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異法人の夜-Foreigners night-/第二部  作者: 夕月日暮
十二月五日(月曜日)
4/34

第三話「告げられた事実」

 山中、空気は冷えている。

 二十人の集団に囲まれながら、梢は天夜と向き合っていた。心なしか、寒気が増した気がする。

「二十一人?」

「ああ。二十一人」

「……いや、二十人だぞ」

 梢は改めて気配を探る。が、やはり二十人分の気配しか探り取れない。その二十人が、梢と天夜を取り囲んでいる。

 一人、足りない。

 梢と向き合う天夜の眼差しが、険しいものになっていく。

 嫌な感じがした。

 寒い。身体ではなく、心が冷え込んでいく。

「――俺のところに依頼が来たのは先月の中頃。最初は断わるつもりだった」

 苛立っているような声で天夜が語り始める。

「だが、相手は諦めなかった。二、三回俺のところに来た。四回目からは依頼人が二人に増え、それからどんどん数が増えていって、とうとう組織ぐるみで来るようになった。最終的に俺は依頼を受けることにしたよ」

「……何の話だ?」

「俺の受けた依頼は『化け物の復活を未然に阻止すること』だ。その化け物ってのは、今は二つに分割されて封印されているらしい。だけど、その封印が解けつつある」

「おい」

「二つに分けられた化け物が一つに戻れば封印は解ける。そいつが復活すれば、秋風市程度なら一夜で滅びる」

「だから!」

 何の話を――と天夜の肩を掴む。

 その瞬間、梢は熱気を感じて手を払った。天夜の右腕から、炎が生じている。それが梢の手に触れたのである。

 初めて見る。蒼い炎だった。

 天夜は炎を右腕に纏ったまま、梢を見据える。

「その化け物は土門荒野と言う」

 そして、こちらに一歩踏み出す。

「梢さん。その土門荒野の片割れは――――あんたの中にある」

 天夜の炎が一際勢いを増す。

「つまり俺の仕事は……あんたを殺すことなんだ」

 二十一人目が、梢と対峙しながら、そう告げた。


「土門荒野は個人の名前ではありません。異法の名です。それも、自らの意志を持った」

 冷夏は喘ぐように言った。

 遥は"共有"を仕掛け続けている。冷夏が必死にそれを防ごうとしているのだろう。彼女の周囲には魔力が充満していた。所々でスパークが生じており、二人の間で見えない攻防が繰り広げられていることが分かる。

 だが、そんなことはどうでもいい。

 先程遥が発した言葉。問題はそれだ。

「土門荒野は異法人に寄生する。正確には、異法に寄生する異法なのです。宿主の意思や能力を少しずつ取り込み、最後は完全に自分のものとしてしまう。そして、覚醒したが最後……」

「破壊と殺戮を撒き散らす存在になる、か?」

 零次の推測に、冷夏は目を伏せた。それは肯定の意思表示と見ていいだろう。

「俺が聞いていた土門荒野の伝承は、ほんの一面に過ぎなかったということか」

 先程の男は言っていた。お前らは何も知らないのだな、と。

 あの男は知っていたのだろう。土門荒野の正体を。

「けど、それが梢君だなんてなんで分かるの……!?」

 遥は必死の表情で呻く。

 それはそうだろう。土門荒野の正体については納得出来る。しかし、なぜそれが梢だと言えるのか。

「……前回土門荒野が現れたのは、今から十九年前」

 冷夏が話の矛先を変えた。

 零次は口を挟もうとした遥を制する。何か、冷夏は大事なことを話そうとしているはずだ。

「そのとき、土門荒野を倒したのは"ダブル・ワン"と呼ばれていた男です」

「聞いたことはある」

 魔術師殺し。

 双一者。

 契約破綻。

 正体は不明だが、魔術師たちに恐れられていた存在である。もう何年も前に消息を絶っており、既に死んだと見る者も多い。

「土門荒野は不滅の存在とされています。仮に宿主を倒しても、土門荒野は次の宿主に移ってしまう。これまでに滅ぼそうと試みた者は大勢いましたが、成功例はなかった。ダブル・ワンもその点は例外ではありませんでしたが、彼はすぐに次の宿主を見つけることに成功した」

「それが倉凪だと?」

 冷夏は躊躇うように頭を振る。

「次の宿主に選ばれたのは倉凪梢とは別の少年です。ただ、ダブル・ワンは土門荒野が二度と復活しないように手を打った」

 冷夏の呼吸は少しずつ落ち着いてきている。それに伴い、彼女の言葉は硬くなっていった。

「ダブル・ワンは"あらゆる概念を分割することで無効化する力"を持っていた。それを使って彼は土門荒野を分割し、片方を少年の中に残し、もう片方を自分の息子の中に封じ込めた」

「息子……?」

 その言い回しに、何か嫌な予感がした。なぜ、わざわざそんな風に言うのだろう。

 ばち、と大きな音がして、遥が一歩後退した。冷夏に力負けしたらしい。

 その勢いに乗じるように、冷夏は言った。

「ダブル・ワンの実名は倉凪司郎。移植された息子の名は――――倉凪梢と言います」

 それを、冷夏は、ゆっくりと、はっきり告げた。

 隣で遥が息を呑む。驚いているのは零次も同じだった。

「それは」

「証拠、証言共に複数あります。いずれも信用するに足る筋からの情報ですし……そのうち一つは、倉凪司郎本人からの申告でもあります」

 冷夏の態度には気迫があった。そして、怖いくらいの理性も感じ取れた。それに零次は圧された。

「分かたれた土門荒野は、しかし復活しようとしている。その兆しが日増しに強くなってきている。このままでは、復活するかもしれない。そうなれば、この町一つくらいはすぐに滅びるでしょう」

 零次の脳裏に、廃墟と化したこの町の姿が浮かび上がる。

 一緒に暮らしている榊原家の面々や、学校の友人たち。それ以外のところで知り合った人々。

 それが皆、瓦礫の下に埋もれている――。

 零次がずっと欲し、この町で二年前にようやく手に入れられた日常。それが壊されてしまう。

 無論、想像の中のことだ。しかし、土門荒野が復活すれば、現実になる可能性はある。

「私はそれを許すわけにはいかない」

 冷夏はゆっくりと鉄扇を持ち上げる。

「だから、倉凪梢を殺します。殺して、土門荒野の復活を食い止める」

 瞬間。

「そんなのっ、許さない……!」

 遥が目を大きく見開き、一気に膨大な魔力を冷夏へと叩きつけた。

 共有魔術を仕掛けたわけではない。何の意味も込めない、純粋な魔力を、ただぶつけたのだ。

 その勢いに負け、冷夏は数メートル押された。だが体勢は崩さない。激昂する遥を、じっと睨み据える。

「ならばどうするのです。放っておけば、どのみち彼は土門荒野に"喰われる"。一度寄生した土門荒野を引き剥がせた例はない。彼を救う術は、最初からない。……それで、貴方はどうするのです」

「そんなの、今は分からない! でも、はいそうですかって梢君が殺されるのを納得することなんて、絶対に出来ないよ!」

 遥が叫ぶにつれて、彼女の内側から暴風のような魔力が巻き起こる。元々魔力量だけなら零次や梢を凌駕する遥だが、これは明らかに異常だった。制御出来ていない。荒ぶる感情によって、魔力が暴走を起こしかけている。

「遥、よせ!」

「嫌だ! 私は絶対認めないッ!」

「そうじゃない! 俺だってこんな話、認めようなどと思わん。だから落ち着け!」

 道路や民家の塀に亀裂が走り始める。このままでは、この辺りの人々にも被害が出るかもしれない。それに魔力の暴走は、本人にとっても危険だ。

 ……だが、どうする!?

 遥にとって、梢という存在はとても重い。

 軟禁されていた彼女に人としての心を教え、自由を与えた。遥が日常の中で暮らすようになってからも、梢は側で見守り続けた。梢は遥の想い人であり、恩人であり、家族だった。

 自分と梢の命のどちらを取ると聞かれれば、遥は梢と答えるだろう。それくらい、大切な存在なのだ。

 そんな相手が殺されるかもしれないとあっては、冷静でいられなくて当然だ。零次とて、頭の中がぐちゃぐちゃになりそうなのである。

 だが、遥から放たれる魔力の勢いはますます強くなっていく。止めなければ、大変なことになってしまう。

「遥!」

 零次の声が聞こえたのか、そうではないのか。遥は放出した魔力を、再び冷夏に叩きつけた。

 否、叩きつけようとした。

 突風のような魔力は、冷夏が立っていた場所の後ろにあった電柱へ直撃する。破壊力なら零次の一撃と同格だった。まともに喰らっていれば、冷夏は再起不能になっていただろう。

 しかし、そうはならなかった。

 電柱の真横に、冷夏と、一人の少女がいた。

 激突寸前で、その少女が冷夏を助け出したのだろう。まだ小学生くらいの、小さな女の子だった。

 少女は零次に無感動な眼差しを向けてくる。

 電柱が崩れ落ちる音がした。大きい音だ。近所一帯に響き渡っただろう。野次馬たちが集まってくる。この場に長く留まることは出来ない。

 見れば、遥はぐったりと膝をついていた。顔色も悪い。魔力を無茶苦茶に使った反動だろう。

 視線を戻すと、既に少女と冷夏の姿は消えていった。向こうも早々に退散したようだ。

「遥、ひとまず家に戻るぞ。倉凪から連絡が入っているかもしれん」

「……うん」

 魔力を消耗したことで、少し冷静さを取り戻したらしい。力なく頷いた遥を片手で抱きかかえ、零次は屋根伝いに榊原家を目指した。


 炎が頬をかすめた。どこまで避けても追ってくる。

 性質の悪い冗談だと思った。だがこの炎は、本気で自分を焼き尽くそうとしている。

 焼き殺そうと、している。

「天夜ッ!」

 梢は木の上で足を止め、そちらを振り返る。

 視界に飛び込んできたのは天夜ではなく、彼が操る炎だった。雪景色が、あっという間に蒼い炎で埋め尽くされる。

「くそ!」

 また次の木へと飛び移る。これで何本目だろう。そんなことを考えていると、脇からすぐさま別の攻撃が入る。

 それは矢だったり、札だったり、魔力だったりした。

 あの二十人組である。

 彼らは絶え間なく攻撃してくる。梢は避けるだけでも精一杯だった。反撃している余裕などまるでない。逃げながら声をかけることぐらいしか出来なかった。

 しかし、天夜たちはそれに応じない。ただ炎をこちらに向けてくる。

 梢は植物を生み出し操る異法を持っている。その影響か、梢は炎には弱い。加えて、天夜の炎は元々強力な能力だ。まともに喰らえば致命傷になる。

 訳が分からない。いきなり土門なんとか、などという怪物のことを言われてもさっぱりだった。挙句、自分の中にその怪物がいるなんて言われても納得出来ない。

 一つ分かっているのは、自分がまずい状況にあるということだ。一対二十一など、最初から話にならない。相手は連携も上手く、一人一人の平均技術も高そうだった。これでは一方的に狩られて終わりだ。

「天夜、一つだけ答えろっ」

 繰り出される炎を避けながら梢は叫んだ。

「お前の依頼主はどこの連中だ!」

 天夜は組織ぐるみと言っていた。ならば、そこに言って話を聞き出さねばならない。

 なぜ天夜を自分に差し向けたのか。自分の中にいる怪物とやらは何なのか。詳しい話を聞きたかった。

 攻撃はやまない。しかし、どこからか声がした。

「異邦隊」

「……異邦隊だとっ!?」

 異邦隊。

 それは、梢や零次のような異法人、あるいはそれ以外の様々な異能力者を統括する組織だ。

 梢と対立した日本支部は二年前壊滅したが、それまでは零次もそこに所属していた。他国にあるという本部や支部は、まだ残っているはずである。

 また異邦隊か。

 そう叫ぼうとした瞬間、天夜が先に続けた。

「魔術同盟」

「――?」

 攻撃を避けながら聞いたせいか、最初は意味がよく分からなかった。

 魔術同盟。それも知っている。魔術師たちの研究促進と制御を行う管理組織だ。世界規模の組織で、多くの魔術師たちはここに所属している。

 だが、なぜそんなものの名が挙がるのか。

 梢の考えがまとまらないうちに、天夜はさらに続けた。

「魔術連盟、退魔九済、聖欧教会、仙道連合、御法家、あとは――――緋河一族からも、だ」

「――――」

 さすがに、もう分かった。

 天夜は梢の問いかけに答えていただけだ。

 つまり――彼が言った全てが、依頼主。

 聞いたことのある組織もあれば、ない組織もある。ただ、次々と並べ立てられて、さすがの梢も戦慄した。

 なぜなら、それだけ多くの組織が、梢を殺すつもりでいる、ということだからだ。

 恐怖心はない。命に対する執着は、梢にはない。

 ただ、訳が分からなかった。頭の中で整理しようとするが、追いつかない。

 ……なんだ、これは。

 昨日までは、今までと何も変わりない日々を過ごしてきた。今日だってそうだ。天夜に電話をもらうまでは、普通の一日だったはずだ。

 梢は何もしていない。周囲で何か事件が起きたわけでもない。なのに、いきなり自分はこうして命を狙われている。

 納得いかない。その思いが、梢の心に浮かび上がった。

 梢は一息で数十メートル跳躍し、天夜たちから距離を置いた。

 相手の中に異法人はいないようだった。身体能力はいずれも普通の人間並だ。即座に梢へ追いついてくる者はいない。

「悪いな天夜。俺ぁ馬鹿だから、頭ん中ごちゃごちゃしててさっぱりだ。――――だから、悪いが今日は帰らせてもらうぜ」

 けど、と言いながら梢は一斉に大量の木を具現化させた。

 植物やその属性を有する物を自在に生み出し用いる。それが梢の異法だ。

 相手を殺そうと思って出したのではない。単なる足止め用だ。どうせすぐに天夜が焼き尽くすだろう。

 その間に逃げる。ただ逃げるだけならこちらが圧倒的に有利だ。

 後方で熱気がした。予想通り、梢の具現化した木はあっさりと燃やされてしまったようだ。だが、おかげで距離は稼げた。撤退は成功だ。

「……けど、本当にさっぱりだ」

 誰かに納得のいく説明をしてもらいたい。

 唐突に突きつけられた事実に苛立ちながら、梢は朝月町へと駆けた。


 朦朧とする意識の中、零次に助けられて家まで戻ってきた。先に帰っていた美緒と亨は、遥たちの姿を見てすぐに手を貸してくれた。

 零次にはごめんと謝り、美緒たちにはありがとうと言っておいた。

 今は四人で居間にいる。

 魔力は気力、活動力とも言えるもので、これを使いすぎると動けなくなってしまう。そのせいか全身が気だるい。

 それでも心は落ち着かなかった。梢がまだ帰って来ていないからだ。

 零次が何度か携帯を操作していたが、繋がらなかったらしい。そのことが余計不安感を煽る。

 居場所が分からないから探しに行くことも出来なかった。零次は落ち着きなく動き回っている。

「お義姉ちゃん、もう横になってた方がいいよ。顔真っ青になってる」

 美緒が心配して言ってくれたが、遥は頭を振った。

 彼女には、まだ梢のことを言ってはいない。

 梢と美緒は、この家では唯一血の繋がった兄妹だ。両親を幼い頃に亡くしてからは、二人でずっと助け合ってきた。普段、二人は適当な距離を置いているが、本当はお互いをとても大切に思っている。だから、美緒に軽々しく今回のことを告げる気にはなれなかった。

 もっとも、美緒は勘が鋭い。遥と零次の様子、戻ってこない梢という二点から、何事かが起きたことは悟っているだろう。

 無論、亨も気づいているはずだ。

 ――遥たちが家に戻ってきてから数十分経った頃、玄関で音がした。

 遥が視線を向けると零次は頷き、駆け足で玄関へと向かった。

 声が微かに聞こえる。

 どうやら、梢が帰って来たようだった。

「……よっ」

 居間に入ってきた梢を見て、張り詰めていた心がふっと軽くなった。

 無事に帰ってきてくれた。それが、ただ嬉しかった。

 安心したせいか、少し目が潤んだ。

「悪かったな、心配かけちまって」

 遥の様子に気づいたのだろう。梢は優しい表情で、ぽんぽんと頭を叩いてくれた。

 ここで暮らすようになってから、遥が落ち込んでいると、梢はよくこうしてくれた。

 いつも通り。

 大丈夫だ。

「ううん、平気だよ。……おかえり」

「ああ、ただいま」

 遥たちも買い物はして来なかったので、夕飯は残り物で作ることになった。その場は一旦解散となり、美緒と亨は部屋に戻った。

 遥も夕食作りを手伝おうとしたが、それは梢に止められた。

「そんなふらふらしてる奴、台所に入れられるか」

 そう言って、居間へと押し出されてしまった。

 しかし、梢は平気なのだろうか。

 彼は命を狙われている身だ。あの冷夏という魔術師の様子からして、ここに戻ってくるまでの間に、梢にも何かがあったはずなのだ。

 ……火傷があった。

 梢自身は意識していないようだったが、首筋に火傷の跡があった。

 おそらく、天夜と戦ったのだろう。嫌な想像だが、状況からしてそうとしか思えない。

「ねえ、梢君」

「んー?」

 台所で料理をする梢の背中に声をかける。

「……大丈夫?」

 思った以上に情けない声が出てしまった。

 それでこちらの胸中を察したのだろう。梢は手を止めて、振り返った。

「大丈夫だ」

 それは、先程と同じ優しい笑みだった。こちらに心配をかけさせまいとする、そんな表情だ。

「――飛鳥井冷夏と名乗る女魔術師に会った」

 零次は窓際に座っていた。先程からずっと外の様子を窺っている。敵を警戒しているのだろう。

「土門荒野。その言葉に聞き覚えはあるか」

「奇遇だな、ついさっき聞いたぜ。けど俺も詳しくは知らない。……二人とも、その話は飯の後でいいか?」

「ああ、構わない。遥は?」

「うん、分かった」

 その後、皆で遅い夕飯を取った。

 家主である榊原はいない。

 出張で別の県に出向いているのだ。

 食卓の場は美緒が盛り上げてくれた。それでも、いつもより静かだった。


 夕食後、何か尋ねたそうにしている美緒と亨を部屋にやり、梢たちは道場の方に来ていた。

 それぞれが、それぞれの身に起きたことを言った。

 緋河天夜。

 飛鳥井冷夏。

 梢を探していた男。

 ――――土門荒野。

 話を整理すると、こういうことらしい。

 土門荒野という、異法人に寄生する異法が存在する。寄生された者は徐々に精神を乗っ取られ、やがては破壊と殺戮を撒き散らす怪物に変貌する。

 最後にそれが現れたのは、今から十九年前。そのとき土門荒野を倒したのは、ダブル・ワンと呼ばれていた倉凪司郎だ。

 しかし土門荒野は、宿主を倒したところで、また別の誰かに移ってしまう。倉凪司郎は次の宿主に選ばれた者を見つけ、二度と復活することのないよう、土門荒野を分割した。そして、分割された土門荒野の片方は、梢の中に封じられた。

 それでも、土門荒野は復活しようとしている。

 だから、冷夏や天夜――――その背後にいる組織たちは、復活を阻止するため、梢を殺すことにした。

「なるほど、な」

 溜息が出た。

 理屈は分かる。だが、話が急過ぎて実感が湧かない。

「しかし、あの親父そんなことしてたのか。変な親父だとは思ってたけど、よ」

 梢は父親のことを、そう多く知っているわけではない。

 どこの出身かも知らないし、母との結婚前に何をしてたのかも知らない。どんな事件で殉職したのかさえ、知らなかった。

 それでも、憧れていた。

「あの、梢君……」

「ああ平気平気。親父のしたことは気にしてないからよ」

 父親に爆弾のようなものを仕掛けられたことは、ショックでないと言えば嘘になる。だが、ある意味では納得もいく。

 おそらく父も悩んだのだろう。だが、放っておけば、宿主にされた者に訪れるのは破滅の道だ。父はそれを救おうとして、最善を尽くした。今の梢の状況は、その結果に過ぎない。

「親父を責めるつもりはねぇよ。親父はきっと、宿主にされた奴を救おうと必死だったんだ」

 それよりも、問題は今のことだ。

 天夜の言葉がはったりでなければ、梢の命を狙う輩は一人や二人ではない。いくつもの組織が、梢を殺そうとしている。

「これから、どうするかね」

「それなんだが、倉凪。一ついいか?」

「ああ、なんだよ」

「美緒や亨にも、このことは言っておくべきだと思うんだが」

 零次に言われて、梢は胸の内が重くなるのを感じた。

「……なんで?」

「同じ家に住んでいるんだ。遅かれ早かれ二人も気づく。最悪、巻き込まれる可能性もある。特に美緒はな」

 亨は異法人だ。荒事にも、それなりには慣れている。自分の身を守るぐらいのことは出来るだろう。

 しかし、美緒は普通の人間だ。それも、梢にとっては血を分けた妹である。梢に対する人質として、これ以上の適任者はいない。本気で相手が梢を殺しに来るなら、美緒に危害が及ぶことは十分考えられる。

「私もその方がいい……と思う」

 やや躊躇いを見せながらも、遥は零次に賛同した。

 だが、梢は頷けなかった。なぜか気が進まない。

「あんまり、心配かけさせたくねぇんだけどな」

「だが、今回の件は簡単には済まんぞ。隠し通せるとは思えん。それなら、あらかじめ話しておくべきだ」

「それは分かってるけどよ……」

 分かっているつもりだ。しかし、もやもやとした思いに気を削がれてしまう。

「んじゃ、今日はもう遅いから明日の朝にでも言っておこうぜ」

「……明日か。まあ、いいだろう」

 鈍い反応を見せる梢に、零次は不服のようだった。

「ただ、榊原さんには言っておく。あの人なら何か有益な情報を持っているかもしれないからな」

「ああ。そうだな」

「……倉凪」

 ふぅ、と零次が息を吐く。

「大丈夫か? お前、本当に変だぞ」

「いや、大丈夫だぞ」

「……」

 零次はすっと目を細めて梢と遥を交互に見た。

「今日は解散だ。榊原さんには俺から連絡しておくから、二人はゆっくりと休め」

 そう言って零次は道場から出て行った。こちらに気を使ったのかもしれない。

「んじゃ、今日は休むか。ほれ遥」

「ん、ありがとう」

 遥に手を貸して、梢たちも母屋に戻る。

 時刻は九時過ぎ。まだ眠りにつくには速いが、今日はもう休んだ方が良さそうだった。

「梢君」

 部屋の前での別れ際、遥に呼び止められた。

 その表情には疲れが出ている。だが、眼差しには強い意思が表れていた。

「私、絶対、梢君の味方だから。……何があっても、守るから」

 それは、普段の遥からは想像出来ない言葉だった。

 梢にとって遥は、大切な家族であり、守るべき対象だ。初めて出会ったときからその思いは変わっていない。

 普段は頼りない。妹の涼子と並んでも、どちらが姉か分からないくらいだ。

 そんな遥が、梢のことを守るという。

 それに見合う力を彼女が持っているとは思えない。だが、こんなことを言えるようになったのは、この二年間、彼女が成長したということでもあるのだろう。そのことは純粋に嬉しかった。

 だから梢は、薄く笑う。それは、親が子に見せる慈愛の笑みに似ていた。

「気持ちだけ受け取っとく。ほれ、もう休みな」

 そう言って、遥を部屋に入れた。

 彼女はまだ何か伝えたそうだったが、それを聞く必要はない。

 遥は必要以上に頑張り過ぎる傾向がある。ここで話して張り詰めさせても仕方がない。

「んじゃ、おやすみ」

 扉を閉める。

 ……やれやれ。困ったことになりそうだな。

 とにかく、遥たちに迷惑をかけたくはなかった。かと言って、この先どうすればいいかも分からない。

 まだ、梢は全てを納得したわけではないのだ。

「……そう言えば、土門荒野ってのを持ってるのは、俺ともう一人いるんだよな」

 最初に寄生された少年。梢を第二の被害者とするなら、その彼は第一の被害者とも言える。

 そのもう一人は、今どのような状況に置かれているのだろうか。

 自分と同じように、命を狙われているのか。

 土門荒野に関する知識はどの程度持っているのか。

「出来れば、会ってみたい気もするんだが……さてはて」

 そう口にしつつ、あまり気乗りがしない。

 先程から、妙に胸のうちがもやもやとする。それが気になって、他のことにあまり意識がいかなくなるのだ。

「ま、いいか。明日の準備して、今日は休もう」

 欠伸を噛み殺しながら、梢は台所へ向かう。

 外ではなお、雪が降り続いていた。

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