Episode9:豹変
―――そこには、何も感じない❝闇❞が存在していた。
曖昧な感覚の中に、しっかりと意識だけを保ちながら周囲を見渡す動作をする。いや、見渡すなんていう言葉だと少し不適切なのかもしれない。
俺は確かに先程まで反社会組織の三人を捕らえて情報を得ようと尋問を試みてはいた。だが、何かをきっかけに俺は現実とは違った、そことは全く別の空間にへと送り込まれ、身体だけは存在せず、意識だけがそこにぼんやりと佇んでいた。
目はない。手足はおろか、身体全身が存在していなかった。真っ暗闇の中で分からないまま、上下左右、全方向を見回す。
一言で表すのならここは、虚無を思わせる暗い空間である事のみ。不気味なこの世界に俺は妙な事に、平静を保っていた。
そう。過去に同じ経験をしていたからだ。
これが一体何なのかは、正直さっぱり分かっていない。だが、それでも何となくではあるこの正体を掴んではいた。
始まりとなったのがあの場所から、というのも。そして、起因しているのがこの❝感情❞である事も。
何気なく、闇から色が生まれた。
意識からして位置を定めると真下に広がる水面下。そこからパレットの上で様々な絵具を混ぜ合わせたような色から、意味のある色へと変わっていった。
それは、真っ赤という単色より少し薄焦げ茶も混ざった色が、燃える炎のように揺らめいでいる。熱さも一切感じず、だからといって寒さも感じるかと聞かれたらノーである。
前触れもなく次に起きたのは耳を劈くほどに空間を反響するノイズ。
絶え間なく続くその音を聴けば誰しもが耳を塞ぎたくくらいに悍ましく不快なノイズを、身体がなく無防備に曝け出された状態で容赦なく音の嵐が襲い掛かる。
震える鼓膜のない耳に、どうして届いているのかは分からない。どうして俺がここに居るのかすら整理し切れていない今にとって、まるで拷問を受けられているかのような錯覚に陥っている。
ふと、この状況で一つの感情が生まれる。
ぼんやりと浮かんでいた自分自身の意識が眼下に広がる辺り一面の炎の海を眺めているとどことなく懐かしさを覚え、それも先程まで抱いていた心模様全てを薙ぎ払うように一瞬にして、懐古の情で世界を包み込んでいった。
望郷を想わせるようで、母の温もりを抱くようで、とても居心地の良いそれは次第に俺の内側を支配すると正面を自然と向く。
『―――』
そこに、人影が現れる。
ゆらゆら、と漆黒に染まるこの空間に一か所だけが靡いて立っている。不明瞭な人影は姿かたちが一向に定まらず、ただこちらを黙ったまま見詰めている事だけは分かっていた。
身体の構造、性別などを特定しようにも出来ない。全身を覆う靄が認識行為を全て遮断する。
人影の出現に、俺の内側から変化が生じる。
そして感情に委ねて、意識はその人影に何かを伝えようと働きかける。
『――す』
今発した言葉が誰からなのか。それが人影からなのか、はたまた別の場所からなのか。
―――否、
『必ず――、――え、を―――』
無意識に口もない身体から俺は声を出していた。それが俺自身による意思なのかは定かではないが、今回ははっきりと、口に出していた。
届くはずない距離に、あるはずない身体であるけどそれすら忘れ、ばっと人影を掴もうと手を伸ばそうとしていた。案の定、身体がないし手もないから掴めるわけがなかった。
分かっていた。
それなのにどうしてこんなにもひどく悲しい、苛立たしい、苦しくて悔しくて、無念でならない感情が一気に込み上げてきた。
『―――! ―――!」
背後から誰かの呼び声がする。それに呼応して意識が後方へと引きずられていく。
目の前、人影が段々と姿を消していくのをただ眺めている事しか出来ず、意識が遠のいていく。人影が遠ざかって、遠ざかっていく。
『――必ず、お前を―――』
終わる前。紡ぐは心からの叫び。
人影に抱いていたこの感情の正体は―――、
『―――殺す』
この闇世界よりもどす黒い❝憎しみ❞を置き去りにして、意識が、俺自身が消えて無くなった。
*** *** *** ***
「オゼル! オゼル!」
「………はっ?」
―――呼び起こされて真っ先に目に入ったのは必死の形相で見詰めていたタミルだった。
名前を何回も連呼されては脳みそがミキサーされる勢いで乱暴に肩を揺さぶってくれたお陰で、どうやら現実世界へと帰って来れたようだ。
数回にわたっての瞬きを繰り返して時間を少し置き、そしてタミルの表情を窺いながら自分がどういう状況に陥っていたのかを懸命に思い出そうとする。
「俺、は一体………」
額に手を置きながら意識がなかったこの空白の時間を取り戻そうと、事態を把握しようと首を回して周囲を見渡す。
建物や地面、至る場所は意識が飛ぶ前の状態のままでいる。空を見上げれば雲によって隠れていた月が姿を現しているから、時間はそこまで経っていない事が証左であった。
だが、眼前にいるタミルの背後はというと―――。
「ハア………ハア……ッ!」
「くっ………!」
「あ、ああ、あああ………」
ひどく消耗しきった三人が座っていた。
顔中に滴る汗と滲む血が彼らの足元に水溜まりが出来る程で何よりも全身の傷を見れば自分が何をしてきたのかが一目瞭然であった。
―――そうだった。
俺は確かこいつらを尋問しようと捕らえて色々と情報を聞き出していた最中に、俺の意識が何処かへと消えていったんだった。
そしてあの空間は何だったんだ。
記憶がどうしても曖昧か、両方の起きた出来事を唸りながら整理して―――、
「アンタ聞いてるのオゼル? どうしたってのよ」
慌てて振り向く眼前、胡乱げに不機嫌そうな目付きで俺をじっと見るタミルの顔面が間近にあった。ほんのりと淡い髪の香りがそっと鼻を打ち、暫く時間が止まったように思えた。だが、すぐさま我に返り咄嗟に後ずさんで、
「びっくりした………! 驚かすなよタミル。心臓が飛び出るかと思ったわ」
思わず狼狽えてしまった反応を必死に取り繕うと誤魔化すも逆にタミルは眉を顰めてしまう。彼女からしてみれば俺の言動の意図が読み取れずただ挙動不審にしか映らないのだから。
しかし彼女の心配をも余所に俺は両手を確認するように何度も開閉を繰り返す。それから遅れて自分の胸に触れて、しっかりと心臓の鼓動を刻んでいるのを掌から感じ取った。
―――ああ、思う通りに動かせている。
再び舞い戻る事が出来たのを改めて実感するとタミルに顔を再度向き直す。何か凄く言いたげな表情とナイフのように鋭い眼差しが相まって威圧感を覚える。
取り敢えず、何か弁解しないと。
「気にしないでくれ。ちょっと、考え事をしてた」
「そんなはずないでしょ? 影分身の制御と敵との交戦にひと段落してこっちに来てみれば、どういう状況よ。無言のままひたすらにこいつらを切刻んでいるわ声をかけても一切返事がないわで、まるで何かにとり憑かれてるかのようだった」
「ああ、そう、なんか。そう、見えてたか………」
「? いや、それよりも。流石にこれはやり過ぎよ。こいつらだってもう………」
タミルは少し首を傾げたが直ぐに後方の拘束している三人の方に視線を動かす。消耗しきった三人は今にも気を失いそうなほどであり荒縄で捕縛され、三人纏めて密集されている為、倒れ込む事はないがそれぞれの目に生気を放っておらず、ただ虚空を一点に目詰めている。
「尋問と言っても必要最低限の情報を聞き出すだけでいいはずなのに、精神的にも肉体的にも死地に追い詰めちゃってどうするの。そもそもちゃんとそれなりの情報は聞き出せたの?」
「あー、まあー。いちおうは、ね」
これについては意識が飛ぶ前に聞き出せてはいた。と言っても、こいつら教団の目的である❝自由の掌握❞と❝魂の救済❞って黒髪の男が答えてくれた事だけであとはこれといった情報は得られていない。もう少しだけ聞き出したいところだが。まあ、この状態じゃあ厳しそうだけど。
「じゃあ敵の本拠地とか聞き出せたの?」
「………」
やってしまった。
聞き出せていない情報を、しかも一番手にすべき情報を聞き忘れてしまい思わず黙っていると、
「はぁー」
タミルは肩を落として俺の失態に落胆を隠せないでいる。
「もう、ここまで来れば怒りを通り越して呆れる。しっかりしてよオゼル。尋問はあなたに全て任せてたわけだしさ。今、私の影分身の中からつい先ほど捕らえた別の者たちから情報を聞き出すからちょっと待ってて」
「うっ」
と言ってタミルは再び少しここから離れた場所に移動する。本来俺の役目である尋問の結果から十分に得られずに彼女の手を煩わせてしまった事に負い目を感じてしまう。
眼前にいる三人に見詰め直す。一人の白髪の男が俺をじっと睨みながらぼそぼそと何かを呟いているのに気づき、そいつの前にまで歩み行き、膝を折る。
「………す」
はっきりとまでは聞こえない。
だが、喉の奥から絞り出すように出た声は掠れてはいたものの、俺にはしっかりと聞き取る事が出来た。
「こ……、ろす………ぜった、いに………お前、を―――」
俺へと向けられた明確なる殺意。満身創痍となって意識が混濁していても尚、心の奥底から湧いて出ているその感情を受け止める。
自身が過去に経た❝闇❞の中でも似たような感情を向けられている事との既視感を見つけると独りでに納得する。
―――戦いの火蓋が切られてどのくらい時間が経過したのだろう。
一時間、いやもっと経っているかもしれない。各地で反社会組織の連中の悪行はタミルの影分身によって足止めしている状態が続いている。人通りの多い場所でない路地裏や港の倉庫、建物の屋上等に誘き寄せているのもあって現在は一般市民に最低限の被害を与えずに済んでいる。
無自覚に尋問という名の殺傷行為を俺はこいつらに施している。
今まで尋問をした回数はどのくらいやったか。両手の指じゃ収まり切れないだろう。ある奴は一切口を開かないのもいれば、泣きながら縋り付いては全てを話すものもいた。
今回の場合はどうだろうか。三人三様の感情をぶつけてきて、対して聞きたかった内容もある中で俺はそれらを排除してまで行っていたのも、薄々だが気付いていた。
奴らの目的が❝自由の掌握❞と❝魂の救済❞である。
下っ端の連中は元々外からの流れ者の集まりで❝頭領❞―――つまり首謀者によって匿って貰っている。生活そのものは芳しくない為に、自分たちより金を持っている一般市民や旅行客、そして王族からありとあらゆる物を略奪するようになり、それがエスカレートしていき、この町の人々を悩ます問題となっている。
自分勝手な目的の為に善良な人々を恐怖で貶めているこいつらに抱く感情を胸に支配しているのは誰よりも強く、白髪の男が抱いているよりも粘着で強固なものであった。
―――殺す。殺す。殺す。
誰一人として悲しませてはならない、苦しませないように。全てを抹消する。それが俺の中に渦巻く感情の正体。
それを無くす為にやるべきことは首謀者を、殺すこと。今与えられている俺への使命でもある。
そして、それが目の前にいる三人も例外ではなかった。
自らの手で歪めてやる。そう考えると己の胸の中から黒い喜びが生まれ、口元には浮かべた事があるか分からないほどの歪で邪悪な微笑が作られる。
気付けば俺の手に握られている短剣が力強く込められ、三人の首元にそっと狙いを定め、
「………ああ、そうだな悪人ども」
横一閃。
真っ赤に染まる血飛沫を剣筋に沿って流れるように飛んでいく。命の灯火を瞬時に消された肉塊は死を体現してそのまま地面に力無く伏され、あっけなく終焉を告げる。
転げ落ちた三人を片しかない目で睥睨し、動かない死体に向けて、
「お前らなんて、生きてる価値すらないんだよ」
―――思ひ限りの❝憎しみ❞を吐き捨てた。
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影分身で情報を探ろうと別の場所にいた黒装束の美少女―――タミルは路地裏の壁に寄りかかっていた。影分身によって多く消費された体力を少しでも回復させようと安静にしつつ、各地で他の反社会組織の連中とも戦っている影分身にも気を配りながらではある為か、額に汗を浮かべている。
そして、漸く幾つかの情報を聞き出す事に成功したタミルは脳内で整理してまとめていく。
まず始めに奴らのアジトの在り処である。
この町から遠く離れた西北のとある貧民街にアジトが鎮座している。しかも聴くところによると元々そこの貧民街にも平和に暮らしている住人はいたのだが、首謀者が訪れてからは追い出されてしまった為に、今その貧民街に暮らしているのはこの反社会組織だけとなったのだ。
次に反社会組織の首謀者の正体について。
こいつらに如何なる尋問行為をしても誰一人深くまでは言及しなかった。唯一分かったのが、首謀者にもある目的があるのだが、それは仲間全員も知らないようだ。
他にも聞き出すべく情報を探ろうとしてる最中、また動きがあったのか。
ある影分身の一人が❝何者❞かの奇襲によって消えていたのだった。しかも、突然で何の前触れもなく、いきなり、だ。
(今までの敵とは違う、これは少し厄介なのが混じっているわね)
タミルは共感覚を使って影分身が見ている光景から違和感を覚えた。それは、今まで追い詰めていた連中が急に勢いを増してきたのだ。それもただ考え無しではない、こちらの隙を的確に攻める。まるでこちらの考えている事が全部見透かされているかのように。
(………警戒しながら本拠地に移動する必要があるみたいね)
何の対策も無しに挑むのは自ら命を落としに行くのと同義である事はタミルは分かっていた。その為にもまずオゼルと一度作戦を練り直す必要があると判断し、彼の元へと急ぎで向かう。
「タミル………行くぞ、奴らのアジトに」
駆けつけて到着した直後に声を掛けられ、顔を向けると身体中が真っ赤に染まった紅色の頭髪が目立つ男が佇んでいる。タミルは彼に一度視線を向けるが、その背後で地に伏せる三人の遺体が目に入る。
「まさか………殺したの?」
タミルが発した問いに彼は頷く。
「ああ、こいつらは使い物にならないしもう用済みだと判断したから。………それがどうした?」
「………まだ、彼らは更生出来たかもしれないのよ。命を奪うまでやっていいとは私は言ってないわよ」
彼女は尋問に対して抵抗はない。しかし、命を奪う点に関しては躊躇いを感じている。例え悪人であっても道を正せる機会はあったかもしれない。彼女自身の性格上、今オゼルがやった行為が許せなかったのだ。
「………何言ってるんだタミル。悪がいるだけで、それはもう害なんだ。更生するなんて有り得ない」
彼の隻眼は、彼女の姿を映していない。一体焦点がどこを示しているのか。それは何処か虚ろで、光すら灯していない。
「消し去らなくてはならない。この世から、全部。何もかも、だ」
短剣を腰に納めゆっくりと、何かに取り憑かれたような足取りでこの場から去ろうとしていく後ろ姿を彼女は暫く黙って見ることしか出来なかった。
眼下に広がる血溜まりの中で斃れている三人の遺体に視線を動かす。
その一人の薬指には金属のような輝きを放つ指輪が嵌められていた。
「―――悪人の中にも帰りを待ってる人もいるのよ。貴方には、その人たちの気持ちを少しでも考えた事はある?」
オゼルと十年一緒に旅をしてきたタミル。出会った当初と比べて性格も比較的に穏やかで気さくに接するようになった。しかし、それとは別に一切変わらなかったのが、異常なまでの悪への飽くなき憎しみであった。
敵に情を持たない、自身が悪と断定すれば、それが例え脅しによる加担たったとしても容赦なく殺す。彼の心の内側に潜む❝歪んだ心❞。彼の生い立ちから生まれた産物。
オゼル自身は周囲に気付かれていないと思っているが、タミルだけは既に彼の豹変に気付いていたのだ。
どうすれば、彼の暴走を止められるのか、十年かけても見つからなかった。
あまりの自分自身への不甲斐なさ、無念さを悔やみ、ある一つの決断を下した。
それは、もしオゼルが誰彼構わずに善悪の判別もつかなくなり、多くの人を殺めるようになればそのときには、
彼女自らの手で、オゼルを。
―――いや、そんな結末になんてさせるものですか、と。
首を左右に振って全否定すると先に歩いているオゼルまで駆け足で向かうのだった。
そんな彼女の心配を余所にオゼルは知る由もなくひたすら悪の根源に向かって前へと歩く、歩く、歩く。




