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カメの恩返し  作者: ばけのかわ
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ああ、ウチにスーツはあるのだろうか

 俺は物事なり事象なりを見て、観察して調査して学習して、それについて何か分かった気がしては、後に、その「分かった気」は、ただの幻想と思い込みと、小さな根拠を足場に作ってしまった巨大な自信だったのだ、と反省することを繰り返していた。

 つまり、何か分かった気がしている時が、一番危ないんだってこと、だと思う。


「すこしぐらゐの仕事ができて

 そいつに腰をかけてるやうな

 そんな多数をいちばんいやにおもふのだ」

 かの宮沢賢治先生は、そう言っていた。



 午前八時の陽射しは少しトゲがある。

 形容の仕方が難しいのだけど、午後の日差しが下流の小石のように、流水に削られ丸くなっているのだとしたら、午前の陽射しは上流の岩石、まだ研磨を受けていない剥き出しの険しさがある。

 そして、俺に向けられた小町の視線は、もっと刺々しかった。


 夜更けに自分に知らせず俺が外出したこと、おまけに飲んだくれの友を連れ帰ったこと、深夜に吐瀉物まみれになってきた事(洗うの、大変なんですよ!?)、友達が終電をなくし、結局泊まっていった為に二人の逢瀬がダメになったこと、それらを纏めて視線だけで人が殺せる目つきで俺を睨んでいる。

 責められる理由、最後のはおかしいけどな?

 逢瀬の事実なんて、虚空の果てにしか無いぞ。


 おまけに小町の存在など知る由もないコースケは、昨晩から脱いでいないので皺の寄ったワイシャツにズボンという出で立ちで、膝下に畳んだスーツとネクタイを置いて、水も朝からたらふく飲んで(ああ、六甲の天然水だよ)、酔いは抜けたはずなのに、なにやらヌラヌラと湿った視線で小町を舐めまわしていて帰る様子が皆無だ。

 小町は小町で、コースケに面と向かっては爽やかな笑顔を絶やさぬものの、コースケの首が俺の方を向いた瞬間には般若、修羅の形相でコースケに殺意と、俺に「後で話があります、早くお友達をお返しになりやがれバカ主人」と訴えている。

 後で「タクミ様、少しよろしいでしょうか?」とか言われて、正座させられて説教されるんだろうなぁ。

 小町は般若かと思ったが、クルクルと回る鬼神のフェイス、三つの顔を持つ阿修羅だった。


 俺の方はと言えば、昨晩、吐瀉を浴びながらもとりあえず酔い潰れて動けないコースケを我が家に連れてきて、ジャケットだけでも脱がせて俺の布団に寝かせ、自分は台所に窮屈に座ったまま目覚めた小町の鋭い視線とモノ言いたげな口調を奥義・「まぁまぁ、まぁまぁ」と「とりあえず親友なの、寝かせてやって」とようやくかわし、コースケを一晩泊めたは良いが、今度は小町の存在をコースケにどう説明したものか、と言うセンター国立二次試験並みの難問にぶつかって心が四苦八苦していた。


 なあコースケ、お前がイヤラしい妄想を逞しくしている相手は、二週間前までは仏頂面のカメで、現在はサディスティックな構ってちゃん撫子だぞ。

 マジでマジで、やめておけって。



 コースケ。

 俺の一番の親友にして一番の宿敵である男だ。

 コースケとのファーストコンタクトは……実は、あんまり覚えていない。強いて言うならば、薄かった。高校で、同じクラスだった。

 高校生だったのだ。

 分かるだろ?

 だいたいが、寝る時間以外と寝ている時間もかなりの時間、女の子とエッチな事をすることしか、考えていないのだ。男友だちとの友情など二の次三の次、女体の事で頭がいっぱいだったのだ。

 で、五月初旬、忘れてはならない黄金週間前、来るゴールデンウィークに高校で新しくできた友達だけで映画を見に行こうという企画を五、六人で立ち上げた。確か高校野球ラブコメディの実写映画という、野球部なのに坊主頭ではない高校球児、現実での禁忌を犯した大罪作品だったと思う。

 そうして、皆の通学圏内で一番大きな繁華街の駅前で待ち合わせをし、待ち合わせに最初に来たのが俺、二番目に来たのがコースケだったのだ。

 当時、遠目にコースケが見えた際の俺は「あ、同じクラスのなんとか君」とだけ思ったのだが、コースケは俺を見つけるなり目を大きく丸め、駆け寄ってくるなり「あひゃひゃ」と爆笑しながら話しかけてきた。

「お、お前、な、なんだよその格好? し、白いワイシャツに黒いチョッキに黒のズボンって、何、ビジュアル系バンドの人? あひゃひゃ」と、出来損ないのコオロギの様に笑い声を上げた。

 今思うと痛々しい服装、高校デビューたる事を、狙ってもいないのに俺はやらかしてしまったのだ。

 そうして気がすむまで笑った同級生は、涙をすくいながら「いっやー、最高だよヨシムラくん。今日から君の事は『短い上着』と呼ばせてくれ」

「ネイティヴアメリカンか」


 そんな具合だった。

 しかし、コースケがムシロ、俺の痛々しい服装をネタとして弄ってくれたおかげで、後から合流した友だちも白い眼では見てこず、笑い流してくれた。

 少なからず、ありがたく思って以来、何だかんだといつも一緒にいる仲になっていた。

 自意識バリアを強引にぶち破ってこられて以来の腐れ縁。


 コースケの顔は中の……上。「イケメン過ぎない」という、誠に腹の立つ立ち位置、女の子から見たら「私でも釣り合うかも!」と手の出しやすい顔立ち、そういうのがモテないブラザーズの怒りを一番買うのだ。

 後は俺とどっこいの成績、運動神経、趣味の方向性。

 しかし、コースケは常に自分に自信を持っていた。

 身体的スペックが俺と同じくらいなのに、こいつは何故か自信という名の輝きを全身にまとい、たいていの物事に前向きで、受け身ではなく自分から物事に取り組むタイプだった。

 俺がコースケから学んだ最大の事実は、優しくしてるだけでは彼女は出来ない、ということだと思う。

 じゃあどうすりゃええのんか。

 それが、俺には分からなかった。

 肉食動物と草食動物の決定的な違いだった。

 そして、世の中が必要とするのは受け身ではなく、能動の奴だ。


 俺はチャンスが来るのをベンチでジッと待っていたが、コースケはチャンスだろうとピンチであろうと常に素振りを絶やさなかった。

下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる。

 撃たなければ当たらないし、狙っておいて外した姿、情けない自分の姿を見られたくなくて撃たない奴は、外した奴よりもっと情けない、と周りから見られる。



 その事に俺が気がついた時、既にコースケは同世代カーストの半分より上に身を置き、俺は六畳一間の薄壁アパートに、コースケは新卒社員になるや2LDKの鉄骨マンションに彼女と住んでいた。


 理屈は分かっても行動に出せないまま、俺はここまで来てしまった。

 もはや涙は枯れ果てた。

 泣いて益になる事もなし。

 笑って行こうよ人生は。

 苦笑いであっても。



 しかして、現在。

 小町が人間になってしまった現在に話は戻る。

 ライフ・ゴーズ・オン。

 小町が「彼女様が待たれておいでですから、お早めにご帰宅されては?」と遠回しに声をかけると、コースケは「いっやーまぁ、アイツとは阿吽の呼吸っていうか、もう心配とか大丈夫な間柄なんでぇ」とヒョイヒョイと交わして俺に

「なんだよヨシムー、いつの間にこんな可愛い彼女と同棲してたんだ?」と聞いてきた。

 いや、彼女っていうかこいつは、と説明に苦しんだ俺が口を開きかけたとき、小町が先に口を挟んだ。

「いえ、ヒシムラさん、私、タクミの従姉妹ですよ」と。

「そーなの? 全然知らなかったよ!」と、明らかに大げさな反応を見せるコースケ。


 うん。俺も知らなかったよ。


 えーーー!

 何その設定!?

 苦しすぎるだろ?

 だって顔形、どこも似てないし!

 兄妹じゃないから大丈夫か?

 いや大丈夫じゃないだろ?

 ていうか大丈夫ってなに?

 俺、その話に収拾つけられる自信、全然無いんだけど。


 ところが小町は澄ました顔で

「ふふ、すみません、タクミ兄さん、あ、いえ、私、幼い頃の習慣で、つい兄さんって呼んでしまうのですけれど、兄さんは昔から私が遊びに来るの、迷惑がっていましたから」

 なに、その即興で出て来る嘘設定。

「えー、俺だったら絶対言う、ムシロ得意気に言うしこんな綺麗で優しそうな従姉妹がいたら自慢に思いますよ絶対」

「そんな事ありませんよ、私、結構重たい女ですから」カメだけにか。「粘着質っていうか、兄さんが疎ましく思っていると分かっていてもつい、身をもたせてしまうというか。イカみたいに」カメだろ君は。

「いやいや!」コースケは話を遮るように大きく手を振って言った。「それねー、コイツ、タクミお兄ちゃんねー、絶対あなたの事、好きですよ」


 は?


「コイツねー、結構冷たいっすからねー、そんな遊びに来るのを許してたら、もうコイツにとってはオッケーサインっすよ。もうプライドと自意識の二重バリアでガッチガチだから。なあタクミお兄ちゃん!」

「そんなことは」と言いかけて止まった。

おい、コースケ、なんだ今の情報は。俺、俺のそんなところ全然知らなかったけど言われて震度5、嘘だよそんなって思ったけど否定ができない。

 小町は同意の顔、いえ、そんな事は貴方が言わずとも知っておりますよ、親しい従姉妹ですから、という顔を崩さないが、目の光が二段階くらい鋭くなった。

 上に字幕で「ハンターチャンス!」とか出てそうだった。


「ヨシムー? どした、動作不良か、おい」

「いや何でもない、コースケ、お前ガチでマズいだろ、今の相手、俺は知らない子なんだっけ? でも同棲してるって噂聞いたよ、お前、起きてから連絡の一つもしてねーし。心配してくれてるよきっと。ほら、送ってくよ」

「うわー、出た、ね、お兄ちゃん、嫌いな相手には冷たいから」

「うるせー友達だから冷たくしても平気だろ、ほら、これ以上いたらお前にクリーニング代請求すっからな」と言って立ち上がった俺を尻目にコースケは居直り、

「別に良いぜ」と座して動かず。お前、将の器か。

「本気でとるわけないだろ、ネタだし」

「わーってるよ」と立ち上がる素振りをするなり、膝でスコスコと小町のところに歩み寄り「や、小町さん、お邪魔しました。これも何かのご縁、人間万事塞翁が馬って言いますし、アドレス交換など」

 踏み込み凄いなコースケ。俺、絶対できない。

「あら、すみません、私、未だに携帯電話、持っていませんで」

「ええ?!」

 と、小町に笑顔で返されると、さすがに拒否されているとコースケも感じたのか、少したじろいだが、すかさず畳んだスーツから手帳を取り出すとページを破り、「これ、俺の電話番号なんで、帰ったら連絡いただけますか、タクミお兄ちゃんの秘密情報などお教え致しますので」と如才なく俺をダシに連絡先を書き付けて小町に手渡すと「しからば御免」と武人の様な口調で俺を追い越す形で靴を履きドアに手をかけた。


 一つ一つの動作が俊敏であった。

 社会人と言うよりコソ泥の様な風体だった。


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