第5話 やきもちではないぞ ※イラストあり
マルゴはグスタフの説明をし、切々と主人の身の潔白を訴える。そして、主人はレオンを心から慕っておいでなのだと告げるのだった。
それをレオンは、椅子にふんぞり返り瞑目して聞いていた。もう疑う気など無かったが、いくらなんでもぬいぐるみとは幼すぎるのではないかと、別のイライラが湧いていた。直ぐそばで聞こえる、ティーナのすすり泣きが実にうっとおしい。
嘆願を終えたらしい侍女に、レオンはうっすら目を開け言った。
「マルゴ、この小娘のおしめは取れているのか?」
「まあ! なんてことを!」
マルゴはキッとまなじりを釣り上げて反論する。
「ティーナ様はれっきとしたレディーでございます! いくらレオンハルト様でもそのような侮辱はティーナ様に失礼ですわ!」
「レディー……な。毎夜ぬいぐるみを抱いて寝ているのにか?」
「そ、それはもうご卒業あそばされました……」
「……なるほどねー」
そっぽを向いて無感動に相槌だけし、話を打ち切ろうとした。
嫌味な自分が情けなかった。勝手に勘違いして、大声上げて騒ぎたてのは自分なのだ。赤っ恥を晒した上に嫌味を言う、自分の小者感が全く情けなくてたまらない。
情けないと思うなら、ここでティーナに「勘違いして、怖がらせて済まなかった」と一言いえばよいだが、小者ゆえに意地になって仏頂面を続けてしまうのだった。
――俺は誰に怒ってるんだ? ティーナか、自分か? とりあえずグスタフはかなり目障りだな……
レオンは、マルゴが抱いていたグスタフを取り上げると、しげしげと眺めた。モフモフ感が絶妙にいい感じで頬ずりしたくなる欲求を誘う。抱いて寝るには確かに最適だなと思った。
こいつが毎晩、ティーナの腕の中にいたのかと思うと、ちょっとムッとした。
――別にやきもちではないぞ。
「グスタフゥ……」
ティーナはまだグズグズと鼻をすすっている。
チラリと彼女を見て、レオンはグスタフの頭をボフボフと嬲った。
「ああ……グスタフ」
イヤイヤと頭を振るティーナ。レオンが更にボフボフを続けると、大粒の涙をポロポロと流し始める。
――もっと泣かしてみようか……
グスタフの両手をグイグイと引っ張った。そしてティーナの反応をチラ見しながら、ブルンブルンと振り回す。
「…………あの、レオンハルト様」
マルゴの冷たい視線が、少々痛い。お前、何ぬいぐるみに当たってるんだ、と彼女の目が言っている。
ちっと舌を打って、そら、とグスタフをティーナの胸に押し付けた。
「もう、いい。俺は寝る!」
立ち上がり部屋を出ようとすると、レオンの背中にマルゴが問いかけた。
「どちらへ?」
「ここで寝られると思うのか?」
振り返るとティーナが目に入った。彼女は涙を拭き拭き首をかしげ、そして恐る恐るレオンに近づいてくる。
「レ、レオン様。申し訳ありませんでした。怒らないでくださいまし……」
「……もう、いいと言った。怒ってはいない」
――一人になりたいだけだ。
「でも、出ていこうとなさってますぅ……」
「客間で寝るだけだ」
そう言うと、ティーナは両手を口に当てて、またイヤイヤと頭を振った。
そして慌ててグスタフをマルゴに押し付けると、涙を目にいっぱいに溜めて、行かないでとレオンを見上げた。
レオンは眉をしかめた。
愚かにも剣まで振り回すという大失態を犯し、自己嫌悪の極みなのだ。もう、放っておいて欲しい。
それに、なんで引き留めるのだろうとレオンは首をひねる。普通なら「レオン様ひどいっ! 野蛮よ! 大っ嫌いっ!」となる場面ではなかろうかと思うのだ。
謝罪の一言も言えない奴に、彼女が謝る必要もないと思った。
先ほどマルゴは、彼女が自分を慕っていると言ったが、もしかして本当にそうなのかと思うと、落ち着かずそわそわとしてきた。
「お許し下さいまし……ふ、ふえぇ……もう、グスタフと寝たりしませんから、怒らないで……」
「別にもう怒ってない」
――これ以上恥をかきたくないだけだ。
プイッとレオンは背を向けた。
「ふえぇ……レオン様ぁ、行かないで下さいましぃ」
ティーナが背中にピトっとくっついてきた。柔らかな体温に、レオンはドキリとした。
――まさか、本当に俺のことを?
不思議でならない。昨日出会ったばかりで、ろくに話もしていないのにどうしてだと思う。
ティーナはレオンのジャケットをキュッと握りしめて、ピタリと密着してくる。ペタンコかと思っていたが、どうやら少しは膨らみがあるようだ。
「このまま……ずっと、お側に置いて下さいまし……」
ティーナの言葉にレオンは目を丸くする。聞きようによっては、切ない告白とも取れる囁きに、レオン背中がゾクゾクと震えた。
「……お前を伯爵家に返すつもりはない。これでいいか?」
精一杯、優しい声を出してみた。
「はい……でも、レオン様も行かないで」
「別にどこにも行かないぞ? 客間で寝ると言っただけだ」
「私と、一緒に寝て下さい。一人では眠れないのです……」
――待てぇ! この寝るは、昨日と同じ寝るなんだろう? そうなんだろう?!
「……………子どもでないなら、一人で寝ろ」
「レオン様ぁ……ふえぇ……」
またしくしく泣き出したティーナを、レオンは焦って背中から引き剥がし、マルゴに付き出す。
泣いてる女のなだめ方なんて知らなかった。
「マ、マルゴ、このレディとやらは、俺をぬいぐるみの代わりにしようとしているぞ……」
「申し訳ございません……」
深々と頭を下げるマルゴだった。
――頭下げなくていいから、どうにかしてくれぇー!
マルゴは頭を垂れたまま、そそくさと部屋を退出してゆく。後はお二人の時間です、私は邪魔しませんからと言わんばかりだ。
ティーナは腕にしがみついてレオンを離さない。涙目で見上げている。
「おい、待て……」
――俺を助けろ!
「レオンハルト様。もう夫婦であられるのですから、何をためらわれるのです。もうひと思いに……でなければティーナ様は、お変わりにはなりませんから……レオンハルト様がぬいぐるみではないことを、よーくお教えして下さいませ」
扉を閉める瞬間、少し顔を上げたマルゴと、目が合った。
――やってしまえと言うのか。
――どうぞ、ご存分に……。
パタリと扉が閉まると、レオンはこれまでにない絶望的な孤独感に襲われた。
マルゴの言うように、自分がぬいぐるみではないことを、今しっかり教えておくべきなのだろうが、うまくいく気が全くしないのだ。
このとんでもないレディを、どうやって口説けばいいのだと、途方に暮れた。
――そしてマルゴ、何故グスタフを置いていく……
扉の脇にあるチェストの上に、ちょこんとグスタフは座っていた。
そして、灯りの消えたベットの上で、レオンの肩はティーナの枕にされていた。簡単に振り払えるはずなのに、レオンは全く身動きができないでいる。
叱られて心細くてたまらないと、まるでちいさな子どものように泣くティーナ。
――どうする……どうする……俺はどうすればいい……
もうやってしまえ、妻を抱いて何が悪い、と言う自分がいる。あの侍女も、さっさとやれよといった顔だったではないかと思う。
同時に、こんな子どもに手をだすなんて犯罪じみていると思わないのか、このロリコンめ、と己をなじる自分がいる。
ただじっとして、目だけをランランとさせていると無性に情けなくなってくる。枕元のグスタフに、嘲笑われているいるような気がしてならない。
もうグスタフとは寝ないと言っておきながら、ティーナはベッドの端に彼を置いたのだ。もちろんレオンの顔色をうかがいながらではあったが。
――くそ! 俺はぬいぐるみではないぞ!
意を決して、レオンはティーナの肩を掴んだ。
――ええい! 泣こうが喚こうが、知ったことか!
そして彼女の顔をのぞきこむ。目は唇に釘付けだった。
ティーナの淡いピンク色の唇が薄く開き、チロリと軟らかそうな舌が蠢くと、頭の中でなにが爆発したような気がした。
と、一気に距離をつめ、むしゃぶりつこうとした時だ。
「ピギッ! ………スピピピ……」
場にそぐわない、何かの声。
――……今、子豚が鳴いたか? ってか、お前ぇ! 寝付き良すぎだろぉぉ!?
ティーナはスヤスヤと寝ていた。時折、妙なイビキをかきつつ、幸せそうに寝ていた。
――む、無防備過ぎる……これでは、俺の立ち位置は完全にグスタフと同じではないかぁ!!
レオンはグスタフを部屋の隅に思いっきり投げつけ、ティーナに背を向け横になる。
かくして二連続の眠れぬ夜は、レオンをいたぶるようにのろのろと過ぎてゆくのだった。
イラスト:ふたぎ おっと様
クリストフ「貴様はヘタレか! ドMか? 子豚が鳴いたくらいで萎えるな!」