表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖竜騎士と幼妻  作者: 外宮あくと
Ⅰ 二章 半魚人狩り
9/57

第9話 半魚人。隣国では人魚と呼ぶらしい。

「随分と早いな……」


 クリストフは、ふがあと大きな欠伸をしながらソファに腰掛た。

 ガウン一枚羽織っただけのその下は、恐らく何も身につけていないのだろう。女の移り香がプンプンしていた。


 昨日聞かされた半魚人討伐の集合時間は夕刻である。半魚人が活動するのは深夜だからだ。はっきり言ってレオンは無茶苦茶に早すぎだった。もちろん集合場所も、クリストフの屋敷であるはずがない。

 彼はちょいちょいと指で座れと合図すると、ふんぞり返って呆れた声を出す。


「レオンハルト、貴様がこんな常識知らずとは思わなかった。これは教育し直さねばならんな。私を訪ねてくるのは構わんが、時間を考えろ」

「……申し訳ありません。殿下にお目にかけて頂いているのをかさに来て、ご無礼を……」

「秘密の抜け道を教えたのは私だし、いつでも使っていいとも言ったしな。今回はいいが……次は無しだ」


 さして怒った風でもなく、気だるげにクリストフは、足を組替えて欠伸をする。昨夜はさぞや楽しんだのだろう、胸に赤い痣がついていた。

 レオンは目のやり場に困りながら、繰り返し非礼を詫びる。

 クリストフの言う通り、彼は秘密の抜け道を使って、勝手にこの屋敷に入りこんだのだ。以前、不用心だから塞いだ方がいいと進言したことがあったが、まだ塞いでいなかったことが今回判明した。もう一度、進言しなければならない。


「申し訳ありません……まだ新しい生活というか、あの者がいることに慣れなくて……」

――寝不足なんだよ……出発までここで寝させて欲しいんだがな……


 騎士としての上官、それも王弟殿下の屋敷を時間つぶしと昼寝の場所に使おうとは、不届きな考えではある。が、今日に限っては叔父と甥という関係に甘えさせてもらいたいものだった。


「甘い新婚生活を楽しめばいいのに……ここの方が落ち着くか?」

「……あ、まあ」

「ハハ、小さい頃はここを我が家と思っていたものなあ。入り浸って帰らないものだから、私が姉上によく叱られたものだ」


 そう言ってワハハとクリストフは笑うが、レオンの記憶とはどこか違う。


――遊びに来いといつも呼びつけたのはあんただし、帰ろうとするのを引き止めたり、母に無断で泊まらせたりしてたのもあんただぞ。いや、まあ俺もそうしたいと思ってはいたけど。


 昔からクリストフは、甥っ子のレオンを溺愛していた。

 レオンも幼い頃はクリスクリスと慕っていたものだが、段々に立場というものを理解し始めてからは、わきまえるようになり、今ではしっかりと一線を引いているつもりではある。いつも、無遠慮に線を乗り越えてくるのはクリストフの方なのだ。


 ちなみに今日のことはノーカウントだ。寝不足の原因を作ったのは、もとはと言えばクリストフなのだからと、誰に対してかよくわからない言い訳をするレオンだった。


――たいして子ども好きには見えないのに、なんで俺をあんなに構ってたんだろう?


 以前程ではないにしても、今でも彼はレオンに目をかけ、可愛がっている。今回はその可愛がり方が、妙な方向に向いてしまったようなのだが。


――何も結婚までお膳立てしなくてもいいのに……これは、半魚人の件がなくても、近いうちにやられていた可能性は高かったということか……


 柔和に笑うクリストフは、レオンの母とよく似た面差しをしている。そして、レオンは母親似だった。ようするに、二人は似ているのだ。

 クリストフは輝くような金髪で青い瞳をしているのに対して、レオンはかなり暗めのブロンドで瞳は黒だった。見た目の印象は違うが、顔だちそのものはよく似ているのだ。十三しか年も離れたていないため、兄弟に見えなくもない。


 だから、クリストフが自分によく似たレオンを溺愛するのは、もしかして自己愛の変形版なのではないかと思うのだ。かなり歪んだ性格なのは間違いない。

 何にせよ、今回の件だけは迷惑以外のなにものでもなかった。

 レオンはふうっと大きくため息をついた。


「……殿下、見えてます……」

「ん? ……ああ、これか」

「脚を閉じて下さい。あまり良い眺めではありません」

「何を言う。貴様のなまくら何ぞより、何百倍も良い仕事をするというのに」

「服をお召しになって下さい!」

「貴様がいきなり、押しかけてきたせいではないか、偉そうに。全く思春期の反抗期の童貞少年は扱いづらいな。あんまりこじらせるなよ?」


――やかましいわ、エロ魔人! 人の心配する前に、あんたが結婚しろ! 


 心の中で悪態をついていると、クリストフがにやりと笑った。


「まったく、童貞捨てておけと昨日も言ったのに。それからな、私は結婚なんかする気は毛頭ないのだ」


 レオンの頭の中を覗きでもしたかのように、クリストフは言った。


「今のままが丁度良いのだ」

「しかし、国王陛下は殿下が女性関係を清算して妻帯さえなされば、公爵位をお授けになると仰られているのに……」

「そんなもの、はなから要らん。兄上は聡明にして慈悲深き国王、智を持って国を治める。私は非情にして最強の戦士、武をもって国を護る。単純な役割分担だ。妻だの公爵だの、そんな面倒臭いことやってられん」


 いかにもウザったそうに言って立ち上がる。

 そしてレオンが携えていた剣をスイッと抜き取った。サッと構えたかと思うと、突然と剣舞を演じ始めた。

 舞でありながら、そのキレのある動きは無駄がなく、優美かつ実戦的な力強さもあった。ここに殺気が加われば、クリストフが自ら豪語した最強の名に相応しいと誰もが認めることだろう。

 レオンは思わず見惚れてしまった。


「剣が私の妻だ」


 ダンと足を踏み込むポーズと共に、ニッと笑ってドヤ顔を決める。


――完璧だな。カッコいいよ、クリストフ。だがな……


「……殿下、ガウンが全開しています……」

「だからどうした。私の麗しき裸体に欲情したか?」


――するか、ぼけぇ! サッサと服を着ろ!







 その後、定刻通りに聖竜騎士たちは王に妖怪討伐出立の挨拶をし、壮行の楽の音に送られて王宮を後にした。

 そして半魚人が出るという、港町に向かって馬を駆った。

 沿道は溢れんばかりの人だかりで、皆、騎士団に声援を送り手を振っていた。この国の人々にとって聖竜騎士とは英雄なのだった。

 レオンはその末端ではあるが、騎士団に名を連ねることができたことを再び誇りに思い、胸を張るのだった。


 半魚人。隣国では人魚と呼ぶらしい。

 人魚と言うと、人のような魚という意味になるのではないかと、レオンは思う。

 まだ見たことはないが、奴らは人間と同じ姿をしているという。ただし、上半身のみだが。それでも人間の顔を持っているなら、魚というより人間に近いと思うのだ。


 半魚人。これならば、半分魚の人間ということになる。だから、人魚と呼ぶより半魚人と呼ぶ方が、彼らの見かけをよく表しているのではないかと思う。まあ、どちらにせよ妖怪であることに違いはないが。


 などと下らないことを考えつつ、レオンは前方の先輩騎士らを追って馬を走らせていた。どうもまだ頭に靄がかかっているようだ。

 クリストフの屋敷で一寝入りしたかったのだが、結局眠ることはできなかった。剣の稽古をつけてやると言われて、断ることができなかったのだ。


 と、ひと際大きな声援に、はっと我に返る。

 気を引き締めよう。半魚人を退治しに行くというのに、ぼんやりしていては格好の餌食になってしまう。

 彼女らの歌声は、聞く者の心を虜にして木偶人形に変えてしまう。そして深い海の底へと誘われては、命を落としてしまうのだ。これに抗うには、強い精神力が必要なのだ。

 レオンはぶんぶんと頭を振ると頬をぴしゃりと叩き、しっかりと手綱を握り直すのだった。





「火矢の用意はいいか」


 港に到着し、クリストフが騎士たちに向かって確認を取る。一斉に、おうの声が上がった。

 油を染み込ませた布を先端に巻いた数百もの矢、油の壺がいくつも船に積み込まれた。幾十ものランタンは明かりをとる為だけではなく、着火用として甲板のそこかしこに設置されている。


 半魚人は火に弱いという。

 これは噂の域を出ないが、半魚人の情報を集める度に聞こえてくる話だった。レオンも飲み屋の女将から、海に引きずりこまれそうになった男がランタンを投げつけると半魚人は慌てて逃げていった、という話を聞かされていた。

 攻撃に火を用いることは、かなり有効なのではないかと思う。


 そして、半魚人は獲物に男を狙うことが多い。単に船乗りは男であることがほとんどだから、結果としてそうなっているだけかもしれない。浜で襲われた場合、女でも海に引きこまれた事例がいくつもあるのだ。

 クリストフは童貞限定のように言っていたが、それが正しくないことの証明だ。






 クリストフ率いる騎士の一団を乗せた戦船は、満月が登り始めた海に滑るように漕ぎ出した。

 海は静かで、少し赤い月の光がさざ波を照らしている。


「半魚人どもを殲滅する」


 クリストフは船首に立って、前方の月を眺めていた。


「殲滅だ、レオンハルト。一匹残らず根絶やしにしてやる」


 振り返り、目を細めて好戦的に笑うクリストフは、しんと冷たい空気をまとっている。普段の彼から戦闘モードにスイッチした証だと、レオンはゴクリと唾を飲んで頷いた。


「心しろよ、レオンハルト。なるべく貴様の面倒はみてやるつもりだが、出来れば己の身は己で守ってもらいたい」

「殿下、見くびらないでください。俺はもう騎士です。必ず武功を上げてみせます」

「ふん、頼もしいな」


 再び前方を見つめるクリストフの広い背中を、レオンは憧れに似た思いで見つめるのだった。騎士団の長は伊達ではなれないのだ。


――女癖さえ治せば完璧なのに、なんて残念な人なんだろう……


 船は港から少し南に移動し、海岸から百数メートル程の所で停泊した。小さな岩礁の手前、半魚人の目撃がもっとも多い場所だ。そして満月の日は、彼らがよく現れる。

 必ず、今日ここに半魚人が来るはずだと、レオンも騎士団も強く確信している。わざと明明と灯りを付けた船で、ここに獲物がいるぞと誘っているのだから。


 月がゆっくりと昇ってゆく。高くなるにつれ赤みが薄れて白く輝き、海は月光を反射してキラキラと煌めく。

 と、その時、パシャリと小さな水音が真下から聞こえてきた。

 レオンの心臓がドクンと跳ね、騎士たちに緊張が走った。

 ニヤリと豪胆に笑うクリストフが海面を覗き込む間にも、パシャリパシャリと続けざまに水音が鳴った。


「来たな……」


 つぶやくクリストフの視線の先に、何対もの青く光る瞳があった。

 金色の長い髪を海藻のように揺らめかせ、水面のわずか下から人間たちを見つめる、白い美貌。いくつもの、女の顔が浮かんで来るのだ。

 レオンの背に悪寒が走った。

 水に沈んだ血の気の無い顔は、水死人の色をしているのに唇だけは赤く、そして笑みの形を浮かべていたのだ。


 凶々しい笑みだ。美しい女の顔をした、魔がそこにいた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ