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異法人の夜-Foreigners night-/第二部  作者: 夕月日暮
十二月十日(土曜日)
31/34

第二十六話「行こう」

 好きだった人が死んだ。

 仇と狙っていたのは妹だった。

 本当の仇は、どこにもいなかった。

 自分の誤解のせいで、すべてが狂った。

 挙句――妹は命を落とした。

 部屋の天井をぼんやりと眺めながら、遥は涼子のことを想った。

 彼女のことは誰に聞いたわけでもない。だが、遥には分かった。

 無現に対してありったけの憎悪をぶつけたとき、反動で流れ込んできた無現の――そしてその内側にいた涼子の心が、こちらの心に入り込んできた。

 手を離した後も、共有は続いていた。

 共有の感覚は状況次第で鮮明さの度合いが変わる。涼子との共有はひどく漠然としたものだった。彼女の記憶が断片的に見えた。その思いが、言葉ではなく感情として伝わってきた。

 それが途絶えた。

 共有の効果が切れたのではない。その途切れ方は、テレビのコンセントを引っこ抜いたような強引さを感じさせた。

 伝わってきたのは恐怖と覚悟――それに幸福と贖罪の感情。そして最後に、身が引き裂かれるような寂しさを伝えて、涼子との共有は終わった。

 最期に伝わってきた寂しさは、ずっと残り続けている。

 自分はどうすればよかったのだろう。

 か弱い女の子として、彼の死に涙していればよかったのか。

 物分りよく、仕方なかったんだと諦めていればよかったのか。

 しかし、どの選択肢を採ったとしても、納得などできなかったろう。

 何をしても、後悔は残る。

 正解の道など、最初からない。

 大事なのはそんなことではないのだ。

 上半身を起こす。肩には冷夏からもらった着物がかけられていた。

 側に陰綱がいた。

「……私をここまで連れてきたのは、陰綱?」

「はい」

「なんで?」

「未了様に命じられましたので」

「……あの人は?」

「今は他の方々と今後の対策を練られているはずです」

「そう」

 真泉未了。

 泉家の姫君。

 式泉運命の妻。

 そして自分たちの――実母。

 陰綱の記憶を盗み見たときに知ったが、本当に不死身らしい。

 千年以上生きているという噂もあるようだが、それも本当かもしれなかった。

 憎たらしい相手だ。だが、同時に羨ましくもある。

「……あの人は強いんだな。娘の一人にさんざ暴言吐かれて、挙句撃ち殺されて。蘇ってみれば、もう一人の娘は」

「遥様」

 陰綱は険しい表情で遥の言葉を遮った。だが、言わずにはいられない。

「羨ましいよ。強いんだ。娘が死んでも、娘に殺されても、平気な顔をして。皮肉じゃない。本当に羨ましいよ。だって私なんか……私なんかどうなんだ!」

 怒り任せに壁を叩く。強く叩き過ぎて血が滲み出た。

「あんただって憎いだろ、私が。私はあんたの主を撃ったんだ! 私のせいで、涼子は死んだんだ! 全部、全部私のせいじゃないか……!」

「それは自惚れです」

 激昂する遥に対して、陰綱はあくまで冷静だった。

「未了様は撃たれることを覚悟してあなたの前に立った。涼子様とて覚悟の上で今回の件に関わられたのです。それはあなたのせいではない」

「そんなの、詭弁だ!」

「では、あなたの意志が違っていれば――この問題は解決したのですか」

 陰綱の言葉に遥は押し黙った。何も言えない。

「責任がないとは言いません。某も思うところがないわけではない。それでも、今のあなたは必要以上に気負い過ぎている。気負うことで現実から目を逸らそうとしている。それでは何も変えられますまい」

「私が逃げてるって言いたいのか……?」

「そう見えます」

「っ……」

 衝動的に何か言いかけて、それをかろうじて抑えた。今の自分は普通じゃない、ということが分かる。何もかもがめちゃくちゃだ。言葉もまとまらないし、何をすればいいのかもまったく見えてこない。

 いっそ。

 いっそ、このまま――。

「……くれぐれも、死にたい、などと考えないでください」

 伏せかけていた顔を上げる。心の中を見透かされたようで、嫌な気分だ。

 確かに、それが楽な道だろう。

 今感じている罪の重さは、明日からも自分を責め続けるだろう。死ぬまで、その罪を背負いながら生き続けなければならない。

 それに耐えながら生きる意味はあるのだろうか。

 ないんじゃないか。

「私が生きる気でも死ぬ気でも、あんたには関係ないじゃないか」

「……」

 陰綱はそれに応えず、背中を壁から離し、窓際に足を向けた。

「先程、遥様は未了様を強いと仰いましたな」

「……言ったけど、それが?」

「いえ。これは某の意見ですが……あの御方は強くなどない。それを申し上げておこうと思いまして」

 遥は何も言わなかった。話を逸らされたようで苛々する。

 こちらの沈黙をどう受け取ったのか、陰綱はこちらに背を向けたまま言った。

「あなたに罵られたことも、涼子様のことも、辛いに決まっています。しかし、その辛さに正面から向き合うことができないのです。だから他のことに目を向けて、ごまかそうとしている」

「……」

「感じませんでしたか。あの御方と話をされた折――何か違う、と」

 違う、と言っていいのかどうかは分からないが、確かに違和感はあった。

 今になってみれば分かるが、あのときの未了は、この結末を案じて遥を止めようとしたのだろう。あまり認めたくはないが――親として行動したのだ。姉妹同士が憎み合うようなことにならないように、と。

 しかし、実際に向き合った未了は、こちらのことを見ていないような感じがした。正面にいるのに、何かはぐらかされているような感じだった。

 目を逸らされているような――そんな感じだった。

「未了様は強がりなのです。……あなたがあの御方を見て強いと感じたのであれば、それはむしろ、あの御方の弱さなのです。本当に向き合うべきものに向き合えない。だからあなたを某なぞに任せて、自分は顔も見せない」

「だから……?」

「あなたの今後はあなたが決めるものです。某は口を挟むつもりはありません」

 言いながら、陰綱は遥の前を横切って、部屋の扉に手をかけた。

「しかしあなたまでいなくなれば――未了様は悲しむでしょう」

 それだけ言って、陰綱は出て行った。

 残された遥はぼんやりと、その扉を眺めた。

「勝手だ」

 ぽつりと呟く。

「そんなの、こっちの知ったことか。……勝手な言い草だ」

 それでも、さっきよりは落ち着いた。

 そんな自分に気づいて――遥はまた苛立ちを感じた。


 零次は飛鳥井の本拠地だったホテルにいた。今やここは、組織の垣根を超えた、土門荒野対策本部と言うべき場所になっている。

「零次」

 携帯をぶらつかせながら亨がやって来た。

「どうだった?」

「志乃さんも自信はないようでした。ただ、できるだけ早めに連絡は入れると」

「そうか。こっちは、かけられる知り合いに一通り連絡しておいたよ」

 あれから。

 藤田に背中を押される形で、零次はここに来た。

 まだ気分は晴れないが、やるべきことはある。最初は現状把握だった。

 ちょうどここに到着したとき、幸町によって飛鳥井冷夏の死亡が告げられた。そして、彼女の尽力により多少の時間が得られたということも分かった。

 現在各地から様々な組織の人員が集まりつつあるらしい。総指揮は、もともとこの町の担当だった飛鳥井喜八郎――冷夏の側に控えていた執事風の男性――になるはずだった。しかし彼が力不足を訴えたため、真泉未了が臨時の指揮者となっている。

『私は死なない――というより変わらないんです』

 生きていたことに驚く零次へ、彼女は寂しげな表情でそう告げた。

 不変の魔法。存在の状態を固定する――そんな魔法がある。

 それだけを言い残して、未了は行ってしまった。各組織の代表者と協議することがあるのだという。

 残された零次は、次の目標――町の住民の安全確保に向けて動き出した。

 藤田たちと同様、零次たちと同じ学校に通う友人に笹川志乃という少女がいる。彼女の家――笹川家は世界規模の大手グループを束ねている。何度か屋敷に遊びに行ったこともあるが、その広大な敷地は平坦で余計なものがない。

 土門荒野との戦いで発生するであろう地震から住民を守るには、ああいう場所に避難してもらうのが一番いい。そう考えた零次たちは、笹川家に連絡を入れようと試みた。

 家を取り仕切るのは志乃の父である秀一だが、零次たちは彼の連絡先を知らない。そのため、まず志乃から聞き出そうとしたのだが、秀一は世界各地を飛び回る身らしく、家族と言えど簡単に連絡はつかないようだった。

「皆……どうでした?」

「一戸先生やゆきねさんなんかは、こっちのこと薄々分かってたようだったから、事情を説明したら快諾してくれたよ。一戸先生は学校関係、ゆきねさんは常連客や町会関係の人たちをまとめてくれる」

 何かあったとき、まとめ役がいないとパニック状態になってしまう可能性がある。集団でパニックを引き起こすと、それだけで大惨事になりかねない。零次が知り合いの大人たちに望んだのは、そういう事態を防ぐ役割だった。

「店長や沙希は……まあ、あまり無茶なことも頼めなかったから、それとなく注意を呼びかける程度にしておいた。仲橋は少し気負ってたけど、おそらく藤田が上手い具合に抑えてくれると思う。白木の爺さんは、幸い夫婦旅行の最中だった」

 今のところ、連絡がつかなかった知り合いというのはいない。その事実を改めて確認すると、少しだけ心が落ち着いた。

 そのとき亨の電話が鳴った。緊張の面持ちで出た亨は、しばらくの間硬い表情で話していた。やがて通話を切ると、大きく息を吐き出し、

「避難場所として敷地を提供してくれるみたいです。緊急の事態だから、資源の調達なんかも必要に応じてやってくれるそうで」

「そうか。それならあとは――」

「警察には連絡したのか」

「いえ、これからです」

 答えてから、零次は慌てて振り返った。

 そこにいたのは、榊原幻だった。

「榊原さん……!」

「悪いな、肝心なときにいてやれなくて。……警察への連絡は俺からしておこう。市民を安全かつ迅速に笹川家の方へ避難させればいいんだな?」

「あ、はい。……その、大丈夫ですか」

「避難誘導は警察の領分だ。事件追いかけて犯人挙げるだけが能じゃねえよ」

「いえ、榊原さん……」

 久しぶりに見る榊原は、すっかりやつれているように見えた。血色も悪いし、いつも力強かった眼光も暗い。なんだか、一回り小さくなってしまったようだった。

 だが、そんな零次の危惧を、榊原は鼻で笑い飛ばした。

「心配ない。全部終わったらゆっくり休む。……ああ、別に変な意味じゃないから勘繰るんじゃねえぞ。お前ら残してくたばるつもりはない」

 榊原は周囲を見回して、

「ところで、遥はどうした」

 聞かれて、零次は亨を見た。遥がどうなったのかは聞かされてなかったのである。

 二人の視線を受けて、亨は眉間にしわを寄せた。

「今は個室で休ませてます。暴走していた魔力は収まりつつありますが、まだ落ち着いて話せる状態かどうかは……」

「そうか、ここにいるのか」

 榊原は頷き、

「警察へ連絡を入れたら顔を見せてくる。お前らも付き合え」

「……」

 突然の言葉に、零次と亨は顔を見合わせた。お互いいろいろと立場の変化もあって、やや気まずい状態にあるのだ。もう少し時間を空けてから――この事件が終わってから話そうかと、そう考えていたのである。

 そんな二人のためらいに頓着せず、榊原は歩みを進めた。

 やむを得ず、零次たちもそれに続くことにした。


 三人がやって来て十分ほどになる。

 遥はぼんやりとそれぞれの顔を眺めていた。

 今は亨が話をしている。

 ここで榊原は、三人の口から、ここ数日の間に何があったのかを聞いているのだ。

 最初は零次が話した。ところどころ覚束ない部分もあったが、誠実な話し方ではあったように思う。少なくとも、嘘やごまかしはなさそうだった。

 だからと言って、零次の考えや行動、それを遥がすべて許容できたわけではない。

 そんなことを考えているうちに、亨の話も終わった。遥は、努めて淡々と話すことにした。まだ気持の整理がつかないから、曖昧な言い方になってしまうことが多かった。零次のことを笑えない。

 榊原は、誰の話を聞くときも口を挟まなかった。ただ話す相手の顔をじっと見ている。

 そうして、すべて話し終わった。

 ここ数日の間であったこと。三者三様の思いが明かされた。

「……すまんな」

 話を聞き終えて最初に、榊原は頭を下げた。

 何がどうすまないのか、なんてことは説明しない。榊原はただ、しばらくの間じっと頭を下げ続けていた。

 触れてはいないが、榊原が何を悔やんでいるのか、何に対して頭を下げているのか、遥には分かるような気がした。それは零次や亨も同様だったらしい。神妙な面持ちで、榊原のことをじっと見つめている。

 言葉は少なく、肝心なときに居合わせなかった榊原だったが――こうして自分たちには正面から向きあってくれる。それが遥には嬉しかった。

「榊原さん。顔を上げてください」

 零次に促され、榊原は面を上げた。さっき見たときは随分やつれて見えたが、今は少し違って見える。それは老いた父親の顔だった。

「俺、戦うつもりです」

 零次は静かに言った。

「正直きつい。勝てる見込みもどの程度あるのか分からない。でも、まだやれるかもしれないんです。守りたいものがあるんです。だから最後までやってみます」

「そうか」

「……縁起でもないと言われそうですが、ここで言っておきたいことがあります」

 零次はそう言って、こちらや亨の方にも目を向けた。

「この二年――楽しかった」

 少し穏やかな顔つきになって、零次はそう口にした。

「さっき、いろいろな人と話して、今更ながら、改めて思ったんです。この二年間は本当に楽しかった。榊原さんが俺たちを受け入れてくれなかったら。亨や遥と一緒に馬鹿をやれてなかったら――こんな思いを感じることはなかったと思います」

「……」

 榊原も亨も何も言わない。ただ黙って、零次の告白を聞いている。

「今はすごく辛い。この二年間が楽しかっただけ、余計に辛い。それでも、この二年間があったからこそ――俺はまだ諦めずにいられるんです」

 零次は一拍空けて、

「――ありがとうございました」

 大きな声で、そう言った。

「……縁起でもない」

 榊原が不機嫌そうな顔でぼやく。

「もうこれで最後、みたいに言うんじゃねえよ」

「はい」

「行くなら帰って来い」

「はい」

「俺はお前らの親だ。どんな形でもいい、生きろ。どんな苦しくてもいい、生きろ。生きて――いつか幸せになれ。親がガキに望むのはそれだけだ」

「……はい」

「よし。行って来い!」

「――はい!」

 榊原に背中を思い切り叩かれて、零次は部屋を後にした。

「……僕も行きます」

 次いで、亨が立ち上がった。

「榊原さん」

「おう」

「僕も来年には二十歳になります。そうしたら一緒に一杯やりましょう」

「……ふん」

 榊原は亨の背中を叩いて、

「――楽しみにしてるぞ」

 亨は頷いて、駈け出していった。

 残されたのは遥と榊原。

「……義父さん」

「なんだ」

「私はどうすればいいのかな」

 零次や亨のように決めることができない。

 自分の意思で動いて失敗した。その経験が遥を気弱にさせていた。

「私は、どうすればいいのか分からない。分からないんだ」

「分からないなら、それでいい」

「よくない」

 ベッドのシーツを掴み、声を絞り出す。

「よくないんだ……! このままじっとしてるのは嫌だ。でもまた皆に迷惑をかけるんじゃないかって思うと、動くこともできない……どうすればいいか分からないんだ」

「……」

「私は皆のことなんて考えてなかった。ただ彼が――梢君がいないことが耐えられなかった。苦しかった。辛かった……! でも、どうすればいいのか分からなくて、仇を討とうと思って。でも、仇なんていなかった。その誤解で涼子を傷つけて……私は何もしちゃ駄目なんだって、それで……」

 言っているうちに、視界が滲んできた。

 頬を熱いものが通っていく。

「わ、私はっ……それで、それで」

「……悪かったな、遥。肝心なときに放ったらかしでよ」

 と。

 泣き崩れそうになったところで、遥は静かに抱き締められた。

「……義父さん、わ、私は……そ、それ……で」

「いい。今は泣け。ずっと溜めてたもの、ここで全部出しとけ」

 そこが限界だった。

 堰を切ったように涙が溢れ出てくる。

 本当は誰が憎かったわけでもない。

 ただ悲しかった。

 大好きだった人が二度と会えないところに行ってしまって、悲しくて。

 その悲しさをどこにぶつければいいのか分からなくて――何かが違ってしまった。

 本当に欲しかったのは、仇討の相手なんかではなく、泣いていい場所だった。

 そんな簡単なことに気づくのに、随分な遠回りをしてしまった――。


 ひとしきり泣いたあと、遥はゆっくりと立ち上がった。

「大丈夫か」

 尋ねる榊原のスーツは、遥の涙やら鼻水やらでぐしゃぐしゃになっていた。今更だが、少し恥ずかしい。

 だが、おかげで心が軽くなった。

 迷いや後悔が消えたわけではない。それでも動くことはできそうだった。

「義父さん」

「ん?」

「私の醜態については、秘密にしといて」

「まあ、それは別に構わんが」

「スーツはさ、これが終わったら――いいの弁償するから」

「……ガキはんなこと気にするな」

 そう言って榊原は、遥の背中を思い切り叩いた。

 零次や亨にしたのと同じように。

「やりたいようにやれ。失敗したら反省すりゃいい。けど、やりながら反省はするな」

「うん」

「良いか悪いかは自分で決めろ。成功も失敗も過程の一つと割り切れ」

「うん」

「過去のことにひきずられるな。たまに思い出してやるくらいでいい。お前は……これからも長い人生、生き続けていくんだからな」

「……はい!」

 背中を押されて、外に出る。

 部屋を出た廊下の突き当たり。

 そこに、零次と亨が立っていた。

「遅かったな」

「……ちょっと泣いてた」

「そうか」

 三人は顔を見合わせて頷き合う。

「行こう」

 視線の先――窓から見える風景の彼方には、黒々とした山がそびえ立っていた。

 じきに日が沈む。

 明日は十二月十一日。

 今度こそ、すべてが終わる予感がした。

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