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5 契約

 しゅるっと耳元で音がしたのに気が付き、グルーディエ15世はタブレットに落としていた目線を上げた。書類の上にタブレットを置きっぱなしにして、王はすっくと立ち上がった。


「来たか」


 目線の先に、二つの人影があった。

 一つは青年の、もう一つは黒い翼を生やした女の。

 同じ執務室内で作業をしていたアシュリーも、慌てて立ち上がり、駆け寄ってきた。


「モルサーラ様、それはまさか」


 恐る恐る声をかけるアシュリーに、モルサーラはチラリと振り向いて、


「その『まさか』さ」


 と言う。

 モルサーラは正面に向き直り、忠誠を誓った王に(うやうや)しく敬礼した。


「陛下、大変お待たせを。新たなる“子ども”を連れて参りました」


 その言葉につられるように、女の悪魔も深々と礼をする。


「人間名はルシア・ウッドマン19歳。この時代で一番大きな星の欠片を浴びた“子ども”。つきましてはこの者に、相応しき名を」


 ――名前は、相手を縛る呪いとなる、契約において最も大切なものの一つ。

 王はしばし考え、顎をさすりながら思案した。


「その美しさにはそれ相応の名前を与えねばなるまい。ノビリス、ではどうか。高貴という意味であれば、彼女に相応しいのでは」


 モルサーラはニコリと頷き、王にもっと近くに寄るよう目で合図した。

 王は執務机の脇を通り、ゆっくりと部屋の中央に立つ女の悪魔へと足を向けた。

 見れば見るほど美しい悪魔だと、王は思い、思わず唾を飲み込んだ。これが“流星の子ども”などではなく普通の人間の女ならば、夜を共にしたいと思わずにはいられないほど魅力的だったのだ。

 手足が烏のようでなければ、或いは背中に黒い翼がなければ。角や牙が生えていなければ、間違いなく性欲の対象にした。しかし、目の前に居るのは人間ではない。悪魔なのだ。それが惜しいとさえ、王は思った。

 開いた胸元からは、“流星の子ども”独特の痣が見える。この痣がくっきりと付いているということは、もう人間ではない、悪魔になってしまった証なのだと、魔法使いたちに聞いている。


「さぁ、契約を。陛下、手をかざして」


 モルサーラの指示通り、王は悪魔の額に手をかざした。

 魂の抜けたように真っ直ぐと王を見る悪魔のあまりにも妖艶な瞳に、王の心はかき乱されそうだった。

 紺碧の宝石のような瞳。整った顔。厚ぼったい唇。

 他の“子どもたち”と同等の扱いでは惜しい。契約を終えたら、モルサーラにノビリスの処遇を。

 考えれば考えるほど、王の口元は緩んだ。

 モルサーラの力を借りて、契約をする。王を(あるじ)とし、悪魔をしもべとする魔法をかける。王の右手のひらには、あらかじめ見えない魔法陣が刻まれていた。魂の忠誠を誓わせるための魔法陣。絶対服従のための魔法陣。

 モルサーラは二人から少し離れて立ち、両手のひらを突き出して、何やら呪文を唱え始めた。古い言葉、古い呪文。意味すら分からない言葉の羅列。

 右手の魔法陣が赤黒い光を放ち、悪魔となったルシアの身体を照らす。それまで何の反応も見せていなかったルシアが、ウッと顔を歪ませたのに王は気が付いた。これまでどの“子ども”も見せなかった反応だった。


「サーラ、待て。何かが」


 何かがおかしかった。

 しかし、何が原因なのか、王には見当が付かない。いつもと同じはずなのに、手をかざしただけなのに、目の前の悪魔は何かに反応して。

 思った瞬間に、何かが弾けた。

 契約の魔法が弾き飛ばされ、王の右手に激痛が走る。思わず右手を抱え、数歩引き下がる王に、モルサーラも目を見開いていた。


 光だ。


 ルシアの額に、金色の小さな魔法陣が光っている。

 ブルブルッと、ルシアは身体を振るわせ、それからバサリと翼を大きく羽ばたかせた。

 執務机の書類がバサバサと吹き飛び、宙に舞った。


「……マーラだわ」


 終始見守っていたアシュリーが、ぽつりと呟いた。


「あの女、仕込んでいたのよ。こうなるかも知れないことを想定して」


 一方のルシアは額を抑え、それでも倒れることなく、踏みとどまっていた。

 強く頭を振って髪を掻き上げ、前を向く。


「こ、ここは」


 キョロキョロとあちこちを見回すルシアに、モルサーラはギリリと歯を鳴らした。

 ――我に返っている。束縛の魔法が解けた。

 ルシアの額からは、彼女を包み込むように柔らかな光が溢れ出ていた。慈悲の光。聖職者でなければ操ることの出来ないような清らかな魔法。こんなことをするのは。


「やられた。ネスコーの魔女め……!!」


 ギラッと光らせた目は、赤々と燃えたぎっていた。


「サーラ! どうした! 落ち着け!」


 王は慌てて、モルサーラをなだめようと声をかけるが、聞こえてはいないらしい。

 拳を握り、ギリリと奥歯を噛んだモルサーラは、徐々に身体を肥大化させていく。華奢な青年姿から、格闘家のような筋肉質の身体に。身体中に角を生やし、牙を生やし、皮膚を赤くし。

 モルサーラがひとたび足をならすと、ミシッと床が軋んだ。

 慌てたのはアシュリーも一緒。どうにかしてモルサーラの怒りを静めようと、ルシアとモルサーラの間に進み出て、大きく手を広げた。


「ネスコーの魔女は私が……! どうか気をお鎮めください!」


 しかし、モルサーラの怒りは収まらない。

 アシュリーの胴体を両手で鷲掴みにすると、そのまま軽々と持ち上げてしまう。


「適当なことを抜かすな、アシュリー。あの魔女はただ者じゃない。お前如きに敵うとは到底思えない。変身術と時間移動が得意なだけじゃ絶対に無理だってことくらい、僕にだって分かる。これ以上余計なことを喋ればひねり潰すぞ……!」


 ググッと力を込められ、アシュリーは悲鳴を上げた。


「お、お許しください! モルサーラ様! わ、私めはモルサーラ様のことを一番に考えて」


「そういうところが嫌いなんだ……! 目障りなヤツめ!」


 更に力が入る。アシュリーは断末魔の叫び声を上げている。


「や、止めろサーラ! 私の部屋を血だらけにする気か!」


 王が止めに入ると、モルサーラはようやく我に返り、フッと表情を緩めた。

 肩の力を抜き、アシュリーを解放し、スッと青年姿に戻る。身体中から突き出ていた角で破れた服もまるで逆再生のように元に戻り、何ごともなかったかのように静かに笑うのだった。


「おっと、ゴメンゴメン。ムカッとしちゃった。嫌いな類いの魔法を見ちゃったからかなぁ。それとも、なかなか思い通りにことが進まないからかなぁ」


 元に戻ったモルサーラに、王はホッと胸を撫で下ろす。

 アシュリーは身体を丸め、床に倒れ込んで悶えていた。血は出ていないが、どこか骨をやられてしまったのだろうか、尋常ではない苦しみ方をしている。

 しかし、王にアシュリーを気にかける余裕はない。

 モルサーラの怒りの要因、ノブリスという名を与えようとしていた悪魔をどうにかしなければならないのだ。


「ルシア・ウッドマンと言ったな。お前にノブリスという名を与えよう。そして、私に尽くすのだ。この国を守る力となれ」


 モルサーラを鎮めるように、王はわざとらしく大きく手を開き、ルシアに声をかけた。

 表情を取り戻したルシアは、どこかあどけなさを残していた。ここがどこなのか、目の前に居るのが誰なのか、しばらく考え、そしてゆっくりと首を横に振った。


「嫌です。絶対に嫌」


 王はギョッとして、身を竦めた。


「例え国王陛下の命令でも従えません。あなたは、騙されている」


 ルシアははっきりとした口調で、王に訴えかけた。


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