Episode20:紋章
今しがたまで壊れた機械みたいな笑い声は静謐した貧民街全体を残響させ、次第に消え入るように途絶えた。一陣の風の再来と共に辺り一帯に転がり回る嘗て使用されていた主を失い役目を終えた我楽多たちの音が鮮明に耳の中へと木霊させる。しかしそれらは直ぐに停滞し、静寂の空間が訪れる。広く、大きな貧民街を助長して俺の感覚を惑わせるが、依然として俺の視線は眼下の物体に固定したまま動かない。
常に緊張と警戒で神経を擦り減らすのは自己再生能力による復活が何よりも懸念すべき事態であるから。目を離した隙にこいつがいつ襲い掛かってくるか分からない。そんな不安に駆られる傍らで己自身もいつ意識が飛ぶかも分からないという板挟みに陥っている。岩石の欠片を浮かばせる血の池の中心に倒れている白髪の男も自己再生独特の音が止む。客観的に見たら確実に仕留めて、勝鬨を挙げてもいい場面であるが無論、そんなのは適用出来ない敵だ。
「………」
もう念には念入りしとかないと駄目な局面だと黙考する。燃えすのは厳しいが溶かして斬るという相手の絶対的防御を破る攻略方法で打破した訳だが相手の息の根を完全に止めるとはいかず、それまでの単純で愚直なやり方でしか思いつかなかった脆弱で矮小な脳みそをフル稼働させてみる。それでも思いつくのは二つの選択肢。一つはレイヴァティンのもう一つの能力を使用する方法。そしてもう一つだが億劫で気が進まない奴にはない、❝俺にしかない特別な方法❞。
万が一、後者を使うとなると、俺自身にも負担とリスクが高い。
ならば、ここで選択するのは言うまでもなく、前者。
誰も返事を求める相談相手なんて居ない。自問自答、自己満足。それでも俺は迷いなく選ぶ。
「ふぅー………はぁー………」
深く酸素を肺に送り、二酸化炭素を排出する。その行為は不安を除去し、勇気を貰うのと同じ。冷たい空気を取り込むと熱していた全血流と体温が僅かながら低くなっていったのを感じる。
顔と視線をそのまま、ゆっくりと体勢を保ちながら両足を交互に一歩二歩と後ろへと下がり、距離が離れた地に足を留める。
手に力を込め直す。未だに猛々しく燃え盛る黒炎を吹かすはレイヴァティン。もう一つの能力を今この場で発動させる。溶かして斬る役割を果たすこれをもう一度大きく地面に先端から竜口まで突き刺す。
少し時間が経つと起こるは地鳴りと地下から噴き出るような激しい轟音。突き刺した場所を起点に亀裂が走る。割れ目から徐々にと赤黒い光の柱が宵闇を貫く。
「溶かし尽くせ、❝溶炎地獄❞!」
叫びに呼応してレイヴァティンの黒炎が地面の中に吸い込まれていく。竜の雄叫びにも似た耳に劈く夥しいうねりと共に発生するは劫火の濁流。亀裂に沿った動きで対象であるアポロを巻き込むように周囲の建物をも巻き込んでいく。
鉄板で肉を焼いているような音と泡沫が弾ける音を共鳴し合う。大理石で出来た建物すら関係なく溶かすように月にまで届かんばかりに激しく火柱を立てる光景を視認する。
俺は自然とレイヴァティンを手から離すと灰になって消え去り、顔を俯せながら片膝を立てる。
自分の中にある能力の殆どを消費してしまった。
まずい。思ったよりレイヴァティンに持っていかれた。視界がぼやける。意識が遠のく。心臓が異常に高鳴る。息が苦しい。汗と血の伝う額は顎から滴る。突然来る疲労感が全身に警笛を鳴らす。
この能力―――ヴァルカンはレイヴァティンの黒炎を全放出して地殻を刺激させる事でマントルから噴き出す溶岩を利用して生み出す大技。
対人向けのレイヴァティンに対してヴァルカンは対大群向け。
対象を溶かして斬るだけでなく、灰燼に帰すまで溶かし、燃やす事を止めない。
「してやったぞッ!ざまあみやがれ………!」
確かめるような目付きで吐き捨てるように溜飲を下げ、心の中でガッツポーズする。例え自己再生しても半永久的に死ぬまで溶かし続けるヴァルカンは一向に収まる気配無く燃え盛る。
―――これでもう、復活する事ないだろう………。
これで三度目の登場となると身体が持たないし次は確実に此方が殺されてしまう。片膝で立っているだけでも精一杯だ。
ふと、耳に入ってくるのは遠くから聞こえるサイレン。確かここから直ぐにあるのはこの国の首都でもある街と国王が玉座に座っているであろう城。ラーヒズヤが言ってた軍隊がある場所でもあるはずだ。まあ盛大に暴れ回り、こんな火柱立てちゃ流石に黙っていないだろうよ。
………。
仮に。仮にこの街の軍隊が隣国とのいざこざがなく、最初から積極的に日輪教の掃討に加わっていたとするとどうなっていたのだろうか。
日輪教の部下たち相手なら少しは良い具合に張り合えると思うのだが、あの魔術師イェフダと頭領アポロ相手となると………被害なしでは済まないし最悪全滅されてしまう。
もしクベラ大国に俺たちが寄っていなかったらこの国はどうなっていたのか。アポロみたいな能力者がいなければ確実に半日も掛からずに占領されるに違いないし、滅ぼされてしまうかもしれない。嘗て所属していたアポロの国みたい。そうなる前に俺たちがこうして動いた。
何にも縛られず自由に活動出来る傭兵の俺たちだからこそ成しえたし逆に王直属の軍隊からの援軍がないのは此方側としても不幸中の幸い。最小限の被害で済んだ訳だ。
「派手に暴れちゃったけど、まあ仕方ねえよな。ラーヒズヤさんも特に何も言わなかったし、問題解決出来れば結果オーライだろ。後処理だって向こうが全てやってくれるはずだ。よっしゃ生活費獲得だ」
ドッと安堵が胸に降り注げば、戻って来るのは自分自身への軽口による精神安定剤投与。ギルドマスターのラーヒズヤに情報提供や注意事項を頂いて任務を遂行したものだが、蓋を開けてみれば先天的顕現の能力者というこの国だけでなく世界そのものに危機を齎す人物を見事討ち取った形になる。功績と実績を讃えたり、報酬もどっぷり貰えるだろう。
「今度こそタミルの援護に向かうか。たぶん終わってるだろうけどよ」
耳を傾ければ今まで鳴り響いていた爆発音がいつの間にか無くなっていた。アポロまで道のりを切り開いてくれて一人で部下全員を相手したんだ。帰ったらタミルの買い物に付き添わなければならないのかと思うと先刻約束を交わした自分自身に思い切り止めに入りたい。生活費以前に秒で水の泡かも。
反省混じりの溜め息を吐露して、片膝を伸ばし体勢を正す。ここで漸くだが俺の自己再生能力が目にも分かる程はっきりと現れる。軽い負傷は白煙を立てながら塞がり始め、出血も無事に治まる。腹の深い傷と頭の傷を除いた全てが元通りになるのを確認してタミルの元へ歩み出す。
と、不意に突っかかる疑問がその行動を遮った。
(何故だ、何故一向に終わらない?)
視線を燃え滾る劫火の濁流に向ける。対象を灰燼に帰すまで炎は収まらない。斬り続けたアイツの身体も自己再生能力が機能しないのを確かに見た。念のために発動したヴァルカンは発動者の俺に飲み込んだ対象の存在が分かるように感覚共有を施している。消えてなくなればそれは生体反応消滅するようにパッと無くなる。だが、ずっと存在が残っている。
寧ろ、
(一つに………集まってる、のか?)
バラバラにした身体が濁流の流れに逆らい一点の場所に集まって来ている。生体反応が五体から、四体、三体と数を減らしていく。
(合体してる………っ?!)
異変に気付いた俺はもう一度レイヴァティンを顕現して切先を一点に集まってきている箇所に向ける。
「そこに集中させろ、❝溶炎地獄❞!」
溢れていた劫火の濁流は意思を持つように流れる事を止めるとアポロが居る場所にまで勢い良く集まり始め、対象を掬い上げるように空中に巨大な球体を形成させる。浮遊する溶岩の牢獄と化したヴァルカンを圧迫させようと試みたが、それも謎の痛みが襲来した。
「なっ!?」
それは岩石で出来た槍。捻じれた渦巻の先端が俺の脇腹を貫通していた。出処を辿るように視線を動かすとそこは空中。一本だけじゃない。溶岩の牢獄を中心として周りに無数漂う岩石の槍が煌々と鈍色を輝かせていた。
目を大きく見開いた状態で固まっていると耳に聞き覚えのある声が入ってきた。
「溶岩の力を借りてオレを徹底的に溶かそうとするとは、悪い趣味しているぜ少年」
突然と飛び出すは獣をも思わす岩石の鉤爪。右手、左手と連続してヴァルカンを容易く抜け出したのだ。
「途中まで良い線行ってたと思うぜ。でもな、君のその考えは一つ見落としていた箇所がある」
そして扉をこじ開けるように力強く飛び出すは見慣れた骸骨の顔。月が良く映える白髪。漆黒をも思わせる眼窩の中を覗き込むように爛々と輝かす紺碧色の双眸。身体中に溶岩を浴びながら孵化する姿は死者の復活を彷彿させる。
「溶岩には地下深くから湧き出てるんだ。その中に岩石も含んでいる事忘れてないか?オレはその成分を大量に浴びる事で自己再生能力を促進させた。あのままその剣で斬り続けていれば戦況は変わってたかもしれないけど、徹底的に溶かそうとした事が裏目に出たな」
上半身だけ食み出る岩石の鎧は言葉通りに綺麗に修復されている。月を背景に全身の岩石の鎧からの鈍色の光沢がより妖しさを漂わせてくる。
俺は呆然する。脇腹を貫いた傷口など気にせずただ復活を許した自分自身の浅慮さでその場で立ち尽くしてしまう。
情けない。よく考えれば分かったかもしれないのに。俺はそんな自責の念に駆られ唇を強く噛み締める。鉄の臭い血の味がしたが悔しさの余りにその味ですら無味に思えた。
「―――よく頑張ったよ君は」
上空から降り注がれる労いの皮を被った皮肉の言葉。顔を上げると、宙を漂わせる無数の槍の先端が一斉に俺に向く。
「もっと。もっと早く君と出逢っていたら。少しは違っていたのかな」
哀れむような後悔の念。それが俺に対してなのか。それとも自分自身なのか。考える猶予もなく岩石の槍の雨が俺に全て注がれる。
「――――――――――――――ッ!!!!」
たぶん叫んでいるだけなのかもしれないし言葉にしているのかもしれない。でも、痛みが全身に襲い掛かってきたのは少し遅れてからだった。
裂傷。刺傷。鮮血。この繰り返し。何度も何度も。終わりが見えない攻撃の嵐。服は破け、眼帯の紐も解ける。俺を中心に血の花を咲かせ、土煙を巻き上げる。威力は凄まじく地面は耐え切れず抉り出し、的を外した槍は建物を容易に貫通すると崩落を起こす。遠距離攻撃にも近距離にも適した大技。
―――ほんと、他の皆が来なくて良かった。
なんて、タミル含めた援軍が来なかった事への安心感に呑み込まれると共に薄れていく意識を片膝を地面に付かせ、レイヴァティンの面を盾にして容赦のない猛攻に堪え忍ぶ。
*** *** *** ***
暫くして岩石の槍雨は降り止む。レイヴァティンに複数の風穴が空き、原形を留めなくなり到頭灰となって消えるとそれに連動してヴァルカンの能力が解除される。ゆっくりと舞い落ちてくるアポロは両足で着地するとそのまま此方に向かって来る。
「ハア………ハア………」
息切れを起こし、それでも左目しか宿していない真紅の瞳で迫り来る敵を睥睨する。
「よく、耐えたもんだ。てっきりもう死んだと思ったんだが」
対してアポロは真顔のまま二本の岩石の槍を構築させる。止めを刺しに来る為に、と抑揚がない平坦な口調で見下ろしてくる。全身の岩石は身体の中心に吸い込まれるように解かれると冷酷な骸骨から端正で整った顔と白い肌が特徴的なアポロの素顔が露わになる。今の俺の体たらくを見て全身硬化する必要はないと判断したんだろうか余裕の態度だ。
悔しいがもう立っているだけでも限界寸前。両膝を手で押さえて、何とか保っているが次の一手が来れば、恐らくもう―――。
「虫の息といったところか。でも安心しろ。こいつらで楽にしてやる」
口調が前のような低く艶のある優しい声で俺を誘惑しに来ると空中に浮かぶ岩石の槍は再び牙を剥く。確実に頭と心臓を狙いを定めている矛先をじっと見詰める。
抵抗しようにも身体が動かない。手足、口、五指。命の危機に晒され、全身の神経を巡らせて緊急信号を発令させる。何とか生き残らなくてはいけない。俺はまだここでくたばる訳にはいかない。
それなのに、
(動け。動けよ。動けッ!)
動かない身体は唯一目だけが敵と槍を捉えている。そして歩いている途中で足を止めたアポロが右手を翳して発射準備に取り掛かる。
「―――さようなら」
二本連続して岩石の槍が標的である俺の頭と心臓へと飛ばされる。
ここしばらく忘れかけていた感覚が蘇る。人体実験で何度も味わっていたはずなのに。嫌でも身体全体に刻まれていたはずなのに。脳裏に自分の生きた歴史のページを捲る音を立てながら、走馬灯のように駆け巡る。
そう、
(―――❝死❞)
自覚した瞬間、時間が空間が緩慢となり、同時に俺の内側の❝何か❞が湧き出るモノを感じ始めた。
それは懐かしい思い出の数々。しかしそれは俺が経験した事のないはずの遠い過去の記憶。フィルムのように流れる映像は視点は間違いなく俺目線なのだが、それでも見ている場所は今まで来た事も見た事もない風景。空気も肌で感じる。耳も風を切る音で実にリアルだ。
(何だ、これは―――?)
疑問に思いながらも暫く見続けていると場面が一気に変わる。そこは真っ赤な大地。いや、そこは火の海で荒廃した街。そして飛び交う怒号の叫びと怨嗟の叫び。そして飛来するのは背中に翼の生えた純白の戦士の数々。それにより断末魔の叫びへと変わり、とてもこの世とは思えない地獄絵図と化した。でも、この光景に不思議にも違和感を覚えなかった。
(これは………俺の記憶じゃない、よな?一体誰の………)
場面が再び変化する。そこは赤黒い奈落の底。視界が悪くてどこに何があるのか、誰が居るのかもはっきりしない風景。それなのに、何故か視える―――いや、正確には右目だけ。
そう。今日まで隻眼として扱い、施された運命の悪戯ともいえる、右目だけが。
右目から視えた❝それ❞は黒い靄のような存在。実体のない❝それ❞は表情は読み取れない。そのはずなのに笑っているように、口元もはっきりと分かる。
『―――――――――』
何か話し掛けている。俺も何とか口を開こうとするけど動かない。そのまま満足したような表情で黒い❝それ❞は姿を消した。十七年生きてきてこんな光景は人体実験の時以来ないし身に覚えがない。明らかに奇妙な記憶に頭を悩ませるが先程話し掛けてきた際に発した言葉を俺は何故か聴き取れた気がした。
そして感じる、俺の右目が。億劫になっていたコレを使うしかないみたいだ。ヴァルカンが通用しなかった今、コレに賭けるしかない。三度目の正直といったところか。
気付けば謎の記憶が全て見終わると緩慢していた時間と空間が徐々に取り戻し、岩石の槍は依然と鋭利な先端を向けて飛来してくる。
(もう時間はないか)
隻眼として閉じていた右目をゆっくりと開けると、
―――視界が真っ赤に染まる。
そして次に起こるのは飛来してきた岩石の槍を一瞬にして黒炎に飲み込み、姿を消した。この現象にアポロは大きく目を見開く。何が起きたのか分からないと言った表情となった。
「………君の右目。なるほど、そうか。それが例の―――」
まじまじと見詰めながら驚嘆するもアポロは余裕の態度を解き、複数の岩石の鎧を構築させる。本気に入った証拠だ。全身硬化させながら言葉を続ける。
「その目の紋章。ルイゼーンが教えてくれた絵そっくりだ。円の中心に浮かぶ六芒星を基準に左右の男女はお互い六芒星を包み込むように描かれている。六芒星は創造を表し、男女は陰と陽を表す。つまり、❝神の誕生❞を意味する。ルイゼーンのしている実験とはまさに君みたいな神と同じ力を持つ集団を作り上げる事だ。そして、君の右目に刻まれているような紋章持ちの事をルイゼーンはこう呼んだ」
悪逆非道の権化である岩石の死神となり、鋭利な五指を持つ岩石の鉤爪を煌めかせる。その表情は狂気そのもの。
「―――❝神属紋❞と」
吐き捨てるように叫び、それに答える形で俺もほぼ同時に地面を蹴り出した。




