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カメの恩返し  作者: ばけのかわ
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聖なる夜の一人と一匹

  「愛より親切が残る」。

 そんな事を昔の小説家は言っていた。

 その通りだ。自分や相手の愛を試したり、測ったり、形にしたりするのは難しい。

 愛とは、人によって解釈の仕方が違う、抽象的なものだから。

 誰にでもあるとは限らない。でも、親切ならば、きっと誰にだってできる。そう、きっと。


 ……でも、メチャクチャに愛されたい。

 もうどうしようもなく、無条件で無制限に、誰からも愛されたい。

 そんな事言ったら誰からも愛されないけど。


 聖クリスマスイヴの夜、バイト先のコンビニで同僚のミスズさんに夜勤のシフトを代わってもらえないか、と持ちかけられて「冗談じゃねぇよ」と思いつつも、久方ぶりに女の子と業務連絡以外に言葉を交わした嬉しさでつい、引き受けてしまった俺は、明日になったら全部忘れてそうな愛についての由無し事を考えていた。

 なるべく具体的な考えはしたくなかったからだ。

 具体的な事を考えたら自意識という名の不良債権に殺される。


 シフトが終わり、店長が仕入れを見誤った為に余った鳥のモモ焼きを割り引いてもらって二つ買って帰路に着いた。

 この時期の夜空、地元じゃオリオン座と、その右側に冬の大三角形が見えるはずだけど街灯とスモッグだかで何も見えない空が広がる夜明けの帰り道、近道しようとラブホ街の裏道を歩いていたら、頭髪も幸も薄そうなオッさんがゴミの山を、或いは山のようなゴミをヒューヒュー言いながらホテルの裏口から運び出しているのを見かけた。都会特有の何かが振動し続けている音が耳に入ってくる。

 無量大数に近い命がティッシュとゴムに包まれて捨てられた聖なる夜。

 ハロー、ぼくたちはたくさん生まれてたくさん死にました。


 本当に、これで良いのかよ。こんなものなのかよ。

 良いわけないけれど何をどうしようっていうんだ、俺は。


 唐突に死にたくなった。

 虚しいとかやりきれないとかではなくて、何というか、何とも言えなさが俺を殺しにきた。

 道路端でモモ焼きの入ったビニール袋をぶら下げたまま、半狂乱の猿よろしくアアアアアア! と頭を掻きむしった。

 派手な赤い車が横を通り過ぎ、その刹那、女の笑い声が聞こえた、気がした。


 息が苦しくなって胸を押さえた。

 世界中に笑われている誇大妄想の被害妄想が膨らんで、俺はそれに潰されそうだった。

 深呼吸をしようと口を開けてみると、そこは明け方のラブホ街の裏道、安っぽい洗剤の匂いと得体の知れない生臭さで満ちていた。深呼吸しても空気が入れ替わるどころか改悪にしかならない。なんてハードボイルドなんだ……。

 やおら片足を振り上げ、地面を強く蹴った。あんまり音が立たなかった。そして、霜で湿ったアスファルトをひたすらに駆け出した。

 走り出したらどこまでも走っていける気がしたけれど運動不足の俺の「どこまでも」は二百メートルくらいで、直ぐに息切れをして無理だった。あかんやろ。それでも家までは走った。

 花園競技場で決勝点のトライをかますラグビー部よろしくアパート1階の自宅、玄関に飛び込み、上に着ていたダウンパーカーを脱いで汗を拭き、六畳一間の畳部屋に倒れこむと、体力低下に伴ってなけなしの気力まで底抜けに抜けていった。


 疲れたよ、パトラッシュ。

 俺、頑張ったよね?

 普段運動なんかしないから心臓は未だに変な鼓動をしちゃっているし、変な汗で背中はべっとり湿ってる……このまま気絶してしまいたい……。

 部屋の窓際で飼っているミシシッピアカミミガメのコマチは深夜の部屋の変化にビビったのか、水槽の中でバチャバチャ暴れだしたけど、もう嫌だ。

 もう嫌だよ。何もしたくない。

 何もしたくないのに頭だけ、働く。

 何だよ、何なんだよミスズさんとか。

 何が「シフト明け、時間あります?あの、ちょっと話したい事あって、良かったら、あの、コーヒーでも一緒できませんか?」だよ。

 そんなん言われたら何かあるかも! って期待しちゃうだろ! しちゃうんだよ! 彼女いない歴=年齢だと女の子の距離感とか分かんないからしちゃうんだよ! 期待を! 挙句、俺が慣れないオシャレなコーヒーショップに女の子と並んで入ってウキウキしてたら、飲み物片手に席に着くなり伏し目がちに

「ヨシムラさん、24日の夜って、あの、お暇だったり、しませんか?」とか言うなよ! そんなの

「え……いやいやいや、暇です暇です、メッチャ暇です」って答えるしか無いだろ! 一択クイズだよ! その後にパッと華やいだ笑顔で

「本当ですか?! あの、私、どうしても外せない用事が出来ちゃって、シフト、代わってもらえませんか?」って言われた俺の絶望が分かってない、全っ然、分かってない!

 更に絶望でコーヒーが敗北の味しかしない中で笑顔を崩さず「構いませんよ」って答えた俺の紳士っぷりも全っ然分かってない!

 君たち恋人の華やかな夜が、幾つもの名もなき人々の煩悶や苦悩や挫折で煮詰まった闇の上に成り立ってると思ってるんだ!

「一将成りて万骨成る」って昔の中国でも言われてるだろ!


 期待させるなよ……もう……。


 疲れるんだよ……。感情って、起こすのにもエネルギー使うんだよ……。

 頭の中で罵詈雑言を吐いたら、様々な種類の疲れが泉の湧水の如くこんこんと溢れ、今度こそ倒れこんだきり、眠りそうになった。


 ところが、亀のコマチは飼い主の心情などどこ吹く風、水を掻いては水槽をよじ登ろうと爪でアクリル板を引っ掻いては後ろに倒れ込み、裏返ったら首を伸ばして地面にあて、コンパスで円を描くような動きで元に戻る、またよじ登りを繰り返す。

 メビウスの輪か。うるさくて寝られないっつの。

 俺はなけなしの余力を振り絞って身体を起こし、水槽の近くまでノソノソ動いてカメガールの元へ行った。

 ガール。

 コマチ。いささかおこがましい名前をもつこのカメは、その名の通り雌である。


 コマチは、俺が一人暮らしを始めた最初の年の春、初めて夜勤を終えて帰宅したら、アパートの玄関前で眠そうに手足を甲羅の中でモゾモゾさせていたところを拾ったのが出会いだった。

 まだ子亀も子亀、ペットショップで売られてるピチピチの赤ちゃんみたいなちびっ子だったので、こんな都会のど真ん中に一人でいたらいつ猫やカラスの食物にされるやも知れぬ、恐らく近所の家で飼われていたところを飼い主のフトした不注意から脱走、路頭に迷ったのであろうと俺は想像し、「迷子カメ 探しています」等の知らせを飼い主が出すまで預かってやろうと、冬物の衣装を詰め込んでいた百均の衣装ケースを空にし、そこに水と石を入れて煮干し、キャベツやニンジンの切れ端などをエサに与えて子亀を飼い始めた。

 ところが近隣にいるはずの飼い主は何とした事か、いつまで経っても探してますポスターを出すこともなく、仕方なく俺はTwitterなどで子亀を拾った日付、場所、亀の写真をアップし、飼い主探しを行ったが、果たして名乗り出る人物は現れなかった。

 捨て子亀だったのか? いや、捨て子亀ってなんだ?

 亀は物を言わない。どころか鳴き声もあげない。怒っているわけでもないのにへの字をした口を結んでいるだけだ。

 君は、何処から来たのだ?

 問いかける俺の眼の前で、子亀は「Φ」に似た眼を開けたり閉じたりしていた。

 窓の外には曇天が広がり、昼間っからアパートの隣の部屋から薄壁を通して女の喘ぎ声が聞こえた。諸行無常の響きは無かった。


 そうして春が終わり梅雨が明け、夏になる頃には亀が尻尾の短さで雌と分かり、世界三大美人の小野小町から名を借りて「コマチ」と名付け、近隣のディスカウントストアで亀の飼育飼料、日曜大工の工具店などで流木、水槽などを揃えて、一応ペット禁止の安アパートなのだが大家さんに電話で尋ねたら「部屋を汚さぬ事と近隣に迷惑をかけないこと」を守れば亀くらいは飼ってもよろしい、とのお達しをいただけたので、俺はスッカリ亀の、いやコマチの飼い主に収まっていた。


 俺が雨にも風にも負けないけれど文句は言い、バイト先でうだつも時給も上がらない日々を過ごしている間に、コマチはナニヤラやる気でも出したのか、専用飼育飼料が良かったのか、エサを襲いかかる風情で食べ、晴れの日には石の上で日向ぼっこをし、甲羅を次々と脱皮させてニョキニョキと体躯を大きくした。

 鳴きもしない亀だが、植物に言葉をかける諸氏がいらっしゃるように、一緒に暮らしているとついつい言葉をかけたくなるのが人情である。

 俺も返事はしないコマチにエサをやる時、やらなくても水槽の側に行くと「何じゃいワリャ?」とガンをつけて俺の方に来る時など、ついつい

「苦しいです、サンタマリア」だとか

「やっぱ阪神ダメっぽいよ。俺が監督なら……」などと話しかけ、そのたび、コマチは特に何も反応を示さなかった。

 ハードボイルドだ。


 そうして秋になり、半袖では過ごせなくなる頃にはコンビニでも秋の栗や梨のスイーツフェアが開かれ、冬になると亀は冬眠する習性があるらしいが、六畳一間は俺がいる時は暖房をつけたし、そもそも俺は休日も何するでもなく部屋で動画サイトを見たり他人のブログを読んで一日を終える事が多いので基本は部屋にいる。そのせいか、コマチは冬でもエサをねだらなくなるくらいで、試しに水槽に土や落ち葉を入れてみても「何じゃこりゃ?」と不穏な目つきで俺を睨み、もとの水と流木の水槽で安穏と過ごしていた。

 飼育下では冬眠は必須ではない、とGoogle検索して見つけた個人の観察記録ページなどで学んだ。

 コマチは飼い主の俺を幾分心配させたものの、1年目の冬を冬眠せず越して春先から、また食欲をスタートダッシュ、夏に再び成長をして秋深まる頃に大人しくなる、そんなサイクルで四年目の冬を迎えていた。


 なけなしの気力でそばに寄った俺の前でコマチはLED電球の光の下、何度も倒れる、起き上がる、倒れる、起き上がる、倒れる、起き上がる、倒れる、起き上がる、倒れる、起き上がる、倒れる、起き上がる、倒れる、起き上がる……まさに七転八倒を体現していた。

 そんな愛しくもアホらしい姿を見て俺は苦笑しつつコツコツとアクリル板越しにコマチの目先を指先でつつくと、首をすくめるようにして身を固め、目を瞬いては左右を見やった。

「ご主人様のご帰還だぞー、コマチー」

 無反応。

「今日も元気だね、ハロ」

 無反応。

「寒くないか、変温動物として?」

 無反応。

「隣の家に垣根が出来たってね。そりゃ違法建築だ」

 無反応。

「鳥のモモ焼き買ってきたけど、食べる? 鶏肉、好きだろ?」

 やっぱり無反応。


 コマチが動くのを止めたため、部屋は冷蔵庫のモーター音だけが響いていた。


「俺、もう苦しいんだ、コマチ」

 一言、心の底の言葉を発すると胸の奥で何かが取れた感覚があった。

 堰を切ったように形の定まらない言葉が口から懇々と溢れた。

「分かんないんだけど、やる気も無いし、やりたいことも無いし、何やっていいか本当は分かんないし、でもそんなの誰も教えてくんないし、だけどもう大人だし、周りはみんな幸せだって言うし、けど俺分かんないんだ、夜中とか急に胸が苦しくなるし、叫びだしたくなる時もあるけどそんなことできないし、友だちは忙しいってネットでいつも言ってるから声かけづらいし、女の子はいつの間にかオトコ作ってるし、悩みとか重たくてキモいって思われそうだけど、俺、俺、本当は何にもないっぽくて、怖いよ、寂しいんだよ、知らなかったよ、一人なことを感じるのは、こんなに苦しいことだって」


 無反応。


「ごめんな、ダメな飼い主で。ごめん」最後にそれだけ言葉を絞り出して、俺は気を失うように眠りに落ちた。



 気がついた時、俺の身体はキチンと布団に入っていて、台所から暖かさを感じた。朦朧としながらそちらに目を向けると、こちらに背を向けた、人影が見えた。髪が長い。

「ふが?」その瞬間、地球で最もマヌケであろう声をあげてしまった。

 声に気がついた人影はこちらを振り返った。そこだけ、空気が滑らかに動いている感じ。

 視線が、合った。

 輝く黒曜石の様な瞳と。

 ……えっ、誰。


「ご主人様」人影が、驚いたような声を発した。「ごめんなさい、起こしてしまいましたか?」と。

 え、あ、そういう詐欺? 新しいな。ていうか誰よ。「あのー」 頭が寝ぼけたまま、寝起きの声、モテないボーイズ特有の女性に対する卑屈な声で、俺は尋ねていた。「ど、どちら様、でしょうかぁ?」


 すると女性はムッとした表情を見せた。「ヒドイじゃないですか、女の子に」音も立てず内股の姿勢でこちらに歩み寄ってきた。

 殺される。

 本能的にそんな気がした。あ、それ、着けてるの、俺のエプロン。買ったは良いけど全然使わなかったやつ。

 膝を折り曲げて目線を合わせると、女性は言った。

「小町をお忘れなんですか?」こちらから目線を逸らさずに女性は言った。甘い香りがした。

「お、お忘れも、何、も……」侵入者の女性に思わぬ虚を突かれて口ごもった時、ようやく頭が回り出してきた。「え、あれ、こ、こまち、って」

 視線が泳いだ。

 コマチを探した。

 水槽は、静まり返っていた。生き物の気配が、そこには無い。あるのは……。

 再び、視線が合った。

 目の前の、目元が涼しげな大和撫子が解けたように笑った。


 性別以外に共通点、無くないか?

「マジっすか、コレ……」こめかみを指で抑え、半ば支えながら竜頭蛇尾的な声で、そう言った。視線も思考もひっくり返りそうだった。ついでに世界も。

「事実は、小説より奇なり、ですよ、ご主人様。小町は、ご恩を忘れません。朝餉(あさげ)の支度、間もなくです。もうしばらくだけ、お待ちくださいね」

 効果音が鳴りだしそうな輝く笑みを浮かべ、女性は ―本人いわく亀のコマチは― 台所に姿勢を戻した。


 夢だろ、コレ。

 醒めて欲しいかは、少し微妙だけど。

 というか、ちょっと待て。考えろ、俺の自家製コンピュータ。

 本当に冷静になって現状を見てみろ。

「小町、さん?」冷や汗を拭いながら、おそるおそる尋ねてみる。「小町さん、で良いのか、ちょっとわかんないんですけど」

「なんでしょうか、ご主人様?」

 ……ふふん。冷静に、本当に冷静になれば、何だか、物凄くとってつけたような『ご主人様』な気がする。所詮は亀頭脳。キャラ付けが甘いぜ。こちとら二十数年も人間やってないっつうの。今のうちに主人はどちらかということを思い知らせてやろう。

「なんて言うかぁ、立ち入った話で大変恐縮なんですけどぉ。俺たちって、ほら数年来の付き合いじゃないですかぁ。だから、ね? 一応って言うか、かなり質問する権利がね? 俺にはあるんじゃないかな、なんて思うんですがぁ」

「はい、誠にご主人様の仰るとおりです。それでしたら、何故、数年来の付き合いになるあなた様の小町に対して、その様な回りくどい物言いをなさるのですか?」

 くっ。なにやら口調では完璧に負けている。亀のくせに。しかし、ここで引いては今後のイニシアティブに関わる。「直接ぅ、聞くのはね、なんて言うのかな、デリカシー? そう、男として非常にデリケートな方面の話でして」

「一向に構いませんよ、どうぞ、ご主人様」こんにゃろうは大和撫子風情を一切崩さない。ふふん。そうですか。ならば、ゲスい話題の一つ二つ、かましておかねばなるまい。

 役得と言う奴だよ!

 基本的人権の一つだ!

「亀ってからには、基本は男なんじゃないっすか?」

小町は少し、腑に落ちないと言う表情を浮かべた。「いえ、私は女ですよ。何故ですか? ご主人様には、小町が男性に思われるのですか?」

「だって、亀の頭って書いたら、イメージするのは、ホラ」

 包丁が右の耳を掠めた。「キト……え?」

 言い終わらないうちに、安アパートの壁に、垂直に包丁が突き刺さっている。ツ、と血が滴る。

 小町は輝かしい笑顔のままで、俺のこめかみの右、一ミリと離れていないところに、使っていた包丁を投擲したのだ。狙っていたら、確実に俺の額を貫くコントロールで。

 眩しい笑顔のまま、優雅な動作でこちらに来て、包丁を抜き取った小町は、耳元に口を近づけ、一際優しい口調で囁いた。「ご主人様? 下らない話ばかりされていては、次は」俺の耳に女の柔らかな吐息が当たる。「潰しますよ」


 やっぱり夢を希望します。


 ご主人様とのお約束、その一・包丁は、投げてはいけません。

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