第1話 どうしてこうなった?
――訳が分からない! 何故こうなった?!
今、レオンは目の前でカチンコチンに身を固めてうつむいている、小柄な少女を見つめて呆然としていた。
少女はさっきからずっと俯いたままで、どんな表情をしているのか分からないのだが、レオンにとってはどうでもいいことだった。
それよりも、この部屋に彼女と二人きりですぐ横にベッドがある、そのことが問題だった。
時は夜。
何故か照明は薄暗くほんのりピンクで、何故かムーディーなお香なんか焚いてあって、何故かベッドカバーの上に赤いバラの花びらがハート形に並べてあったりなんかする……。
いや、何故かなどととぼけるのはやめよう。まあ、そういうことだ。これは初夜というヤツだ。
分かってはいるが、レオンは途方に暮れるのだった。
少女はもじもじと両手の指を絡ませ、そしてちらりとレオンを見た。
緑色の大きな潤んた瞳。
その瞳に見つめられた瞬間、レオンの心臓がバクンと破裂しそうになる。胸に正拳突きを食らったかと思った。
――おい待て、小娘! お前、なんでそんな恋する乙女な顔してるんだ! ここは、嫌がるところだぞ!
血の気が引く思いがした。
今朝、目覚めた時は史上最年少の聖竜騎士に任命されるという栄誉を受け、晴れがましい思いに満ちていた。
友人共が遊びだの恋だのにうつつを抜かしている間、自分は寸暇を惜しんで剣の技を磨き、鍛錬を重ね、勉学に励んて来たのだ。この自己研鑽の結果、今日という十六才の誕生日に栄光の騎士の資格を得るに至ったのだ。
なんと誇らしいことかと、レオンは思う。夢かない、最高の気分だった。
それが今はどうだ。情けなく萎れた朝顔の気分だ。
任命式の後、意気揚々と祝賀会に出席し、祝いの言葉と杯を受けた。そこまではいい。ほろ酔い気分の夢心地でいるうちに、どこぞで何やら後ろ暗い話がついていたようで、あれよあれよと言う間に薄暗い寝室によく知らない少女と二人きり。
何故にこうなったと、思わずにはいられない。
――俺に、どうしろと……。
ふわわんとお香の香りと共に、少女の髪の匂いが漂ってきた。
再びドクンとレオンの心臓が脈打ち、そわそわと落ち着かなくなる。
つい先程、一緒にこの部屋に入る時に嗅いだ、爽やかな柑橘系の香油の匂いだった。その時は色気のない、子どもっぽい香りだと思ったのに……。
――これからどうするって、そりゃあ初夜なわけだし、あーしてこーして…………って違うっ! そこじゃないっ!
むっつりと口をつぐんだまま、レオンは心の中で喚き散らしていた。
――なんでこんなことになったんだ?! おかしいだろう。この痩せっぽちのちびっこが、俺の妻なんて! 妻! 妻ってこの小娘がか! どう見ても十二、三くらいだろ! まさかもっと若いなんてないよな……。いやいやいや、そこじゃない。グラマーならいいとか、美人ならいいとか、本当は年上が好みだとか、そういうことを言ってるんじゃない。顔を合せてから、まだ十時間も経ってないのに、初夜というのは、どう考えてもおかしいのだぁ!
レオンハルト・フォン・グライツ。
剣の腕を磨き騎士になることにのみ、全ての情熱を捧げてきた少年は、今日神の御前で強制的に愛を誓わされ、妻を持つ身になってしまった。
年齢のわりに大人びた顔と雰囲気を持つ彼だったが、それでも十六になったばかりの少年だ。結婚など別世界の話であり、それがいきなり我が身に降り掛かってくるとは、天地がひっくり返る程の衝撃だった。
気がつけば、彼は握った拳をフルフルと震わせて、彼女をにらみつけていた。もちろん、怒りの矛先は彼女ではない。むしろ彼女も自分と同じ、彼の気まぐれの被害者だと思っているのだが、彼女が一言嫌だと言っていればこうはならなかったのでは、と思うのだ。
「……アルベルティーナ、だったな」
少女にかける声がかさかさに掠れていて、自覚する以上に緊張し動揺していることに気付かされた。
が、レオンは依然と表情を変えずに少女を見つめる。
彼女はピクリと肩を震わせ、恐る恐るまた顔を上げた。戸惑いが透けてみえるものの、不思議なことに彼女の顔は、嬉し恥ずかしと瞳が潤み、頬も桜色に染まっているのだ。
――いや、だから、赤くなるなって……。いきなり、初対面の男と一緒にベッドルームに放り込まれたんだぞ、ここは青くなるのが普通じゃないのか?
レオンは眉をしかめた。彼女の反応がどうにも理解できず、動揺がさらに強くなってしまう。
ゆっくりと少女の口が開く。
「はい……あの、ティーナとお呼びください、ませ」
彼女もかなり緊張しているようで、声が震えていた。
「ではティーナ、何故拒まなかった?」
「え? 何をでございましょう?」
きょとんと首をかしげ、目を瞬いている。すっとぼけているのかと、レオンがにらみつけると、不安げに頭を振った。本当に何のことか分からないといった顔だ。
――こいつは、天然か? 自分の置かれた状況が分かってないのか?
ゴホンと咳払いをして、彼女の問に答えてやる。
「……俺との結婚をだ」
「まあ、拒むだなんて…………父から決して「はい」以外の返事はするなと……」
「もう、いい!」
レオンは彼女の言葉を途中で切って、ガンとテーブルを蹴った。ティーナの息を飲む声が聞こえた。怖がらせてしまったようだが、だからどうしたと思う。
分かってはいた。彼にはめられたのだ。もしも、この策略に自分が気づき逃れようと足掻いたとしても、この結果になるように仕組まれていたのだろう。
――全く、余計なことをしてくれるお方だ!
レオンは腹立ち紛れに、バラの花びらを撒き散らして、ベッドに仰向けに寝転んだ。
開き直るしかない。覆せるはずもないのだから。こうなってしまってはさっさと諦めて、なるべく今までの生活を変えずに済む方法を考えるしかあるまい。
とりあえず相手はちびっこだし、自分のペースでこれまで通りやっていけるのではないかと思う。
そもそもこれは、あの方がお膳立てした結婚であり、ティーナは小娘とは言えカレンベルク伯爵家のご令嬢である。今更、彼女を突き返すことなどできないのだ。
レオンも伯爵家の息子ではあるが、相手の家の方が数段格上だ。そんなことをすれば、あの方と伯爵の怒りを買うのは分かりきったことだ。受けたばかりの騎士の称号を取り消されるだろうなと、レオンは苦笑いを浮かべた。
「……あの、レオンハルト様」
「レオンでいい。経緯はどうあれ、今夜から我々は夫婦らしいからな」
ため息混じりに、半ば嫌味っぽく呟いた。
「はい、レオン様」
おずおずとティーナがベッドに近づいてくると、途端にレオンの心臓が激しく鳴り始めた。自分でいった夫婦という言葉が、頭の中でグルグルと回り始める。
――今夜から夫婦、今夜から……今から……
このちびっこを誘うつもりでベッドに寝転んだ訳ではないのだが、彼女は恥じらいながら寄ってくるのだ。そして目の前まで来て、レオンにチラリと視線をくれた後、また頬を染めてうつむいてしまった。
おいでと呼ばれたので来ました、というこの雰囲気は……やはりGOサインと受け取るべきなのだろうか。
どうせ形ばかりの結婚だろうし、無理に閨を共にしなくてもいいと思っていたが、向こうがその気であるなら拒む理由はない。
いいのかちびっこのくせに、本当にするのか俺、とバクバクとうるさい心臓とは裏腹にレオンは仏頂面を続けている。
寝そべったままでいいのか、一旦起き上がった方がいいのかと、どうでもいいことで悩んでいると、ティーナがベッドに腰掛けて微笑みかけてきた。
「……仲良くして下さいませね」
そう言って、シーツの端をめくった。
レオンの心臓は跳ね馬のように暴れだしていた。
――み、見かけより、大胆な娘だな……
ゴクリとツバを飲んだ。
ティーナは不美人ではないが、十人並みの娘で身体つきも貧相なのだが、今からあれやこれやすると思うと、レオンの身体は自然と熱くなってくるのだった。
恋をしているわけでもないのに、しっかりと身体だけは反応するというのが、どうも頂けないとレオン自身思うのだが、己の意思ではどうにもできない部分でもある。
「ああ」
ぶっきらぼうに答えた声がひどくハスキーで、自分で自分の声にドキリとした。
レオンの返事にティーナは満足したようで、またニッコリと微笑んだ。
「あの……この灯りはもう消して良いでしょうか」
――も、もう始めるのか? いいのか? 本当にいいのか? いや、いいと言う合図なんだよな? そうだよな……いや、でもちびっこだそ。ちびっことそんなこと、いいのか……?
「……ああ、消していい」
ティーナが、ふっとランプの灯火を吹き消すと、部屋に夜の闇が立ち込めた。耳の奥で鼓動が、やたらに大きく聞こえる。
シャワシャワと衣擦れの音がするのは、ティーナが羽織ものを脱いだからだろう。下はかなり透け感の強いネグリジェだ。少女趣味なデザインなのに大きく開いた襟ぐりが煽情的で、おまけに胸元のリボンが緩んで解けそうになっていた。さりげなさを装ってチラ見して仕入れた情報だ。
ティーナが、そっと横たわった気配が伝わってくる。
まだ目が暗闇に慣れていなかったが、じっとしていられなくなったレオンは半身を起こし、ティーナの方をじっと見つめた。
じわじわにじり寄り手探りで彼女を探すと、ほんの数十センチの所に細い腕を見つけた。
まずは何から始めるべきかと戸惑いながら、そっと彼女の肩から指先にかけてなでおろしてゆく。
レオンは彼女の素肌の感触に、何とも言えない胸のたかなりをおぼえた。
「レ、レオン様?」
「……なんだ」
レオンの手は、彼女の手の甲で止まっていた。
「あ、あの……私と、手をお繋ぎなりたいのですか?」
「…………は?」
思わず、間抜けな声が出た。
「嬉しいです……」
「え? あ、いやまあ……」
この女、何を言っているのかと言葉に詰まった。どうも自分が思う展開とは、ズレがあるように感じた。
ティーナはそろそろと恥ずかしそうに指を絡めてくる。
――ほ、細い指だな。すぐに折れてしまいそうな……
まあこれはこれで、なかなかいい雰囲気になったような気がする。手を繋いでその次は、やはりキスだろうか……。鼻息も荒く、レオンはこのまま引き寄せて抱きしめてしまおうと、ギュッと手を握った。
と、ティーナが囁いた。
「おやすみなさいませ、レオン様。不束者ですが、明日からよろしくお願いいたしますね」
「………………は、い?」
――いや、待て待て待て。ちょっと待て! 明日から? では今夜はどうする?
これは閨での、なにをなにして……を拒否するということなのか、さっきのどうぞ召し上がれ的な雰囲気は何だったのかと、レオンの頭は混乱を始めた。
「ティーナ?」
「はい、レオン様」
「やはり、俺との結婚に不服があるんだな?」
「まあ! 不服だなんて……レオン様の妻になれて嬉しゅうございますのに」
「……では、不服もなくベッドに入ったということは、俺と寝る気があるということでいいんだな?」
「……? はい……今、ご一緒に寝ようと……。今日は疲れましたし、なんだか眠たくて」
――いや、その寝るじゃねぇってー!!
少し闇に慣れてきた目に、きょとんと首をかしげるティーナが見えた。邪気のない、純真とも言える瞳でレオンを見つめ返してくる。
これは駆け引きとか、じらしではないかもしれないと思うと、悪寒が走った。
――ち、ちびっこだ。こいつ、頭の中も本当にちびっこだ!
「テ、ティーナ?」
「はい?」
「………………」
――ばかな。嘘だろ。確かに俺たちに愛はない! なにしろ、出会ったばかりだ。だがしかし! だがしかしだ! この状況で何もしないで、おやすみなさいはないだろう! はめられたとはいえ、一応夫婦になったんだろ。一回くらい、やることやってもいいんじゃないのか!? じゃなくて、する気ないなら先に言え!
心の中では思い切り叫びまくっていたが、口に出しては一言も言えずにレオンは固まっていた。
「おやすみなさいませ、レオン様」
同じ言葉を繰り返すティーナは、何だか嬉しそうにはにかんでいる。
「………………」
ティーナは、レオンの手をキュッと握り返して目を瞑った。
――おい……お前、これで本気で寝る気か? 眠れるのか?! そんで、なんで俺の手を握って離さないんだ! 何考えてんだ!! どうしてくれるんだ、これじゃおさまりがつかないって分からないのか!
レオンはギリリと奥歯を噛む。ここは勢いでやってしまうべきか、それとも彼女の真意を知るべく語り合うべきか……思い悩むのだった。
しかし、ティーナの無邪気な声にまた問いかけられて、思考は停止した。
「レオン様? まだ寝ないのですか?」
彼女は拒否しているのではない。レオンを嫌っているのでもない。ただ、初夜の床で何をすべきかを知らないのだ、とはっきりと理解した。
「…………寝る」
もちろん朝まで眠れなかった。