第2話 余計なお世話だ!
ボーンボーンと廊下の柱時計の音が聞こえてくる。
――クソ忌々しい! 結局一睡もできなかった!
レオンはガバリと身を起こす。もう外は明るいし、横になっていても眠れそうにはない。頭をガリガリと掻いて、ため息をついた。
とんだ災難だとしか思えない。自分の寝室なのに一人ではなく、他人と一緒にいることが、こんなにも落ち着かないことだと初めて知った。
――いや他人というか、一応俺の妻なんだっけなあ……信じられんが。
ぼんやりとため息をついていると、ベッドの上のシーツの塊がもぞもぞと動き、手と頭が生えてきた。
ティーナだ。
目覚めた彼女は、ここは何処かと驚ききょろきょろと部屋を見まわしていたが、レオンを見つけると途端に頬を染めて微笑んだ。
「お、おはようございます、レオン様……」
彼女のはにかむ様子は、初夜明けの新妻ならばかくあらんといった、嬉し恥ずかし初々しい姿だった。寝乱れた髪や夜着が、いかにも秘ごとのあとを思わせる。
あくまでも、思わせるだけなのだが。
そんなティーナをほんの一瞬見つめただけで、レオンの心臓が激しく鳴り始め、身体が熱くなってくる。別に好きでもない女を見て、何を動揺しているんだと頭を振るのだが、普段の社交の場では決して見ることのできない、寝起きのあられもない姿を目の当たりにして、平静でいられるはずもなかった。
それにしても、シーツを引き上げて胸を隠して照れるしぐさは、反則だと思うレオンだった。
――おい! こら! 俺は何もしてないだろうが! 何を全て捧げちゃいましたって顔してんだ! ああ、くそ! そんな顔するんなら、寝てるすきにコトに及ぶべきだったか……
心の叫びは一切顔に出さず、むすりとしてレオンは顔をそむける。
するとティーナが不思議そうな声を上げた。
「あの……なぜ、床に?」
小鳥のように首をかしげていた。
レオンがいるのはベッドの上では無かった。彼女の目の高さよりずっと下、絨毯の上にグシャリとシーツを敷いて、その上で胡坐をかいていたのだ。
――まあ、確かに不思議だろうな……って、ベッドの上が地獄だからだよ! わかれ!
*
「レオンハルト。どうした、目の下に隈ができているぞ」
その男は椅子に座って足を組み、ひざまずくレオンを見おろしていた。薄ら笑いを浮かべているこの体格のいい美丈夫は、レオンの結婚を仕組んた張本人である。
であるからして、当然レオンは恨めしげに彼を見上げている。
レオンは朝一番に彼からの呼び出しを受け、この執務室に通された。そして、掛けられた第一声が先程のものだった。
隈ができたのはあなたのせいです、と言いたいのをレオンは懸命に堪えた。
「寝不足か? なるほど、昨夜は随分と励んだようだな。新妻の味はいかがなものだった?」
男の言葉に、レオンは内心舌を打つ。
彼は、輝くような金髪に蒼い瞳、高い鼻梁に涼しげな目元、非の打ち所のない美貌の持ち主だった。
爽やかに笑って朝から下品なことを言うのは止めてくれ、とレオンは思う。いや下品はいつものことなのだが、今日のからかいだけは頂けない。
なにしろ、レオンは彼が想像したようなことは何一つしていないのだ。
――新妻の味だと? そんなもの知らんわ!
ここで何もしていないと言っては、女を前にして臆したと取られかねず、口にすることはできなかった。それは自分のプライドに関わる。
決して臆した訳ではない。臆してなどいないのだ。
ティーナが夜伽を全く理解していなかった為、やむなく断念しただけなのだ。
ならば手とり足取りお前が教えてやればいいと、この男なら簡単に言うだろうが、レオンにそんなプライベートレッスンをする余裕などあろうはずもない。
なにを隠そう、レオンはまだ一度も経験がなかったのだ。
スキルゼロを本能と若さとやる気でカバーするつもりが、マイナススキルの前に儚く敗れ去ってしまったと言うわけだ。
「殿下……一体何のおつもりでこのようなことを仕組まれたのですか?!」
「いや、そろそろ童貞卒業時期かと……」
「要らぬお世話です!」
「ほっといたら、貴様は剣ばかり振り回して、一生独り身のまま大賢者になりかねないと思ってな」
「何が大賢者ですか! 本物の賢者に失礼です。殿下!」
「昔のようにクリストフと呼んではくれないのか? それから、貴様はいつも突っ込み所がずれている。ここは、童貞なんかとっくに捨ててやったぜ、と叫ぶところだぞ? まあ、私に突っ込みを入れるよりも新妻に突っ……」
「殿下ぁぁ!!」
レオンは、顔を真っ赤にして遮った。腹が立っていた。
――この超女好きのエロ魔人め! あんたにボケツッコミを教えてもらうつもりなんかないわー!
目の前でニヤニヤしているこの男は、見た目の良さと地位の高さを利用して、三桁に迫る数の女を、それこそ侍女から町娘、貴族の令嬢に夫人まで、手当たり次第に食い散らかしているというどす黒い野獣なのだ。
そんなやつに自分の将来、主に下半身関係を心配されたくもない。
尊大に足を組んでレオンを見下ろしているのは、王弟クリストフ、聖竜騎士団の指揮官だった。レオンの上官にして、叔父にあたる人物でもある。
「で、レオンハルト。貴様はさっきから何を怒っている?」
「だから! 昨日、いきなり結婚させられたことです!」
「ああ、それはだな、例の半魚人が目障りだからだ。知ってるか、ヤツら商船だけでなく、戦船にも手をだしてきた。被害が拡大する一方だ」
「それは聞いています」
レオンはとりあえず、冷静に答える。
だが、話しが見えない。まるっきり見えない。ムカつくほど見えない。
こっちは結婚を押し付けてきた理由を聞いているのだ。半魚人のことはどうでもいい。
「で、本格的に妖怪征伐にでることにした! 貴様もついてこい」
「はい……」
この聖竜騎士団の指揮官閣下が、騎士となったレオンに命令を下すのは当然である。だから、返答に否やはない。
――だが、今は半魚人ではなく結婚のことをきいてるんだ! まったく、いつもいつも、ポンポンと話を飛ばして……話題を逸らそうってつもりか?
そうはさせるかと、レオンは質問を繰り返す。
「……で、それと俺の結婚になんの関係が」
「分からんのか?」
「分かりません!」
――エロ魔人の考えることなんか、分かってたまるか!
クリストフはわざとらしく大きなため息をつき、身を乗り出してレオンを覗き込んた。
「半魚人だぞ? 魅惑の歌声で男を水底に引きずり込む妖怪なんだぞ?」
「だから?」
「童貞が餌食になるということを、貴様は知らんのか?」
「……ああー、なるほどー、それでー」
レオンはへえぇと無表情で台詞を棒読みする。
途端に、キラキラと無駄に華やかな笑みを浮かべるクリストフだった。
「貴様を案じる、この親心をやっと分かってくれたか」
――あんたいつから俺の親になった! 俺の為に……って、そんな訳ないだろうがぁ! 老若男女関係なく被害にあってることくらい俺は知ってるぞ! 嘘をつくな、嘘を!
ギリっとクリストフを睨みつけた。
「殿下……お気遣いはありがたいですが…………童貞云々は全くの迷信です」
「しかし、リスクは減らしておくに越したことはないだろう? で、昨夜はちゃんとヤった?」
クリストフにヘラっと笑われて、レオンはビクリと肩を揺らした。
王族のくせに、どうしてこうも下品なのか。勘弁してほしいと思うのだった。
「そ、そのようなこと、殿下に申し上げることではございません」
「ああ、そう。じゃ、今夜こそヤっとけよ。明日、出陣するから」
――…………何故、バレてる。