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カメの恩返し  作者: ばけのかわ
6/19

お洒落な街で食べるサバ味噌煮は美味いか?

 「ブルーグレイ、悪くない。シルバーアッシュ、良くない。ダークグリーン、なかなか。歳の割には落ち着いた色が合うから、それを基調にして……」


 小町は、店員の方が奥から持ってきてくれたスーツを俺に着せ、姿を鏡に映し、自身もまた様々な角度からスーツ姿の俺を点検しては、ブツブツとなにやら呟いている。

 目つきは真剣で、時々、何かを確かめる様に俺の背や膝に触れては、店員さんと「色映えはしますが、顔映りは良くないですね」などと言い合っている。


 その真ん中に置かれたスーツ姿の俺は、まるっきり生贄だった。

 何の呪文を詠唱しているのだろう。


 自分から入ろうとしたら、入り口の時点で俺の心のシャッターが閉まるか、警備員さんに首根っこを掴まれて表にポイ、と投げ出されちゃいそうなデザイナーズファッションストア、そこの鏡に映る、ほとんど五年ぶりくらいにスーツに袖を通した俺は、場違いどころか、頭の良い猿が騙されて服を着させられているみたいだった。

 一方の小町は、人前に出る用に拵えたパンツスーツに、春らしい薄橙のコートを合わせ、明るい赤のバッグを肩から下げていた。

 あっ、映画『キングコング』に、こういうシーンあったな?

 美女と、それに惚れる類人猿の話。


 しばらくやり取りをしていた後、結局小町はダークグリーンとネイビーブルーのスーツを二着、俺のために選んだ。

 サイズを測ってもらい、裾を直してもらう手配をし、出来上がり次第、俺の家に届けてもらうよう頼むと、バッグから現金を取り出して支払いを済ませた。

 俺の半年の稼ぎよりだいぶ、多いように見えたが直視するのを止めた。

 考えるのもやめたかった。


 なあ、カメに服を買ってもらう人生って何なんだ、世界では毎日毎日ヤギを追い薪を拾わなきゃ生きていけない少年がいるのに、マジで何なんだ俺は一体なんなんだ。


 スーツの支払いを済ませた小町は途方に暮れ人生の黄昏に暮れている俺の方へ振り返ると、心の底から楽しそうに言った。

「さ、次はシャツ、ネクタイ、ベルト。それからお昼を食べて、後は靴下、日が暮れる前に靴も選びましょうね、タクミ様」

「いえす、まむ」


 断る術は、我が手にはない。



 事の発端は、コースケが帰った後だった。

 小町は、コースケ関連については敢えてなのか、一言も言及せず、ただ、いつもヨレヨレのジャージかジーンズで過ごしている俺にダメ出しをしてきたのだ。

「人間、スーツさえ着ていれば大抵なんとかなります。中身じゃない、心だと言う以前、身だしなみが清潔であれば、人に与える印象は良くなります。でしょう? どんな童貞でもスーツを着れば就活してますアピールくらいは出来ます。分かりますか、タクミ様」

 分かりますけど分かりたくないです。

「でもさー、そのさー、就活してますアピール? とかさ、俺がブランド物なんて身につけたってブランドに着られてるって言うか、むしろ田吾作ダンディになって手が負えなくなっちゃうんじゃないかなーって、思うんですけどー」

「それは、服を選ぶ人によります。タクミ様の様に、自分のセンスに自信が無いと言い訳をして身の回りについて考える事を放棄して、適当なセレクトショップに入ったは良いものの、そこで気後れしてへらへらと誤魔化し笑いを浮かべているうちに、店員が押し付けた服を、自分の頭で良し悪しを考えずに『言われたんだから良いんだろう』とか思って買ってしまう人が陥る姿です」

 言葉を選んでよ! 少しは!

 俺、サンドバッグじゃないから!

 正しいからって、言って良いことと悪いことがあるでしょう?!

「でも、お金が無いし……」と、水気の無いキュウリっぽくなりながら俺が言葉を絞ると、小町は抱きしめるように俺の両肩を掴み、目を覗き込んで来た。

 近いって!

 吐息を感じた。

 うわ、何かこんなシーン、見た事ある。

 あ、口づけして、舌を引っこ抜く鬼ババだ。

 山岳地帯の伝承の。

 もしくは、ドラマのラブシーン。


「それでは」あ、違った。小町は真っ直ぐに俺を見て、言った。「私財に余裕さえあれば、タクミ様も、身だしなみに気を使って下さいますか?」

「え」

 小町の翠かかった瞳に、歪んだ俺の顔が写っていた。「そりゃ、まぁ、その」

「や、く、そ、く」水気を含んだ唇が、大きく動いている。「して、下さいますか?」

「します、です」


 すると小町は表情を一転させコロリと笑みを浮かべると、そのまま小さく俺を抱きしめた。

 え?

 一瞬の後、小町は俺から身体を離して座卓を組み、ノートパソコンを広げて座椅子をセット、座り込んで画面に見入った。


 え。今の、ハグ?

 良い匂いした!

 今、一瞬だけどすっごい良い匂いした!

 ていうか俺、人生初ハグじゃね?!

 胸におっぱい当たった、当然服とブラジャー越しだけど信じられないくらいやわっこかった、小町の耳の裏、何か甘い匂いした!

 何あれ、なんかもうズルくない?

 柔らかすぎだろ!


 俺の人生は、俺の個人史は、今ここで、爬虫類によって書き換えられた。

 もう一段階、或いは二段階先を、と望んだ俺を、俺は認めない。認めてたまるか。


 童貞特有の、第二種異性遭遇(第一種が手を繋ぐ)に対して変な暴走を起こした俺を尻目に、その日から、小町は眠らなかった。

 否、睡眠時間を極端に削り、四六時中パソコンのディスプレイと対峙して何やら作業を始めた。

 長い黒髪をうなじの少し上で括って上下ジャージの理系的臨戦態勢、夜は布団を被りながらも画面に向かい続けた。水を大量に補給しながら。


 一度、後ろから覗き込んで見たが、何やら意味のわからぬバイオグラフィーの様なものだとかリアルタイムで変化する数値、幾つものウインドウが開かれては最小化を繰り返していて、後は何が何やら分からなかった。

 更に俺から携帯電話を取り上げ、バイトに行く際は公衆電話から連絡するよう厳命し、キーボードをタンタカタンとリズミカルに叩きながら、時折電卓でも計算をし、何やら携帯電話も使いつつ、何処かの誰かさんと連絡、情報交換などしていた。時々、明らかに日本語ではない言葉が飛び交っていた。

 食事は、出来合いのもの、スーパーの惣菜などに変わったが、どうやら栄養価と食費は計算されていた。

 逆に俺が久しぶりに自炊、パスタなど茹でても小町はカロリーバーや栄養ドリンクなどしか口にしなかった。

 傍にミネラルウォーターを置き、完全に画面の虜となっていた。


 その馬車馬の如き働きっぷりは、俺がバイトで疲労困憊して帰って来ると、眉間に一生取れなくなるんじゃないかと心配になるほど深いシワを刻みつつ、「おふぁえりなふぁいまふぇ」と、顔だけ向けて答えて、後は無言になるほどだった。

「疲れてるだろ、少し休みなよ、布団敷くよ。あ、肩、揉もうか?」などと尋ねても

「らいじょうふれふ」という、呂律の怪しい返事が返って来るだけで、おーい、ご主人、少し寂しいぞー。


 ついでに言えば、携帯もパソコンも無いとエロが手に入らないから猛烈に寂しい。

 このままだと、こっそりソレ関係の雑誌を買ってトイレに籠る羽目になる。

 うぐぐ。小町が人になって以来、気を使う毎日にかまけて、そっち方面に疎くなっていたが、相手にされていないと何故かエッチな気分が再燃してきた。何しろ掃除洗濯を俺がしているのだ。すなわち小町の下着を洗濯機から取り出して干すのが俺。ワイヤーブラ、タンガを干す童貞、此処にあり。

 苦しいです、サンタマリア。

 しかし、女と一つ屋根の下で自慰に困るってどういう状況なんだ。色々とタイトロープすぎるだろ。現代の病んだ若者として夜の番組で特集してくれ。現代クローズ・アップ。


 完全に主従が逆転している気がしたが、今、どんなツッコミを入れても水飲み鳥よろしくコクコク頷くだけだと容易に想像できて虚しい。

 帰り道、元日に出会った子猫は、あれから数日通って餌を差し入れして、眼は開くようにまでなっていたが、ある日を境に姿を消した。治ったのか、襲われたのか。

 何か、無性に泣きだしたい気分だった。


 そんな、小町が過労死寸前の馬車馬状態に突入して一ヶ月、大盛り上がりを見せる聖ヴァレンタインは「おめでとうございます あなたの小町より愛を込めて」という考える時間二秒で書かれたのであろうルーズリーフとキシリトールガムが机の上に置いてあるだけで、何これ、プレゼントって言うか配給? 何の日だか目眩がしつつも俺に関係なく世界は進み、更に半月経って春一番が吹き梅がほこんだ頃合だった。三月の足音が、不吉な軍靴が鳴り響いていた。

 ハーケンクロイツ!


 暖かくなり始めていたのに空気の読めない爆弾低気圧が、っていうか空気そのものが冷たくなって夜勤が厳しい。俺はダウンにマフラーで出勤、朝の光眩しい帰り道に、放置プレイの為にあまりもののおでんを買って玄関のドアを開けると、座椅子の横にぐったりと倒れた小町がいた。頬に陽が射していた。


 ……この、馬鹿カメ!

 理由も話さずに無理ばっかしやがって! どいつもこいつも心配ばっかりさせやがって!

 おでんを放り出して靴も履いたまま、首元に齧りつく様にして抱えあげた。「小町! おい、小町!」

 平手で、数回頬を叩いた。

「小町! しっかりしてくれよ! 頼むよ、おい!」

 ん、んん、と口元が動いて、眠たそうな瞼が明いた。

「あ、あぁ、おかえりなさいませ、タクミ様」

「ただいまだ、バカ」

 愛おしいんだか面倒くさいんだか分からないカメを、眼を覚ました小町の頭を強く抱きしめた。

「あれ、どうしたのですか、まさか添い寝でもして下さるのですか?」

「アリエナーイ!」

 なに、マジ何コイツ、なんで起きて早々フルスロットルなの?

「君、無理しすぎだから。体調、大丈夫なのか」

「あ、ああ」小町は俺から身体を離すと起き上がった。「大丈夫ですよ。目標額にようやく到達したものですから、つい、気が緩んでしまって」と言ってペットボトルの水をコクコクと一気飲みした。

「ふー。人生って、この為にありますよね」

「ミネラルウォーターに賭ける人生?!」安上がりだなー。いいと思うけど安いなー。そして人生では無いよ小町くん。君は人型であるがカメだ。言葉の使い方を誤ってはイカンよ。「て、目標、がく、ってナニ?」

「あ、すみませんすみません、嬉しくってつい。えっと」とペットボトルを置くと立ち上がり、後ろでくくっていた髪をほどくと、部屋の箪笥からゴソゴソと俺の通帳を取り出した。

 え。

 普通にバレてるの? 貴重品の類のありか、変えたのに?

「タクミ様も、先日、御給料日でしょう、記帳、しに行きませんか?」

 このカメに手際などで勝てる日は来るのだろうか。


 しかして、五十万円程が入っているはずの通帳に記帳された残高を見て、俺は「シェー!」と叫ぶ羽目になる。

 そこに記帳された数字は、六、いや、ほぼ七百万円?


 うわー。

 一生、遊んで暮らせるな。

 一生が二日くらいで終わるなら。

 なんだ、この凄まじい金額。

「あんまり大声で言えない仕事とかばかりでしたけど」震える俺に小町が耳打ちする。「ブックメーカーとか、色々。あ、大丈夫ですよ、タクミ様が使っても、なんら差しさわりのない出どころの物です」と言って、背を逸らして少し伸びをした。「あー、疲れるんですね、お金を稼ぐのって」


 俺の労働意欲を完全に殺す気か、君は。

 なんだその小遣い稼ぎ感覚。鼻毛抜いたろか。

 普通は稼ぐ、と言う事は「疲れる」の一言で済まんのだ。

 下げたくない頭を下げて、傷つけたくない心を傷つけて、額に汗して関節を壊して、胃に穴を開けて不眠症になって。

 上司や先輩、同僚の御機嫌をして、通勤ラッシュに揺られて、ノルマに命をかけて、嫌な相手でも媚びへつらって、背に腹は代えられなくて、あちらを立てればこちらが立たずで、それでも、とかしゃあないやないか、と言って己の食べて行く場所を、日常をようやく確保する。

 やらない理由は千もあって、けれど、やる理由は一つだけ、生きるため。それが普通なんじゃないのか。嗚呼、違うのか。

 だって、あげつらったけど、俺、全部やれてないし。逃げ回った挙句の、やりたい事も特に無いフリーター人生だもの。

 それでも一丁前に恨み事は言うさ。

 歌います、「恨み節」。


 それでも時間は勝手に流れていく。

 時間も自然も、俺の都合なんざぁ関係なく流れていく。


 かくして、打ち出の小槌をチョイと振る感覚で小金持ちになってしまった小町は、チュニックだのなんだのとオフィスレディじみた小奇麗な衣装一式をそろえると満面の笑みで俺の衣服その他を調達すべく、万年冬眠中の熊だった俺をオサレな街へと駆り立てたのである。

 何が楽しいのだかさっぱり分からぬ、むしろ他人の服を見立てるなんて高難度罰ゲームの類に入ると俺は思うが、小町はいつにもまして肌をツヤツヤにして楽しんでいる。

 君の主人は身も心もカラッカラだけどな。


「さあ、シャツ、シャツですシャツ!」

「一回言えば分かるよ」

 見た事が無いくらい浮足立った小町にコートの裾を引っ張られつつ、表参道を歩く、人生裏街道しか通った事のない男。ガラス張りのビルが昼の日差しを乱反射して、さっきから眼が痛い。


「タクミ様、他人の稼いだ金で洋服を選んでいただいているのに随分とお疲れですね」

「立ち直れなくなるからやめていただけますか……」他人と言うか他亀ですけど。言葉に刺があるならば、もはや俺は銛を何十と打ち込まれた鯨である。メルヴェルなら文学作品にしてる。グリーンピースが黙っちゃいないぞ。

「私、夢だったんです、好きな人と、こうして好きな街を歩くのが」

 それを、こんな形でしか叶えられない男で良いのか。耳の奥、血が流れているのを感じる。

 他の国々の方から「漫画とアニメの国の人」と言われてて良いのか。ソレは別に良いけど。なんか違うと思う。俺は。エコノミックアニマルの方がまだマシだ。

 あんまりフル稼働させていない脳みそが間違ったタイミングで最大出力してしまい、何だか本当に目まいがしてきた。

「あ、あら、大丈夫ですか、タクミ様?」横にいた小町は、浮かれ気分を吹き飛ばして心配顔になっていた。

 違うんだ、俺は、君に。

「ごめんなさい、私ってば、すっかり浮かれてしまっていて。休みましょう? 慣れないところで無理をさせてしまって、すみません」

「いや、そんな」

 そんなんじゃない。俺は、何もかも君に負けているのが嫌なんだ。君が不憫なんだ。

 俺は、今の俺に、嫌気がさしたんだ。

 そんな俺の手を取って、小町は導く。「一休みしましょう、タクミ様の気が休まるまで。ホラ、そこのオープンカフェで」

「おーぷんかふぇぇぇ」


 喫茶店にも入れない気の毒な男性を、いきなりオープンカフェに入れちゃダメだって。

 サバ味噌煮とかメニューに無いでしょ。

 サバ味噌煮、食べたいなぁ。


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