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カメの恩返し  作者: ばけのかわ
17/19

もう一人のタクミと偉大な母

  女の子が歩いていく。

 場末の風俗街を。

 待て、待て、ちょっと色々待て。

 しかも非常に手慣れた様子で蜘蛛の巣のように入り組んだヤニ臭い路地を一度も立ち止まることなく突き進み、その歩みは何やら自信に満ちていて、もはや後光が見えそうだ。

 って、待て待て待てステイ? おかしいだろ俺。年長者にして護衛役のつもりでついてきたはずの俺は、錆びついた看板にケバケバしく踊るネオンサイン(バブル期の遺産だ)だとか道に立てられた「○○マッサージ ○○分 ○○○○円」などと言ったまさに風俗街を目の当たりにして生来のチキンハートが発動しきりで膝をガクガク、手には冷や汗、額に脂汗で心拍数乱高下させていた。

 なんだよ、何のマッサージだよ。絶対肩凝ったときに入ったらダメなマッサージだろマッサージって名前だけど男性に対するあれやこれやのサーヴィス業だろ淫猥。ああ淫猥だけしからん、と思いながらすっかり怯えていった。

 前を威風堂々、肩で風切り歩く二回りは年下の女の子に威光を感じてしまい、情けないやら困ったことに関わってしまった後悔やらで口の中が酸っぱくなっていると、

「よぉ、タクミ、元気そうだな。デートかオイ」額に剃り込みの入った、やたら角ばったサングラスのおっさんがドスの利いた低音ボイスで女の子に話しかけた。

 ああーやばいやつやー。これアカンやつやでしかしー。おっさん、何か上半身金色のブレザーを肌に直に着てるしズボンなんかラメ入ってて、え、それどこで買ったの? 幾らするの? 何で履いてるのそんなの。誰を威嚇してるの? いやぁ御見それしました、威嚇されました。せっかくなんでスルーさせてもらって良いですか? あはは。

 などと言うわけにも行かず、ああもう仕方ない、と女の子の前に出て「あー、庇ったら俺、殴られるのかな、殴られたら前歯折られるのかな、面接で前歯が無い言い訳どないしよう」とさながら走馬灯、女の子が話しかけられてから俺が前方に移動しようとした合間、ほんの瞬間に凄い文字数が頭の中ではじけて逡巡、しかしそれより速く女の子が

「違うに決まってるじゃん」と答えた。

 いや待て君が応対しては俺が庇おうとした意味消えちゃうと思ったが、なんとおっさんは

「そうかぁ」とニヤニヤしながらやおら「良いねぇあんちゃん」と俺の肩を叩いてきた。

 尿が出るかと思った。衝撃強いよおっさん。

 え、何、この気安さ。ど、どういうこと? テルミー、テルミープリーズ。などと混乱している俺を尻目に、女の子とおっさんは何やら軽い談笑まで交わし、何事もなく女の子は再び歩き始めた。その背中に「またな」と気さくに声をかけるグラサン。

 はあ?

 えーと、つまり。

 お二人は、お知り合いですか。

 嗚呼、無駄な俺の正義感。

 いや無駄でよかったけど。無事だし。


「え、あの、君って」

 おっさんが路地の角に姿を消してから、俺はおっかなびっくり声をかけた。「知り合いっすか、さっきの人と」

「さっき」

 女の子が小首をかしげると同時に、道の反対側の二階建てアパートの二階からオバハンが路上に向かってバケツで水をぶり撒いた。

「あ、ほら、今しがたすれ違ったサングラスの人」

「んー? あー、マキちゃん? うん。たまにトシ子ちゃんのお店来るから」

 まさかのチャン付け! 「何か、君って凄いな。って、さっきも言ったかコレ」

「はぁ」女の子はため息交じりにこちらを振り返った。おお、俺は遂に子どもにまでため息を漏らされる存在になったか。「あたしは違うし。トシ子ちゃんはすげーけど」

「とし子さん凄いのか。君のママの友達、だったよね」

「うん。トシ子ちゃん、この辺りのボスだから」

「ボス」缶コーヒーを思い浮かべてしまう。

「そ。フルカブ、とか言ってた。ってっか、どしたのおいちゃん、さっきから変なカッコして。オシッコ行きたいの」

「えっあれっ違う違う」ビビりが最高潮まで達していた俺は知らず、内股気味で卑怯なサルの如き姿勢で歩いていた。「いや違わない。ちょっとアレです、凄いビビっただけ。セーフ」いやもう色々アウトな気がするけど。


 ボスはストリップ劇場の横にある、小ぢんまりとしつつも凄まじい妖気を放つ「すなっく とし子」に鎮座ましましていた。

 ボス、つまりトシ子さんは、四十歳後半から五十歳前半くらいのおばさん、もしくは熟女で、容貌は恰幅の良い仁王みたいだった。

 筋骨隆々な仁王が恰幅がいいって既に意味が分からん気がするけど。とは言っても、女だてらに上品な芝生みたいな坊主頭の金髪、海賊船の船長のようにがっしりした顎と太い眉に広い額、盛り上がった肩に上半身はランニングシャツ一丁と言うはっちゃけたお姿は、それ以外の言いようがなかなか見つからない。「真の力を解放した仁王様」とでも形容したらいいのか。プロ野球でも弱小球団なら今すぐ四番を任せられそうな出で立ちだ。思わずトシ子「さん」とつける威圧感があった。

 だが ―逆接の接続詞だ― 俺は、ビッグママ改めトシ子さんから、邪な印象を受けなかった。

 何故かはわからなかった。スナックの壁は煙草の煙に長いこと燻されてクリーム色から黄土色に変色していても、トシ子さんが煙草をくわえたりしていなかったからかも知れない。

 或いは、女の子がスナックの扉を勢いよく開けた際に俺たちを見据えたトシ子さんの眼が、威圧感はあっても凶兆を放っていなかったからかも知れない。

 そしてまた、大型の哺乳類に睨みつけられたような、「逆に俺が邪なふるまいをしたら取って食われる」という予感が俺の脳髄を支配した。俺がアザラシだとしたら小町はサメでトシ子さんはシャチ。

 っていうか普通に怖い。

 なんで坊主頭なのさ!?

 パンチパーマのおばちゃんなら分かるけど坊主ってどういうこと? しかもむっちりとした胸がおっぱいというか鍛え抜かれた胸筋というイメージ。


 などと本能が警告を出してスパイレーダーのように分析能力を発揮していると、女の子はトコトコと中に入って声をかけた。

「遅くなっちゃった」そう言ってポシェットを身体から外してカウンターに置いた。「ごめんねとし子ちゃん、あのおいちゃんに絡まれて遅くなっちゃった」

 冤罪で殺されちゃうだろ!

 ダメだ。終わった。あのビッグママの丸太のような腕にかかれば俺などまな板の上の鯉、もはや『銀河鉄道の夜』で言うところの石炭袋に着いてしまった。小町、すまない……俺がカメに生まれ変わったら会いに行く……必ず、必ずだ……。

 

 自分の末期を悟り瞬時に白く燃え尽きた俺を、トシ子さんは一瞬見てから、手振りで扉を閉めるよう促し、「はいはい。でもアンタだろ、また死んだふりとか言ってそこらに寝転がってたんじゃないだろうね」と女の子を見て言った。「タクミ、学校終わったらすぐにウチに来なって何べん言ったら分かるんだい」

 え、俺、学校、行ってないですけど。燃え尽きた脳みそが疑問という名の燃料を入れられ、再び回転しだした。

 すると女の子が「しょーがないじゃん、遊びたいサカリなんだから」と答えた。

 あれ? 俺は確かにヨシムラタクミであるが、この子も勝手にヨシムラタクミと名乗って、あれ? 脳内記憶がパカパカ空いていく。『よぉ、タクミ、元気そうだな』と、先ほどのイカツイおっさんも、今冷静に思い出したら、この言葉を女の子に向かって言っていた。

 混沌と焦りの中で、頭の回線が一つだけ繋がった。

「君、君って、本当にタクミって名前だったんだ」

 よろよろとカウンターに近づいた。女の子はカウンター席に腰かけて足をぶらつかせ、トシ子さんは直立不動で手元のカップにポットの麦茶を注いでいる。

「うん。最初、おいちゃんのことキモイって思ってたから、ちょっちイジワルしちった。ごめんね」

 ぶっちゃけ過ぎてませんか。

 あと全く、ままままったくゴメンナサイって気持ち込められてないですよね。そして誠にどうでもよろしい偶然だね。まさか女の子の名前がタクミとは、機転もトンチも利かない俺の脳みそでは思いつかない。

「あたし、ツキハシタクミ」女の子は改めて名乗ってくれた。そして後ろの頼もしすぎるビッグママを指さして「んで、こっちがトシ子ちゃん。トシ子ちゃん、このおいちゃんもね、タクミって言うんだって」

「へえ。ほら、人を指ささないの」トシ子さんはその話には特に関心を示さなかったようで、麦茶の入ったカップを女の子の目の前に置き、その横の席にもう一つ置いて言った。「タクミ君、て感じじゃないね、タッくん、そんなとこ突っ立ってないで座りなさいな」

 いや俺のどこに『タッくん』要素があるんですかね。

 俺が誰に向けたんだか誰が得をするんだか、どっちも分からない曖昧な笑いを顔に張り付けて赤いビニールで覆われたカウンター席に着くと、ビッグママは観世音菩薩のような笑みを浮かべた。

「おおかた、この子がほっつき歩いてるところに助け舟でも出してくれたんだろ、ありがとうね」


 すみません、今一瞬だけお二人を見て『妖精を守る森の巨人』ってタイトルつけようとしました。ホントすみません。

 感謝の言葉を述べられたのに俺はなおも緊張気味で「いやぁそんなことないですうへへ」とフナムシのように日陰者な生返事をすると、

「はん?!」トシ子さんは片手を耳にそえて大声を上げた。「アンタ人と話すのに何だい、そのやる気のない声! 馬鹿にしてんの?」

 落差激しいなぁくそう。観世音菩薩が急転直下で羅刹の形相。

「すみません!」やけくそになりながら叫んで「礼を言われるほどの事ではございませぬ」と緊張で背筋が伸びた格好で、間違った時代劇のような口調で言った。言わされた。女の子は俺の珍妙な姿を見て、また爆笑している。ちくせう。ああ、他人事ならばさぞかし滑稽であろう、笑うがいいさ。

「そう、そんくらいの声は出しなさいよ、若いんだから」

 出た、若いから、というよくわからぬ理由で無茶をさせる人だ。

「言っとくけどね、若い女には価値があるけど、若い男に価値なんて無いからね」

「えっえっ」

「それとも何だい、アンタ、何か特別な才能でもあるのかい」

「無いです」即答できる自分が悲しい。

「だったら頑張るしかないだろうに。若いうちに必死ってモンを体験しとかないと、年取るとキツいからね。いつまで若いか知んないけど、自分の中でドンドン制限とか言い訳とかしだしちゃうからね」


 出会って一分と経たない内に辛辣な説教をされる人間と言うのも珍しい。貴重ではないが珍しい。


「ね、とし子ちゃん、このおいちゃん、面白いんだよ。さっきなんか、土手でアイのコクハクしてたし」

 未だ笑いを引きずりながら、思い出したように女の子は女の子が言い出した。

「え、ちょ、その話やめ」と思わず立ち上がったがトシ子さんに睨まれて石化。トシ子さん、あなたメドゥーサですか。俺、ペルセウスじゃないから勝てない。


 問一。

 己の若さゆえのしでかしを、幼少の女の子に笑われながら広められた時の気分を三十文字で表わせ。

 

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