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カメの恩返し  作者: ばけのかわ
16/19

アイの証明、とは

  いきなり言い訳をかまさせてもらって良いだろうか。

 どこの世界に言い訳から始まる物語があるのだとお思いかもしれないが、無いのならばむしろ幸い、これは世界初の言い訳物語だ。

 森鴎外の『舞姫』なんかは、正直、かなり言い訳臭い。

 エリスという純粋無垢な少女を留学生が犯して捨てるというとんでもストーリーを美文調で何やらやんごとなき話に仕立て上げてしまう鴎外、流石は文豪である。

 というわけで(どういうわけだ)釈明させていただくと、いくら俺がモテないブラザーズの一員だとしても、小町がカメに戻ったからと言って新たな人間の女の子に速攻で乗り換えようとしたわけじゃない。

 小町がカメに戻ったあの日、俺が生まれて初めて女の子の前で素直になれたあの日以降、俺は就活を始めた。

 小町が選んでくれたスーツを着たかったけれど、流石に洒落が利きすぎているので、ツルシの安物リクルートスーツを購入してささやかな自己資本投資、ハローワークに足しげく通っては求人案内を片っ端から漁っていた。

 中には職種を選ばなければ俺でも面接を受けさせてくれる有り難い企業もいくつかあったけれど、そこはハードボイルドワンダーランド、何度も何度も執拗なまでに落とされた。

 ところが面接で落とされるということは、存外に心が傷つく。そりゃ、「ああ、失敗したな、全然喋れなかった」って、自分の中でも手ごたえが無いなら何てことはないんだけれど、うまく言葉のキャッチボールが出来て、中には笑いも取れて、これは上手くいった、と思った矢先に「今回は採用を見送らせていただきます」なんてメールや薄い封筒が送られてくると、何をどうしていいのか、けっこう本気で悩むし落ち込む。

 自分の中で失敗があったら、過程を洗いなおして改善を取ろうとするけれど、成功をしたと思った時は舞い上がってしまい、過程を振り返ることはかなり難しい。成功の嬉しさで頭の中が真っ白になってしまうから。

 たぶん、本当の人格者とか成功者っていうのは、成功の中でも自分を見失わずに冷静に成功の理由を分析できる人たちなんだろうって思う。

 

 だけど、俺は一応、歯を食いしばった。

 約束だから。

 小町との、下手したら最後の約束だから。

 でも、三か月も続けていたら、流石に苦しくて、相談相手がいなくて、カメの小町にずっと話しかけていたけど、返答がないと苦しかった。

 白状する。

 途中で苦しくなって、カエサル爺さんに、聞いてほしかったんだ。

 本当の本音を言えば、結果を出すまで言いたくなかった。だって、別れ際に大見得切っちゃったし、爺さん、余命僅かなのに俺の都合が悪くなった時だけ助けてくれ、話を聞いてくれ、何ていうのは、全然理にかなってない気がした。

 ところが、会いに行こうとしたら、待っていたのは爺さんの死だ。

 何の救いもない、ただひたすら現実的で、比喩的にも現実的にも渇き切った死だ。

 胸がつぶれる思いだった。

 あ、泣いてましたね。はい。泣きました。

 いい歳だけど。幾つになっても泣くね。

 

 かなり、自棄になった。

 だから、女の子の無事を確認したのは、全然良心的な行動じゃなくて、何て言うのか、「いい加減にしろよ」って気分だった。

 これ以上悲しいことばっかり起こすなよ、って。

 もう、やけっぱちの天使だったのだ。羽のないエンジェルだったのだ。

 たぶん、行動も論理も、それが正しいかどうかを判断できる奴なんて、一世紀とか後の歴史家くらいのものだろう。なのに、ついつい目の前の正しさを追い求めて、自分が正しくあろうとしたり、自分の正しさを信じようと頑なになってしまう。


 俺が正しいわけがない。

 ただ、そうしなきゃいられなかったって事だけは、聞いて欲しかった。

 前置きが長くなってすみません。

 釈明、終了。

 閉廷!

 では、続きを記す。



「おいちゃん、何してんの?」

 少女の問いかけに一瞬戸惑った。いや、ホント、何やってんだろ、俺。

「新聞掃ってるの、っていうか、え、あの、君、大丈夫?」

「え?」

 疑問形っすか。

「え、じゃなくて。どっかケガとか、病気とかじゃない、よね?」

「それはねぇな」何故だか女の子は急に男前で言い放った。

「そうかい」ひとまず安心した。

「あたし、死んでるから」

「それはダメだわ」

「何で」

「何でもだよ」

「だからなんで。おいちゃん、面倒臭い人?」

「よく言われる。特に女性陣から」

「あはは。だろうねー」

「けど死ぬのは、ナシ。ほれ、立って」

 言われ促されて渋々、女の子は立ち上がった。体についた草の端をポンポンと叩いて払う。「あーあ、久しぶりだよ、そんな真剣なる人」

「久しぶりって、え、君、常習犯?」女の子の態度は、妙に落ち着いている。慣れている、というか。

「あんまり違うけど」

「あんまりって」

「ん、おいちゃん、誘拐とかする人?」

「それはない」

「じゃあ良かった」

「えー!」本当に誘拐とかする人だって『それはない』っていうだろ?! なんだ、この子。

「なに。え、しないんでしょ、おいちゃんは」

「そりゃしないよ。しないけどさ、なんか、もっと疑おうよ、俺を、大人を」

「おいちゃん、ホントにメンドクサいね」

「すみませんねぇ」何だこの子……!

「とにかくさ、おいちゃんが邪魔したんだから、おいちゃんが責任とってよね」

「え、何の」

「あたしの、暇つぶし」

 そう言うと、女の子は先に立ってすたすたと歩き始めた。慌てて追う。女の子は腰のポシェットから小さなベレー帽を取り出して被った。

「暇つぶしって。ねえ、君さ、どっから来たの」

「あっちかな」こちらへは振り返らず、女の子は指をさした。

「いや、空を指さされてもな」

「じゃあ、あっち」今度は違うところを指さした。

「……河から来たの? 海底人?」

「どうかな」

「あのさ」俺は少し歩を速めて、女の子の横に並んだ。「君、名前は」

「おいちゃん、人に名前を聞くときは自分が名乗ってから、って学校で習わなかったの」

 おうわ、明確にムカつく。

「すみませんねぇ無礼者で。俺、ヨシムラタクミって言います」

「じゃあ、あたしもそれ」

「はい?」

「あたしのこと、タクミって呼んで良いよ」

「何にも良くないわな。じゃあ君、幾つ」

「おいちゃん、レディに年齢を聞くのってアウトだって知らないの?」

「それはあるかも知れない。あ、俺はね」というと女の子は手で制した。「なんすか今度は」

「待って、当てて見せる」というと女の子は立ち止まり、顎に人差し指を当てて、何やら眉間にしわを寄せ始めた。推理ごっこか。

「んんー。おいちゃんって、ハタチより、上? それとも下?」

「上だよ。ハタチよりは」

「ホント? あはは、終わってる」酷いなオイ。

「人間の半分以上が終わっちゃうよ」

「でもまぁ、それならさ、おいちゃんは、おいちゃんだね」

「さっきから思ってたんだけど、おいちゃんって、おっさんってこと?」

「そうかも」女の子は再び歩き出した。俺、おっさんですか。そうですか。そうですかぁ。

「残念だなぁ」

「慰めてあげよっか」

「遠慮しときます。君、朝からずっといたの、ここに、この河原に」

「そうだね、一万年前からね」

「だいぶ前だね」

「偉いでしょ」

「それはどうかな。死ななかったら偉いと俺は思う」

「残念だなぁ」

「俺は慰めないよ」

「おいちゃん、子どもには優しくしなよ」

「え、君、一万歳なんじゃないの」

「何それ。あたし、七歳だよ」

「君、凄いな、何か色々と」

「でしょでしょ」

「いや、褒めてはいないっす。ぜんっぜん」

「なんで。褒めていいよ」

 何だか、少し、小町に似ていると思った。いや、今の俺は、誰を見ても小町を重ねちゃいそうだけど。

「だから、死ななかったら褒めてあげます」

「しょうがないなぁ」

「しょうがなくないよ」

「ねえ、何でおいちゃん、そんなに死ぬな死ぬな言うの?」

「なぬ。いや、普通でしょ。普通普通。間違っても死ぬなよ。死んでも死ぬな」

「フツーじゃないね」女の子は断言した。「あたしにここまで言う人、ママくらいだもん」

 あ、ママはいるのか。なんか安心した。

「死なれたら困るんだよ」

「何で。学校でみんなけっこう言うよ、キライな相手に死ね、死ね死ね死んじまえって」

「それ、良いことじゃないんだよ」

「みんな言ってるのに?」

「うん。それと、みんなが言ってるのに、君だけ我慢して言わなかったら、それは凄く偉いことだよ」

「そっかなぁ」

「俺はそう思う。君を、えっと」

「だからあたし、タクミだって」

「そうか? じゃあタクミを褒めるよ」

「おいちゃんに褒められてもなぁ」

「オイ! ここまで言ってそりゃねぇだろ」

「ギャグだよ」

「今はやめておくれ」

「じゃあジュース買ってよ、おいちゃん」女の子は道の少し先、百メートルほど離れた自販機を指さした。

「え、何、その頼み方。初めて見た」と言う俺を尻目に女の子は自販機に向かって走り出した。子どもらしく、身体遣いが軽い。

 ははぁん、無視かい?

 無視だね。大人らしく鈍重な小走りで追う。

「ねえ、ポカリとアクエリ、どっちが良い」

「俺の話、聞いてよ」情けなく、俺は息を少し切らしていた。「って、え、その二つが並んでる自販機って珍しいね」

「レア?」

「レア。共存共栄してる」

「何それ。あたし、あんまり頭良くないからやめてよ」

「そうかな。君、頭の回転早いと思うけど」

「みんなは言うよ、お前はバカだ、ウマシカだって」

「ウマシカ」それが馬鹿の読み仮名だと気づくのに二秒ほどかかる。「そんなの、言わせておきなよ。馬鹿だっていうやつが馬鹿だから」

「ママと同じこと、言うんだね」

「そういう映画があるんだ。良い映画だよ」言いながら、ポケットから財布を取り出して小銭を入れ、自販機のスイッチを押す。「タクミ、君はバカじゃない。少し変わってるだけだよ」取り出し口から感を取り出して渡す。「ほれ」

「おいちゃん」

「気にしないでいいよ」

「あたし、ペプシが良い」

 ポカリかアクエリの二択だろ! 今の会話の流れだと!



「おいちゃん、彼女いる」

 自販機から離れて、楡の木が木陰を作っているところに腰を下ろして飲み物を飲んでいると、不意にタクミが尋ねてきた。タクミはポシェットからハンカチを取り出し、その上に腰かけていた。

「なんだよタクミ、急に」

「いるの?」女の子の眼は、真っ直ぐこちらを見ていた。何の疑問も浮かんでいない、真っ直ぐな眼だった。

「いる、のかなぁ」

「どっち」

「いた」

「今は、いない?」

「いや、うーん、いる」

「はぁん? だから、どっち」

「いる……んだよ。大好きな、とても大切な相手は」

「フラれたの?」

「うんにゃ」

 タクミはムスッとして、俺のズボンのすねを蹴った。「いって!」

「バカにしてるでしょ」

「違うよ」蹴られたところを手ではたきながら答えた。「いるんだけど、その、ちょっと」

「なに。おいちゃん、怪しいぞ」

「会えないっていうか、いや、会ってるんだけど、そう、ちょっと、俺の言葉が分からなくなっちゃったんだ」

「ふうん」

「ふうんって、ちょっと冷たいな、タクミ」

「ねえ、どういう人」

「どう、とは」

「鈍いねー、おいちゃん。相手の人の、どういうところが好きなの」

「なにゆえに」

「サンコウまでに」

「なるほど」少し、考えた。「口が悪い」

「え」

「天下無双、つまり物凄いってことだけど、物凄い口が悪い。言葉だけ取ったら確実に心を病む。ついでに乱暴者で、返事をしなかったりするとぶたれる。嫉妬深くて、変態で、すぐに元気がなくなる。時々、毒みたいな料理を作る」


「何か」俺の罵詈雑言を聞いていたタクミが、ポツリと言った。「すごいね」

「うん」頷いた。「凄い奴だった」

「好きなんでしょ」

「うん、好きだよ」

「本当に?」

「本当だよ」

「ショーメイしないと信じない」

「証明する理由がない」

「ショーメイできないアイに意味、あるの」

「きついこと言うね」

 言われて、仕方なしに俺は立ち上がった。

 愛の、存在証明、かぁ。まぁ、証明できなくても、意味がなくても、良いとは思うけど。

 今の俺には、俺が俺でいる証明みたいなモノでして、それはつまり、証明しとかないとマズいモノでして。

 ここまでけっこう歩いて、高架下からはかなり離れたし、俺と女の子の周りには時折、この日差しの下を苦行もといランニングしているおっちゃん達くらいしか、人はいないことを確認した。両手を天に高くつき上げ、身体を伸ばす。おいちゃん、どうしたの、と聞いてくる女の子の横から二、三歩、川岸に歩いた。

 見てろよ、小町。いや、見てたら絶対やらんこと、やってやるからな。

 身体を天に向けた。

 小町。


「すっきだぁーーーーっ!」

 絶叫してみた。物凄い裏返った、頓狂な声になったが。

 俺の様相を見ていた女の子は、後ろで爆笑している。

 こんなことをしても、何にもならないって分かってるし、小町がもう、人の姿に戻らないとしても。

 何だか、これまでに俺の中に積もっていた、心の滓のような何かがスッとした感覚がした。

 見てたか、聞いてたか、小町。

 見てたら、しばらくは笑いのネタにしてくるよな。下手したら一生イジってくるよな。

 俺は、やっぱり寂しいよ。


「ねえ」女の子は笑いすぎて涙をこぼしながら、俺の背広を引っ張って言った。

「うん?」今更ながらに恥ずかしさを覚えながら、俺は振り向いた。

「おいちゃん、変わってるね。でも、おもろい」

「せんきゅーべりーまっち」

「ね、おいちゃん、トシコちゃんのところ、行くの、ついてきてくれる?」

「とし子ちゃんイズ誰ですか」

「ママのダチ。あたし、トシコちゃんのとこでママを待ってないと、なんだよ」

「ちょいまち。今は……あ、もう三時か」久しぶりに、人と本音で話していた気がした。

「おいちゃん、頼むよ。一つ頼まれておくれよ」何だか時代がかりましたね。まぁ、今日はバイトもないし、面接は午前中で終わったし、良いか。

「分かりました、姫」大仰な身振りを添えてみた。「御身を、とし子様の身許までお連れ致します」

「ウザいね、おいちゃん」

「すみません」

 

 そう言って女の子は先に立って歩き出し、土手を昇った。

 俺は落ち武者のようにトボトボとついて歩いた。


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