頭を少し下げる。
「それじゃあ、よろしくお願いします」
「よしきた! 明日の調査が終わったら行くとしましょう」
嬉々として師匠は豪快に喉を鳴らして紅酒を飲み干した。そして紅酒がもう無くなったのを確認すると追加注文する。俺たちよりも小さな体躯から考えられない酒豪っぷりに従業員はおろか他の客も唖然としていた。
「………んまあ、何はともあれ。新しいの作れるのは喜ばしい話よね、オゼル」
「あ、ああ………」
パンを千切りながらまるで自分のように嬉しそうにしているタミルの言葉に空返事し、室内を見渡す。日中には居なかったはずの奴隷が至る場所に立っていればお客に奉仕の限りを尽くしている。あろうことか、料理を持ってくる従業員すら奴隷であったことに気付く。
「やっぱり、奴隷解放は難しいのか………」
ティベリウス帝によって発令された奴隷制度の撤廃がこうも実現し切れてないのを傍目からでも感じ取れる。昔から連綿と続けてきた奴隷制度を無くすとなるとおそらくもっと十年先にもなりそうではあるのが心許ない。
しかし、ティベリウス帝の奴隷解放に対する強い思いやこれまでの奔走ぶりを国民にも知れ渡っているのであれば、少しは奴隷を利用しなくても良い考えを持つ勢力が現れてもおかしくはないが。
「気になるのか、坊主」
すると新しい紅酒を受け取った師匠がそう訊いた。
「………この国は確かに凄い繁栄しています。どこの国にも優るに劣らない活気で満ち溢れていて、それが国民の表情からでも窺えますし、素直に羨ましいって思いました」
「………」
「それでも、奴隷制度はやっぱり気に食わないですよ。同じ人間なのに、然程変わらないはずなのに、どうして不幸にさせるんでしょうか? 奴隷によって支えられた国なんて、ただの怠慢です。奴隷の無い生活をティベリウス帝も望んでいるのであれば、少しは―――」
「坊主」
師匠の呼び声に俺はばっと彼女に視線を合わせる。
しっかりと、真っ直ぐに琥珀色の双眸をこちらを見詰めていた。
「アンタは少し、間違っていることがあるから訂正しよう」
間違っている? 一体何がだ?
「メディオラ帝国の奴隷は確かに主人の命によって日々労働を強いられているが、果たしてそれが必ずしも不幸と言えるのかな?」
「………どういう意味ですか?」
「あれをよーく観察してごらんなさい」
親指を奴隷がいる後方に向けて指した。
何のことやらさっぱり理解出来ずに言われた通りに無言で奴隷の様子を観察する。
「………あいつらの顔が、不幸そうに見えるかい?」
………確かに嫌々ながら仕事をしていたり感情を失ってしまったような表情には見えない。むしろ、お客さんと他の従業員と仲睦まじく談笑し合っている光景が目に入る。
「奴隷と言っても主人によって扱いが変わる。この国は家父長制が定められているから自分の妻や子どもと同様の権利を行使出来る。そうした意味では奴隷も❝家族並み❞なんだよ。自由人のように法的権利も殆どが認められてはいないけど、金銭や物の個人財産を持てれば、事実婚も可能。中には、貴族に使役されていた奴隷と政略結婚したなんてことも有り得る」
頬杖を付き、銀製のフォークで自身の取分け皿に盛ってあった野菜を食べずに弄る。
行儀悪いな。
「あまり良くは思われないけども、実際はあの子らにとって平穏に暮らしていける安住の地とでも思えるでしょに。兄ちゃんが奴隷制度の撤廃を公言した際に反対した中にはこの生活に満足していた奴隷たちも多く含まれていたわ。あたしでもびっくりしたよ、まさか奴隷を無くそうとした結果、一番反感を買ったのが対象とされた当の奴隷たちなのだから」
一息つき、
「奴隷制度の無くすと言うことはつまり、奴隷たる自意識そのものを無くすと言うこと。主人なくして生活は有り得ない、と。あたしたちが思っているより、奴隷と言う人間は難しい生き物なのかもしれないわね………」
グサっと野菜を刺して口に放り込む師匠は気難しそうな表情を浮かばせ、どこか遠い目をしてそう呟いた。
奴隷と言っても全員が同じように自分自身が置かれている境遇を嘆いてはいない。
彼らは彼らなりに抱いている考え方を持って生活をしているんだろうか。
色々と不都合が発生してままならないはずなのに。
全く持って理解が出来ない………。
「………師匠は、この政策をどう思われているのですか?」
「んー。正直どっちつかずかなあ。必要ないと思えば賛成だし、でも幸せそうにしてるのを見ると反対かなあって」
いや、曖昧だな。
結局、どちら側に立ってるんだよ。
「主人は奴隷を選べても、奴隷は主人を選べない。善良な心の持ち主であれば問題ないけど、奴隷をただの道具として扱う悪意の塊ともあればあたしはそいつらを許しはしない。坊主たちは知らないと思うけど、あたしがこれまで摘発してきた奴隷商人は裏と繋がりが強いとこだけなのよ」
「そ、そうなんですか………それじゃあ師匠は」
「兄ちゃんと坊主は奴隷そのものを消し去ろうだなんて考え方は少々青臭いがメディオラ帝国を暗躍している存在ともなればあたしはこちら側につくつもり。だから安心しなさいな。可愛いあたしの❝一番弟子❞であろう者が情けないわよ」
「………師匠が師匠ですし。いつも調子の良い態度で少しも俺たちに話してくれなかったどこぞの創始者様は」
「あら、もしかして拗ねてるの?」
「誰が拗ねてますか誰が」
ニヤニヤとからかい口調の師匠からそっぽを向いて、仄かに耳朶が朱色に染まっていったのを自分でも分かった。
師匠にとって俺は一番目の弟子だと認識してくれてたのが意外ではあった。他にも師匠の腕に惚れ込んで近づいて来る者もいるとは思う。なんせ十年も俺から離れて別の任務にあたってたわけだし、その間に何人かは弟子は出来ていてもおかしくない。
傭兵ギルド・リベルタスの創始者であって世界最強の剣術使い。これほどの肩書きを持った人種が他にもいるのかと聞かれればそう易々と首を縦に振れない。
視線を師匠に向き直す。最初は何を考えているのかさっぱりわからず、ただ復讐への近道だと彼女の剣術みたいに強くなりたいと小さいながらも羨望の眼差しを向けて、必死に縋り付いてきた。
そして、この一件を機に俺は師匠という人間がどういうものなのかを少しだけ、再認識出来たんじゃないかと。そう感じていた。
それから話が進んで、時間もだいぶ経過した頃に師匠が徐に懐から二枚の羊皮紙を取り出すと俺とタミルに渡した。
んっと、これは………?
「リベルタスの推薦状よ。アンタたち、どこのギルドにも所属してないじゃない? いくら自由に動ける傭兵でも行動に制限がかかって色々と面倒でしょに。うちならいつも通りに傭兵稼業続けられるし、本来行けなかった場所にも出向くことも出来る。どう、悪い話じゃないでしょ?」
「驚いた。まさか師匠が勧誘してくるなんて」
「………そうね。流石の私もこれにはちょっとびっくりした」
世界で有名な傭兵ギルドといっても決して加入条件が厳しいわけではない。傭兵であれば誰しもが所属出来る出入り自由の組織体制で運営されている。しかし、本拠地であるギルド自体が一体どこに置かれているのかが分からず、混迷する傭兵も少なくない。そのためにリベルタス所属の傭兵と出逢うかこうして推薦状を貰わない限りは加入へと辿り着けないのだ。
「アンタたちはもう立派な傭兵になった。昔みたいにどこか危なっかしくて見てられなかったけど、今ならうちのリベルタスの一員として十分に最前線で活躍出来るに違いないとあたしが保証するわ」
「それは………嬉しいですけど。でも、何で急に勧誘なんかを?」
師匠直々からのお墨付きを頂いたものの、素朴な疑問を吐露すると彼女は人差し指を俺に向けて答えた。
「十年間。各国を旅を続けていくにつれて、小さい時とは比べ物にならないほどアンタの中で大きな変化が生じているはずよ」
「? そりゃあ、背も伸びたし強くもなれましたよ。そんなの当たり前じゃないですか」
何のことか理解できず、首を傾げて彼女の言葉の真意を問い直す。
「…………表面上ではただ人を助けていこうとする正義の仮面も徐々にと引き剥がされ、内側からは酷く火傷が侵攻している素顔を見せ始めている。それが如何に深刻で、歪な感情とも気付かずただ平然と振舞っているとは露知らずに、ね」
「………何が言いたいんですか? 俺は別に火傷なんてしてませんよ? 傷一つも付いてないですし、師匠の目は節穴ですか?」
「――――いや、負っているよ。それも、取り返しのつかないほどの火傷を」
すっと立ち上がり、師匠が飲んだ酒の代金分をテーブルに置いては壁に立てかけていた双子の斬鉄剣を腰に差す。少し飲み過ぎたのか覚束ない足取りで出入り口まで歩いていく。取っ手に掴もうとする直前にふわり、と。腰まで伸びた長髪を揺らし、肩越しで俺を見る。
「でも、あたしのギルドに入ればその火傷も少しは和らいでくれるかもしれない。返事はこの依頼が終わるまで待っている。それまで二人でじっくり考えてね。あと―――」
目線の先がタミルに向けると微笑みを投げ掛ける。
「彼女にも感謝はしときなさいよ」
と、最後に意味深な言葉を言い置いて去っていった。
結局、師匠の言葉の真意が理解出来なかった。俺がタミルと一緒に旅をしてきて、依頼主が困っていればすぐに手助けして、多くの命を救った。それはタミルの助力なくして依頼は熟せることが出来なかった。タミルには多大な恩と感謝しかなかった。
だけど、師匠の言った感謝の意味が果たしてこれとは別で違うのだろうか。
それに俺はほぼ不死身の体質だ。身体中にこれといった目立つ火傷もない。先のアポロとの戦闘では重傷を負ったけど、それももう完全に治癒した。
それなのに、師匠は火傷と言ったがこれも別で違うのだろうか。
考えようとしても調子良く頭が回らないことに悩ませているとタミルも席から立ち上がったのに気付いた。
「もう夜遅いわ。あたしも先に部屋に戻って休んでるからね」
「あ、タミル。その前にいいか?」
彼女が踵を返して歩いていこうとするのを俺はすかさず足止めした。
「何?」
「さっき師匠が言ってた言葉。あれ、どういう意味なんだ?」
「………」
あれ、どうして険しい表情になるんだ?
何か心当たりがありそうな反応ではあるがどうだろうか。
暫しの沈黙が流れるとそれも数秒。
「………ごめん。私も分からない」
そう言い残して足早に階段を昇って行った。
一人取り残されたテーブル席で俺は手元の羊皮紙を眺める。
傭兵ギルド・リベルタス、か。確かにここに入ればこれからの旅で役に立つツールになると思うし、師匠の言う火傷とやらが無くなるのかもしれない。
でも、俺には分からない。師匠の言ってた言葉が。
そのままテーブルに顔を突っ伏して、ゆっくりと目を閉じる。
今日、メディオラ帝国に到着してからの一日目から怒涛の勢いで時間が過ぎ去っていった。この国を取り巻く連続襲撃事件とそれに伴う依頼の話、奴隷制度の撤廃を巡るいくつかの問題点と奴隷の実態、そして傭兵ギルド・リベルタスの勧誘と彼女からの不可解な言葉が脳内を闊歩している。
いくら時間が経っても消えることのない室内に響き渡る喧騒を聞き、俺は深く溜息を洩らした。
「………何なんだよ」
行き場のない愚痴を呟き、どっと来た疲労を癒すために俺もそろそろ部屋に戻ろうと気怠く席を立ちあがり、重い足取りで部屋へと移動する。
そう言えば、この宿屋ではマッサージ室があるそうで誰でも利用が出来るみたいだから、そこに立ち寄っても悪くないかもしれない。
いっぱい疲れ取ってもらうとしよう。そうすれば、思い詰めて回らない頭も少しは解消するだろう。
こうして、俺たちの一日目が終わった。




