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異法人の夜-Foreigners night-/第二部  作者: 夕月日暮
十二月五日(月曜日)
2/34

第一話「雪降る夜に」

 朝から肌寒いと思っていたら、雪が降ってきた。

「結構降りそうだなぁ」

 花についた雪に触れて、涼子は白い息を吐いた。

 山中の墓地に向かう途中のことである。以前より低い位置で結ぶようになった髪が、控え目に動いていた。

 細い腕には花束を抱えている。花は、墓地で眠る知人たちのためのものだった。その中には涼子の実姉、優香も含まれている。

 もう一人の姉、遥は一緒ではない。お盆時は皆で墓参りをしたりもするが、それ以外のときは別々に来ることも多い。涼子が今日来たのも、最近行ってないな、と学校帰りに思ったからだった。

 予想通り、降る雪は少しずつ増えてきた。ここ秋風市は比較的雪も積もりやすい地域なので、場合によっては帰りが大変になる。

 ……今日はすぐに引き返した方がいいかな。

 そんなことを考えながら、涼子は墓地に入った。

 一瞬、雪と墓石に包み込まれそうな錯覚を抱く。

 そんな風景の中に、墓石以外の影が見えた。

 藍色の着物を着た女性と、まだ小さな女の子の二人連れ。

「……?」

 涼子は首を傾げた。その二人が、優香の墓前で手を合わせていたからである。

 ……優香姉さんの知り合いの人?

 涼子は優香の交友関係をあまり知らない。生前からいろいろと訳があり、ほとんど一緒に暮らしたこともなかったのだ。姉の交友関係についても、知らないことの方が多い。

 ……挨拶した方がいいのかな。

 そう思った瞬間、二人がこちらを振り返った。その顔を見た途端、涼子の心臓が大きく跳ね上がった。

 女性の方は、物憂げな眼差しと小さく閉ざされた唇が印象的だった。冬の景色と相まって、涼やかな雰囲気がある。子どもの方は、人形のように整った顔立ちをしていた。

 二人は涼子に軽く頭を下げ、涼子もそれに応じた。それだけなのに、妙に不安な気持ちになる。

 二人は頭を下げたまま、涼子の横を通り過ぎていく。入れ違いの形になった。何か声をかけるべきかと思ったが、なんとなくそれを躊躇わせる雰囲気があった。

「――冬塚涼子」

 少女が、すれ違い様に口を開いた。

 可憐な声だった。子ども特有の、無邪気さと愛らしさがある。しかし、そこに感情というものはほとんど含まれていない。子どもが演芸会などで台詞を話すときに似ている。

 女性の方は気づいていないのか、そのまま歩みを進めている。

 少女はそちらを気にする風でもなく、立ち止まって涼子の方を振り返った。

「はじめまして。……それから、さようなら」

 やはり、その言葉からも感情は読み取れない。ただ、さようなら、と告げたときだけ、少女の眼に寂しさが垣間見えた気がした。

 少女は一方的にそう言って姿を消した。女性の方は最初から最後まで何も言わなかった。

 なぜ相手が自分の名前を知っていたのか。あの二人は何者だったのか。そんなことを考えながらも、涼子は胸の底から湧き上がってくる悪寒を必死に抑えていた。

 寒気がする。

 雪のせいか、あの二人のせいか、それとも別の何かのせいなのか。身体中の血管が凍りついたような感覚がした。

 気づけば、持っていた花を落としていた。慌てて花を拾い、姉の墓前に供える。

 普段ならその後、近況を軽く姉に報告したりする。今日もそのつもりだった。

 しかし、先ほど出会った二人組のことが気にかかり、上手い具合に頭を整理することが出来なかった。

「姉さん、あの二人は誰? なんで私の名前を知ってたの?」

 そっと語りかけてみる。無論、返事などあるはずもなかった。

 涼子はしばし、姉の墓前で胸中の不安が静まるのを待ち続けた。

 雪の勢いは、少しずつ増していった。


 秋風市の中央部よりやや北。朝月町内の中でも一際大きい屋敷には、家主である榊原幻を始めとする、様々な人々が暮らしていた。アパート同然の状態と言ってもいい。

 元々は榊原家という、土地の名門に属する人々が暮らしていた屋敷だった。それが数代で急激に衰え、現在榊原の嫡流は当主である幻のみとなった。

 ゆえに部屋が余っており、榊原の好意もあって、訳ありの人々が暮らすようになったのである。

 その榊原は、現役の刑事ということもあってか家を留守にすることが多い。実際に家の中のことを熟知しているのは、一番古い居候の倉凪梢だった。

 先日二十歳の誕生日を迎えたばかりの梢は、一人で家の留守番をしていた。他の居候たちはまだ大学に行っている。今日は五限まであると言っていたから、帰りは遅いはずだ。

「んー、結構汚れが酷いな」

 雑巾掛けした後の床を指でなぞり、梢は顔をしかめた。元々鋭い目つきがさらに凶悪になる。すらりとした体躯と合わせて、どこか猫科の動物のようだった。

 留守番と言っても暇ではない。この家で家事全般を担当しているのは梢なのだ。洗濯に掃除、夕食作りとやることは沢山ある。

 外を見ると、雪が降り始めてきていた。空も曇ってきている。梅雨時の曇り空とは違う、冷ややかな空だ。

「こりゃ今夜は冷えるな。そういやあいつら、ちゃんと傘とか持っていったのかな」

 どこか抜けているところのある同居人たちの顔を思い浮かべながら、梢は丹念に床を拭く。榊原屋敷は広いため、掃除は普通の家よりもずっと大変なのである。

 倉凪梢がこの屋敷に連れられて来たのは、もう随分前のことになる。まだ小学生だった頃、妹と二人で初めて来たときは、広すぎるこの家が怪物のように見えたものだ。

 両親を幼い頃になくし、生まれ持っていた奇妙な力のせいで親類から迫害されてきた梢にとっては、この屋敷も安心出来る場所ではなかった。榊原幻のことも最初は警戒し、妹と二人、隠れ潜むような日々を過ごした。それが今では、自分の分身のようなものだった。

 ここには今、いろいろな人間が住んでいる。梢と同じ、奇妙な力を持ったせいで辛い過去を送った者たちばかりだ。

 この屋敷は、そんな人々を分け隔てなく受け入れてくれる。それに対する感謝の念から、梢はいつも全力で掃除をしている。

 そう遠くないうちに、ここを出ることになるかもしれないから。

「そうだ、最近押し入れの中を整理してなかったな」

 縁側を吹き終え、梢は自室に来ていた。ほとんど私物を部屋に置かないので、片付けをする必要はほとんどない。ただ、押入れの中にはいくらかの私物が入っているので、埃を払うなどしておこうと思った。

 押入れの中は、上段が布団、下段が私物の置き場になっている。私物と言っても、梢はそういったものはほとんど持ち合わせていない。学校の教科書や数枚のCD、それと数枚の写真が収められたアルバムが一つあるだけだ。

 教科書の下から出てきたアルバムに、梢の視線が止まる。最近見ていなかったからか、ふと手を伸ばした。

 中の写真はどれも古いものだった。近頃の写真よりも画質が荒く、若干色褪せてきている。

 写っているのは、まだ幼い頃の梢と妹の美緒、そして、今は亡き両親だった。梢は父に肩車され、美緒は母に抱かれていた。両親は、幸せそうに笑っている。

 美緒は両親のことをほとんど覚えていないという。一つ違いの梢も、それほど多くのことを覚えているわけではない。それでも、この両親は梢にとって特別な存在であり続けている。

「……と、掃除掃除。こういうの見てると手が止まっちまう」

 キリの良いところまでやって、その後は夕食の準備をしなければならない。

 そんなとき、廊下の方で電話が鳴った。

「はいはーい、今出ますよー」

 雑巾をバケツに入れて、梢は駆け足で受話器を取りに行った。

「もしもし、榊原ですが」

『……あー、梢さん?』

 電話の声は、少しだけ懐かしいものだった。

「ん、なんだ天夜か。どうかしたか?」

 緋河天夜。しばらくの間、この町に逗留していた少年だ。

 彼も梢たちのような、奇妙な力を持った訳有りの人間である。実家と揉めて各地を旅していたという変わった経歴の持ち主だった。梢やこの屋敷の人々とは顔見知りの仲である。

『実は今、秋風に来てるんだが』

「なんだ、また実家の方と揉めたのか?」

『そもそも顔出してないから揉めようもないんだが。……こっちには用があって来たんだ』

「用か。それって、俺も手伝った方がいいのか?」

 天夜は常人にはない、特別な力を持ち合わせた、異端者と呼ばれる一族の人間だ。その立場上、たまに厄介な仕事を押し付けられることもあるという。

『ああ、もしかしたら異法人を相手にしなくちゃいけなくなるかもしれない』

「それなら俺も行った方がいいか?」

『そうしてくれると助かる』

 異法人とは、人間離れした身体能力と奇妙な力を併せ持つ者たちのことである。本当はもう少し複雑な定義があるらしいのだが、梢はあまりよく知らない。梢を始めとして、この屋敷に住む久坂零次、矢崎亨などがこれに該当する。

 異端者は身体能力が人間並なので、異法人を単独で相手にするのはややリスクを伴うのだ。

「どうする、俺一人でいいのか? 必要なら久坂や亨も呼び出すけど」

『あまり大勢で行くと相手を刺激することになる。それに、上手くやれば平和的に解決出来るかもしれない』

「分かった。んじゃ俺一人で行くわ」

『ああ。今、大丈夫か?』

「問題ねぇよ」

『じゃあ、朝月駅のところまで来てくれ』

「おう」

 電話を切ると、梢はすぐにコートを着た。どれくらい時間がかかるのか分からないので、一応遥や零次たちにメールを出しておく。

 玄関を出ると、大分雪も積もりつつあるように見えた。

 時刻は五時過ぎ。大学の面子は、まだ講義を受けている最中だろう。

「さっさと済ませて戻ってくっかね」

 呟き、梢は目立たない程度の速度で走り出す。本気で走ると車さえ追い越してしまいかねないので、人のいる日中は加減しなければならないのである。

 目に見える風景は、全てがどこか白っぽい。

 夕食を作り忘れたことを心残りに思いながら、梢は肌寒さに肩を震わせた。



 梢からのメールを見て、遥は目を丸くした。

 今は講義の最中である。五時限目ということで、教室の中の空気は大分緩やかなものだった。友人たちに囲まれた中でメールを見ても、周囲はそれに気づく様子もない。

「倉凪から?」

 隣席の雅が小声で尋ねてきた。

 遥にとって高校以来の友人である彼女は、梢のことも知っていた。高校三年までは同じ学校に通っていた仲である。

「うん。ちょっと急用が入ったから、代わりに夕飯作っといて、だって」

「へー、珍しい。何か買い忘れでもしたのかね」

 講師がこちらを向いたので、話題はそれで打ち切りになった。

 遥はぼやっとした表情を少しだけ強張らせて黒板を注視する。そうしているとかなりの美人に見えるのだが、普段はどちらかというとあどけない表情でいることが多い。

 シャーペンを走らせながら、遥は頭の中でメールの内容を反復していた。

 天夜が来ている。どうも力を貸して欲しいらしい。だから手伝いに行ってくる。

 書かれていたのは、梢らしくシンプルな、そんな文章だった。追記で、夕飯よろしく、と書かれているのが愛嬌と言えば愛嬌かもしれない。

 ……何かあったのかな。

 遥は梢のような異法人でもなく、天夜のような異端者でもない。しかし、普通の人間でもなかった。分類上は魔術師ということになるらしい。

 遥は生まれつき、対象と精神や魔力を共有する、という魔術を持っていた。その力を利用しようとした者たちによって、彼女は数年前まで実験体として扱われてきた。だからか、そういった"普通ではない"事態には、やや敏感になってしまう。

 梢は遥を自由にしてくれた恩人なだけに、あまり危険なことはして欲しくない、とも思う。

 そのことを心配していたら、いつの間にか講義は終わっていた。冬だけあって、外は暗い。講義が始まる前も夕闇は広がっていたが、今はもう真っ暗だ。

「ほら遥、帰ろう」

「あ、うん」

「どうしたどうした、ぼけっとしちゃって。あ、いつものことか」

「それひどいよ雅ちゃん」

 軽口を叩いているうちに、胸の内の不安は薄れていった。

 元々、梢がこういったことに関わるのは今回が初めてではない。遥を助けてくれたときもそうだし、他にも何回かこういったケースはあった。その都度、梢はきちんと戻ってきた。

 ……うん、梢君なら大丈夫。

 心配性の自分に言い聞かせる。

 それよりも、今日の夕食について考えなければならない。いつもは梢が食事を作っているのだが、彼が不在のときは遥が担当となる。この二人以外の住民が、食事を作れないからである。

「む、遥と高坂ではないか」

 キャンパスの出入り口に差し掛かったところで、久坂零次に出くわした。

 程良い背丈に無駄のない筋肉、涼しげな顔立ちの青年である。

 彼もまた榊原の世話になっている者で、梢と同じ異法人でもある。当初は立場や考え方の違いから梢と対立していたが、最終的に和解した。それが、二年前の春から夏にかけて起きた事件のことである。その事件には遥も関わっており、零次との関係も微妙なものだった。

 が、それは昔の話。

 今は同じ家に暮らす『家族』である。

「あれ、藤田や沙耶とは一緒じゃないのかい?」

「あいつらならゲームセンターに行ったが」

「え、そうなの?」

 雅が怪訝そうに顔をしかめるとほぼ同時、彼女の携帯がメールの着信を告げた。

「ったく遅いんだよ。やれやれ、それじゃ私もちょっと行って来るかね」

「うん。それじゃまた明日」

「気をつけてな」

「ああ、二人ともまた明日」

 早足で去っていく雅の姿を見送ると、遥は零次と一緒に歩き出した。

「途中で買い物していくのか?」

「ううん、食材とかは梢君が買い揃えてくれてると思うから。家に帰ってから何作るか決めるの」

「なるほど」

 零次はそうやって軽く頷き、

「心配か」

「え?」

「そう顔に書いてある」

「そ、そうなの?」

 思わず顔に手を当ててしまう。そんなことしても意味がないと気づき、二重の意味での溜息をつく。

「そうだね。ちょっと心配かも」

「倉凪のことだから大丈夫だとは思うがな。あいつも随分と強くなった」

「へぇ……久坂君が梢君を褒めるなんて珍しいね」

 和解した後も、梢と零次は相性が悪いのか、あまり互いのことを認めたり褒めたりすることはなかった。軽い口喧嘩なら日常的にやっている。もっとも、それが深刻な問題に発展したことはないが。

「……強くなったのは、倉凪だけではないがな」

「あはは、そうだね。久坂君も毎日訓練してるもんね」

「違う。お前のことだ、遥。空いている時間を見つけては訓練してるだろう、こっそりと」

「う、気づいてたんだ」

 実は遥も、榊原家に来てしばらく経った頃から、少しずつ訓練を重ねてきた。榊原に護身術を教わったり、独学で魔力の使い方を研究している。

 護身術の件は榊原家全員の知るところだが、それ以外に関しては内緒でやってきた。

「ひょっとして、皆気づいてる……?」

「俺以外だと榊原さんぐらいだろう。しかし、なぜ隠れてやるんだ?」

「いや、梢君とかが知ったら、なんか反対しそうだし」

「ああ……あいつ、過保護だからな」

 梢は遥の境遇に憤り、彼女の軟禁していた施設から連れ出した。それまでの遥の境遇に同情しているのか、それとも別の要因があるのか、今でも梢は遥を大切にしている。

 遥が訓練していると知れば、お前は俺が守ってやるからそんなことする必要はない、などと言いそうだった。

「まるで娘を溺愛する父親のようだ」

「その辺りが、ちょっと複雑だなぁ」

 遥は梢のことが好きなのだ。他の人に対する『好き』とは意味が違う。それが恋心というものなのかどうかは、遥自身にもよく分からないのだが。

 ちなみに、その辺りのことは周囲には筒抜けらしい。気づいていないのは梢だけである。

「……ん?」

 学校付近の商店街通りを抜け、住宅街への入り口に差し掛かったときのことである。

 不意に零次が立ち止まり、遥を背中の方に隠した。

「ど、どうしたの?」

「誰かに見られてる。俺かお前か、あるいは両方か」

「尾行されてるってこと?」

「ああ。こちらに手を出そうとする気配はないが、何か妙な感じだな」

 零次は遥に背を向けたまま動かない。相手の出方を窺っているのだろう。

 周囲は住宅や木々によって囲まれている。駅前のビル街ほどではないが、見通しはよくない。潜む場所には困らないだろう。

 梢ならば相手の居場所を即座に察知して飛びかかっているだろうが、零次はその手のスキルはあまり高くない。どこに敵が隠れているか、正確な位置は分からないのだろう。

 遥も必死に周囲の様子を探ってみるが、気配などというものは全く分からなかった。

「何者だ。いるのは分かっている、話があるなら出て来い」

 相手に動きがなかったのか、零次が目立たない程度の声で呼びかけた。

 数秒、待つ。

 夜風に街路樹の揺れる音がしたかと思うと、突如二人の前に一人の男が現れた。しゃがみ込んだ姿勢からゆっくりと起き上がり、正面からこちらを見据えてくる。

 ……梢君?

 一瞬、遥はそんな錯覚を抱いた。

 鋭く凶悪そうな目つきと身軽そうな体躯は似ている。しかし、その男は梢よりも獰猛そうで、野性的な雰囲気を漂わせていた。梢が市街地に暮らす猫だとするなら、こちらは野生で獲物を捜し求める虎のようである。着ている服も、梢に比べると派手なものだった。

「よう、良い夜だな」

 男は拍子抜けしそうなくらい、気さくに声をかけてきた。こちらを覗き見ていたという引け目は感じていないようである。

「覗き見てたのは悪かった。何、ちと俺と似た気配がしたもんでな。探してる奴かと思ってよ」

「似た気配……今の動きからすると、貴様異法人か」

「ああ、そんな風に言われてるんだっけか。多分それだと思うぜ」

 男はこちらに敵意を持っているわけではなさそうだった。そのことで遥は緊張を解く。

 大概の一般人は、尋常ならざる存在ということで異法人を恐れる。しかし遥は何人もの異法人を知っている。だから恐れは感じないのだ。

 もっとも、零次は表情を固くしたままだった。理由はどうあれ、覗き見られていたことには変わりない。素性も目的も分からない以上、油断出来ないと考えているのだろう。

 男はそれを気にする素振りも見せず、不敵に笑っていたのだが。

「ま、そんなことはいいじゃねえか。それより一つ聞きたいんだけどよ。――――あんた、土門荒野か?」

「土門荒野……!?」

 その名を聞いて、零次が動揺を面に出した。普段冷静な彼にしては珍しい。

「土門荒野? 知ってる人?」

 遥の問いかけに、零次はすぐには答えなかった。小さく呻き声をあげてから、苦々しげに告げる。

「……俺も直接会ったことはない。ただ、あのザッハークと並ぶ実力を持つ異法人だと聞いている。……破壊と災厄を撒き散らす、最悪の存在だとか」

 ザッハークとは、遥や零次が梢と知り合った事件に関わった、凶悪な異法人のことである。その実力は勿論のことながら、思想、行動共に他人の理解を越えた男だった。

 遥にとっては、ついに会うことの叶わなかった姉・優香の仇でもある。ザッハーク本人は既に捕縛されているが、その禍々しい印象は、遥の中にも色濃く残っていた。

 それと並ぶ最悪の異法人。そう称される時点で、土門荒野という異法人がどれほど恐ろしい存在かは想像がつく。

「もっとも、俺は都市伝説の類だと思っているがな。確かな発見報告もほとんど聞かなかった」

「そりゃな。土門荒野が出現したら、報告出来る奴なんざ残らないだろ。あいつが現れたが最後、周囲は全て瓦礫と屍の山だ」

 都市伝説と言われても、男はさして気にしていないようだった。土門荒野が存在するという確信を持っているのか。

「とにかく、俺は土門荒野などではない」

「へぇ、そうかい? あんた、名前は?」

「久坂零次だ」

「じゃあ違うな。俺の知ってる土門荒野じゃねぇ。なんか似た匂いを感じたんだがな」

 男は残念そうに頭を掻く。

 ……何か、変だな。

 先ほどから、零次と男の会話は、どこかが食い違っているような気がする。何か違和感を抱いてしまうのだ。

「それじゃあ、ついでにもう一つ聞いていいか」

「なんだ」

 零次のぶっきらぼうな言葉にも臆すことなく、男は気軽な口調で尋ねる。

「ここらで倉凪梢って奴知らね? 俺が探してるの、そいつなんだけどよ」

 あまりに気軽過ぎて――遥には、その言葉の意味が分からなかった。

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