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魔剣<つみ>を背負いし者

作者: 武内 修司

プロローグ

 雷鳴が轟く。それはまるで、偉業を成し遂げた者に与えられる、文字通りの万雷の拍手の様に。それは確かに成し遂げた者のない業であった。ただし、数百にも及ぶ人命を代償とした、許されざる悪行だったのである。

「我が念願、ここに成就せり!」

歓喜にうちふるえる声で、老王は呼ばわった。そこは古の聖堂跡であり、円形の石床と何本かの石柱が残るのみである。そのほぼ中央に新たに設えられた祭壇には、一本の両手剣が横たえられていた。柄には瀟洒な彫刻が施され、幅の広い剣身の根本寄りには、大粒のルビー、エメラルド、サファイア、ダイアと、各々を正六角形状に囲む、小粒の同じ組成の宝石が嵌められ、その根本には王家の紋章が刻まれていた。その剣は、今や黒煙の如き靄を纏っていた。その上空に開かれた異界の門から出現したそれは、剣に取り憑いたのであった。門は急速に閉じられようとしていた。祭壇を中心として展開された円形の召還魔法陣は、門が閉じた後も未だ僅かに光を放っている。それは、その場に息づくあらゆる生命から漏れる魔力を集め輝いているのであり、破壊されない限り、その光は消える事がない。とはいえ、それだけでは異界の門を開くに足る魔力には到底届かない。まして、老王の召還せし者の代償には…。

 聖堂跡地下にはカタコンベの如き集合墓地が存在した。小高い丘の上にあるそこより少し下った斜面に洞穴の如き入口があり、見る影もなく崩壊していた石の階段は、ごく最近再建されていた。何の為にか?数百名もの、生きた人間を連行、監禁する為である。彼ら、彼女らの生命を強制的に魔力源として、異界の門は開かれたのであった。生命を瞬間的に吸引し尽くされ、恐らくは誰も生き残ってはいないであろう…。

 「さぁ、剣を手に取り、契約を」

黒いローブのフードを目深に被った召喚魔道士が、右手で祭壇を指し示す。召喚した者、悪魔や堕天使といった存在を召喚者が使役する為の、最後の儀式であった。

「ふむ」

大仰に一つ頷き、祭壇へと歩み寄る。両手剣の柄に右手を掛けた、その時。

「父上っ!」

その声に、召喚魔道士の悲鳴が重なった。振り返れば、血塗れの片手半剣を右手で構えた十代と思しき若者の姿が見えた。金属鎧と兜、大型の盾で護りを固めている。盾には王家の紋章が描かれている。

「セオドルよ、何をしに参った!?ここに近付く事は禁じておった筈!」

若者の傍らに横たわる魔道士を一瞥した後、老王は息子を睨み付けた。

「父上っ、いや王よっ、貴方は何をしたか判っているのか!?」

切っ先を王に向けつつ、注意深く歩み寄ってゆく。

「むろん!余は比類なき力を手に入れた!」

右手の剣を高々と天に向かい突き上げてみせる。

「その為に、何百人の生命を犠牲にした!?」

「その者達は皆罪人よ!余の王国には不要な者達に、最後の奉仕の機会を与えたまで!」

歪んだ笑顔が、老王の面に浮かぶ。ポツリポツリ、雨が落ち始めた。

「その者達の中に、どれ程死に値する罪人が居たというのか!?」

「罪人は罪人よ!余がこれより成し遂げる偉業の礎となれた事、感謝しておるに違いないわ!」

両手を広げ、哄笑する。雨は本格的に降り出した。

「狂われたか…」

契約は未だ成立していない筈であるが、既に剣に憑依した者に毒され始めているのであろうか?目を閉じ俯いた若者であったが、次の瞬間には鋭い目つきで王を、父を見据えていた。

「父上、覚悟!」

一気に距離を詰め、斬りかかる。

「侮るまいぞ!」

老王が両手剣で受ける。かつて武勇を馳せた強者である王は(若者は幼少の頃より、その指導を受け鍛錬に耐え抜いてきていた)、老いたりといえど息子の剣撃を受けきった。その響きは、雷鳴と更に激しくなる雨音にかき消されてゆく。幾度となく剣が火花を散らせるうち、しかし老いは王に致命的な隙を作らせたのであった。

「うぐ」

盾に押された際、雨のせいもあろうが足がもつれたのであった。若者は、躊躇うことなく剣を振るった。

「ぐうっ!」

袈裟斬りにされ、血しぶきを上げつつ倒れ伏す。手を離れた両手剣が、石床に転がった。と、淡い光を放っていた魔法陣に亀裂が走りはじめ、遂には炸裂、消滅したのであった。

「父上…なぜ…」

老王の骸の前に力なく跪き、若者は落涙した。剣を置くと、右手の拳で石床を叩く。手甲が硬い音を立てる。

『我と契約せよ』

不意に、脳裏に何者かが語り掛けてきた。何者かと周囲を見回すが、誰も居ない。

『我と契約せよ』

再度の呼び掛け。今度は、それが何者か、若者はなぜか理解していた。彼の双眸は、石床に転がる両手剣に向けられた。それに憑依した者が呼び掛けているのだと。

「…貴様は、何者だ?」

『契約すれば、全て理解できよう』

「悪魔などと契約できるものか!」

再び石床を拳で叩く。

『それも良かろう。しかし、門は閉じられた。我はこの地に留まらざるを得ぬ』

「…」

若者は絶句した。召喚門を開き、この者を、そのあるべき世界に返す為には、また数百もの人命を捧げねばならないのである。

『うぬが契約せぬというならば、我は勝手にさせて貰う。良いか?』

数百もの人命を代償としたからには、四音節程度の名を持つ生半可な悪魔などではあるまい。二音節、あるいは一音節の悪魔、堕天使か。背筋の凍り付く様な戦慄が走った。それを、このまま放置しておけるものか?封印は出来ないものか?

『言っておくが、我が名は一音節ぞ?いかな封印も、我を拘束する事能わぬ』

見透かした様に、最悪の想像を現実として突き付けてくる。あらゆる悪魔の創造者、堕天使であると宣言したのである。たった八体のうち一体が、この両手剣に憑依したというのである。あるべき世界に戻すよりない。と、とある少女の面を、脳裏に思い浮かべる。もう何年も前に、遠く離れた聖域へと引き取られていった彼の妹の、可憐な容姿を…。

「…契約を交せば、我が意に従うのか?」

『その為の契約である』

「そうか…承知した」

恐る恐る、若者は両手剣に手を伸ばしたのであった。


第一章

 その道は荒れ果てていた。無駄に広い道には、かつての石畳の名残が欠片となって散乱しており、雑草の為に一見獣道の如くである。道に使用されていた石は、いったいどこに行ったのであろうか?恐らくは、数キロ離れた地方都市、アルミテで建築資材として活用されたのであろう。

「かつての活気も今は昔…」

緩やかに丘の斜面を上がって行く道を歩く、四つの人影。その先頭、紅のマントを羽織った未だ若い女性が呟く。少し低い、掠れがちな艶っぽい声であった。服装はゆったりとしたブラウスにズボンであるが、自己主張の強い胸や、隠しきれない妖艶な体のラインがその声と相まって異性を痛く刺激するであろう。十本の指には、四色の宝石を嵌めた指輪。腰のロッドと合わせて魔道士と知れた。魔道士とは、自らの生命力を魔力へと転換し、それを、魔道術式を通して様々な現象を発現させる為に使用する術を知り、また行う者達の事である。

「この様子だと、随分前に閉鎖されたんだろうねぇ。その廃坑、かなり危ないんじゃないの?」

少し離れて歩く、大柄の女性。女性としては長身と言ってよい先頭の女性より、更に高い。筋骨逞しく、金属で補強した革鎧姿である。右腰には戦斧をぶら下げている。左腰には短剣。力自慢の戦士であろう。その横を歩く、少し背の低い女性(それでも革鎧の胸部は随分とせり出して成形されているが)は、左肩の長弓を掛け直した。左腰の矢籠しこには、二十本以上の矢。弓兵というよりは狩人であろう。

「天の理司る導き主よ、我らを導き給え、尊き加護を…」

最後尾を付いてくる、最も身長の低い女性。未だあどけなさの残るその面を天に向け、聖印を切る。修道士の装束に身を包み、右手には杖を持つ。

「それって、本当に天道主様の加護があるの、アイリス?」

からかう様に戦士が言った。

「強く信ずれば。シャール姉様も、それで戦場を生き延びたのでは?」

「そうかねぇ?従軍司祭様がよくそんな祈り捧げてたけど、何人も死んでたしなぁ」

「それは信心が…」

「はいはい、信心が足りないって?あたしも親父もあんまり信じてなかったけどね。こいつと仲間以外はさ」

腰の戦斧に手を掛けた。外を覆う木製のカバーを吊る革紐の結び目を解き、戦斧の杖を持つと掲げてみせる。刃に湾曲はあまりなく、下方に少し長く伸びている。反対側にはスパイク。これは相手の防具を打ち破るほか、障害物を引き倒したりするのにも使用される。

「…別に、信じたくなければどうぞ」

小さく溜息をつき、アイリスと呼ばれた修道士は呟いた。

「…いない」

会話の切れ目を待っていたかの様に、狩人が呟いた。

「いないって、エリス、見張りが?」

気楽そうであったシャールが、表情を引き締め言った。

「アイリス、貴女は感じる?」

先頭を行く魔道士に声を掛けられ、修道士はビクリ、と体を震わせた。慌てて瞑目する。

「…いえ、その…人の生気は感じられません…」

「そう…なら、いないのね…」

魔道士は、その言葉を無条件に受け入れた。

「はい、アオリア姉様…」

目を開く。視覚が切り替わった、と修道士は感じた。彼女にとって新たな目を持つ、それこそが。

「尊き加護、ねぇ」

であった。

「もうすぐ、廃坑の入口ですよね、アオリア姉様?」

シャールの軽口を無視し、アオリアに訊ねた。

「もう見えてくる筈。見張りの一人もいない事など…」

言っているそばから、それは坂の上に姿を現した。丘の斜面にぽっかりと空いた横穴は、太い材木で補強されてはいたが、その材木も腐蝕が進んでいる様である。横穴の前は拓けており、往時には何台もの鉱物運搬用馬車が待機していたであろう。左側には切り立った崖が聳え、向こう側には山脈が見える。その外れ、小さな山の中腹に拓けた場所には、小さく城が見えていた。横穴の右側は、緩やかに丘の天辺へ上がって行く坂道。

「…誰も、いません」

再び瞑目しながらアイリスが告げる。

「何だ、誘ってやがるのか?」

廃坑の中で一行を待ちかまえているのかと、シャールは身構えた。

「突入する?」

弓を構え、矢籠に手を伸ばしつつ、エリスが訊ねた。

「そう、用心しつつ進みましょう」

「あ、待って下さい!」

アオリアの言葉尻にアイリスの声が被さった。

「どうしたんだい、誰か居たとか?」

「はい。こちらに近付いてきます!この生気、人と…」

それきりアイリスは絶句してしまった。

「何?」

「静かに!」

アオリアの制止に、シャールが口を噤む。横穴から、足音が聞こえてくる。更に金属のカチャカチャという音。音のみから推測すれば、一人きりの様である。

「山賊?でも、一人じゃあ…」

彼女達が討伐を依頼された山賊が、討って出てきたのであろうか?

「”炎の礫”、起動」

アオリアが右手を横穴に向け突き出す。中指のルビーが淡く輝き、小さな魔法陣がその中空に投影される。これで後は魔力を注入するだけで、注いだ魔力量に応じ一つから複数の小さな火球が横穴を襲う事になる。戦力の不明な敵に対し、小手調べとして彼女は多用してきた。シャールが数歩、前に出た。エリスが矢を弓につがえる。緊張感が盛り上がる中、彼は陽光の下に姿を現した。

「ああ、皆さんもここに用がおありでしたか?」

驚いた様に、少し間の抜けた声でセオドルは言った。彼はあの金属鎧姿ではなかった。高品質であろう、金属で補強された未だ新しい革鎧を身につけ、ドングリを横に二分した様な形状の兜を被っている。左腰の片手半剣はそのままでも、背中に見える両手剣の柄には、紋章を隠す様に革のベルトが巻かれていた。盾は持っていない。

「貴方は、誰?」

「私ですか?私はセオドル・アルマニーです。そちらは?」

「…アオリア・テオドルー。メテオノールの商工会支部で、ここの山賊討伐依頼を受けた」

メテオノールとは、アルミナの北西部30キロ程にある山間の新興の都市である。隣国との新たな街道が整備された為、小さな村であったのが近年急成長していた。

「そうでしたか。実は、私も別口で同様な依頼を受けまして。未だ継続中ですので、これで」

歩み寄ろうとしてくる(実際には彼女達の来た道を進もうと、であろうが)セオドルの前を遮る様に、シャールが進み出る。

「おい、あんた本当は山賊じゃないのか?逃げるつもりなんだろ!?」

「いえいえ、本当に依頼でして」

腰の小物入れから丸めた紙を取り出す。リボンで留められたそれは、高級そうなものであった。開いてみると、契約書であると知れた。

「…」

装飾文字で綴られた、硬い文章を前にシャールが困っていると、横からアオリアが取り上げる。

「…確かに、依頼の契約書…」

一読して納得すると、アオリアは契約書を返した。

「ご理解頂けて、何よりです」

ニッコリ、という擬音が相応しい笑顔を見せつつ、リボンで契約書を丸め直す。

「中を調べても?」

「どうぞ、ご自由に。私の用は済みましたので」

「山賊共はどうなったんだ!?」

「頭目らしき男一人を除いて、ね」

腰の剣を叩いてみせる。

「あんた一人で!?」

「ええ。見張りも含めて、十四、五人、といった所でしょうか?」

セオドルとアオリア、シャールの遣り取りも半ば上の空で、アイリスはじっ、とセオドルを見詰めていた。より正確には、彼の背負った両手剣を。その双眸には、警戒の色が見えている。

「それではこれで。お嬢様方」

シャールの横を擦り抜け、アイリスに近付いてくる。すれ違う瞬間、二人の視線が交錯した。険しいアイリスのそれに対し、セオドルのは冷ややかであった。背中を黙って見送り続けるアイリスに。

「…行こう」

エリスに肩を叩かれ、アイリスはようやく向き直ったのであった。


 廃坑中での戦闘は、ほぼ終息していた。狭い坑道ではせいぜい一対三程度の戦闘となり、それなりの戦闘訓練経験があると思われる山賊達は、しかし次々とセオドルの剣に斬り伏せられていった。

 そこはかなりの広さがある空間であった。掘り出した鉱石の一時的な集積所であろうか。地面には、巨大な魔法陣が光っている。召喚用であろう。

「な、何なんだ、てめぇ!」

尻餅をついたまま後じさる男。他の山賊に比べ、鎧兜も剣もまだ上質そうであった。恐らくは頭目であろう。

「ある富豪の方から依頼を受けまして。ドンミ村で拉致した村人達は、どこにいますか?」

「ドンミ村だぁ?知らねぇなぁ、初めて聞く名前だぜ!」

無様な格好で片手半剣の切っ先を突き付けられながらも、精一杯虚勢を張ってみせる男。左手が、そろそろと後ろ腰の小物入れへと伸びる。

「ねぇ、知っている事は全て話してしまいましょうよ。貴方の為ですから」

右手は剣を突き付けたまま、左手は両手剣の柄へと伸びてゆく。

「下らねぇおためごかしにつきあうか!」

男の手は小物入れからピンポン状の球体を一つ取り出すと、セオドルの顔めがけ親指で擦る様に投げつけた。同時に鼻と口を左手で覆い、後方に転がった。球体はセオドルの五十センチ程手前で爆発し、白い粉末を撒き散らしたのであった。

「ははっ!痺れ薬だ、たっぷり吸いな!」

そう言い捨て、弾き飛ばされていた長剣を取りに数歩動いた。粉末は急速に拡散していった。

「なるほど、虚勢を張っていられたのは、こんな切り札を隠していたから、ですか」

そこには、先程と変わらぬセオドルの姿。しかし、その全体を小さな竜巻が覆っている。左手が掴んだ両手剣は、半ばまで抜かれていた。見えている宝石、大粒のダイヤを囲む六つのダイヤのうち、一つが淡く輝き小さな魔法陣を中空に投射していた。魔道が発現したのであった。

「てめぇ、その剣は…魔道士か!?」

「いいえ、私は戦士ですよ」

両手剣を抜く。ダイヤの魔法陣は消え、竜巻は止んだ。

「貴方の返答は、よく判りました。最悪の選択をするとは、愚かな人です」

両手剣の切っ先で、軽く召喚魔法陣を叩く。ヒビが入ると、一瞬の光芒を放ち消滅する。

「何て事をしやがる!」

男が斬りかかってくるのを、両手剣で受け片手半剣の柄頭で顔面に一発見舞う。

「うげっ!」

鼻血を流し、再び剣を取り落とした。セオドルが蹴り倒す。

「まぁ、選択の誤りに気付くのは、全て手遅れになった後ですか」

「貴様…」

「もう、貴方の口を頼るのは止めましょう」

両手剣の切っ先を男に向ける。その時になって、男は妙な事に気付いた。両手剣の柄から影が伸びているのを。鋭い爪を伸ばした六本指のそれは、セオドルの左手を掴んでいる様に見えた。しかし、その観察も、切っ先から広がり始めた黒い靄がその頭部を包み込むまでであった。

 蹲った男は、ひとまずセオドルの知りたい事を全て語った。

「その様な所に労働者達の宿舎跡が…貴方は、拉致した人々をどうするつもりだったか、ご存じでしたか?」

「知らない…指示されたのは、連れてこられた連中を宿舎跡に閉じこめておく事と、ここへの侵入者の排除…」

虚ろな目をしたまま、男は棒読み台詞の様に答える。

「貴方達の雇い主は?」

「知らない…昔の戦場仲間とか言う奴の仲介で、全身黒ずくめの奴…前金を、はずんでくれた…」

「なるほど…分業制、ですか…ところで、話は戻りますが、その宿舎跡へ行く道は?」

「地図が…」

「その地図はどこに?」

「休憩室…」

のろのろと、右手でその方角を指さす。その方へ顔を向けたセオドルは、不意に入口の方角へと向き直った。

「四人の女性…どこかの、探索者団ですか?」

訊問の時間は終わったと、セオドルは悟ったのであった。


第二章

 「あと五日はかかるって、どれだけ待たせるのさ!」

商業地区の広々とした道を歩きながら、シャールは腹立たしげに呟いた。

「今まで多忙だったのですし、少し休憩せよとの天道主様の思し召しなのでは?」

控え目にアイリスが宥める様に声を掛けるが。

「悪いけど、余りそういうの信じてないんでね」

すげなく言い返される。

「シャール、八つ当たりは止めなさい」

先頭を行くアオリアが、やんわりと窘める。

「ああ…悪かったよ」

怒りが一瞬で冷めたかの様に、もごもごとアイリスに謝る。

「いえ…有難う御座います、アオリア姉様」

しょげかえっていたアイリスが、躊躇いがちに謝意を示した。

「…どうする?」

エリスの問いを、昼食をどうするのか、とアオリアは解釈した。

「あの食堂は?」

指さす先には、商業地区に隣接する宿屋街のうちの一軒、その一階を占める食堂があった。ここアルミテは、カスティーオ王国の南東部を占めるこの地方最大の都市である。かつて天道主教団の中でも司教区本部が置かれ、修道騎士団を抱えていられた程重要視されていたのであるが。

「納品が遅れてるからって、こっちにとばっちりが来るんじゃたまらないね」

「愚痴は食事の席に持ち込まない」

冷淡なアオリアの言葉に、ようやくシャールは口を噤んだのであった。


 アルミテは東と西、北西に延びる街道が合流している。市壁に囲まれたその内側は、歴史を反映し東から中央にかけて商業地区が形成され、それと隣接する宿屋街、その裏手に高級ホテル等が並ぶ。領主邸をはじめとする行政機関は南方に集中していた。王国の西方及び南方は山岳地帯であり、彼女達が向かった廃坑も南方にあった。西方に向かう道は山岳地帯を迂回しており、メテオノールを通る新たな街道が整備されたのであった。話をアルミテに戻すと、北部から西部にかけてが住民の居住区となっている。手工業者の工房や市場等も主にこちら側にある。北西部には川が流れ、生活水として利用するほか交通手段としても利用されているが、北西部の市壁とその川で挟まれた一角は、最近貧困地区化が進行している。


 食堂の六人掛けテーブルに四人は腰掛けた。

「いらっしゃいませー、ご注文は?」

食堂の看板娘なのであろう、十代らしき可憐なウエイトレスが足早にテーブルへとやってくる。

「えーと」

奥の黒板に石蝋で大きく書かれたランチメニューを見ながら、シャールが決めあぐんでいると。

「お勧めは何ですか?」

アイリスの問いにウエイトレスは。

「全てお勧め、と言いたいけれどね」

おどけた口調でウインクしてみせる。

 結局全員がお勧めを頼み、魚料理が来るのを待っていた。

「…ところで良かったのでしょうか、報酬を受け取っても」

アイリスが顔を曇らせた。

「あの廃坑の一件かい?いいんじゃないの?たまたま依頼がかぶっただけだし」

「でも、私達何もしていないのですよ?」

「何もしてないって?あの頭目を役人に引き渡して、支部にもきちんと事情を説明した上で支払われたんだ、問題ないだろ?」

面倒臭そうなシャール。

「アイリスが懸念しているのは、あの若者の反応?」

静かにアオリアが解説する。

「そうです。あの方は…とても、その、不気味です」

かなり言葉を選んでの発言であった。

「そう…山賊達の死体を見れば、かなりの剣の使い手と思われる。しかし、彼は魔道を使用した可能性がある」

彼女達は坑道内を探索した。あの召喚魔法陣のあった空間には痺れ薬がきれいに円形に吹き散らされた跡が残っていた。あの閉塞した空間で、竜巻が自然に発生したとは考えられなかったのである。

「凄腕の戦士で魔道士ねぇ…金でもめて、敵対したら厄介そうだねぇ…」

頭の後ろで手を組み、天井を見上げるシャール。

「それだけではない…何か、大掛かりな魔道を実行しようとしていた様な、そんな痕跡もあった。しかし魔法陣は発見されなかった。彼が、破壊した可能性もある」

「それって、悪魔召喚の?」

「恐らく。山賊達はそれを護っていたと考えられる」

「山賊達が悪魔召喚を?」

「その可能性は低い。山賊達の中に召喚魔道士がいたとは思えない。山賊達の体であそこを護るよう雇われた傭兵団、といったところ」

アオリアとシャール、アイリスの会話を、エリスは黙って聞いていた。

「そうなると、あの頭目も魔道のせいなのかね?」

廃坑に一人残された男は蹲ったまま、虚ろな目をして何を話し掛けても反応しなかったのであった。

「風系や水系の魔道には、薬物の様な効能を空気や水に与え、人を操るもの、幻覚を見せるもの等があるとは聞く。しかし、恐らく薬物を使用するか、悪魔に精神干渉でもさせた方が確実」

「薬物ではないと、思います。”解毒”の歌唱に反応がありませんでしたから。結局、あのままでしたし」

「となると…」

シャールの表情が恐怖に歪む。この世にありうべからざる存在に対する恐怖である。

「…それについて、心当たりが…」

躊躇いがちに、アイリスは切り出した。

「何?何か、見えた?」

アオリアの鋭い視線に、思わず視線を逸らす。

「その、あの方の背にしていた剣から、何か、得体の知れない生気が…」

と、そこへ先程のウエイトレスが料理を運んできた。

「ごゆっくり、どうぞ!」

笑顔を一つ残し、歩み去ろうとして、入口の扉が開いた音に気付く。

「いらっしゃ…ああ、セオドルさん、お帰りなさい!」

その声に、一同の視線が入口に向けられる。

「相変わらず元気そうですね…ああ、貴女達は…」

アオリア達に気付き、最初に出会った時と同じ出で立ちのセオドルが近付いてくる。自然と、四人の視線は背中の両手剣に集中する。

「?何か?」

「いえ、何でも」

アイリスは視線を逸らした。

「皆さんもこちらに宿泊を?」

「昼食に立ち寄っただけ。貴方はこちらに?」

「はい、五日前から。依頼を受けてから、情報収集と準備の為にね」

改めて見ればなかなかのイケメンで、爽やかな笑顔が似合う。

「掛けたら?明確にしておきたい事もある」

アオリアの勧めに、それでは失礼して、と両手剣を下ろし、椅子の傍らに置くと腰掛けた。

「ご注文は?」

上機嫌なウエイトレスに同じ物を、と注文する。今にもスキップしだしそうな足取りのウエイトレスが歩み去るのを見送り、少し声を落としてセオドルは口火を切った。

「ところで、明確にしたい事、とは?」

「この前の、廃坑の件さ。あんた一人で仕事したんだろ?あたし達は支部から報酬を貰ったけど、文句はない?」

彼のほぼ真正面に座ったシャールが、威嚇気味に身を乗り出してくる。

「異存はありませんよ。私も報酬は頂いているので」

「そうかい、そりゃあ良かった」

余りにあっさりと引き下がられ、少々拍子抜け気味のシャール。金銭が絡むと、人はしばしば凶悪になるものであるから。

「お話はそれだけですか?」

一同を見回すセオドル。

「あの後、ここへ?」

「ええ。一旦戻って、準備を整えてから最後の一仕事をね」

「富豪の娘さん救出は、うまくいった?」

依頼の契約書を読んでいたアオリアは、当然ながら彼の言う『最後の一仕事』について知っていた。

「ええ、他に三十人程拘束されていたので、皆さんには自力で帰って頂きました。娘さんは、私が依頼主のところへ送り届けまして。こうして今戻った所です」

そこまで訊いていない、という事まであけすけに話すセオドル。

「その人々が、なぜ拘束されていたのか、ご存じ?」

「さぁ。まぁ、普通に考えれば人身売買の為、でしょうか?いやぁ、人買いが来る前に間に合って幸いでした」

「…あの、頭目のいた場所に、何かあった?」

「いえ、特には…んん、やっぱり、思い出せませんね」

とぼけているのか、本心か?アオリアはセオドルの表情や仕草を読み取ろうとしたが、うまくはいかなかった。

「あの、その剣を、見せて頂いて宜しいですか?」

アイリスが両手剣を指して言う。しかし。

「すいませんね。これは宝物なので、みだりに他人に触れさせる訳に行かないのですよ」

やんわりと、しかし冷淡な目差しでセオドルは断わったのであった。その言葉を、近くのテーブルに着きスープを啜っていた、薄汚れた身なりの少年二人が聞いていた。二人は目配せで語り合った。

 その、胸甲を身につけたむくつけき男達は、戸口で食堂内を見回した。

「いらっしゃいませー」

セオドル達の近くのテーブルに落ち着いたその四人は、やってきた先程のウエイトレスに料理を注文した。

「畏まりましたー、少々お待ち下さいませー」

一礼し、立ち去ろうとした彼女の左腕が、厳つい右手に掴まれた。

 「で、廃坑から戻ってここの支部に一部始終を報告したらさ、メテオノール行きキャラバンが護衛を探してるって言うんで、受けた訳さ。まだまだ開発途中で、途中待ち伏せにうってつけのところとかあるんでね。ところが、頼まれてる品物の納品が遅れてるってんで四日も足止めさ。今日訊いたら、更に五日ときた!」

肩を竦めながら、シャールが今日までの経緯を説明する。

「それは災難でしたね」

「だろ?で、あんたはどうすんだい、これから?」

「私は旅の途中でして。明日には発つつもりです」

「そこは遠いのかい?」

「ええ、かなり」

と、不意にウエイトレスの悲鳴に近い声が上がった。

「すいません、仕事中ですから!」

ざわめきが止み、食堂中の視線が、そのテーブルに集中した。

「注文書きなんぞ俺が持っていくからよ、あんたは席に着いてな!」

赤髪の男が、ウエイトレスから注文書きをひったくり、立ち上がる。

「他のお客様の相手を…」

「そんなのはあいつにやらせとけ!あんたは俺達だけに給仕すりゃあいい!」

離れた場所にいるウエイターを親指で示し、左腕を掴んだスキンヘッドの男が更にウエイトレスを引き寄せる。

「そうそう!俺達はオスアルミテ城へ修行に入る信者達を連れてく仕事の途中なんだ。あんまりつれないと、良くない事が起きるぜ!?」

乏しい金髪を撫でつけた男が、これ見よがしに呼ばわる。好奇や敵意の込められた視線が、一斉に背けられた。それが天道主教団との無用なトラブルを回避する方法だと、瞬時に理解したのである。ウエイトレスも固まってしまった。

「情けない…」

エリスが小さく呟く。険しい表情をしたアイリスが立ち上がりかけて、しかしその機先を制する様にセオドルが立ち上がった。

「あのー、すいません。私の料理がまだなので…」

男達へと、臆する事なく声を掛けた。

「んなもん、あいつに持ってこさせな!」

長い黒髪の男が、スキンヘッド同様ウエイターを指さした。

「でも、あちらはあちらでお忙しそうですし…」

「ああ?何なんだてめぇは!」

「おいおい、あんた異端の信者じゃあねぇか?」

戦火は拡大していた。先程の赤髪が、戻ってくるなり自分達を睨み付けていたアイリスに気付き、絡んできたのである。彼女の杖の頭部にはメダルが嵌め込まれていた。それには正八角形が刻まれていたのであるが、それは教団古来のシンボルとは異なっていたのであった。

「異端では、ありません。回帰派です…」

声の調子は、少々頼りない。

「教団主流派が異端と決めたんだ、回帰運動は異端なんだよ!こんなとこで何してやがる!?西の大国が保護化してるからって、調子乗ってると痛い目見るぞ!」

アイリスの服へ手を掛けようとしたその鼻先へ、鏃が突き付けられた。エリスが弓を構えていた。

「てめぇ!」

残る三人も立ち上がり、腰の剣に手を掛ける。一触即発であった。頷きあい、少年達はテーブルを立った。

「あっ!」

シャールが声を上げる間にも、少年達はセオドルの両手剣を持って逃走していたのであった。この珍事が、緊張感を緩めるのには一役買った。男達の意識に、空白が一瞬生まれたのである。

「まぁまぁ。ここでの争い事はお店の迷惑になりますから、話は外でしませんか、ね?」

変わらぬ笑顔のまま、セオドルがそう提案する。まるで催眠術にでも掛かった様に、男達は諍いの元凶を放り出し、セオドルについて出て行った。

「あいつ、大丈夫か?」

「それに、あの剣は…」

シャールとアイリスが呟くうちに、外で悲鳴が上がる。どう考えてもセオドルのものではなかった。不意に立ち上がったアイリスが、入口へと駆け出した。仕方ない、という様に、アオリア達もそれに続く。

 食堂の前には、馬車が停まっていた。しかし、それは通常のものではなかった。長方形の素っ気ない車体には金具で補強がされ、窓には鉄格子が嵌められている。後部の扉にも、南京錠が掛けられていた。まるで囚人護送用である。とうてい天道主教団信者を運んでいるとは思われない。馬車の横にはあの男達が肩を押さえ、悶絶していた。

「全く、貴方達は愚かですねぇ。お楽しみは仕事の後に取っておくものですよ」

窓越しに車内を覗き込んでいたセオドルが、男達には一瞥もくれず言った。

「てめぇ…こんな事して、只で済むと…」

苦痛に顔を歪めながら、スキンヘッドが唸る様に言った。

「さぁ。ただ、貴方達の雇い主にとって重要なのは、貴方達ではなくこの”信者”達を運んでくれる人だと思いますが」

入口近くに立ち尽すアオリア達に気付くと、見ますか?、とばかりに窓を指さした。アオリアが歩み寄り、セオドルと並び車内を覗き込む。

 車内は薄暗いが、十人以上の女性や少女、少年がいるのは判った。みすぼらしい服装で、一様に俯き加減に暗い表情をしている。とうていこれから始まる天道主教信者としての修養の日々に、胸膨らませている様には見えない。まるで色街にでも売られてゆく様な…。

「この方達は、私がお連れしましょう。早く施療院なり教会なりに行った方が良いですよ。関節は厄介ですからね」

男達は睨み殺さんばかりの視線をセオドルに投げつけつつ、よろよろと去っていった。足も痛めつけられた様であった。

「では、そうゆう事で、私はこの方達をオスアルミテ城へ連れて行きます。貴女達は?」

「その前に、するべき事が」

「はい?」

「食事がまだ」

アオリアはニコリともせず言ったのであった。テーブルに戻り、料理の来ていたセオドルも含め五人で食事を始めたが、料理は冷めており美味しくなかった。


 とある住宅街の薄汚れた路地裏。そこに逃げ込み壁に凭れた少年達は、上がりきった息を整えた。走り通しで疲れ切っていたが、心地よい疲労感といえた。彼らの手には、セオドルの両手剣という宝物があった。その場に座り込む。

「綺麗だよな、これ」

改めて見ると、鞘や柄に施された装飾は見事である。

「幾らになるかな、兄ちゃん…」

目を輝かせつつ、両手剣を見上げてくる弟と思しき少年が訊ねる。

「さぁな、もっと調べなきゃ」

柄に手を掛け、抜こうとした少年であったが。

「うわっ!」

弾かれた様に、両手剣を放り出した。少年の右手首辺りには六本の引っ掻き傷があり、血が滲んでいる。

「兄ちゃん、どうした!?」

「な、何だ、これ…」

右手首を左手で庇いつつ、気味悪げに両手剣を見遣る。と、不意に剣は消えたのであった。少年達は、呆然と剣のあった辺りを見詰めていた。


 オスアルミテ城は、アルミテの南西十キロ程の山上にあった。廃坑のある丘からも見えていたのであった。山上といっても、標高は二百メートル余り、緩やかで広い道が整備されて、いた。こちらも今は随分と荒れ、轍の跡が剥き出しの土の色を見せている。

「本当にいいのですか?私一人の方が…」

御者台に腰掛けたセオドルは、隣のシャールに幾度目かの質問をした。

「アオリア姉さんが言ってたろ?あっちは四人だったんだ、幾ら何でも一人じゃ怪しまれるって」

「ですが、負傷した者達から頼まれた、というなら私一人でも」

「うるせぇなぁ。後ろの連中が本物の信者だと思ってんのかい?下手すりゃ違法な人身売買が行われてるかも知れねぇんだろ?そうなりゃ戦いにもなりかねねぇだろうが?」

本当はアオリアより同行するよう命じられ渋々、とではあったが、”信者”達の行く末を案じる心があったのも確かではあった。

「一緒に戦ってくれるのですか?」

「ま、そんときゃね。それより、あんたこそいいのかい?あの剣、宝物なんだろ?よくまぁ平然としてられるよなぁ?」

「ですから、敏腕情報屋さんに探して貰いますよ。すぐ見つかりますから」

「そうかい…」

シャールは胡散臭そうにセオドルを横目で見た。彼女の経験則では、よほど名のある物品か、よほど優秀な組織を動員できる人物でもない限り、盗品がすぐに発見される可能性は低いのであった。しかしセオドルは、盗まれた直後から今に至るまで、笑顔を絶やす事がなく、まるで手元に戻ってくるのは確定事項であるかの様であった。会話が途切れ、暫くすると。

「…もうすぐ」

御者台の後ろ、馬車の屋根に腰掛けたエリスが二人に告げる。オスアルミテ城は目と鼻の先であった。

 ともかくも、城壁門付近の城壁は、まだかつての威容の痕跡を留めてはいた。しかし左右に少し目を転ずれば、そこここが崩落し、長年放置されていたのであろう、苔に覆われている。正面の門には門番が二人、傭兵らしく、天道主教の熱心な信者とも思われない。

「何だお前ら、見ない顔だな?」

鼻の横から上唇に掛けて傷のある男が、セオドルとシャールを見較べる。

「いやぁ、私達も急でして。これに乗っておられた方々が、食堂で他の客と喧嘩をなさいまして、怪我をされたのですよ。そこで、たまたま居合わせた私達が、仕事の続きを依頼されたと、こういう事です」

予め用意した嘘をペラペラと捲し立てるセオドル。男は舌打ちした。

「ちっ、大事な仕事の最中に…おい、そっちはどうだ?」

馬車の中を確認していた、もう一人の門番に声を掛けると、問題ない、と手を振った。

「よし、通れ」

男は門を数回、叩いた。内側から、ゆっくりと門が開かれてゆく。開ききるや、セオドルは再び馬車を走らせた。

 城門正面の車寄せに馬車を停めると、屯していた男達が近付いて来た。皆帯剣している。

「こちらの責任者の方は?」

馬車を身軽に降りると、男の一人に訊いた。他の男達は扉の南京錠を外し、”信者”達を外に出していた。

「司祭さんか?何の様だ?」

じろじろとシャールとエリスの全身を見回していた男が、面倒臭そうに訊き返す。

「実は、私達は代理でして。ここへ来るよう依頼されて、その代金を頂きたいのですが」

「…来な」

名残惜しそうに男は二人から視線を外し、城門へと歩き出した。セオドルと、不快感をそれぞれ表したシャール、エリスが続く。城門を潜り、中庭を巡る回廊の右側を行く。中庭には花壇の名残があるばかりで緑はなく、暇を持て余している様子の、今まで見かけたのと同輩の男達が、そこここに屯している。バカ笑いする声が上がった。本丸とも言うべき建物の門は開放されていた。中に入り、幾つか扉を潜ると礼拝堂に着いた。今まで見た中で言えば、城内で唯一、手入れが行き届いている場所であった。巨大なステンドグラスには、天道主が最も好んだと言われる大天使オクトローム(オクタリムとも)の姿が象られている。その八枚の翼は、この世界に八カ所存在する聖域を表すといい、天道主教のシンボルであった。

 礼拝堂のほぼ中央で、二人の男女が話をしていた。一人は司祭の装束を身に纏った、ずんぐりむっくりの中年男性。アイリスより背が低いであろう。もう一人は、フードを目深に被り顔は見えない。しかしその漆黒のローブの下に垣間見える、タイトなドレスが見せるラインや、微かに聞こえる声から女性と判る。

「司祭様。こいつら…この者達が、用事があるそうで」

司祭の鋭い一瞥に男は怯み、言い直した。女性に立ち去るよう仕草をすると、彼女は一礼して奥の扉へと消えていった。

「何か?」

司祭は不機嫌そうに、だみ声で言った。

「司祭様、実はですね。ここへ”信者”達を連れてくる筈であった方達に代わり私達が来たのですが、その代金を…」

「金はもう払ってある。その者達から貰うがいい!」

下らない事を、と言いたげであった。

「そうですか…ところで、こちらで修養中の信者の方は何人程おられるのですか?」

「…なぜ、その様な事を訊く?」

司祭は警戒の色を表情に滲ませた。

「いえ…ここへ来るまで、信者のお姿を見かけなかったので」

「何を言っておるか。そこの者も、今城内にいる者は皆信者である。修道騎士団は皆帯剣しておろうが!」

「なるほど…いえ、これは失礼致しました。どうぞご容赦を」

深々と一礼する。

「もうよい。立ち去れ!」

一言言い捨て、大股で奥の扉に消えてゆく。

「信者だって?」

ぼそりと呟いた男の、その一言をセオドル達は聞き逃さなかった。

 男に見送られ、セオドル達は徒歩で来た道を引き返していった。

「あれが修道騎士団だってさ」

呆れた様にシャールが呟いた。修道騎士団とは、教団に所属し日頃から修養を積みつつ教団の軍事力として戦う者達の事である。いやしくも騎士階級として認められている以上、それ相応の装備と品格を備えている筈であるが…。

「只の傭兵、ゴロツキ…」

エリスの呟きこそ、三人共通の感想であった。

「あの司祭様が本物として、信者さん達はどこに?」

「さあね。あの馬車の人達が最初だったんじゃない?だとすれば、何で急にここで、っていうのは不思議だけど」

「あの方達が、本当の信者なら、確かに不思議ですね」

城には、新参の信者達を指導、世話する古参の信者達の姿さえ見かけられなかったのである。まさかあの男達がするとも思われなかった。

「幾ら教団が腐ってるったって、まさかあんな所で娼館始める訳じゃないよねぇ…ああ、もしかしたら、悪魔でも召喚しようとか?確か半年前にも、東の外れの国で、大掛かりな儀式が行われたって言うし」

言いつつ、さりげなく(決して成功しているとは思われないが)セオドルの様子を窺うシャール。しかし、彼は眉根一つ動かさない。

「ああ、それなら耳にしました。ですが、どうでしょうねぇ?幾ら何でも、あの城で召喚するというのは」

「馬車が来る」

エリスの一言が会話を断ち切る。示し合わせた様に、三人は横の木に隠れた。程なくして、セオドル達が乗ってきたのと同様な馬車が、その前を通り過ぎていった。御者台に乗っていたのは、あの男達ではなかった。

「かなり手広く、集めてる様だねぇ」

「もしかしたら、猶予ならざる事態なのかも」

その呟きは、シャールの先程の発言を肯定するものであった。司祭が、悪魔召喚を企んでいるという。

「まさか…」

「早く戻りましょう」

木の陰を出た一行は、歩調を早め、アルミテへ向かったのであった。

 夕方近く宿屋へ戻ったシャールとエリスは、居残りのアオリアとアイリスにこれまでの経緯をかいつまんで説明した(シャールの説明が上手であったとは言えなかった。ところどころエリスが突っ込みを入れていた)。アイリスは宗派上の複雑な理由から、アオリアは魔道士と教団との血腥い抗争史に起因する悪感情への配慮から居残りとなったのであった。

「そう、彼は、司祭が悪魔召喚を行う可能性について憂慮していると?」

「ああ、あたしがそんな話振ったせいもあるんだろうけど」

「…あるいは、最初から、その可能性に思い当たっていたかも」

「どういう事だい?」

「あの廃坑の一件が関係していて、彼は私達の知らない情報を知っているかも知れない。彼は、拉致された人々を皆解放したと言っていた。悪魔召喚の儀式をやり直す為、急遽新たな生け贄を集め始めた、と考えれば?」

「そんな…聖職者にある者が、その様な外法を…」

アイリスは色を失い呟いた。

「聖職者って言うより、強欲な商人って感じだったけど?ま、金で教団の役職を買う連中もいる様だし、実際そうなのかもね」

正式な修養を積まず役職を得る事はもちろん不当であり、最悪の場合聖職者を騙る者として処刑される。たとえ教団内の地位ある者が与えたとしても、その者が責めを受ける事はまずないが。

「もしそうならば、私達は告発すべきでしょうね。傍観する事は、信仰に対する重大な裏切り行為です」

「同意する。ただ、その前に確認が必要。司祭代理も、一般信者もこちらの教会にいる筈。明日にでも出向く」

「でも大丈夫かねぇ、このメンツで?教会の連中がみんなあの司祭みたいだったら?」

アオリアとアイリスは悪感情を抱かせる危険性があり、シャールやエレンは改まった会話をするのは苦手であった。

「…ならば、彼に頼むのは?」

珍しく、エレンが提案をする。三人は多少なりと驚きを面に表した。

「彼とは、セオドルさんですか?」

アイリスの確認に、静かに頷く。

「でもどうだろう?あっちにゃもう関係のない話だろ?乗ってくるかねぇ?」

「関係ない、とは言えない。もし司祭が本物なら彼は教団の活動を妨害した事になる。教団に追われるかも。けれど、もし偽物と判れば、当然教団は不問にする」

「司祭様が本物であろうとなかろうと、悪魔召喚を企んでいるのであれば無条件で告発できるのでは?」

「儀式の現場を押さえられなければ、幾らでも言い逃れ出来る。儀式の時と、場所を調べる必要がある」

「つまり、セオドルさんは司祭様が本物か否か、あるいは悪魔召喚の儀式がいつ、どこで行われるのか、いずれか調べなければならないと?」

アオリアは無言で頷いた。

「やるのかい?あたし達も無関係だと思うけどねぇ…」

「シャール姉様。もし私達が、この件を見て見ぬ振りしたとして、悪魔がこの街に災厄をもたらした時、私達の行為が人々の耳に届いたとしたら、どうなるでしょうか?探索者としての信頼は損なわれ、この国に住めなくなるかも知れませんよ?」

「はぁぁ…判った、やるよ」

シャールが頭を掻く。

「これで決まり。明朝、あの宿屋に行く」

アオリアは会議を締めくくったのであった。


 宿屋へ戻るとすぐ食堂で夕食を済ませ、セオドルは部屋に上がった。扉の鍵を開け、ゆっくり開く。ベッドと小さな机、箪笥があるだけの質素な室内が見渡せる。机の上には荷物が置かれ、その傍らには…。

「…戻っていたか」

独特の緊張感と、少し残念そうな表情を浮かべ、そう呟く。いつもの調子とは、トーンからして違う。そこには、盗まれた両手剣が立て掛けられていた。風系の移動魔道でも用いた様に、少年達の前から消失した後、セオドルの部屋へ戻っていたのであった。扉を閉め施錠すると、まっすぐ歩み寄る。取り上げると、右手を柄に掛け、僅か抜いた。色とりどりの宝石が姿を現す。どれ一つとして欠けてはいない。もっとも、彼以外にこの剣が抜ける筈もないのであるが。四つの大粒な宝石が、彼の顔を映し出す。目的を果たすその時まで、彼はこの剣から逃れる事は出来ないのであった。


第三章

 アオリア達の訪問を、外出の準備を整えたセオドルは歓迎した。

「そちらから出向いて下さるとは。こちらから伺うつもりでした」

変わらぬ笑顔を浮かべているセオドル。

「…恐らくは、同じ用件」

「でしょうね」

横に退き、四人を招き入れる。

 室内を見回し、シャールは両手剣に目を留めた。

「あんた、見つけたのかい!?」

昨日の今日である。盗品がこれほど迅速に発見できるとは驚愕であった。

「幸運でした。売りに出た途端のところを、情報屋さんが見つけてくれたそうで」

そう説明するセオドルを、アオリアとアイリスは黙って見つめる。

「…ん、何か?」

「よかったですね」

冷めた食事を済ませてオスアルミテ城へ出向き、戻ってくるまで、情報屋とやらに盗品探索の依頼をしている暇はなかった筈である。とすれば、依頼をしたのは戻った後、という事になるであろうが半日と経ってはいるまい。本当に幸運であったのか、あるいは、剣が特殊で自ら戻ったのか…。

「そうですね。と、それはともかく。ご用件とは、あの司祭様の事ですね?」

「彼を本物の司祭と思う?」

「さぁ…しかし、不可解ではありますね。あの方達が本当に信者になるというのであれば、誰が修養の指導を行うのでしょうか?」

城で感じられた疑問点を、改めて口にしてみる。

「あんたも、考えてるんだろ?あそこで不味い企みが進行中だって」

「ふぅ…まぁ、そうですね。かなり不味い事が」

「だからさ、あたし達で乗り込むつもりなんだけど、その前に情報集めしよう、って話になってて。あんたに教会に同行してほしいんだけど」

シャールのそのあけすけな物言いは、誰かに何かを依頼する際のそれではない。セオドルも幾分面食らった様である。

「私に、ですか?それは構いませんが…ところで、”集結せし四姉妹”の皆さん、アオリアさん以外、名前を伺っていなかった様に思うのですが?」

多少の差こそあれ、アオリア達の表情が険しくなる。

「…支部で名前を?」

「はい。廃坑の一件で関係があったからと申しましたら教えて頂けました」

商工会とは元来商人達が商品運搬の人手や護衛等を雇用したり、損害保険制度を運用するといった目的で、各地で独自に結成、発展した。そこに手工業者なども加わり、現在の形がほぼ完成した。やがて各地の商工会は提携し遠隔地からの依頼等も仲介する様になった。そうなると、依頼を受ける者は身元を登録する必要が出てきたのである。近所ならば顔見知りで済んでいた事が、遠隔地ではそうはいかないのである。支部で登録された情報は、風系魔道で本部に送られ、そこから提携先の本部に送られ支部に同報配信され、といった風になっていった。さて、個人で登録する場合、本名なり通り名なりで行えばよいが、複数人で登録する場合、団名が必要となる。傭兵団など通常集団で行動する者達などは団名を元から持つのが普通であるが、アオリア達はほんの三年程前に各々の生活環境を離れ集結し、”集結せし四姉妹”という団名で登録したのであった。商工会では依頼を受ける者(者達)を便宜上探索者、と呼んでいる。探索、と冠されているが、依頼内容も受ける者の職業も雑多であり、あくまで便宜上である。

「まぁ、別にいいけどさ。団名通り、あたし達は血を分けた姉妹だよ。アオリア姉さんが長女、あたしは次女のシャール・エリオンス」

「…三女のエリス・スポッター」

「四女のアイリス・イノサントです」

「皆さん、姓が違いますが結婚を?」

「いいや。色々複雑なのさ」

肩を竦めて見せるシャール。

「それは失礼を。ところで、皆さん腰掛けませんか?」

腰掛ける、といってもベッドしかない。四人は獺祭の如く窮屈そうに腰掛けた。セオドルは机の椅子を引き出した。

「話を元に戻しましょう。教会へ情報収集のため同行を希望される、と、こうでしたね?私も教会に伺いましたが、司祭代理様も信者の方々も、みな物腰の柔らかい、善良そうな方々でした。アオリアさんやアイリスさんが訪れても、さして問題にはならないと思いますが」

「顔つなぎが出来てるなら好都合さ。最初だけでいいから、いい雰囲気を作ってくれないかね?」

「結構です。まぁ、私も訊いておきたい話ですし。朝食はお済みですか?」

笑顔のまま頷くと、今度は質問を返す。

「いや。こっちで摂るつもりだったしね」

「ならば、まずは食堂へ降りましょうか」

セオドルの提案に誰も異存はなかった。

「ならば、早速」

アオリアの動きに合わせ、一同は立ち上がった。


 オスアルミテ城の司祭の私室では、だみ声が轟いていた。

「まだ準備は整わんのか!?」

「まぁ、そう急く事もございますまい。今最後の”信者”達の心を洗浄中ですので、今夜中には調いましょう」

漆黒のローブを纏った女性が、テーブルに着き食後の紅茶を楽しんでいる。

「廃坑が駄目になったせいで計画が大幅に遅れたのだぞ!?心の洗浄の準備に手間取ったせいでな!余計な出費で元を取るのに何年計画が伸びる事か!」

「司教区が復活すれば、一生懐が潤うのですよ?落ち着きなさいませ。大事を成すのに拙速は禁物というもの」

「ふん!直接わしの懐が潤うわけではないぞ?」

「承知しております。司教区を復活させ、修道騎士団を養い、城を修復し、教団の名において商いを行い。それらを貴方の息のかかった業者達で独占する。教団の財力で、貴方の子孫や部下達は潤うと」

「いずれ、わしの子孫がこの国を買い取るのよ!」

「壮大な夢ですわね」

女性の声には、少々呆れた様な響きがあったが、司祭は気付いていなかった。

「その為には!司教区復活の大義名分の為には、悪魔召喚などと大それた事をしでかした者がおったのを、わしらが倒した事実が必要なのよ!悪魔の存在を見せつけてやらねば!」

自分の言葉に酔っているらしい司祭は、低く笑い声を立てたのであった。


 教会は街の規模に相応の大きさがあり、ほぼ中央に威容を誇っている。

「ここがありゃあ、城なんて要らないだろうに」

教会を見上げつつ、シャールが呟いた。

「司祭代理様がいらっしゃいました」

玄関先で話をしていたセオドルが手招きした。一同はそちらへ向かった。

 説教壇の前で、若い男性の司祭代理と女性の信者は困った様な顔をした。

「貴女方は…」

戦士と狩人はともかく、魔道士と回帰派(彼らにとっては異端であろうが)修道士は、あまり相性が良いとは言えないのであるから。しかし、彼はすぐに素敵な微笑を見せた。聖印を切り、会釈をする。

「ようこそ、回帰派の修道士さん。不愉快な目には遭いませんでしたか?」

「い、いえ、その様な事は…」

同じく聖印を切りつつ、アイリスも視線を逸らし返答する。その意味を理解し、司祭代理は苦笑する。

「こちらは五十年程前まで司教区が置かれていまして。大規模な修道騎士団も所属していたそうです。ですから、歴史的に、その、強い矜持を持っているのですよ」

「存じております。メテオノールに住まいしておりますので」

この一言に、司祭代理は大きく頷いた。

「ああなるほど。あそこは新興の地ですしね。西からの文物も色々と」

「はい」

アイリスも微笑んだ。

「ところで司祭代理様、お訊ねしたい事についてなのですが…」

「ああ、はい。信者の方達の修養についてですね?ここではこの教会で全て行っております。一定以上の期間、信仰生活をして頂き、修道院なり他の教会なり大学なりへ進むか、あるいはここに留まるか、また還俗する、という事になっておりますが。オスアルミテ城は教団の建物ではありますが、本来使用してはおりませんね」

「司祭代理様は、アポロニア大学で御柱<みはしら>の研究をなされておいでだったのです」

傍らの信者が、自慢げに言う。

「御柱の?では、聖域について?」

「そうです。貴女方回帰派が最も重要視なされる」

御柱とは、この世界を形成する基礎となった支柱の事である。八本ある御柱により地が、天が、あらゆる生命が発生したとされる。それを据えられたのが天道主であり、御柱を通して生命力を注ぎ込み、今なお聖域と呼ばれる地域から溢れているとされる。回帰派のシンボルである正八角形は、御柱を通した天道主の有り様、意志等を読み取ろうとする宗派の要諦を端的に表したものであり、それはオクトロームという存在の全面否定に繋がり、その預言と称し、恣意的な搾取を繰り返す主流派への痛切な批判ともなっていた。

「そうでしたか…」

「そういう関係からか、大学内でも回帰運動に共鳴する者達がおりましてね。まぁ、私はそちらに進む事はなかったのですが」

それでも親近感を抱いているであろう事が見て取れた。

「あの、お話を…」

「あ、はい」

司祭代理が信者を少し咎める様な目で見ると、信者は恥ずかしげに俯いた。

「オスアルミテ城に、信者の方が集められている様なのですが、何かご存知でしょうか?」

「いいえ。変更の指示等は受けておりませんが?」

「司祭様には、正直困っているのです。説教や教会の行事は殆ど司祭代理様に任せきりで、オスアルミテ城で怪しげな行いを…」

「ん?何かあったのかね?」

司祭代理に問われ、信者はしまった、といった表情をした。全員の視線が集中する。

「話してご覧なさい」

「はい…実は、三日前に司祭代理様から頼まれた遣いに、オスアルミテ城へ参ったのですが」

「そうだったね」

「はい、その時に」

躊躇いがちに、信者は語った。

 司祭に直接手渡すように、と指示された手紙を託された彼女は、オスアルミテ城で司祭を探したが見つからず、代わりに裏手の森へ向かう男達を見かけた。彼らは何本もの、人の身長程もある太い木の杭と、木槌を運んでおり、城の修復でもないのに何事か、と興味を覚えこっそり後をつけた。三十分と行かないうちに拓けた場所があった。そこは彼女の知らない、随分と古い廃墟であった。木立に隠れ観察してみると、結構な広さのある円形の石床と、その周辺に残っている何本かの石柱。更には何本かの木の杭が立てられており、男達は更に運んできた木の杭を立て始めた。その様を、石床の上から司祭が黙って見詰めていた。意味不明なその行為に異様なものを感じ、彼女は誰にも見られないようその場を離れ、城で司祭が戻るのを静かに待ったのであった。

 自分の見たものを全て吐き出し、信者は大きく息を吐いた。

「一時間近くして、司祭様は戻ってこられました。私は手紙を渡しますと逃げるように帰って参りました」

「なぜ、その時に話を?」

司祭代理の声に咎め立てする様な響きはない。

「その…申し訳御座いません。この話が、もし司祭様の耳に入ったらと思いますと、とても恐ろしくて…」

「それは致し方ないですね。これでどうやら、証拠は固まった様です」

「何のでしょうか?」

「悪魔召喚のです」

司祭代理と信者は、瞠目し絶句したのであった。


 夜になった。満月の月明かりの中、木立を人影が行列をなして行く。清潔で質素な信者服を身に着けた者達が(その中にはセオドル達が見覚えのある顔もあった)、虚ろな目をし後ろ手に縛られても文句一つ口にせず、縄の先を持つ城の男達に追い立てられる様に歩いている。三十人以上はいる彼ら、彼女らは、二人並んで歩いているが、言葉を交しはしない。その最後尾には司祭と、あの女性を始めとする数人の黒ローブ姿。やがて、あの廃墟に辿り着いた。男達は自分の持つ縄を木の柱に巻き付けると、”信者”達を余った縄で杭に縛り付け始めた。”信者”達は、虚ろな目のまま抵抗する風もない。石床に目を転じれば、廃坑の時の様に、魔法陣が淡い光を放っている。その周辺に、黒ローブ達は陣取った。

「いよいよ、か。今宵、わしの願いが成就する!」

石床の中央で男達が作業終了するのを見守っていた司祭は、感無量という風で呟くと、左手小指から指輪を抜き取り足下に置いた。黒ローブの女性の隣に歩み寄る。男達はその背後に集合した。

「宜しいですね?魔法陣が中空へと動き出せば退避します。ここに留まれば、生け贄同様生命を吸い尽くされましょう」

女性の最後の確認。

「承知しておる、始めい!」

「では」

黒ローブ達は右手を突き出した。両手剣を彩る宝石達に混じり、オブシディアン(黒曜石)の指輪が嵌められている。それは召喚魔道のみに使用される物であった。

「皆さん、そこまでですよ」

不意に、石床を挟み反対側の木立の奥から声が掛けられた。やがて現れた五つの人影。セオドルとアオリア達であった。

「んん?貴様ら、確か…”信者”達を運んできた!」

「はい。そのつもりだったのですがね、司祭様。どうやら、思い違いだった様で」

周辺を一瞥し、司祭に向き直るとさも残念そうに言ってのける。足早に魔法陣へ歩み寄った。

「知るものか!わしの邪魔をするな!」

「そうはいかないのですよ」

「貴様、状況が判っているのか?」

男達が抜剣するのを横目に見、それでもセオドルは臆さず。

「はい。ですから、そうはいかないのですよ」

両手剣を左手で抜き放ち、右手を添え切っ先で魔法陣を軽く叩く。廃坑と同様、魔法陣は砕け散った。

「何ッ!?」

「これは!?」

司祭達は軽くパニックに陥った。魔道によるとも思われない未知の方法で、魔法陣が破壊されたのであるから。

「ああ」

セオドルの背後では、アイリスが小さく悲鳴を上げた。

「何か見える?」

アオリアの問いに。

「あれは…余りに、強大な…」

蒼白となったアイリスが、ようやくそれだけ呟いた。

「そう…」

アイリスの肩を抱きしめつつ、アオリアはセオドルの背中を見詰めた。

「廃坑も、貴方達の仕業ですね?」

「貴様の仕業か!」

「認めましたね?これで、もはや貴方の身分がどうであろうと、悪魔召喚を企てた罪で極刑は免れないでしょうね」

「何を言おうと、貴様らが物言わぬなら問題はないわ!」

その一言が合図となり、男達が向かってくる。両手剣を鞘に収め、セオドルは片手半剣を抜いた。進み出たシャールが戦斧と短剣を構え迎え撃つ。敵となった男達に、容赦するつもりはなかった。

「”炎の礫”」

アオリアのルビーの指輪上に魔法陣が浮かび上がると、六つの小ぶりの火球が敵めがけ射出される。が、それは”氷の礫”に悉く撃墜される。エリスの放つ矢も、”風の護り”に逸らされた。逆に向こうから飛んでくる魔法を、アオリアも撃墜してゆく。セオドルとシャールは、敵と激しく斬り結んでいた。

「糞が!」

言葉を吐き出しざま踏み込んできた男の剣を受け流すと、セオドルは肘を顔面に見舞った。鼻血を流し怯むや頸動脈を絶つ。血しぶきを上げ、男は倒れた。その傍らでは、シャールが敵の剣を短剣で受け止め、戦斧のスパイクで兜事頭部を穿った。

「こいつら、手強い!」

数人を倒された後で、敵は距離を取った。不意に、黒ローブの一人が膝を突いた。”風の護り”を発現し続けた為に急激に生命力を消耗し、失神したのであろう。召喚魔法陣等の様に、生命力を強制的に魔力に転換し続ける術式を組み込まれた魔道でも使用しない限り、生存に支障を来す手前で魔道士は目眩を覚え、最悪の場合失神するのである。通常暫く休息させれば覚醒する。さて、”風の護り”が消えた隙を見逃さず、復活するまでにエリスが矢を放つ。瞬く間に二人が胸や頭にそれを受け、倒れた。

「どうにかしろ!」

魔道士達の背後に隠れる様にして、司祭が喚く。

「…承知しました」

あの女性の黒ローブが、石床の中央へと退いた。

「”石人形”」

小さく呟くと、左手人差し指のエメラルド上に魔法陣が浮かび上がる。左手を石床に着けるや、石床は振動を始めた。次々と場所を移し四回、同じ行動を繰り返すと石床の石板が組み合わさり、次々と等身大の石人形が誕生する。更に…。

「!誰か来ます!」

「何人?」

エリスの問いに。

「十、十一…十二人」

そう口にする間にも、道の方から金属音と足音が聞こえてくる。

「はぁ、はぁ、間に合ったぜ!」

息を切らせながら、鎧兜に身を固め、盾を構えた男がセオドルを睨み付けつつ呼ばわった。それはセオドルが痛めつけたスキンヘッドであった。

「ゴルド!貴様何をしておったか!?」

「はぁはぁ、すいませんガルボ…いやいや司祭様。ちょいと油断して、このガキに不覚を取りやして。意趣返しの為に見張りを付けて準備をしてたんでさ」

よほど頭が上がらないのか、スキンヘッドは平身低頭しながら言い訳がましく説明した。

「こいつらはこっちで片付けますんで、司祭様は続きを!」

赤髪が進み出る。

「一人への意趣返しに十二人とは、大した武勇ですね」

少々呆れ気味にセオドルは呟いた。

「うるせぇ、戦いは勝ったモンが正義よ!」

「よかろう、やれ!」

司祭の号令に、スキンヘッド達は剣を抜いた。

「仕方ないですねぇ。では」

圧倒的不利の状況でも、セオドルの笑顔は変わらない。片手半剣を納め、再び両手剣を抜く。両手で構えて間もなく、四種類の大粒の宝石を囲む六つの小粒の宝石、その全てが中空に魔法陣を浮かび上がらせた。それらは一筋の光線を発し、それぞれの大粒宝石に集中する。すると、それらもまた魔法陣を浮かび上がらせ、剣身全体が淡く白色に輝きだしたのであった。

「合成術式…」

アオリアが珍しく瞠目する。合成術式とは、単体の術式を複数、正しく合成し、新たな術式を起動、発現させる方法である。組み合わせには規則性があり、一つの目的とする術式を合成するのに複数の組み合わせが存在する場合、各々で消費魔力、影響範囲、威力等異なってくるのが普通である。すなわち、望む合成術式を構築する為には、深い魔道の知識と、術式組み合わせのセンスが必要とされる。

「な、何だ!?」

発現した魔道を警戒し、様子を窺っていたスキンヘッド達であったが、特に何か起こる訳でもないのを見て。

「ち。虚仮威しか!」

剣を振り上げ、突進してくる。それに呼応し、黒ローブや石人形、その他の敵も動き出した。

「何か起きるのは、これからですよ」

氷の礫が飛んでくるのを、セオドルはただ両手剣で受けた。剣身に触れたとたん、それは消失した。そう、まるで蒸発したかの様に。

「合成術式”両断”、行きますよ」

盾を翳し斬り掛かってくる男に対し、盾の上から斬り下ろす。盾と腕が、紙でも裂く様に正しく両断され、更に頭頂から股間まで深く切っ先が通った。次の男は受けようとした剣が切れ(折れるのではなく)、袈裟斬りに斬って捨てられた。ゴルド含め、敵は再び距離を取らざるを得なかった。

「”両断”!?そんな術式、聞いた事がないわ!?」

黒ローブの女性は、石人形を突入させた。石人形には魔道により防護が与えられている。いかに只の剣や盾は切断出来たとしても、、これは…。

「先程の、見ていましたか?」

殴り掛かってくる石人形の、その右腕に切っ先が軽く触れた、と、右腕が崩壊した。ならば左腕、と、こちらも切っ先が触れただけで崩壊する。胴体に触れるや、石人形は只の、石の小山となった。

「貴方達の武器や防具、魔道では、今のこの剣に太刀打ち出来ない様ですね」

「術式すら、破壊する!?」

黒ローブの女性は、悪夢を見ている様であった。剣での撃破は困難と高をくくっていたものを、見る間に容易く四体とも石の小山に変えられていったのである。石人形の生成及び使役に魔力を消耗し、新たな石人形の生成はおろか他の魔道の使用ももはや限界であった。同じ黒ローブの仲間達も、もはや一人しか戦えない。

「ちっ!」

戦況に鑑み、彼女は最良の行動に出た。逃走であった。

「おい!」

情けない司祭の呼び掛けなど、もはや一顧だにする価値もない。自分の生命が第一であった。

 セオドルの鬼神の如き戦いぶりを見せつけられた敵は、アオリア達に的を絞り始めた。盾で矢を防ぎつつ、数でシャールを押し込みセオドルと引き離す。アオリアは魔道使用の限界に達しつつあり、エリスの矢も、残りが心許ない。セオドルに対しては。

「どうだ、手出し出来るか!?」

数人が、杭から解放した”信者”達を盾に、アオリア達との間に割って入り彼を牽制していた。

「ふぅ、貴方達に相応しい」

溜息をつき、苦笑する。その間、シャールの苦戦は続いていた。浅くはあるが、あちこちと傷を負っている。そこへ。

「あちっ!」

炎の礫が一つ、左腕に命中した。軽い火傷で済んだのは、黒ローブの消耗ぶりの裏付けであったろう。この攻撃を最後に堕ちた。

我ら導く天の主よ 我らに道を 示し給え

地に傷つく者を  癒し給え  この祈りに応え給え

杖を振りつつ、アイリスが美しく通る声で”治癒”の歌唱を行う。間もなく祈りは届いた。シャールの周囲が光で満たされ、傷も火傷も癒されてゆく。

「…ありがと」

小さく、シャールは謝意を示した。

 セオドルは、”信者”達を盾にした者達への対処法を検討していた。

「どうした、人質取られちゃあ、その剣も役に立たねぇか!?」

優位に立てたと見るや嵩に掛かる。とりあえず”信者”ごと転倒させ、一人ずつ仕留めてゆこうと決めた時。矢が、敵を貫いた。首をほぼ真横から。解放されても、”信者”達はぼんやりとその場に立ち尽している。風系魔道の援護を失った事に今更ながら気付いた者達は、矢に対し必要以上に気を取られた(もはやエリスの矢籠は、空になりかけていた)。その隙を逃さず、セオドルは突進した。人質を避け、敵を斬り捨ててゆく。一様に無反応の”信者”達を尻目に、シャールの方へ向かう。彼に気付き、思わず盾で防ごうとした敵を、正中線で斬り裂く。

「さぁ、そろそろお終いですよ」

両手剣を正眼に構え、躙り寄るセオドル。敵が固まる、と、次の瞬間、何人もが武器を放り出し逃走した。

「逃げるな!前金は払ったんだぞ!?」

ゴルドと呼ばれたスキンヘッドが叱咤するが、耳を傾ける者はなく残ったのはあの四人組のみであった。

「ははは、命には替えられない様ですね」

「糞っ、糞っ!」

最初に飛び出したのは赤髪であった。盾を捨て、突きの構えで真一文字に突進してくる。両手剣の間合いに入るや、突き出された両腕が斬り払われた。返す剣で袈裟斬り。血を撒き散らし、地に倒れ伏す。

「こっちも忘れんな!」

セオドルに気を取られていた金髪は、辛うじてシャールの戦斧を盾で受けたが、体勢を崩した。踏み出した右脚に短剣で斬りつける。

「ぐぅ!」

防御が崩れた所へ、兜にスパイクが突き刺さる。その間に、黒髪はセオドルに斬り捨てられていた。

「さ、残るは貴方一人ですが?」

あの圧倒的有利が三十分とかからず潰え、一人残されたスキンヘッドは、しかし最後の意地を見せた。

「この、若造がぁ!」

破れかぶれ、といった風でセオドルに斬り掛かってゆく。が、セオドルは斬り捨てなかった。盾に前蹴りを食らわせ、のけ反った所へ顔面に柄頭を叩き込む。怯み、剣を取り落とした所を、その右腕を剣を掴んだまま両腕で抱え、自らの肩に乗せると背後に回った。再びの激痛。そのまま跪かせた。

「あがぁぁぁぁ!」

その声は、彼らの背後で起きた。目を向ければ、石床の向こう端で司祭がアイリスに、スキンヘッド同様に取り押さえられていた。

 悪夢の如き光景に、ただ呆然と座り込んでいた司祭は、しかしいよいよ決着が付こうかという状況になり、ようやく動き出した。そろり、そろりと、石床の上を這い出す。幸い、自分に注意を払っている者はない様であった。あの女性の様に、木立に紛れてしまえば…。

「どちらへお出かけですか?」

アイリスの声に、恐る恐る、振り返る。微笑を浮かべ、アイリスが見下ろしていた。

「いや、わしは…」

「これほどの事をしておいて、お逃げになるのでしょうか、司祭様?もはや貴方の極刑は決定的です、どこにお逃げになろうと」

後じさる司祭に詰め寄りつつ、アイリスは追い詰めてゆく。

「わしは…そうだ、わしは騙されたのだ!あの女と仲間達に!まさか、こんな事になろうとは!」

恐ろしげに顔を覆い、被害者を演じてみせるが。

「そうですか。あの者達はどう証言するのでしょうね?」

倒れている黒ローブ達をチラ見する。恐らくは正反対の証言をするであろう。

「う、うるさい!異端が偉そうに!」

掴み掛かられそうになったアイリスは、軽快に横へ退いた。背後に回り込むと、立ち上がりかけた司祭の股へ杖を差し込み足をもつれさせる。慌てた司祭の左腕を取り、杖に絡ませつつ前へ押す。肩を脱臼しそうな激痛に悲鳴を上げつつ、司祭は上体を石床に接したのであった。

「うぅぅ」

「私達はまだ弱小ですから、この様な技も習う必要があるのですよ」

横目で睨み付けてくる司祭に、アイリスは囁いた。

 身柄を確保された司祭と黒ローブ達、スキンヘッドは、それぞれ別々に”信者”達が縛られていた杭に拘束された。その”信者”達は、アイリスの歌唱”解毒”により正気を取り戻した。彼ら、彼女らの殆どが、貧困地区から売られてきたのだという。夜明け前にセオドルは街へ向かい、昼前には警備兵を連れ戻ってきた。引き立てられてゆく司祭達は大人しかった。セオドルが脅したからである。

「これから先、貴方達が取り調べ等で不誠実な行動を取ったなどと耳にすれば、どこに隠れようとこの剣が姿を現すでしょう」

たとえ極刑の判決が下されるとしても、生き延びられる可能性がないでもないのである。セオドルが再び現れなければ。一方で、解放された”信者”達も、街へ戻る事になった。

「貴方達は悪魔召喚の生け贄になる契約をした訳ではないのでしょう?ならば契約は無効です。支払われた金銭も、まぁ損害賠償という事で問題はないでしょう」

セオドルの説明に、みな一様に安堵の表情を浮かべたのであった。


エピローグ

 事件の決着を見てから五日余り、五人はメテオノールに戻っていた。出発の遅れていたキャラバンに随伴し、戻ってきたのであった。道中、キャラバンに納入予定であった商品を製作していた手工業者が突然村に戻ってきた、という話を耳にした。作業の途中で消息不明となっていたのであった。山賊に拉致され監禁されていた、という以外、彼は多くを語らなかったという。

「本当に、同行するのですか?」

旅支度を終え、こざっぱりとした家を出たアオリア達に、セオドルは改めて問うた。

「決定済みの筈。手配も済んでいる」

「貴方の事情を知った以上、聖職者の末席に連なる者として見過ごす訳には参りません」

アオリアとアイリスの即答。全ては、事件後の昼食の席で決した事であった。

 宿屋に戻ってきたセオドルは、食堂でアオリア達と少し遅い昼食を共にした。

「いやぁ、アイリスさんが格闘をなさるとは」

「回帰派の修道院では必須です。その、主流派の方達等から身を守る必要があるので」

少し辛そうに言い淀む。赤髪の男が思い起こされた。

「それはともかく、今は貴方の話をしたい」

「私の?」

アオリアに、セオドルは如何にも意外、と言いたげな表情を見せた。

「そう、貴方の。貴方は、とても危険な物を携えている」

傍らの両手剣を見据える。

「これですか?まぁ、確かに危険な魔道も発現出来ますが」

「それだけではない。それには、この世にあらざる者が憑いている」

「まさか。まさか、私が悪魔召喚を行ったとでも?」

「貴方ではないかも知れない。しかし、貴方はそれを知っている」

「私が?なぜです?」

「貴方がその、この世にあらざる者の契約者だから」

「その証拠は?」

あくまで微笑を口元に貼り付かせたまま、しかしセオドルの双眸には剣呑な光が宿る。

「その剣は、盗まれた。貴方はしかし、宝物と言いながら心配していなかった。そして翌日には手元に戻っていた。まるでその剣が自らの意志によって戻ってきたかのよう。貴方はそれを知っていたから、心配する必要がなかった」

「ですから、それは」

「人に頼んで見つけて貰える時間的余裕はなかった筈。幸運だった?結構、理由は他にもある。あの”両断”という魔道」

「あれは奥の手でしてね。召喚魔法陣の様に、強制的に生命力を魔力に転換するものですから」

「そう…二十四もの術式を同時に起動し、あれだけの時間持続させるなど、人間に可能とは思えない。しかも、起動する術式の名を唱えもせず。これらの事を考え合わせれば、その剣に憑いている者の助力を得ている、としか思えない」

「なるほど…ふぅ、やはり、見せるべきではありませんでしたね…」

意外にあっさりと、セオドルは降参した。

「確かに、これにはかなり危険な者が憑依しています。一音節の名を持つ」

アオリアとアイリスが血相を変える。シャールとエリスは、今一つ意味が理解出来ていない。

「やはり…」

その異様な生気を感じていたアイリスには、その様な予感があった。

「私は聖域で、その者をあるべき世界に還すつもりなのです…放置する訳にゆかないので契約をして。今回の一件に遭遇したのは偶然ですが、解決出来て良かったと思っていますよ」

俯き加減に、ぽつぽつと語った。

「そうでしたか…もしかして、それは、半年前の…」

「詳しくは訊かないで下さい。罪滅ぼしにもなりませんが、私がやらなければ」

沈黙が下りてくる。騒々しい食堂内で、そのテーブルだけ別空間と化したかの様に。しかし、まだ話は終わっていなかった。

「なるほど…貴方には、監視が必要と判断する。魔道士協会へ報告する」

「いや、それは」

「これは貴方の問題ではない、私達の問題。魔道士達は、長年天道主教団等と対立し、血を流してきた。魔道が天の法を冒すものと攻撃され、身を護る為反撃した。やがて魔道士協会を結成して一定の秩序を確保し、教団との一応の和解も成立した。私達は自律的に、召喚魔道士の如き外法に携わる者達を排除しなければならない。その様な者が跋扈するのを許せば、やはり魔道は危険と見なされ再び血が流れる事となる。だから、貴方を放置する事は出来ない」

「聖職者の端くれとして見過ごす訳には参りません。貴方の目的が達成されるのを、誰かが見届けなければ」

「はぁ、そうですか…」

何とも冴えない笑顔を、セオドルは見せたのであった。

 旅への同行に、シャール達は異議を唱えなかった。

「聖域ねぇ、滅多に行く機会なんざないしね」

暢気に答えるシャールであった。聖域は峻厳な山岳地帯に囲まれ、そこに到るルートは限られていた。容易に行ける場所ではないのであった。また、聖域には特異な生態系が存在するとも噂されていた。

メテオノールに戻るや、彼女達は長旅の支度に取り掛かったのであった。

 「ところでさ、いきなり聖域に行って悪魔還したいんで、って言って協力してくれるのかい?」

「妹がいますから。何とかなると思いますよ」

「へぇ、名前は?」

「エイダ、です」

「エイダ、ねぇ。ちょっと好奇そうな名だよね」

「皆良い?出発する」

アオリアの一言で会話が止む。一同は、西の街道に繋がる門へと、歩き出したのであった。

END

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